ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの分裂史

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オープンブラザレン(独立型ブラザレン)とエクスクルーシブブラザレン(連接型ブラザレン)がどのようにして別れることになったのかのイギリスでの昔話。
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Jonathan Burnhamという方が、ブラザレンを二分することに

なったニュートンとダービーの分裂についてWipf and Stock

から本を出しておられるようです。

A Story of Conflict

The Controversial Relationship between
Benjamin Wills Newton and John Nelson Darby

by Jonathan Burnham

ISBN 10: 1-59752-759-9; ISBN 13: 978-1-59752-759-0
Paperback; Published 01/01/2007

日本のアマゾンは高いんで、アメリカ本土のアマゾンで

注文してみましたが、どんなことが書かれているのか、

今から楽しみです。なお、この書店のこのシリーズから

は、ブラザレン関係に関する書籍がいくつか出されてお

り、いずれも参考になります。関連する書籍を紹介して

おきます。

The Growth of the Brethren Movement:
National and International Experiences Essays
in Honor of Harold H. Rowdon

Edited by Neil T. R. Dickson, Tim Grass

ISBN 10: 1-55635-117-8; ISBN 13: 978-1-55635-117-4
Paperback; Published 12/01/2006

Searching for the True Church
Brethren and Evangelicals in Mid-Twentieth-Century England

by Roger N. Shuff

ISBN 10: 1-59752-794-7; ISBN 13: 978-1-59752-794-1
Paperback; Published 01/01/2007

等も出ているシリーズなので、どういう切り口になっているか、

楽しみです。

オープンブラザレンとエクスクルーシブブラザレンの分離の記事

というよりは、ニュートンとの関係から始まりベテスダ集会とダ

ービーに近いグループとの分裂については、今回で終わりにした

いと思います。

 オープンブラザレンは、基本単立の教会のゆるい連合体という

か、つながっているのかどうかもよく分からない集団なので、分

裂ということがそもそも分かりにくい集団ですが、この後、オー

ストラリアのグループの分裂があり、その後比較的大きなものは、

Needed Truth Brethrenと呼ばれるグループが独立しました。この

グループは、後にChurches of Godという名前のついたグループを

形成するのですが、その分裂が、大きな分裂といえば分裂といえる

程度です。Churches of Godについては、その名称をよしとしない

というニュアンスたっぷりの文章が書かれた、Roger N. Shuff (著)

Searching for the True Church: Brethren and Evangelicals

in Mid-Twentieth-Century England (Studies in Evangelical

History and Thought) ISBN-10: 1597527947のような本もあります。

元々、独立した教会が緩やかにつながっている集団なので、分裂

や対立に至らない、というところがあるのだろうと思います。

 ところが、Exclusive BrethrenまたはConnexional Brethrenと

呼ばれるグループは、ダービーの最大の理解者であった、Kellyの

グループとダービーの後継者となったStoneyのグループ、Stoney

グループの中でのLoweとRavenの分裂、Ravenのグループの中での

GlantonとRavenのグループ間の分裂と分裂に分裂を繰り返してい

きます。緩やかな連合体の方が、分裂したくてもしにくかったの

に比べ、強い連結を求めていった方が、分裂を繰り返しているの

は、歴史の悲劇としか良いようがないかなぁ、と思います。


参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes,
Paternoster. ISBN 1842272209

