|
ブラザレンの集会では、どの集会と関連があるか、ということが
時に重要な意味を持つことがありますが、これは、大分裂の時代
からあったようです。日本国内では、独立性が保たれていること
もあるのか、この20年ほどの間、集会から集会への絶縁宣言とい
うものを見たり、聞いたりした経験はありませんが(単に知らない
だけという可能性があります。もしご存知の方がおられれば、ご
指摘をお願いします。)、実質的にはお付き合いがなくなって、事
実上の絶縁状態となるようです。
Tim GrassのGathering to His Nameの82ページには
次のような記述があります。
---------------------------------------------------------------
ブラザレン運動の分裂が急速に大きくなることを見て、1848年3月
から1849年6月当時イングランドにいたグローブスは、ブリストルで
かなりの時間をすごし、1848年の後半に開かれたベテスダの信徒総会
に参加し、また、Tottenhamの集会にも参加したのでした。Tottenham
の集会にグローブスが参加した結果、DormanはRawstorne Street集会
を代表し、てTottenham集会を絶縁すると宣言したのでした。この絶縁
宣言の理由は、グローブスが、Newtonの関係者を受け入れるベテスダ
と同一の方向性を持っており、問題を持っているという可能性がある、
というものでした。
ベテスダ側と思われていた人々は、チャップマン、コンゲルトン卿、
Tottenhamのハワード家の人々のような元クェーカーの人々、Harris,
Solotau, Batten, Dyerのようなプリマスの初期の指導者、Codeと
Hargroveでした。ダービー側と思われた人々は、Trotter(1948年の
11月にヨークシャーの集会に回覧文書をまわした人物)、Hall(1950
年まではダービー派ではなかったのですが、その後ダービーを支持
したようですが、Herefordの多くの集会はしたがっていません)
Bellet, Cronin, Stewart, Stonyでした。歴史家の多くは、英国の多
くの集会はダービーに従ったと誤った判断をしているが、イングラン
ド(英国の一部の)の多くの集会がダービーに従ったというわけでは
ありません。
以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------
この文章を読んでいて思ったのは、ダービーの影響は非常に強く、ブ
ラザレン=ダービーの影響下にある教会、と考えている教会歴史家が多
いらしく、その考えが誤解であることが指摘されています。日本でも、
キリスト集会はダービーによって始まったという理解をしている信者
の方が多い様ですが、実は、必ずしもそうでもないようです。それだ
け、ダービーの影響がキリスト集会に強く残った結果ということだろ
うと思います。それから、ダービーの影響が強いのは、ダービーがか
なりの著作を書いていたということ、オープンブラザレンの著者が少
なく、ダービーの影響力が突出していた、ということもあるようです。
尚、CHMで知られるマッキントシュ(マッキントシと表現する場合もあ
るようです)は、エクスクルーシブブラザレンに大きく影響を与えた
人物ですが、ダービーの時代よりやや後の時代の人物のようです。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
|