ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

第1世代と第2世代の信者の違い

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 特に、同世代で、楽しく付き合える友だちがいる、ということは、教会

や集会のイメージを非常に良いものにするようです。自分の経験に照らし

てみても。なぜなら、同じ様な思いをしている同級生くらいの友だちがい

て、その友だちと教会やその近くでわいわい言いながら過ごせる、そして、

その友達も同じナザレのイエスを信じている、または信じていないまでも

意識している、自分だけではないのだ、ということを感じられることは大

事なのかもしれません。子供には、子供のコミュニオン、コイノニアがあ

る様に思うのです。だからこそ、日曜学校は大事。

 そして、小学校の高学年から高校生にかけては、キャンプのようなとこ

ろで同じ信仰を持つような若者との時間を過ごし、自分たちの考えを深め

て行くことはとっても大事なことと思います。同じ教会にいなくても、

同じ集会にいなくても、同じような信仰を持つ同じ世代のコイノニアは

大事だと思います。

 結婚して、子供ができるまでは、集会の子供たちをかまってきていました

が、さすがに40を超えると厳しくなり、自分の子供が自分の背丈に近づい

てくるにつれ、最近はめっきりそんな形の奉仕をすることが少なくなりまし

た。以前は、福音集会の時間に、自分の子供を含め、子供たちを近所の公園

まで連れて行って遊ばしていたりもしましたが。私のこの分野での役割が終

わりつつあるのを感じます。

 特に今年の夏、以前私がキャンプで教えた中学生が高校生になって子供た

ちの引率をしてやってきて、子供たちがまとわりついて遊んでいるのをみて、

私の果たすべき役割の時間が終わりつつあるのを、強く感じました。あと、

3年程度だろうと踏んでいます。

 子供に聖書の話するのは、今でも好きですよ。だから、キャンプに参加さ

せてもらってますし、子供たちと聖書に関するお話をしています。導入で、

ほとんど聖書に直接関係しないお話も混ぜているので、ご意見をいただくこ

ともありますけれど。

 いずれにしても、子供たちが楽しいと思える何か、それはナザレのイエス

が「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来さ

せなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」ということをどう

考えるのか、は、親にとっても、教会にとってもその時代時代に合わせた方

法論を考えていく、以前の履歴や伝統や成功事例に引きずられるのではなく、

考えていく必要があるように教えているように思うのですが。

 第2世代のクリスチャン(英語では、2nd Generation Christian)として

そして、現在子育て中の親として思っていることを述べておきたいと思いま

す。

 大人にとって、共同性ということが重要であると同様に、子供にとっても

共同性というのは非常に重要かもしれない、ということです。つまり、一人

ではない、ということを体験することは非常に大事かなぁ、と思います。

 一つは、家族の存在は大きいと思いますが、それ以上に、同世代の信者さ

んの2世の子供たちがいるかどうか、そして自然に友達(親から言われてし

ぶしぶともだち関係を維持しているのではない同じような環境の友だち)に

なっているか、と言うことは大事だろうと思います。

 その意味で、開拓伝道中の伝道者や信者さんの子供さんたちは、ちょっと

悲しい思いをするのではないか、と思います。というのは、両親は、開拓伝

道で手一杯、他の友だちは、土日に親と遊んでもらえるものの、自分たちは、

遊んでもらうどころか、トラクト配布などをいっしょにすることになる。日

曜日は全ての集会に朝から晩まで参加することになり、そのうちの半分以上

は、ほとんど子どもにとっては意味不明な話を黙って聞く時間が続く、とい

う形になるわけです。

 平日は、開拓伝道中では、それこそ、学校にクリスチャンの友だちがいる

こともまれ、特にブラザレンは、他の教会との協調行動がとりにくいことも

あり、学校でも、少数派として、あるいは一人他の子供たちの視線を感じな

がら、孤独の中、生きていかないといけない。

 特に給食の時に食事の前の祈りをすることなどで、ちょっと変だと思われ

ることもある。それでも、親や日曜学校の先生、集会の大人からはそうする

よう勧められる。日曜日、教会で遊ぶ友だちもいない。ちょっとかわいそう

だと思います。まだ、若い信徒がいれば、日曜日はその信徒の方たちがかま

ってくれることもあり、それなりに過ごせるのですが、両親の世代ばっかり

だと、退屈で窮屈な日曜日を過ごすことになります。

 教会は子供を楽しませるべき、ということを行っているのではなく、教会

として、どのように、救われるべき次世代の子供たちにアプローチするのか、

ということを考えたほうがいいかも、と思っているということです。これも、

