ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの分裂史

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オープンブラザレン(独立型ブラザレン)とエクスクルーシブブラザレン(連接型ブラザレン)がどのようにして別れることになったのかのイギリスでの昔話。
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で、このAmy Toulminさんをベテスダ集会が受け入れたことで、

ダービーの考えに近い人たちが、この受け入れを問題視したよ

うです。その結果、ニュートンに対する態度を何らかの形で表

明することが迫られ、そのため集会として意思を統一すること

が図られたようです。

Tim GrassのGathering to His Nameの82ページには

次のような記述があります。

---------------------------------------------------------------

1948年11月27日から12月11日の間にベテスダ集会は、7回総会を

開き、その結果、ニュートンの考え方とそのトラクトを、その

集会の信徒の誰も、支援もしないし、弁護したりもしないとい

う方針を決めた。Coleは、ダービーがベテスダを訪問した時、

このベテスダ集会の決定した方針を好ましいものとしているこ

とを表明するように強く勧めた。Coleは、ベテスダ集会は、

Letter of Tenを撤回したほうがよいことと、ニュートンの考え

方についての最近の行動とそれにいたる理由を書いて説明した

ものを集会間で回覧してはどうかという考えを持っていた。

ベテスダ集会はこの提案を拒否しました。なぜなら、何かを公

刊することは、ベテスダ集会の行うことではないとしたのでした。

なお、Letter of Tenは彼らの了解なく出版されたものだったの

です。(訳注 了解なくても出版されてしまうところがこの時代、

という気がします。ニュートンの詩篇の講義録の時もそうでした

が。)ダービーは、何か主張したものを印刷しない、というこの

ベテスダ集会の動きを好意的に捉えていました。

以上和訳終わり

---------------------------------------------------------------

この部分を読みながら、思ったんですけど、いろんな人がいろん

な思いで動いた結果、問題がさらに複雑になっていくのは、昔か

らブラザレンでよくあることだったんだなぁ、と思います。本部

組織を持たないのはよいのですが、本部組織がないだけに混乱が

おきた時には混乱がさらに大きくなる傾向は、この初期の分裂に

もその姿を見ることができるようです。

 しかし、本人達の了解なく、書類が印刷されて出回るというの

は、これまた問題ですけれども、結構昔はこの辺ルーズだった見

たいですねぇ。海賊版より問題かもしれません。ニュートンの話

が問題になったのも、この本人の了解を得ないところで彼の説教

のメモが印刷されて流れたことにあったことを思い出すと、この

時代ならでは、のことのように思います。


参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

 ベテスダ集会に非難が向けられていく中、ちょっと

した事件がさらにその問題を大きくしていきます。こ

れは、親族のつながりが大きかったゆえ、ブラザレン

は英国で急速に数の上では増大し、活動の継続に大き

影響したのですが、問題が起きると、同族でつながっ

ている分だけ、ややこしくなるところはあるようです。

そういえば、ロード・オブ・ザ・リングで同族社会の

問題を暗に批判している部分が、「旅の仲間」の冒頭

に近い部分で、ホビットの社会を題材にトールキンは

皮肉を言っているようですが、ブラザレンでも同族で

あるが故の問題が初期の分裂騒ぎの中でも、起きたよ

うです。

Tim GrassのGathering to His Nameの81ページには

次のような記述があります。
---------------------------------------------------------------

