ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと結婚・恋愛

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

 Tim Grassという人のGathering to His Name という本を読んでいる

のですが、初期の頃のブラザレンのリーダー達の結婚状況について

かなり詳しく書いてあります。

 この辺は、Coadにも書かれているのですが、Grassのほうが詳しいし、

Coadにはない情報も含まれています。ブラザレン研究をするなら、

この本が今一番良いのではないかと思います。外部の方(もとバプティ

ストの現国教会の牧師さん)が書いているので、かなり客観的に書かれ

ています。この本、良い本なんですが、フォントが8ポイントくらいで、

おまけにTimes New Romanフォントなので、老眼が始まった感のある私の

目で電車の中では読みにくいのと分厚いので、つらい本です。いつ読み

終わるかは不明です。
 
 ところで、その本の中に、ブラザレン以前の運動が始まる前に存在し、

ブラザレンに多く用語を与えるなどブラザレン運動となるような基礎を

作り、影響を与えたけれども消え去ってしまった運動との比較で、こんな

文章が21ページにありました。

Since none of these groups has survived, however, we must ask why

the Brethren movement took root in a way that they did not. One

factor may be that from the begining the Brethren had the advantage

of a strong sense of family unity arising principally from close

network of well known leaders, which owed much to intermarriage,

especially among former Quakers. The phenomenon reflected the

movement's origins among the aristcracy and gentry, and the developing

links can be seen as we trace the origins of three groups of believers

who began meeting in Dublin during the late 1820s.

これらのグループ(ブラザレンの前に存在した福音的グループ)は一つとして残

らなかったが、彼らが通らなかった道(存続する方向)になぜブラザレンが根ざ

したのかを考えるべきであろう。一つの要因は、最初の頃からブラザレンは

結婚を介しての指導者達の緊密なネットワークから生まれる家族の一体性とい

う強い意識という利点があったことにあるであろう。特に、この傾向は、元

クェーカの人々に見られたものである。この現象は、この運動の出発点が、

貴族または紳士階級から始まったことを反映しており、ダブリンで、1820年代

に集会を始めた3つのグループの信者(3つのグループは、Rowdon, Harold H.,

The Origins of the Brethren 1825-1850. London Pickering & Inglis, 1967.

の24ページを見てください、だそうです)の起源を見ることで、この発展のた

めのネットワークの存在を確認できる。(ここまで翻訳)

--------------------------------------------

 分かっている限りでは、この運動に大きな影響を与え、Darbyが結婚するこ

とも考えたらしいPowerscourt伯爵夫人の関係者と初期のリーダー達との婚姻

関係に見られます。この方のおうちで、最初のいくつかのカンファレンス

(大会)が開かれています。この方は、先のGrassの25ページによれば、20代で

未亡人になり、36歳位でなくなっているようです。

 このPowerscourt伯爵夫人の妹は、アイルランドの福音主義者であったCongleton

卿ことJohn Parnellのおじと結婚していますし、このCongelton卿の娘は、

Brethren運動の初期の指導者の一人、Wigramの2番目の奥さんだそうです。

このWigramは1番目の奥さんのFanny Blighさんとお友達だったようです。

 これ以外にも、ジョージ・ミューラーとともに孤児院運営を企画した

Craikはこの運動に多大な影響を与えたバクダッドに伝道に出かけた

A.N.グローブスの神学の先生でしたし、ミューラーの妹は、このグロー

ブスの奥さんだそうです。

参考
Grass, T.(2006), Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
Coad, F. R.(2001), A History of the Brethren Movement: Its Origins, Its Worldwide Development and Its Significance for the Present Day, Vancouver, Regent College Pub.
ISBN 1573831832