 結局、ダービーが中心的な役割を果たすエクスクルーシブ・

ブラザレンとクレイクとジョージ・ミューラーが中心的な役割

を果たしたベテスダ集会が中心としてみなされたオープン・ブ

ラザレンは、この分裂の後、かなりの長期にわたって分裂した

ままの状態が続きます。この前の記事で触れたように、この分

裂は悲しむべきこととして理解されていたようで、修復する動

きがかなりの頻度でもたれたようですが、下の記事で示すよう

に、異なった考えを持つ信者をどのように受け止めるかの基本

的な態度が異なったために、関係の修復はかなり難しかったよ

うです。結局、ブラザレン運動の中でのストライクゾーンを広

めに取ろうとした、ベテスダ集会(クレイクとジョージ・ミュ

ーラーが代表だった集会)とブラザレン運動のストライクゾー

ンを狭いものとしたダービーとその関係者たち(エクスクルー

シブ・ブラザレン)の間の溝は埋まることはなかったのでした。

じつは、この違いが、紹介状等制度と他の教会(いわゆる教派

教会)からの受け入れに影響を及ぼしていきます。

Tim GrassのGathering to His Nameの83ページには

次のような記述があります。


---------------------------------------------------------------

 ダービーは、分裂からしばらくして、ベテスダ集会の問題はキ

リストの人間性という問題について無関心でありつづけたことに

ある、としていました。ベテスダ集会のニュートンの教えに対す

る動きは深い神学的な理解に関する関心というよりも、外部的な

プレッシャーによるものであると見られていた。無関心というこ

とは、エクスクルーシブブレズレンからオープンブレズレンに対

して今尚向けられることが多い批判ですが、この批判が、1890年

代以降オープンブレズレンといくつかのエクスクルーシブ・ブラ

ザレンのグループが一致をしようとするときに議論が長引く原因

の一つともなったのでした。

 ダービーに従ったブレズレンをよくエクスクルーシブ・ブラザ

レンと呼ぶことが多いのですが、エクスクルーシブと呼ばれる原

因は、教派(Sect)(ブラザレンが他の宗派を呼ぶときの名称)

から神に純粋に従い、深い聖書理解に達している信者を受け入れ

ないことと関係しているというわけではありません。クレイクや

ミューラーが指導者であったベテスダ集会と関係のある集会の信

者を受け入れないという意味で、エクスクルーシブであるという

意味であることは、いくら強調してもしすぎることはないでしょ

う。なぜ、ベテスダの信者を拒否するのかというと、その集会で

は、神学的に誤りがあるのを知りながら受け入れているという問

題があるとし、そのような問題のある信者との関係をエクスクル

ーシブ・ブラザレンの方々は避けようとしたという意味で、排除

的(エクスクルーシブ)であったのです。オープン・ブレズレン

は、聖書に焦点を当て、信者のみを受け入れるというものの、彼

らが言う教派よりは、(訳注:受け入れに関しては厳しくキリス

トを真剣に信じる)信者であるかどうかを区別する傾向にありま

した。この真剣に見分けようとする態度は、(訳注:その特徴と

して)記憶されるべきだと思います。しかし、他のグループの信

者は、エクスクルーシブ・ブラザレンでも暖かく受け入れられる

ということがそれほど頻繁でなかったということではなく(おそ

らく、この理由の一部には、彼らが教派を離れ、ブラザレンに定

着することを望んでいたという側面もあるからであろう)