さらに、いっそう混乱がひどくなった背景には、ベテス

ダ集会が1848年11月にニュートンのいとこのAmy Toulmin

を受け入れたことがあります。かなりの長期間にわたっ

て、ミューラーとクレイクが彼女と話し合い、Toulmin

さんのものの見方はしっかりとしていると判断したもの

の、ニュートンのトラクトを支持したりそれを擁護して

いるとある信者が批判するかもしれないから(訳注 

行動に)注意するようにと、二人はToulminさんに警告

したのでした。

以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------

日本でも、結構集会以外の人との婚姻関係が少ないこと

もあり、どこかで誰かと誰かがつながっていることが多

く、特に古い集会だと、誰かの妹さんが、誰かの奥さん

で、そのご主人のお兄さんが、別の地域の姉妹と結婚し

ていて、というようにどこで誰がつながっているのやら、

さっぱり分からないネットワークが形成されることがあ

ります。思わず、戦国時代じゃないんだし、とは思うの

ですが、同じ信仰を持つ人々と結婚するほうが良い、と

いうことになると、どうしてもこういう複雑な人間関係

のネットワークができてしまったりします。しかし、日

本でこの人間関係図を誰か作ってくれないかしら。手近

なところ以外はさっぱりわからないので、困ってしまい

ますが。


参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

このようなダービーとベテスダ集会との関係の悪化に加えて、さ

らに事態を複雑にさせる事件を、この運動の初期の指導者のひ

とりであるWigramは起こしたようです。おそらく、ダービーに

しても、Wigramにしても意識して事件を起こしたわけではない

とは思いますが、意図していないことが非常に大きな混乱を生

んでいくことになったようです。この時代の時代がかったもの

いいなのか、Wigram独特のもののいいかたなのかはよくわかり

ませんが、しかし、一種独特な表現が大きな誤解を生み、あま

り好ましくない影響を及ぼしたのではないかと思います。

Tim GrassのGathering to His Nameの81ページには、次のような

記述が見られます。

---------------------------------------------------------------

1848年10月に、Wigram(訳注:この当時ダービーを支持してい

たようです)はCraikがキリストが人であることに関して、

1835年にCraikが牧会書簡Pastral Lettersという書物の中で書

いた内容から、Craikが異端的な考えを持っていると批判したの

でした。

 Craikはキリストの人間としての肉体は他の人間の肉体同様、

死ぬべき肉体をもたれたのであり、キリストが聖であるのは、

彼が(訳注:神であるがゆえに)堕落(taint)から守られた

からであるとしていました。この考え方は、Edward Irvingの

誤解を生みかねないキリスト論と一部共通するものでした。

WigramのCraikが異端的であるという非難に対して、Craikは、

Craikがこの文書を書いたころ、WigramはCraikの近くに住んで

いたし(訳注:当然交流もあったわけで)、Craikの議論につ

いて十分チェックできたはずなのに、それをその当時にはした

ことがなかったのではないか、という点をCraikはWigramに指摘

したのでした。これについて、悪魔論(Satanology)の典型の

ような事例ですが、Craikが霊的な錯覚(delusion)に陥ってお

り、さらなる欺瞞(deception)と責任逃れ(evasion)にCraik

が陥ることのないように、Craikが考えを整理することをWigram

は依頼しようとしているのだ、としたのでした。

以上日本語訳終わり
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書いてから12年以上たって批判するものなのかなぁ、とこの部分

