ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと結婚・恋愛

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 ブラザレンと呼ばれるキリスト者グループの信徒とブラザレン以外のキリスト者グループ(教派と一括りにして呼ばれることが多いのですが、単立教会と称するところも増えてきたので本当はまずい呼び方だと個人的には思います)の信者さんとの結婚も、否定はされないものの、積極的にすばらしいと評価されないこともあるようです。その理由は、基本的にその人の信仰生活のスタイルは教会文化によってかなり影響を受けるからです。ブラザレン以外のキリスト教会で生育された方にとっては、その方が信仰を深められてきたに教会での文化から生まれ出でる部分がブラザレンが構成してきた信仰スタイルと異なる場合、場合によってはいかがなものか、という発言を受け取らなければならない場合があります(ブラザレンの中には、他のキリスト教会に問題があるという見解(確信?)をお持ちの方もおられるようです。こういうご意見を賜る方の存在は、例外的であると信じたいですし、そう信じていますが)。

 ブラザレンと呼ばれるグループ以外のキリスト教会の信者さんとの結婚は、否定はされないとは思いますが、考え直されたら、といわれることも過去にはあったように思います。というのは、教会に関する文化的な理解が異なることで外部から来られた方と結婚によって外部からこらられた方を受け入れた教会の構成員の方々と婚姻によって、そのグループのメンバーになられた方の双方に、時に居心地の悪いというのか、気まずい思いをされる場合が皆無ではないことからのようです。カトリックの信者さんとの結婚とかはこれまではなかったと思います。個人的には、新しいカップルが、信仰の面で一致しているならば、かまわない、と思っています。

 人によっては、「他の教会の方と結婚することには課題がある」というようないわれ方を受けた時に「見えないルールがある」とお考えになられる方もおありになるようですが、多分、これはルールではなくて、推奨というのか、「よく考えておられますか」という程度の単純な疑問だろうと思います。

 例えば、子育てに関する基本的な考え方や、集会での音楽、服装などがブラザレンの信徒さんの平均的な姿と他のキリスト教会でお育ちになった方との間で違う場合、その存在はどうしても周囲からは浮き上がってしまうことになります。本当は、この種の問題は、同じキリスト集会の中で育った人たちの間でも起きるので、ブラザレン以外の他のキリスト教会からこられたから起こるという問題でもないのです。ただ、異なるグループから来られた場合、それが目立ってしまうということはあると思います。目立ってしまったときに、あの方は、キリスト集会で育ったことがないからでは、という疑念に基づいた憶測(本当にこれは憶測でしかないと個人的には思います)を産み、不愉快な思いをされる方も出てきかねない要素があるようです。本当は、そうではないはずなのですが。一人ひとりが、聖書に基づき考えながら、ゆだねられた自由度の中で、神の前に最善と思うことをしたら良い、と私は思っています。同化に関する圧力は、日本だけの現象でもなさそうで、アメリカでもあるようです。

 以前にも書きましたが、アメリカのキリスト集会でも、あまりおおっぴらなものではなかったとはいえ、一種の同化の圧力を、それとなく感じたことがあります。まぁ、滞在期間が短かったのと、言語表現能力に問題があったのと、初めての在米体験だったので、アジアンスマイルで笑ってごまかしていましたが、へんだなぁ、と思っておりました。

 同じ場所で開かれているキリスト集会に所属するブラザレンの信徒同士の結婚が一番スムーズに行くのは、当然のこととしても、なぜ、異なる場所で開かれているブラザレンと呼ばれるキリスト集会(キリスト教会)の信者同士の結婚に課題が増えるのか、ということで疑問に思われる方がいらっしゃるかもしれません。当然の疑問だと思います。

 これは、キリスト集会が、基本的に単立のキリスト集会であり、相互認証でしかないことがその原因です。つまり、それだけ、細かな点でのいろいろなプロセスのあり方や物事の進め方に違いがあり、一つ一つの集会がオリジナルといえばきれいに聞こえますが、かなり多様であり、聖書の理解や考え方、細かなところの方法論がばらばらに近いということもあります。例えば、聖餐式一つとっても、次のように分かれます。
聖餐式の奏楽(A1)楽器を使わないところ・(A2)楽器を使うところ、
聖餐式のパン(B1)食パンをきったもの(B2)ロールパンなのか、(B3)イーストを入れず小麦粉を水で溶いたものを焼いて作ったものなのか
聖餐式のコップ(C1)一つ、(C2)複数、(C3)個人別容器なのか、
讃美歌集の種類は(D1)礼拝賛美歌(D2)聖歌、(D3)礼拝賛美歌・聖歌の併用、(D4)聖歌・礼拝賛美歌以外の讃美歌集
献金(E1)献金を礼拝終了時にまわす(E2)礼拝時にはまわさない
など、あげればキリがないくらいあります。