子供一人ひとりの個性があるので、万能薬がないので困りますが。

 ただ、教会が子供にとって義務ではない、教会に行くことは楽しい、とい

うことはきわめて重要だと思います。教会で楽しかったことの子供時分の記

憶は、今でもいくつか鮮明に残っていますが、大人にかまってもらうより、

同じ世代の子供たちと遊んだ記憶、大人にしてみたら愚にもつかないこと

をしていた時の記憶、高校生や大学生、25歳くらいまでの若い信徒の皆さ

んにかまってもらったり、遊んでもらった記憶だったりします。

 そういう意味で、次の世代の子ども達への対応というのも、考えた方がよ

いとおもうのですが。

 クリスチャンのブラザレンの2世として思うことのひとつに

学びのときとかの聞き手に対するケアの必要性があります。

 もちろん、わかってもわからなくても、『聖書のことばに

触ることは大切だ』という考え方もあり、その考え方を理解で

きないわけではありませんが、しかし、訳わからない話をプレ

ゼンテーション方法が聞き手を意識していないために、折角の

『聖書の言葉』を聞く障壁を作り出してしまい、聞き手を退屈

な思いにしてしまい、折角の聖書の触れる機会を苦痛な時間と

印象付けてしまうことは、逆効果にしかならないと思います。

 裸の王様ではありませんが、子供にとっては、どんなに有名

な『伝道者』や『宣教師』でも、単なる一人の大人にしか過ぎ

ません。わからないものは、退屈だし、自分と関係のない話を

延々と聞いていないといけないのは、苦痛でしかないと思いま

す(落語でも似たような話があったような)。

 お話のしておられる方は、無関係だと思っておられなくても

聞いている方をまったく無視して、自分の価値観を延々とお話

される場合、せっかくの福音でも、アレルギーになる場合がな

いとは言い切れないと思います。せっかくのよいお話でも、プ

レゼンテーションの方法や聞き手に配慮が少し足らないために

聞いてもらえていないことというのがあるのではないか、と思

うことがあります。聞き手を喜ばせることだけに振り回される

必要はないのですが、聞き手を無視して自分の主張だけを述べ

ているのではないか、ということは考えないといけないかなぁ、

と思っています。

 かなり年配に名って救われた高齢者の信者さんが、普段の話

は分かりにくいが、日曜学校のお話は分かりやすい、というの

で日曜学校から参加されることも以前経験したので、本当に聞

き手の霊的成長に役に立つ聖書の学びや福音を語ること、そし

てそれを相手に届く形で、お渡しすることの大切さを感じます。

 その意味で、今、語るものの立場であることが多い私は、で

きるだけ「大人が大人だけに向けて話している話」にはならな

いように、子供たちの信仰生活にも密接な関係性を持った要素

を含めるように、そしてプレゼンテーション方法を工夫するこ

とで聖書のお話に対して、聞き手が心を閉ざさない工夫をして

いるつもりですが、なかなか、そう言っても、大人の参加者が

80%を占めていることもあり、どうしても大人向けのお話とな

ってしまっています。そこで、人数にもよりますが、ちょこっ

と子供たちを参加・登場させたり、大人向けの集会でも、子供

たちに向けた3分-5分くらいのメッセージを入れることもあり

ます。とはいえ、最近は、子供さんといっても中学生になり始

めたので、あまり工夫していないので、ちょっぴり反省してい

ますが。

 最近、参加した大会では、午前中は子供たちのケア対策はな

かったですが、午後からは、子供たち向けの預かりサービスも

あり、若い信徒さんたちが中心となってケアしておられたよう

です。こういうケアって、本当は大事だと思うのです。日曜学

校のお話の再現かもしれないし、ビデオ見せるだけかも知れな

いけれども、こういうケアって大事だなぁ、と思いました。特

に、第2世代以降の信者の成長にとって、「キリスト教会(キ

リスト集会)」を嫌いにさせないこと、って言うことは重要か

もしれない、ということを、そのサービスをしますというアナ

ウンスを聞きながら思いました。

 こういう配慮があるキリスト集会が増えて行ってくれるとい

いなぁ、と思います。

 特別伝道集会とか、特別学び会の開催の場合、まだ、子供に

理解力がない場合、それに無理して参加することの意味がある

のだろうか、ということを感じます。いまは、テープやCDで参

加しなくてもメッセージが聞けるのであれば、高校生で、主体

的に聞きたいと言い出すまでは、無理して参加することもない

のではないかなぁ、と思います。

 カセットオーディオテープが普及し、ウォークマンなどが普

及する以前は、直接話を聞くというスタイル、あるいは伝道出

版社の本や雑誌を読むという形でしか学ぶ機会がなかったこと

もあり、大会とか、学び会への参加は当然のように考えられて

いましたが、これだけ音声情報の再現技術が普及したことを考

えると、大会があるから、ということで、子供を教会嫌いにさ

せる可能性を含みながらも、無理して参加を考えることの意味

を考え込んでしまいます。ロイドジョンズの『説教と説教者』

の一節ではありませんが、音声テープや書き起こし原稿では味