 水谷さんという方の「命と性の日記〜日々是命、日々是性」の

2008年9月28日の記事に、

「恋は落ちるもの、愛は育てるもの」 
http://blog.chiisana.org/?eid=909109

という記事がありますが、恋は、一時的な状況、というのはその通

りだと思います。だからこそ、「荒野に行って神の声を聞く」必要

があるのだと思います。恋は、一時的な状況であるからこそ、間違

いも起こしやすいし、その同じブログの2008年9月15日の記事にある

ように

「よく知り合う前の性行為、それって「交尾」だろ?」
http://blog.chiisana.org/?eid=902708

ということが、現代の日本社会では、それほど異常である、という

印象を持たない方が増えてきているという現実はあると思います。

若いブラザレンの信徒の方々にも、その社会風潮の影響は全くない

とは言えないと思います。逆に、全く影響していない方がおられる

としたら、その人は社会と関係が薄いということで、少しその立場

を考え直したほうがいいかもしれません。ブラザレンの信徒も、普

通の方々に福音を伝えていけることを考えると、あまり、世間と離

れた生き方、ということはどうか、とも思います。
 
 ところで、とんねるずの「ねるとん紅鯨団」で合コンが当たり前

の行為になった日本、恥ずかしげもなく、異性交遊のありようが語

られる「恋の空騒ぎ」が日本の若者に与えた影響は少なくないと思

っています。そして、ブラザレンの若年層の信徒にも。

 恋に落ちることは、キリスト者でもおきます。そのことは罪では

ないと思います。しかし、恋に落ちた結果、そのまま「姦淫」へ走

ることは避けるように聖書は実例を用いながら、言っていると思い

ます。結婚以外の性行為の問題は避けるべきであるというのが基本

的な聖書の理解であると私は思います。ただ、今の高校生や大学生

に「姦淫」についての一定の理解があるかどうかということはかな

り疑問だと思います。

 なので、以下では、私の聖書理解を簡単にお示ししておきたいと

思います。これが正しい理解である、といった主張をするつもりは

ありませんが、私の聖書の基本的理解は、概ね次のようなものだ、

として私は理解している、ということでご理解ください。聖書の基

本的な理解としての「姦淫」とは、「聖書全体の倫理にそむく性行

為」であることになる、と思います。従って、姦淫とは「結婚とい

う枠組み以外での性行為」の総称としてよいと思います。さらに、

姦淫は避けるべき、ということが旧約及び新約聖書の中に、相当回

数出てくる以上、基本的に「姦淫」をさけるべきである、というこ

とは聖書の基本的主張であろうというのが、私の理解です。つまり

「恋に落ちた」としても、結婚式が終了するまでの「性行為」は、

すべてNGということになります。「恋に落ちる」可能性のある若い

方々には、世間的な基準に惑わされることなく、聖書の基準に従う

べきだろう、と思います。そして、「恋に落ちた」場合、恋を愛に

変質させていくために、そのことを確認するために「荒野に退く」

事が大事だと私は思うのですが。

 古臭い、カビの生えたような恋愛論で申し訳ないのですが、個人

的には、一生をかけての真剣勝負である「結婚」に挑むためには、

一時の感情に流されず、神の前に静まることが重要だと聖書はいろ

いろな事例を通して、いっている気がするのですけどねぇ。

ジイ様としてはそう思います。

 神の前に静まり、パッションによる「恋愛」ではなく、神にあ

って共に補い合う相手と、一緒に一生を過ごす家庭を建設すると

いう「結婚」の意思が固まった、ということは大事にすべき内容

だと思います。そして、そのことに関して、長い時間をかけて

神の思いを探り極めた結果、そのように進もうと確信した場合、

いきなり、所属するキリスト集会の参加者の前でその意思を発表

するのではなく、責任者と「個人的に」十分な時間をとって、ご

相談になられることをお勧めします。とはいえ、いきなり、キリ

スト集会で発表してはならない、ということではありません。

発表しても良いですが、キリスト集会が多くの人たちが集る場所

であることを考えると、いきなりの発表の影響は少なくないと思

います。

 まぁ、たいていの場合、いろんなところで、人々の行動や言動

を責任者は見ているので、そのようなことがある場合、気が付い

ていることが多いので、先に責任者から「結婚について考えてい

ますか?」と声がかかるとは思います。

 婚約に進むということは、キリスト集会(教会)の他の信徒間

の関係にも微妙な影響を与えることもあるので、キリスト集会

(教会)全体としての成長を考える必要もあります。他の信者へ

の配慮を考え、神と共に歩むものとして、どのように判断すべき

かを心静かに考えるために、今度は責任者が「荒野に行って」神

の前に静まり求めることが必要な場合があるようにおもいます。

責任者といっても、人間に過ぎないので、完璧ではありませんし、

十分でないこともあります。他に仕事を抱えていることもありま

すし、他の信者全体とのバランスを考える必要もあります。そん

な中で、最も神の前に適切な行動が取れるように祈り、求め、静

まることも責任者には必要なのです。従って、まず、責任者と