 これは、そのキリスト集会(キリスト教会)の独自の文化(伝統や、歴史的経緯で出来上がってきたもの)なのですが、他の教会の信者であった方が結婚によってこられると、自分のキリスト集会(キリスト教会)の文化と違うので、異文化交流となってしまうわけです。

 誰しも、自分が馴染んだ文化が一番良い、と無自覚かつ無批判に思っているわけですから(ある面、自分たちが最善の方法であると理解し、文化を作り上げていったということもあり、そう考えるのは当然だと思いますが)、他の文化とであったときにびっくりする、あるいは拒否反応が出る場合もあるようです。それが、時に混乱を生み出すことがあり、結婚という制度的な要因で、突然別の文化体系に移植されることになる信徒の方(主に女性信徒)のかたで、混乱が生じることになります。

 これと同様のことは、ブラザレンと外部からは呼ばれるキリスト者集団(キリスト集会)のあるキリスト集会から、他のキリスト集会(キリスト教会)に転勤等の理由で転籍される場合にも発生することで、自分たちの育ってきた文化が一番良いと、無意識のうちにある行動様式が埋め込まれ、それ以外の行動様式への戸惑いへとつながります。ひどい場合には、転籍先のキリスト集会の文化の受け入れの拒否(聖書的でないといわれることが多い)する方も、時には観測されたように思います。これがまた、株分けという平和裏の分割行為ということにつながる例や、突然のキリスト集会の独立という例になることがあったようです。聖書に忠実であろうという熱心さの故のこととはいえ、小さなことに目くじら立てなくても、もうちょっと方法があろう、とも思うのですが。とはいえ、聖餐式などの方法論のそれぞれの実施方法の背景一つ一つにも、聖書解釈がついて回っている(本当ですよ)があるので、聖書に忠実であろうとするあまり、形式論で紛糾することが時に起こります。

 私も、個人的には、過去、他の転籍先のキリスト集会(教会)に対して、自分がもともと育った教会以外の行動様式をみて、非常に戸惑いを覚えたことがあります。若造だったので、あまり、突飛な行動にはでませんでしたが。

 ただ、若い時に移籍して他のキリスト集会(教会)のあり方に触れて大変良かったなぁ、と思うのは、考え方の幅が拡げられることができ、自分の考えを相対化するきっかけが得られたからです。

 では、問題の少なさ、結婚までに乗り越える壁の少なさ、キリスト集会(教会)の皆さんから多くの祝福を受けるカップルを順番に並べると、こんな感じでしょうか。ランキングすることはあまり意味がないと思いますが、一応の参考のため、おそらく一般的なイメージとしてこのような理解が多くの人々の中にあるとこれまでのキリスト集会生活の中で、見聞きしてきた印象からまとめておきたいと思います。これを隠れた暗黙のルールという人たちもいらっしゃるようですが、ルールというのはややいいすぎかなぁ、とおもいます。ルールではなく、「これまでの経緯から、このようにされる方が多かった、あるいはそのほうがスムーズにいろいろなことが進むので、多くの方がそれに従っておられた結果」であると思います。以下、スムーズな順に、

■同じキリスト集会(同一の場所に集っているキリスト集会)の信者同士の結婚
■同じキリスト集会のグループのキリスト集会(同一のブラザレンと外部からは呼ばれるキリスト集会であるが、空間的に離れた教会)に属する信者同士の結婚
■キリスト以外の教会(ブラザレンと呼ばれる信者以外のクリスチャン:時にブラザレンの信徒は教派と呼ぶこともある のグループ)の信者とキリスト集会(ブラザレンの信者)の信者との結婚
■キリスト集会(ブラザレンと呼ばれる信者のグループ)の信者と、キリストを全く信じていない信者以外の方(キリスト集会の人々は未信者と呼ぶことが多い)との結婚

