ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと献金

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 日本のブラザレン系の教会(キリスト集会)では、一応毎週の献金をするようなすすめがされることが多いようです。特に、献金袋形式で毎週回ってくる場合、献金をいれずにまわすことについては、他の人とちょっと違う形になることもある場合があるので、そのことを実際に行動として維持するためには、ある程度強固な意志が必要と思います。その点、箱形式だと、月のうちいつ入れるかが分かりにくいこともあるので、便利といえば便利なのかなぁ、と思います。目の前に回ってきた献金袋に入れなければいけない、というような強迫観念にさらされる可能性は低くなりますし。日本人は、場の雰囲気によるプレッシャーを感じることも少なくないので。

 毎週献金をするという行動の背景には、日本のブラザレン運動に大きな影響を与えた英国のブラザレン運動が生まれた英国や米国の賃金制度がその背景にあります。おそらく、英国では、毎週するのが当たり前だったので、英国や米国系の伝道者がそれをそのまま日本に持ち込んだことにより、日本でも毎週の献金が当たり前になっていったものと、想像しています。

 日本では、会社員では月給制度が基本的に明治以降定着してきましたが、英米圏では、特にホワイトカラー以外は、基本的には週給制度だったということがあります。今でも英米圏の非ホワイトカラー職種においては、週給制度だと思います。

 これは、スキルがあまりいらない非ホワイトカラー職では、労働者は、より給与条件の良いところを求めて移動ができる自由さを確保できること、月給制度だと、次の収入が入るまでの期間が長くなり、収入をどう使うかの計画性が必要となることなんかもあり、勤労者の側でも週給制を望むということもあると思います。あと、労働者側にとっては、雇用者の倒産があっても、賃金の取りっぱぐれの可能性が減る、ということもあると思います。

 また、雇用者にとっても、週給制度であると、雇用者側の繁忙状況に合わせて労働時間屋雇用人数を比較的自由度を持って調整できる、あるいは、給与資金の調達などの運転資金調達での負担が小さくて済むなどといったメリットがあるため、週給制度が採られた、また、現在も採られているようです。ホワイトカラーは、月給制のところも多いようですが。

 週給制度の場合、月曜日から金曜日の勤労状況に合わせて金曜日に週給の支給するのが通例と言うこともあり、日曜日の献金ということになるようです。まぁ、日曜日が休みだから、それにあわせて金曜日に支給、というところもあるのでしょうが。これはどちらともいえません。ただ文化的伝統です。
 ちなみに、アメリカでは、給与も小切手で支払われること(小切手を銀行に持っていって、口座に入金するまで現金化しにくい)もあり、現金がすぐに必要な人々は、銀行以外に小切手を換金する業者(受取額は、小切手の額面よりも少なくなる)もあるようです。実は、アメリカがローンやクレジット大国なのも、こういった文化背景があるように思うのです。

 また、英国のブラザレン運動の出発点では、小規模な商工業者や職人という日常的なマネーフローがある人々(毎日勤労したことの見返りに、収入があることが多い人々)が数多くおられたこともあり、それらの方々が、お店を占めたり、作業をやめていた土曜日に決算をして、その週の収入が確定しそこから献金を出す、ということがあることも、毎週日曜日の献金につながっていると思います。

 その意味で、毎週日曜日の献金は、文化的習慣といってよいと思います。それが証拠に、イスラエルで祭司への奉献物は、年に1回だったですから。月給制度の方は、月に一回の献金という形でも良いし、毎週でも良いと思います。毎週が聖書的であるとする根拠はあまり見当たらないと個人的には、思っています。

 キリスト集会では、信者以外の方(未信者、求道者と呼ばれることが多いようです:もうちょっと呼び方に工夫があっても良いとおもいますが、来会者なんてのもいいかもしれませんけれども。)には献金をキリスト集会自ら求めない、というのが基本線です。これは、かなり重視されています。

