ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと結婚・恋愛

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 大事業を始める前に、「静まり」が必要であったことは聖書の中に

たくさんの事例があります。イエスご自身、宣教を始める前に「荒野」

ですごされましたし、十字架にかけられる前にゲッセマネの園で「霊

的な荒野」にいっておられます。モーセも、40年間、荒野に半ば無

理やりおかれましたし、イスラエルの民自体も、「礼拝するため(神

と出会うため)」に荒野に出て行くのだ、といっていました。エリヤ

もエリシャもエレミヤもそうです。大事業を始めるにあたっては、荒

野に行く」・「神の前に静まり、よく考え、祈る」ということが必要

なようです。

 「祈る」といっても、「自分の思い通りになることを願う」ために

荒野にいくのではなく、神の思いが何であるかを求めるために「祈る」

ことが重要だと思います。そこを間違えてはいけないように思います。

 時間がかかるプロセスかもしれません。でも、このプロセスを省略

することはまずいと思います。定められた期間はありません。聖書を

読みながら、心静かに神の声を求めることが重要だと思います。特定

の聖書の文章から、「神の思い」を悟る(理解する)人々もないわけ

ではありませんが、私自身は、その立場に少し疑問を持ちます。直接、

「神の思いはこれであろう」と悟る(理解に達する)場合もあります。

人それぞれです。

 ただ、軽々しく「御心が示された」とか「確信が与えられた」とい

う言葉を使うべきではないと私個人としては、思います。「導き」に

ついての判断は、慎重の上にも慎重であるべきだと思います。神のこ

とばであると誤って主張した偽預言者は、その軽々しい言動の責任を

求められたことは、忘れるべきではないと思うのです。

 神のことばを大切にするキリスト者であることは、「神の思い」を

探ることについても、同様に慎重に扱うべきではないかなぁ、と私は

思います。特に、「示された」とか「確信が神から与えられた」とい

うことばは、それと異なる意見は存在しないはずであることを意味し、

他人が意見を挟んだり、そのことについて一緒に考えること、祈りも

とめることをとめてしまうことばになりますから。責任者の方でも、

信者のある方から、「私は、○○というように導かれました」といわ

れたら、慎重な対応をせざるを得ませんし、他の信徒の方にも真剣な

対応を求めることになりますから。軽々しく、導きとか、示されたと

いう表現は使うべきではないように思うのは、私だけかもしれません。

 「恋愛」感情は、パッションであり「勢い」なのですが、「片思い」であ

れば、当事者は原則一人ですが、相互に同じ感情を抱く場合には当事者は二

人になり、当事者同士が相互に責任を負い合う形になります。それも、結婚

という一生かけて実現していく大事業へのつながり兼ねない要素を持った感

情、パッションという側面もあるように思います。

 しかし、結婚が一生かけて実現していく大事業であるとすれば、それだけ、

慎重さも求められるように思います。もちろん、刹那的に一瞬、一瞬の判断

の積み重ねで生きていく、という無謀な生き方を好まれる方もあることはよ

く分かります。しかし、人生をかけた大事業であることを考えたとき、マタ

イ14章にあるように十分な検討をすることは、普通の人の感覚だろうと思い

ます。慎重であることは、重要だと思うのです。

 「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、

 その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょう

 か。基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ

 笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』と言

 うでしょう。」

 その大事業を始めるにあたって、十分な検討を神の前で冷静にするために、

「荒野に行く」・「神の前に静まり、よく考え、祈る」ということが重要な

のだと思います。神を意識しながら、考えるということは、祈ることの一つ

の形態だと思うのは、私だけでしょうか。

 周囲の声、親の意見、キリスト集会の人々の意見、相手の考え方、自分の

考えも大事ですが、まず、神とあなたとで、その問題について、静まりの中

で神と共に考えることが大切だと思います。期間はとくにはないですが、最

低2週間から3ヶ月くらいは、かける事がいいのかなぁ、と思います。パッ

ションで盛り上がっているときには、厳しいかもしれませんが。

 人を愛し、人から愛される存在なりたいと思ったとき、そういう

思いとなったとき、個人的なお勧めとしては、現代の日本社会で一

般的な風潮である「恋愛感情で盛り上がる」ようには、お勧めしま

せん。それよりも、まずそういう気持ちになられた方には、静まり、

神と共に相談するために、それぞれの方で「荒野に行きなさい」と

お勧めしたいと思います。

 『荒野にいく』というのは、一旦自分の課題をおいて、静かに

そのことについて『神とあなたとの間で、考え、思いをめぐらし、

相談する』ことです。つまり、神の前にその問題を出してみて、冷

静に客観視してみることです。違う言い方をすれば、静まりの中で

『神のか細い愛の声を聞く』ことです。『荒野に行くこと』の意味

について、詳しくは、ヘンリ・ナウエンの著作「待つことの意味」・

「静まりからうまれるもの」を読んでいただければ、よく分かる

と思います。

 『恋愛』は、パッションです。『勢い』です。なぜか。詳しくは、

水谷さんのブログ「命と性の日記〜日々是命、日々是性」のバック

ナンバーをずっとたどって欲しいのですが、

恋愛を捨てて結婚に挑もう(2007年12月12日)