です。

下のほうに行けは行くほど、キリスト集会の信者が結婚ということにたどり着くまでに乗り越えなければならない課題が多くなる傾向にあるようです。

 基本的に、ブラザレンの信徒にとって信者以外の方との結婚ということはあまり望ましいことではない(現在も、大半は、望ましくないとはっきり言っておられるキリスト集会が多いと思います)とされており、一番下の一方がブラザレンの信徒で他方がイエスキリストを信じていない方の場合、信仰面での生活の豊かさに大きな影響を与える場合もあるようです。

 以前は、キリストを信じていない人物と結婚した信徒に対して、「礼拝及び公式の行事の出席をしばらくご遠慮くださいとお願い(とはいえ、いわゆる教会の公式の信者とは認めにくいです、ということの事実上の通告。除名という表現が使われた場合もありました。)」される場合があったように記憶しています。多分、現在もそうだと思います。

 とはいえ、結婚が成立して、一定期間後に信者でない型と結婚された方について、協会への参加の件について、どうお考えですか、と尋ねをして、信仰の理解を確認した上で、普通の信者と同等の扱いに戻すことが通例だったように思います。どの程度の時間が必要となるかは、状況によりけりだと思います。また、どの程度の期間をおくのかについても、そのキリスト集会の責任者の考え方によるので、なんとも言えません(だからルールがあるように思えるのに、その運用が場当たり的であるように見えてしまうのですが、この辺、一概になんとも言えないので、難しいなぁ、と思います)。

 実際には、他の信者さんとの関係とか、歴史的な経緯に配慮して、ということで、このような措置が取らることが多く、本当に、どのように進むのかは、よくわからない、ということはあります。

 あと、実際に、集会に参加するのをご遠慮ください、と責任者が言うときには、結構、つらいんですよ。自分自身の至らなさを感じるし、やはり長老として十分なお世話ができなかった、ということを、集会(教会)のみんなに自ら明らかにするようなものですから。

 実は、信徒のキリスト集会のあり方に対する「配慮」あるいは、キリスト集会の信徒に対する「配慮」ということは、それぞれの教会運営に大きく影響し、伝統ができている場合もあります。しかし、この「配慮」やその結果できあがった『伝統』はキリスト集会(教会)かなり幅があります。その重要度の程度は、教会ごとに異なります。この配慮というのは、結果として出来上がった伝統は、結婚意識だけについてあるのではなく、かなり広範な行動パターンについてあるように私は思います。

 個人的にはあくまでも、信徒のキリスト集会のあり方について、あるいはキリスト集会のその構成員に対する「配慮」といったものは、本当に「配慮」やその結果出来上がった「伝統」でしかないと思いますが、長らく同じ集団で過ごしていると、それまでに行われた歴史的な経緯やその中での工夫が、一種のルール化されていき、もともとは、「配慮」や「伝統」であったものが、時間の経過とともに一種の「ルール」になっていく事例は少なくありません。これは、どのような集団でも起こる問題であり、会社などの企業や、ボランティア団体、教会でももちろん起こりうる問題です。

 ブラザレンは、本質的に「配慮」から始まったとはいえ実質的な「ルール」になってしまった教会の伝統と呼ばれるもの(伝統的に維持されてきた方法論や様式性:特にカトリックの伝統とイギリス国教会の伝統)に強く反発して、独自の運動としてそのような、ルールや様式性を否定するために自分たちの活動を始めたのですが、知らず知らずのうちに自分たちの中での伝統(ルールや様式性)を作ってしまい(それも、個別のそれぞれのキリスト集会ごとの)、それに若干縛られている方々もお見受けすることがあることは、個人的には残念でなりません。

 本題の結婚意識に戻しましょう。たとえば、前回も書きましたが、基本的には、同じキリスト集会(キリスト教会)の信者同士の結婚がもっともスムーズである、という現実があることは確かです。これは間違いないことです。しかし、これが一歩間違うと、「同じキリスト集会(ブラザレンという比較的類似性の高い信徒グループ)に属する信者同士の結婚がスムーズだった」が「同じきりスト集会に属する信者同士で結婚するのが良い」とか、「同じキリスト集会内(同一の場所で聖餐式を一緒に行っている信者グループ内)での結婚が良い」と言う概念になっているような雰囲気があるキリスト集会(キリスト教会)の信者さんがおられる場合も、全くないわけではありません。