「個人的に」十分な時間をとって、ご相談されることが結婚に進

もうか、婚約に進もうか、と考える場合必要だと思います。

 とはいえ、結婚自体は、世俗法である民法典がどの社会におい

ても優先権を持つので、教会とか集会には世俗法に言う婚姻を

取り消す法的能力がないのは、言うまでもないことですが。とは

言っても、それで強行突破するのも、どうかなぁ、とおもいます。

 たいていの場合、もう一度「荒野に行って神の思いとあなたの

思いを探ってきてご覧なさい」といわれることはないとは思いま

すが、場合によっては、「もう一度、荒野に行って神の思いをし

ばらく探ってきてご覧なさい」といわれる場合もあります。もち

ろん、もう十分「荒野に行った」と思っても、ことは一生のこと

です。確信を深めるためにも何度も「荒野に行って」見ることは

大切ではないでしょうかねぇ、と私は思います。

 そして、責任者の方と納得がいくまでよくお話し合いしていた

だければ、とはぞんじます。

 男性信徒や女性信徒の別にかかわらず、恋愛感情が原因で

キリスト集会での信仰生活を維持するのが困難になる事例が

かなりあることもまた、偽らざる事実です。

 しかし、キリスト集会での信仰生活だけが、信仰生活では

ありません。ほかのさまざまのキリスト教会でも、霊的に健

全な生活を送っておられる信者の方もたくさんおられます。

このことはあまり説明されていないことが多いようですが。

他のキリスト教会では霊的に健全な生活を送ることができな

い、というのは個人的には検証されていない神話だと思って

います。

 先にも述べたように恋愛感情が原因だけが、キリスト集会

での信仰生活が維持できなくなる方を生み出すわけではなく、

他の原因でも、キリスト集会を放れようと思われる方がおら

れます。例えば、神学への興味、複雑な人間関係、過剰な奉

仕への期待に耐えられないこと、キリスト集会固有の文化へ

の違和感などが原因で、キリスト集会での生活が維持できな

くなる方がおられることも事実です。この辺に関しては、

Nathan Delynn Smith著のRoots, Renewal and the Brethren

にも書かれています。

 キリスト集会に集うことだけが霊的に健全な生活なのでは

ないとはいえ、長くそこですごせばすごすほど、人間関係や

キリスト集会独自の聖書理解の影響が強くなる傾向にあるの

で、他のキリスト教会に移籍することは非常に困難になるだ

ろうと思います。

 ところで、恋愛感情は、パッションとつながっている分だ

け、他の事情の場合と異なり、行動や考えが過激になりやす

く、冷静な判断がしにくいこともまた事実です。だからこそ、

霊的に静まり、考え祈りもとめることが大切だと思うのです。

そして、神の前に静まり、本当に求めるべき神の思いを探り

求め、一時的な感情に流されない方が増えると良いなぁ、と

思っております。若いときは難しいんですが。

 1970年代から1980年代までは、恋愛の対象としての

お相手を集会のキリスト信者さんの中で探すというのが、比較

的事例が多かったように思います。今でもそういう雰囲気があ

るキリスト集会も少なくないと思います。それは、それで一つ

の見識であろうと思います。

 とはいえ、恋愛感情というのは、以前でも触れたように一種

のパッションですから、信者さんとの間で恋愛感情が生まれる

とは限らないのように思います。キリスト集会(教会)の信者以

外の方との恋愛感情ということは発生しないと言い切れないと

思います。その意味で、集会の信者以外の方に対して、恋愛感

情を抱くことは、必ずしも悪とは言い切れないように思います。

もちろん、罪ではありません。罪の入り口にはなりやすいです

が。そのため、キリスト集会の信者以外の方との恋愛関係のお

付き合いは、あまり好ましいことと以前はされていないことと

されていたケースが多いようです。

 とくに、男性信徒が集会外のいわゆるイエスを救い主として

受け入れていない未信者(集会用語ですが、ちょっと変なことば

ですね)や求道者とお付き合いすることはあまり悪くは言われな

いのですが、女性信徒が集会外の普通の方(いわゆるキリスト集

会用語で未信者)とお付き合いする場合には、以前は注意が必要

で、避けた方がよいといわれたこともあったようです。

 個人的には、そうかなぁ?とちょっと思います。男性信徒だと

未信者の方とのお付き合いはよくて、女性信徒だと未信者の方と

の恋愛感情を抱いたお付き合いがまずいというのは、少し、どう

かなと思います。確かに、第1コリント11章に男はかしらであ

るという表現がありますが、それを恋愛意識にまで拡大するのは

どうかなぁ、と思います。

 現実に、結婚後に信仰をもたれた姉妹が、パートナーの方を信

仰を持つようにご説得になった事例や、女性信徒の方がお知りあ

いの男性を説得して、信仰を持つようにご説得になられた例など、

具体例を幾つか知っているものとしては、いろんなあり方があっ

てよいように思います。

 とはいえ、教会(キリスト集会)にコリントの教会のように性的

な混乱や問題が持ち込まれるのは、悲しいことなので、そうなら

ないように願っておりますが。

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事