を読みながら思いました。おそらく、Craikの意図は、そこにあっ

たとおもいます。この種のまじめな議論を生真面目に続けるとこ

ろが、ブラザレンのある面でよい特徴でもありますが、時に不幸

を生む特徴でもあると思います。上でご紹介したような場面では、

不幸な結果を生んだようです。

 ただ、日本のブラザレンの社会の中では、日本人の特性もある

のでしょうが、議論を吹っ掛けても、返ってこない経験をされた

ことがある方もおありのようなので、(私の場合は、議論という

のか、お考えをお聞きしたときに、はぐらかされたことはあって

も、全く返事が返ってこなかったことはなかったですが)この辺

日本と英国の文化の違いということ、とりわけ、印刷物という媒

体を通しての議論の考え方がかなり違う、というような印象を受

けています。日本のブラザレンの中では、そもそも、聖書理解を

文章にする方も少ないように思います。うーん、みことば、を

購入しないとまずいかなぁ。しかし、いずれ、聖書理解の現地化

(日本人による、日本人のための、聖書全体の枠をはずさない

聖書理解の構築)して行かないと、まずいような気がするのです

が。

 そういえば、私のインタビュー調査の結果では、100年以上たっ

ても、アフリカのブラザレンでも現在もなお、聖書理解の輸入

(聖書の注解書などの現地語翻訳)は続いているらしいので、日

本でも同じようなことになるのかなぁ、と思います。その意味で、

ここで時々コメントしてくださるLuce様やpisgahさんとい

う聖書館(http://www.sam.hi-ho.ne.jp/pisgah/myweb/)という

サイトを運営しておられる方には、大きな期待しているんですが。

山形牧師のは面白いけど、散文なのがちょっと、読みづらい。


 そうそう、Wigramは出版事業もしていたようなので、この辺の

文書を通じた議論ということが重要、という印象をWigramは持ち

やすかったのかもしれません。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

この時代のブラザレンの特徴として、結構文書のやり取りがある

ようです。これも、新約聖書における手紙を見習っているような

のですが、自分の考えを手紙にして、各地の集会を回覧させるや

り方は、ある面、そこまでして新約時代の信徒の在り方を模倣し

ようと考えた、初期のブラザレンの信徒、というよりは、ダービ

ーの考え方の影響が強いのだろうなぁ、と思います。この種の動

きが、この分裂騒動でも発生しており、ダービーはベテスダ集会

とその動きに同調する集会を非難した手紙(というよりは檄文)

を書いて、回覧しています。

 Tim GrassのGathering to His Nameの80ページには、次のような

記述が見られます。

---------------------------------------------------------------

 1848年8月26日ダービーは、ベテスダ回覧文書と題する文書を

Leedsにおいて発行しました。Leedsでダービーは、おそらく

Trotterからであると思われるのですが、Yorkshireの多くの集

会が、ベテスダ集会の在り方に同調しているということを耳に

したのでした。

 ダービーは、ベテスダ集会の在り方を、「ニュートンへの決定

的かつ包括的な支持を与えるものであり、ニュートンの悪(Evil)

の問題と密接に関係しており、その方法は、霊的な敵がとるであ

ろうその方法である」
と批判したのでした。Jukesは、Yorkshire

の集会は、ニュートンの考え方に対して反対する点では一致して

いるが、プリマスのニュートンの集会からの個人を受け入れる

点では、基本的にベテスダと同じ考えを前提としてたと思われま

すし、他のその地方の集会も、Jukesのこの考え方に従う方向で

あったため、ダービーにこの地方の集会がベテスダと同様な方

法をとっているという判断させることになったようです。

以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------


しかし、ダービーの表現(太字で表示)は、回りくどいうえに

結構強烈だったりします。他人を悪と名指しする態度は、いかが

なものかと思います。この辺の神経には、個人的についていけな

いものを感じます。ブラザレンでも、この種の他人の異なる考え

方に対して、悪とする立場ということはかなり見られるので、気

をつけないといけないなぁ、と思います。

Tim GrassのGathering to His Nameのp79-80では、深刻化したこの問題の

最終局面が取り上げられています。

 当初は、ニュートンの考えを支持するプリマスの集会と、ダービーとダ

ービーの考えを支持する教会全体との対立という側面だったのですが、ジ

ョージ・ミューラーとクレイクが責任を負っていたベテスダ集会が、ニュ

ートンの関係者を彼らが牧会の責任を持っていたベテスダ集会の聖餐式に

受け入れたことにより、ダービーが反感をもつことへとつながり、問題が

さらにこじれて行ったようです。以前に引用した内容にもありましたが、

ダービーは、自分が動くことがどういう影響を及ぼすかを重視するよりは、

自分が正しいと考えることをきちんと言うことを重視した人(まぁ、直情

型の方が多いブラザレンらしいといえばブラザレンらしい考え方ですが)