 これがさらに進むと、「同じキリスト集会(ブラザレンという比較的類似性の高い信徒グループ)に属する信者同士の結婚でなければならない」、という誤解にも発展しかねません。「配慮」からでたこととはいえ、聖書はそこまで踏み込んだ表現をしていない、と個人的には思うのですが。

 結婚自体が聖書では祝福されるとされている、といってよいように思います。では、結婚するカップルが両方、同じキリスト集会(教会)の信者である場合、もっともお話はスムーズに進むと思います。それでも、いろいろ細かなところでの調整は必要なところがありますが、一番スムーズに進む場合が同じキリスト集会(教会)の信者同士の場合だと思います。とはいえ、信者同士での結婚とはいえ、信者の両親や親類縁者の皆さん方は、信者でないことも多いので、結婚にいたるまでの、理解や納得、関係各方面へのご説明は重要になるようです。

 日本国憲法では、婚姻は両性の合意に基づく、となっているのですが、実際には、日本国憲法の文章よりも、これまでの日本の社会の中で形成されてきた『常識とされる』結婚観、婚姻観に加え、結婚するカップルの聖書理解や、そのカップルの関係者(特に両親や親戚)の婚姻感が結婚ということに関して、大きく影響する場合があるようです。これは、アフリカでもそうだ、と聞いたので日本固有の現象ではないようです。

 ところで、誰の反対があっても結婚するのだ、という決意さえ固めてしまえば、極端な話、民法にのっとってしまえば、法律上、誰とどのようにいつ結婚しようが、キリスト集会はそれに関与する能力は全くありません。重婚とか、法律にまつわる諸問題がない限り、どこかの正統な国家における民法に基づいた結婚を誰も、無効とはいえないのが、日本の法律の原則だと思います。従って、日本国内においては、日本の民法に基づく結婚に対して、無効であるとキリスト集会やそこの信者が主張できないことは、厳然たる事実です。結婚後のそのカップルの所属キリスト集会(キリスト教会)の受け入れ環境(心理的、精神的、霊的、人間関係論的な受け入れ環境)を無視すれば、結婚相手は、本来制限はない、と考えても良いかもしれません。

 しかし、法律的には、キリスト集会(キリスト教会)は結婚に関して関与する能力がないとしても、キリスト者は法律の世界だけで生きているわけではなく、神との関連性の中で生きており、神とともに、そして神と家族と共に過ごす家庭を形成する側面もあるので、信者同士の結婚が望ましいことは明らかだと、個人的には考えています。また、家族の考えも重要であるのと同様、キリスト集会(キリスト教会)やその構成員が、当たり前と考えている考え方も一定程度の配慮があったほうが良いのかもしれません。ただ、配慮であって、それ以上のものではないと思っています。


 例えば、キリスト集会(キリスト教会)で伝統的にされてきたようなでの結婚式のスタイル(不必要に華美にならないとか、信徒の協力を求めるなど)や結婚をどのように進めていくのか、それまでの道のりについての考え方などを無視あるいは軽視した場合、信者に大きな傷を残すことがあります。その点で、慎重に検討していくほうが良いことは確かだと思います。

 キリスト者にとって、具体的に地上に存在するキリスト者の集団(キリスト集会、キリスト教会)との関係は、その人の信仰生活の豊かさに大きく影響します。であるがゆえに、結婚後のキリスト者集団との関係性を今後どう築いていくのか、ということもキリスト者の婚姻を考える場合、無視しがたい要因になりやすいです。また、キリスト者集団(キリスト集会・キリスト教会)の側でも、結婚するカップルにどのように配慮(配慮であって、規則や規制ではない)をしていくのか、ということは、そのキリスト集会やキリスト教会にとっても、重要な側面になります。

 とはいえ、もともとブラザレンは伝統とかを否定するところから始まったのですから、いつの間にか出来上がってしまった、あるキリスト集会での伝統に必要以上に縛られる必要性はないように思います。伝統を変えていくつもりで、責任者の方も、若い方も結婚式等、信仰とは本質的にあまり関係のない部分は、十分に相談しながら、ある程度自由に考えていってもらいたいなぁ、と思います。

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