 このようなことが言われる背景には、信者は主の僕、奉仕者であり、神の民以外からいかなるものも受けることを良しとしない、というところがあると思います。あるいは、神の民以外からの献金をうけることは、「問題」と写るようです。この精神性は、なんとなく分からないではありませんが。

 とはいえ、問題となるのは、信者以外の方が献金をしたい、という主体的な意思を持ってそれを表明されたときがやや微妙な問題を生み出します。対応は大きく二つに分かれます。

(1)断固拒否・絶対拒否の姿勢を貫く
(2)一応お断りするが、本人の意思が強固ある場合それを無視しない

 キリスト集会は信者(集会が正式に承認した信者)のものであるから、それ以外の方からの献金は好ましくない、という考え方に立つ場合、(1)の方針になることが多いようです。この場合、献金箱で集めている場合でも、その所在を示さない、あるいはそれ自体を隠してしまう、という場合があるようです。

 相手の方の御意思を尊重して、「献金は信者の方からのみなっておりますので、ご心配なさらないで下さいね」とお断りしますが、どうしても献金したいとおっしゃった方には、献金箱の存在をお教えする場合もあります。この場合、(2)に相当します。この場合でも、積極的に献金箱はそこです、とは言われないキリスト集会が大半だとおもいます。とはいえ、献金箱の所在を教えてほしいといわれた場合、「後ろのほうにそれらしい箱があるとおもいますが、でも、気になさらないで下さいね。」とこそっとお話しするところもあるようです。

 私個人としては、「どうしても」と信者以外の方がいわれるのであれば、「御意思にお任せします。○○のあたりにそれらしい箱の中にいれておいてくださいね。」とお話しすることもあります。しかし、まぁ、そのようにご案内するのも、何回も来られている方から聞かれたときだけに限ります。1,2回参加しただけの人から聞かれたら、気にしないで下さいね、といってお茶を濁していることが多いです。

 個人的には、信仰の継承という意味から、バプテスマの有無に関係なく子供たちに献金を少額でも良いのでするようすすめている(ちなみにそのための少額貨幣は、どう使ってもよいといった上で支給しています)こともあり、信者以外の献金もある程度幅を持って対応したらよいのでは、と思っています。

 キリスト集会では、主に献金の集め方は2種類あります。

(1)献金箱箱形式
(2)献金袋形式

の2種類です。いずれの方法を取るかに関しては、教会の歴史や伝統によって異なるので、どちらが聖書的、ということはないと個人的には思っています。

 まず、箱形式の場合、毎週日曜日の全日、または、福音集会以外の時間帯以外の全時間帯に教会の後ろ側(たいてい入り口の近くの目立たない場所)に箱が置かれ、その箱の中に献金を信者が自主的に入れる形を取ります。木製の箱(布の内張り付)や紙製の箱が献金投入時点の硬貨などの投入音を避けるために、使われることが多いようです。

 一部では、不正防止や悪意の第3者への対策のため、会計担当者だけが持つ鍵をつける(ほとんど実際的な効果という意味では、無意味であるが、子どものいたずらを防止したり、不用意な気持ちになる子ども達を防ぐという意味での気休め程度の抑止力にはなります)場合もあります。鍵の有無が聖書的、非聖書的ということはなく、その集会の過去の伝統にのっとっていると考えたほうが良いと思います。

 献金袋の場合、毎週日曜日の礼拝のどこかの時点(たいていはパンとぶどう酒が回った後のどこかの時点、または礼拝終了直前)で献金袋が聖餐式参加者に回されます。それがぐるぐる回って、その中で献金を皆さん入れることになります。海外にいたときは、袋の2箇所に持ち手のついた献金袋が回ったこともありました。この場合、割とスムーズに行くので、楽だったなぁ、という記憶があります。

 この形式の場合、礼拝が始まる前に聖書の中に挟みこむとか準備しておいておかれる信徒の方が多いと、比較的スムーズに進むのですが、時にポケットから財布を取り出して、ということもあるので、その場合には時間がかかることになります。