http://blog.chiisana.org/?day=20071213

前後の記事のように、恋愛は条件付なものである可能性があるから

です。花火のように一瞬燃え上がるものであって、単なる思い込み

に過ぎない場合もあるからです。

 『恋愛』というパッションだけに基づき、一時の勢いで決めてし

まうと、その後の人生を台無しにしてしまうことがあります。人生

は、60年とか70年です。恋愛感情を抱く15-25歳くらいまでの

人生は70年の人生のうち1/3ほどしかなく、そのうち、記憶や意識

がある時期は、10歳くらいからの5年から15年程度に過ぎないので

す。その短い期間の中で人からいわれたこと、他の人の行動、テレ

ビやラジオから入ってくる情報だけに基づいて人生を決めていいの

かなぁ、と思います。ある面、本人が責任を取り、正の影響も負の

影響を受け入れる覚悟があるのであれば、そのようにすることも、

ひとつの方法ともいえます。しかし、そのパッションの結果に基づ

いた責任をあなたは一生負わないといけないとすれば、結構怖い

決断になるわけです。

 その重要な決断を一時の気の迷いやその時代の社会背景や風潮

に大きく影響されて決めてしまうことは、私は望ましくない、と

思っています。気の迷いや風潮であれば、変わります。

 だからこそ、真剣に祈って考えることが重要だと思うです。

それは、私がじい様だからかもしれません。でも、自分の人生を

大切にすることは、大事だと思うのですけれども。

 結婚について、これまで触れてきましたが、今回からは、結婚の前の恋愛

についても触れておきましょう。お正月から、恋愛について触れるのは、

どうかとも思うのですが、まぁ、結婚から時間を置かないほうがよいと思う

ので、触れることにします。

 私がよく見ている「命と性の日記〜日々是命、日々是性」

http://blog.chiisana.org/

がこの件に関しては参考になります。基本的には、水谷さんと私の立場は
おなじですが、一応触れておきます。

 これまで、結婚にもふれてきましたから、恋愛についても一応触れておか

ないと、これから結婚に向かっていく若い信徒の参考にならないかもしれな

いので、さらっと触れておきます。若い信徒は読んでいないかもしれないけ

れども・・・。

 恋愛はいろんな形があるので、ここでは、簡単に集会内で、一応、この線

を守ってほしいなぁ、この線は一つの基準として守ることが重要かなぁ、と

いうことだけにとどめたいと思います。この種の学びは本当は重要ではあり

ますが、キリスト集会では全体の集会では学ばないことが多いとおもいます。

というのは、他に学ぶことも多いし、下手をすると信徒を講壇の上から裁く

ことになりかねないからです。それと、この種のことは、個人的なことなの

で、指導に当たる方は気がついていても、気が付かない振りをしていたり

(本当ですよ)、指導に当たる方に信徒から話しにくい、という面もあると

はおもいます。でも、指導に当たる方は気が付いていることが多いのです。

 但し、若い人向けのキャンプでは、恋愛とか、このタイプのテーマが取

り上げられることもあるようです。最近は、若くないので、この種のテー

マの学び会とかキャンプに参加していないので、よくわかりませんが。

 この種の学びについて、集会で公式にお聞きした記憶があまりないので

すが、でも、基本線を述べておくことは、若い信者がいる集会では、特に

ノンクリスチャンの家庭の信者さんがいる場合には、重要化と思います。

一応、結婚している信者が一信徒として考える一般論、一信者として理解

している範囲のことを書いておきたいと思います。キャンプにいけない、

いかない人たちのためにも。

 誰しも、肉体的成長、精神的成長に伴って、他の人を好きになる、他の

人から好かれたい、という思いをもつことは当然ですし、それは決して恥

ずかしいことではないし、聖書で言う「罪」ではない、と私は思います。

それを罪だとするのは、個人的に違和感を覚えます。ただ、罪にいたる口

というよりは落とし穴が開いていることも確かではありますが、恋愛感情

自体は、罪ではありません。それは、神が人を男(アダム)女(エバ)に

創造し、お互いに補い合う(支配でないことに注意)関係としてエデンの

園に置かれたことからも、お互いに補い合い、支えあう存在として作られ

たといえると思います。その意味で、家族外の異性の人物を愛したい、家

族外の異性である他の人物から愛されたい、という気持ちは当然だと思い