らしく、このダービーの性格が、ここでも問題をこじらせていったように

思います。

 Tim GrassのGathering to His Nameの80ページには、次のような 記述が

見られます。
---------------------------------------------------------------

 この(ブラザレン)運動全体のあり方に影響を与えた分裂に関するもっとも

深刻な問題が最終段階でに発生したのでした。焦点となった問題は、誤った

考え方の教師(ニュートン)からの影響を受けた信徒との交わりを、どの程

度の寛容(Culpability)さを持って受け入れるかどうかということでした。

(訳注:ニュートンの影響を受けた信徒の受け入れに関して、受け入れると

いう方向と、受け入れないという)二つの方向性があったのですが、キリス

トの体における一致性をどう考えるのか、ということがこの二種類の対応へ

とつながりったのでした。その結果、(訳注:受け入れるとした信者の集団と

受け入れないとした信者の集団でニュートンの影響を受けた信徒の受け入れ

に関して)異なった考え方を持つ信者とともに歩む、ということが困難にな

っていったのでした。

 この分裂へのきっかけは、ニュートンの考えの支持者であるWoodfall家の

二人の信者がニュートンが自分自身の考え方が間違っていることを表明した

直後の1848年4月にベテスダ集会での聖餐式に参加することから始まりました。

その直後、ミューラーはダービーを聖書の話をするために伝道者として招いた

のですが、ダービーは、従前はベテスダ集会と関係を持っていたものの、断固

としてその伝道者としての招聘を拒否し、ベテスダがニュートンの考えを支持

する信者を受け入れた以上、今後は訪問しないと宣言したのでした。ダービー

は、ベテスダ集会がニュートンの考えを詳しく調べ、それを否定すべきだ、と

主張したのですが、CraikとMullerはキリスト論が集会での混乱の元凶となる危

険性を回避するため、ニュートンの聖書理解について詳細な検討することを拒

否したのでした。1948年5月10日にイギリス全土から、ニュートンの考えに批判

的な100人ほどの指導的な信者がのバースに集まり、この件に関する経緯につい

ての話し合いを行いましたが、決定的な結論が出たわけではありませんでした。

この問題が集会に大きな影響を与えることを避けようとしていたチャップマンは、

ダービーが過剰反応しすぎであると批判したのでした。ダービーは、彼が問題に

しようとしていたことの問題意識から、この会議の内容が横道にそれたように感

じていたのでした。

 1848年6月には、ダービーの支持者の一人の信者が、(訳注:ニュートンの問題

に適切な対処がなされていないという)誤りが起こったということを理由として、

ベテスダから分離したのでした。6月29日にベテスダでは、信徒総会を開き、そこ

で、“The letter of the Ten"と呼ばれる文章で、ニュートンの誤りを否定した

ものの、全体としての調査への参加を拒否し、ニュートンとダービーのどちらに

も組せず中立を保つ、ということを表明したのでした。この中の第6項で、ニュー

トンの考えが異端的であり、ニュートンの牧会のもとで、あまり正常でない考え

に影響されていたとしても、聖餐式への参加を認めないのは正しいとは言えない

と表明したのでした。

以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------


 ブラザレンの教会(キリスト集会)では、聖餐式は最も重要な典礼というか、

儀式というか、プログラムであるがゆえに、そこにだれが参加するのか、だれが

参加してよいのか、ということが非常に問題になったようです。まったく同じ問

題ではありませんが、聖餐式でのパンとぶどう酒に信者でない人が手を出してし

まったことをどう考えるのか、という問題の延長線上にある問題意識だと思いま

す。ブラザレンの教会では、信者でないものはパンとぶどう酒にとって食べたり、

飲んだりすることは原則できません。丁重にご遠慮願うようお願いいたします。

この背景には、キリストの体が聖なるものであるという意識とキリストが弟子に

命じた儀式であるため、重要であるという意識があるからです。

 誤った考え方のもとにある、ということは、キリストの命令に完全に従っていな

い方であることを意味し、従って、そのような人が聖餐式に参加させたり、受け入

れたりすることは、キリストの体を汚すことになるのではないかという意識や、聖

餐式自体が不完全なものになる、という考え方があるからだろうと思います。

 しかし、一方で、キリストの救いって、そんな人間的な考えをはるかに超えた完

全なもの、という考え方もあるでしょうし、信者の成長ということを考えたときに、

いろいろな考え方の可能性に触れ、若干間違った考え方の中にある可能性もないわけ

ではないので、それをどの程度許容していくのか、ということの重要性があるように

思うのですが。

 私個人としては、キリストの体って、そんな人間的な思いをはるかに超えたもので

あり、圧倒的な聖さを持っているものであり、罪や穢れも一つもなく、それに触れた

だけで回復があるという性質のものだと思うのですが。だからこそ、長血を患う女性

は着物の房に触っただけで完全に癒されたのですし、百人隊長の使用人はイエスの言

葉だけで癒されたくらいすごいものだと私自身は思っているんですけどねぇ。多分、

私が勘違いしているんでしょうねぇ。

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