 日本のブラザレン系のキリスト教会(集会)で採用しているところがあるかもしれないけれども、私は日本で経験していないのが、献金皿形式です。直径20-30センチくらいの木製や金属製の献金皿に献金を入れる形式です。サンタ・バーバラのShoreline Community Churchで何回か経験しました。この場合、割と浅いお皿の中をドル札や小切手がふらふらすることが多いので、落とさないように気をつけてまわすようにした記憶があります。
 
個人的には、箱形式のほうが、一番楽だったりします。 

 キリスト集会での献金は、月定献金とかいったタイプの定額献金制度をとるところはありません。本人が自由意志で、献金したいとおもう額を献金する、ということが理想とされていますし、現実にそのような方法で献金への対応をされているところが大半です。

 とはいえ、献金額には一応の目安があって、1/10が一応お勧めではないか、とされていますが、ほとんどのキリスト集会では、厳密にこれを信者に対して主張しているわけではありません。一種の献金額を個人で定める際の参考指標であって、絶対指標ではありません。まぁ、この1/10は古代のメソポタミアからエジプトにかけての範囲の中近東における税制基準の名残というところもあるので、一種の参照線となります。あくまで、献金額は信者個人の自由意志による、というのが基本線です。アナニアに対するペテロの発言が根拠と思われます。(使徒5章)

 日本ではブラザレンのキリスト集会以外に1月以上定期的に参加したところがないのでよく分からないのですが、ある教会では給与明細を押さえられてその給与収入の10%を献金するよう半ば強制的に求められるところもあるようです。真偽性のほどはよく分かりませんが。しかし、しょうもないことだけれども、献金額の指定があるところでは、課税後所得(税引き後所得)の10%なのか、課税前所得(税引き前所得)の10%なのだろうか。多分、課税前所得なのだろう、とはおもいます。

 ただ、以前Nozzonさんからのコメントで教えていただいたの情報では、ドイツなどでは、ある面、国家制度と教会制度(ルーテル派かな、多分)がシンクロしてしまっているようなところもあり、国家が教会に変わって献金の徴収代理をオプションで請け負っている国や制度もあるようです。ブラザレンの信徒の方からすれば、「信じられなーい」ということになると思います。ブラザレンのキリスト集会では、制度や組織に対して非常に否定的でもあるので、国家が個人の献金を教会の代理として預かって、それをキリスト集会(教会)に振り込むなんてことは、考えられないことだろうと思います。

 キリスト集会(教会)の献金の管理に関しては、大抵、執事役のうちの一人ないし数人の大抵の場合男性信徒が会計係として機能することで、管理されている場合が多いようです。信徒が少ないときには、長老がその責任を全て負ったりする例外的な場合もありますが、これはたいていの場合、開拓伝道中のごく限られた期間に限られるようです。
 開拓中の場合、長老が全責任を負うのは、その段階では献金といっても、ほとんどが長老により捧げられた献金だけなので、実質上、他の信者が関与する意味が無い、ということもあるからと思われます。
 
 開拓伝道の結果、信者の数が増えてくると、複数名の信徒が担当することとなります。複数名の信者で会計を担当するのは、市場経済が発達した現在の社会の中では、お金は必要なものなので、どうしても間違いを起こす会計担当者が発生しないと言い切れないこと、間違いが起きるのを抑止する効果があることなども、このような方法で管理する要因といってよいと思います。それと、単純なミスで、銀行などの口座への入金忘れをしたなどと言うこともおきかねませんし。

 男性信徒だけが関与する必然性も無いとは思うのですが、ブラザレンの出発点であったビクトリア朝時代にあった男性優位主義、事務的な責任を追う仕事は男性がすべしという男性主導主義が、ブラザレンに定着した結果、男性信徒がすることの中に入っているようです。
 
 アメリカのコミュニティチャーチにいたときの会計責任者の方は、女性の方でしたねぇ。それから、外部の監査人(オーディター 外部の教会の信者さん)も女性の方でした。

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