ます。

 自分の家族外から配偶者を見つけ、新しい別の一つの家庭を作りたいと

いう気持ち、それは、神の祝福でもあるし、成長の過程の一つであるし、

そして、老化の過程の一環として必ず起きることだからです。恋愛は悪く

はありませんが、それをうまくコントロールすること、そのために聖書に

基づき賢く振舞うことは大事だと思います。

 ブラザレンの信徒は、聖書とその主張を極めて尊重します。「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。」だけではなく、聖書の中に記載されていること、聖書の主張と考えられること(聖書的という表現が良く用いられるようです。ただ、何を「聖書的」とするのかは、実はかなり個人の考えに大きく依存すると、思っています)を極めて尊重します。ですから、基本的に、清く正しく美しい結婚と家庭生活が重要とされます。それはその通りだと思います。私は、この価値観を大切にしたいなぁ、と思いますし、私の考えはそうです、とお話するようにしています。わが子たちには私の価値観を引き継いでもらえればうれしいけれども、個人の主権の範囲なので、自由を保障してやりたいと思います。

 聖書の事例を見る限り、ダビデとバテシバのような不倫関係はもちろんNGです。
 また、婚約が公式に公表されるまで、婚約者同士だけが閉鎖空間に一緒にいることも良くないとされます。婚約が正式に発表されるまでは、教会の中でも、一緒に座ったりしないように、ということも他の信者への配慮の結果として推奨されることが多いようです。なお、この種の推奨を指示と受け取る方も、時におられるようですが。多分説明が十分ないとそう思われる場合もあるかもしれません。実質的には他の信者さんへの影響を考えた配慮だと思います。また、結婚が尊いものであること、という基準から言えば、できちゃった婚(最近は、授かり婚とかおめでた婚ともいうらしいですが)も当然NGです。

 現在の社会風潮がどのようなものであれ、それとは一線を画し、聖書の言葉とその倫理観を重視し、その倫理水準を自らに課す生き方、これは一つの価値観だと思います。私は、その価値観を大切だと思います。また、これは、私の個人的な理解ですが、創世記や旧約聖書の様々な事件、あるいは、新約聖書における性倫理に関する諸言及から考えて、この倫理水準は聖書から支持されうると思います。そして、多くの信者の方が聖書をよく読んで、聖書の主張する倫理と矛盾しない倫理行動規範を持ってもらえるといいなぁ、と思います。

 ただ、それと同時に、イエスが持っていた共感というのか、同情というのか、ともに苦しみを分かち合うこと(ナウエンは、コンパッションといっていますが)も私は忘れたくはありませんし、全ての信者が忘れないでもらいたいなぁ、と思います。そして、自分たちが自分たちとして信じていることは、それは大事にしつつも、不必要に他者(キリスト集会以外の方)に厳しい目を向け、イエスから人々を遠ざけることがないように。実は、自らに聖書のいう倫理性を課し、他者にはコンパッションを示すというあり方をもちつつ、現実社会での問題での取り組みの中でこれらの両者のバランスを取ることは非常に難しいことだけど、非常に必要なことなのだろうなぁ、と私は思います。時には、コンパッションを悪用し、聖書と矛盾するような考えが比較的容易に入ってくることもあるので。このバランスを取ることが簡単なことでないことだけはよく分かっていますが。 

 長々と書きましたが、結婚観については、この辺でおしまいにしたいと思います。次は、2世の目から見た考えについて、書いていきたいと思っています。

 で、最後に。
 私はどのような経緯で結婚したか、についても、書いておきたいと思います。

 関西で仕事が見つかったので、関東から関西に転居することになりました。その過程で、私の家族との雑談の中で、以前からお付き合いのあったキリスト集会の方(以前、同じ教会に集っていた方)の私が結婚相手を探しているというお話がでて、最初はお見合いのようなものをして、何回かお会いして、キャンプなんかにも来てもらって、その方の様々な様子を拝見しながら、真剣に祈り考え、そして、婚約、結婚しましたねぇ。もう、20年近く前になります。
 で、いまもなお幸せな結婚を送っていますし、結婚して、もうすぐ16年が経過しようとしていますが、日々さらにより豊かな関係の深化に向かって進んでいるように思います。結婚当初よりは、より深いところでのつながりを感じています。本当に。

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