わうことのできない、ライブならではものもあることは確かで

すが。

 なお、私が子供だったころは、子供は、親のそばで静かに塗

り絵とか折り紙や本をわたされて、静かにしていなさい、とい

う形で過ごしてきましたけれども、そうしているときの思い出

には個人的には、あんまり楽しい思い出は少ないように思いま

す。むしろ、同年代の子供と一緒に近所の公園に行ったり、空

き部屋で遊んだりしたときのほうが、楽しい思い出が多いよう

に思います。

 クリスチャンホームとして立派であるからといって、子供が

信者になったり、子供が立派に育つか、信者として立派にそだ

てなければ、いけない、ということは、個人的にはあまり考え

ないほうがよいかもしれない、と思っております。

 もちろん、わが子が信仰の継承をしてくれることは祈って

いますが、ブラザレンという形の信仰の継承よりも、キリスト

者としての信仰を自分のものとしてくれることを祈っています。

 ところで、以前Nozzonさんという日本ではじめてブラザレン

の研究成果をウェブ上で公開され始められた方から教えていた

だいたのですが、イギリス映画に「Son of Rambow」という映画

があるということをお聞きしました。これは、子供が映画もテレ

ビも見せない、そして現代のポップ音楽を聞かせないブラザレン

家庭で育った子供が悪友と出会い、その家でランボー(シルベス

タ・スタローン主演のあのベトナム戦争映画)を見てはまってし

まい、映画を撮り始めるという映画だそうです。

 映画に行くなんて事は、20年前のブラザレンでは、論外の

行動だったように思います。でも、ブラザレンの信徒でも、一

部見ていい映画、干渉が推奨されているものもあります。自分

たちの信仰とあまり矛盾が少ない映画です。具体的には、

「十戒」「ベン・ハー」「塩狩峠」。これらは、映画会と称し

てブラザレンの教会(キリスト集会)で時々今でもなお、見る

機会があるようです。

 もちろん、確かに映画の中には、非常にいい映画もあり、

見せたいものもある反面、戦闘シーンの残虐性や裸体などの露

出度の高いものなどもあり、必ずしもすべての映画が重要であ

る、とは限りませんが、いろいろ考えさせる映画もないわけで

はありません。個人的には、一律に映画禁止、テレビ禁止とい

うのもどうなのかなぁ、ということは思います。テレビ漬けの

信者、というのも困りますが。

 小説や本でも、きわどいものはありますし、そのあたりの線

引き、というのは意外と難しいものだと思います。特に、わが

子が思春期を迎え始めると、やはり、どこかで線を引かざるを

得ず、悩ましいところではあります。

 また、エクスクルーシブブラザレンの熱心な信者さんの息子

さん(アレイスター・クロウリーという人物で、ヘビメタにも

影響を与えた人物だそうですが)がどうも両親の死後、オカル

ト的な方向に走ってしまった事例もあるので、両親の信仰の熱

心さと、信仰の継承は、関係があると思わないほうがいいのか

なぁ、と思います。この信仰の継承については、小さないのち

を守る会の水谷さんのブログにも、関連記事

http://blog.chiisana.org/?day=20081129

があります。ご参考までに。

 ただ、聖書に詳しい2世信者と言うのは、一つ困ることがあります。という

のは、たいていのお話は日曜学校などで聞いているので、同じ聖書の話が出た

時に、すぐに知っているとか、退屈そうな顔をしてしまうとか、いった悪癖が

あることもあるようです。私は、退屈そうな顔をしてしまう子供だったので、

日曜学校の先生を苦しめたのではないかなぁ、日曜学校を担当してみて(いま

は担当しておりませんが)思いました。

 日曜学校の先生をしていて、一番困ったのは、知っていてそれを先回りして

解説してくれるお子さんだったりします。黙っていてくれよ。と思います。

小学生だと、聖書の内容の深い部分まで言うわけにも行かないので(中学生に

なると、ギリシア語とかヘブル語をの意味からの解説や、ありきたりでないお

話をすると、たいてい黙ってくれるので、ときに、このような解説をすること

も中学生、高校生相手にはあります。もちろん、2世または2世となる可能性

のある方に対してではありますが)、ほとんど初めての子供さんたちと、聖書

に馴染んで先回りしてこちらの言うことを言う子供さんとがいっしょのときは、

非常に苦労した思い出があります。

 英語では、プリーチャーズ・キッド(宣教者の子供)というのは、頭痛の種

だ、というのは、ある面常識のようです。いずれにしても、扱いにくいようです。

門前の小僧ではありませんが、聞いているうちに語るべき内容は判らずに、言

うだけはいえてしまう。信仰が確立しなくても、2世であれば、曲がりなりにも

聞き覚えで聖書からそれらしいことは語ることができるということは、自分自

身2世として分かっているので、自分と自分の聖書理解には、厳しい目を向けた

いなぁ、とおもっていることは事実です。

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