(訳注:オリジナルのテキストが否定の否定となっているので分

かりにくい表現ですが、要するに、時にはエクスクルーシブ・ブ

ラザレンの集会で暖かく他の教派の信徒が迎え入れられたという

こと)、後に見るように、オープンブレズレンの集会の多くが、

19世紀には、エクスクルーシ・ブブラザレンよりも、他の教派の

信徒に対しては排除的(エクスクルーシブ)な態度をとっていた

のでした。

以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------

 ここにもあるように、エクスクルーシブ・ブラザレンは他の

教派教会からの信者を比較的暖かく迎え入れたようです。もち

ろん、その背景には、エクスクルーシブ・ブラザレンの集会は

人数的に少ない、という課題もあったのだろうと思います。こ

れに比し、エクスクルーシブ・ブラザレンから誰でも安易に受

け入れるという批判を受けがちだったが故だろうとは思います

が、オープン・ブラザレンは、他の教派教会からの受け入れに

慎重になったようですし、信者の受け入れに関しても、かなり

慎重にすることになるようです。受け入れてよいかどうかを保

障する制度として、他の集会へ自分のところの信者が移籍する

際に移籍する信者の人物保証をする制度、一時的に訪問する際

の信者の人物保証をする制度として紹介状という制度が出来上

がって行ったようです。オープン・ブラザレンという名称から

は、広く人々を受け入れたという印象がありますが、実態はそ

うではなかった場合もあるようです。逆に、エクスクルーシブ・

ブラザレンという閉鎖的な名称からは想像しにくいのですが、

ダービー派のほうが教派からの逆に受け入れには柔軟であった

というのは、皮肉な歴史の結果といわざるを得ないように思い

ます。


参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

集会は結局、ダービー派とそれ以外の2グループに分かれました。

ダービー派は、その後エクスクルーシブブラザレンというグルー

プを形成し、それ以外のジョージ・ミューラーが中心的役割を果

たしたベテスダ集会を含むグループは、オープンブラザレンとい

うグループを形成していくことになりますが、まったく、両者が

喧嘩別れしたということではなく、和解と歩み寄りの努力はなさ

れたようですが、効果的ではなかったようです。

Tim GrassのGathering to His Nameの82ページには

次のような記述があります。

---------------------------------------------------------------
 何年かの間、祈りと反省のための一致を目指した集会がこの両者

の間の溝と傷を癒すために開かれましたが、あまり効果がありませ

んでした。

---------------------------------------------------------------

再びの一致を目指した祈りと反省のための集会を開くあたりが、

ブラザレンのブラザレンたるゆえんですが、効果がなかったのは、

ちょっと残念だといわざるを得ません。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

ブラザレンの集会では、どの集会と関連があるか、ということが

時に重要な意味を持つことがありますが、これは、大分裂の時代

からあったようです。日本国内では、独立性が保たれていること

もあるのか、この20年ほどの間、集会から集会への絶縁宣言とい

うものを見たり、聞いたりした経験はありませんが(単に知らない

だけという可能性があります。もしご存知の方がおられれば、ご

指摘をお願いします。)、実質的にはお付き合いがなくなって、事

実上の絶縁状態となるようです。


Tim GrassのGathering to His Nameの82ページには

次のような記述があります。
---------------------------------------------------------------
 ブラザレン運動の分裂が急速に大きくなることを見て、1848年3月

から1849年6月当時イングランドにいたグローブスは、ブリストルで

かなりの時間をすごし、1848年の後半に開かれたベテスダの信徒総会

に参加し、また、Tottenhamの集会にも参加したのでした。Tottenham

の集会にグローブスが参加した結果、DormanはRawstorne Street集会

を代表し、てTottenham集会を絶縁すると宣言したのでした。この絶縁

宣言の理由は、グローブスが、Newtonの関係者を受け入れるベテスダ

と同一の方向性を持っており、問題を持っているという可能性がある、

というものでした。

 ベテスダ側と思われていた人々は、チャップマン、コンゲルトン卿、

Tottenhamのハワード家の人々のような元クェーカーの人々、Harris,

Solotau, Batten, Dyerのようなプリマスの初期の指導者、Codeと

Hargroveでした。ダービー側と思われた人々は、Trotter(1948年の

11月にヨークシャーの集会に回覧文書をまわした人物)、Hall(1950

年まではダービー派ではなかったのですが、その後ダービーを支持

したようですが、Herefordの多くの集会はしたがっていません)

Bellet, Cronin, Stewart, Stonyでした。歴史家の多くは、英国の多

くの集会はダービーに従ったと誤った判断をしているが、イングラン

ド(英国の一部の)の多くの集会がダービーに従ったというわけでは

ありません。

以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------

この文章を読んでいて思ったのは、ダービーの影響は非常に強く、ブ

ラザレン=ダービーの影響下にある教会、と考えている教会歴史家が多

いらしく、その考えが誤解であることが指摘されています。日本でも、

キリスト集会はダービーによって始まったという理解をしている信者

の方が多い様ですが、実は、必ずしもそうでもないようです。それだ

け、ダービーの影響がキリスト集会に強く残った結果ということだろ

うと思います。それから、ダービーの影響が強いのは、ダービーがか

なりの著作を書いていたということ、オープンブラザレンの著者が少

なく、ダービーの影響力が突出していた、ということもあるようです。

尚、CHMで知られるマッキントシュ(マッキントシと表現する場合もあ

るようです)は、エクスクルーシブブラザレンに大きく影響を与えた

人物ですが、ダービーの時代よりやや後の時代の人物のようです。


参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

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