ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの分裂史

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オープンブラザレン(独立型ブラザレン)とエクスクルーシブブラザレン(連接型ブラザレン)がどのようにして別れることになったのかのイギリスでの昔話。
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 ニュートンとダービーの分裂は分裂で、最終的には泥仕合の形に

近くなっていくように思います。そして、それが礼拝への参加拒否

とか、交わりの拒否とか言う形で政治色を帯びて言ったようです。

党派心を否定するように新しい運動を起こすのだ、ということを目

指してブラザレン運動を進めていった割には、結局は罪ある人間の

群れである悲しさなんでしょう、一種のブラザレンの集会間の政治

的な動きの色合いを帯びてきます。残念なことですが。一つにまと

まるというのは良いことのようである半面、一つにまとまるために

は、一種の純化という心理的・社会的な同一集団の形成の動きと集

団心理、思考形式への動きがでてくる(これは、クメールルージュ

しかり、スターリニズムしかり、マッカーシズムしかり洋の東西、

思想の右派・左派をとわず)のは、人間の弱さかなぁ、と思います。

クメールルージュ・スターリニズムでは悲惨なことがおきましたが、

マッカーシズムでも、非常に悲惨な現実がおきたようです。

色々な本が出てますが、何がおきたかを簡単に知るためには、

クメール・ルージュに関しては、

 キリング・フィールド

という映画をご覧下さい。今のお若い人はほとんどご存じな

いでしょうから。

マッカーシズムもご存じないでしょうねぇ。映画としては、

  マジェスティック
   (ジム・キャリーが追放される脚本家役で出演)

  真実の瞬間
   (デ・ニーロが追放された映画監督役で出演)

  グッドナイト&グッドラック
   (ジョージ・クルーニが出ているモノクロ映画)

直接ではありませんが、マッカーシズムに対する強い批判の意味

が含まれている映画として

  クルーシブル
   (サレムの魔女事件を題材に純化に関する恐怖を描いた映画)

があります。多元主義者の私としては、極端な純化の動き、極端

な一体化の動きということは、望ましくないなぁ、と思います。

最初のこの一体化の動きは、聖書の中でもバベルの塔を構築する

事として、神様からも否定されている、というのは私のひずんだ

聖書理解かもしれません。


 ところで、この事件に関しては、Tim GrassのGathering to His Name

の76ページには、次のような記述が見られます。

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1846年11月に、ニュートンはロンドンを訪れ、個人的に何人かのブラザ

レンの信徒達に会って、その人たちの抱えている疑問に答えようとしま

したが、そのときにも、RawstorneStreetの集会に参加することは断られ

てしまいました。それに続いて、12月にこの集会はニュートンを集会に

参加できない(註:集会関係者としての絶縁処分)と宣言したのでした。

ニュートンを支援していたTregelles集会の一人は、このRawstorne

Street集会の対応を強く非難し、このようなことをすることは、ロンド

ンの集会が独自の権限を持つことと等しいのではないかと非難したので

した。この状況を見て、コンゲルトン卿は、ニュートンとダービーの両

者の関係に対して中立的な立場をとり、なぜ、ニュートンが査問会への

出席を拒否したのかのニュートンの考えも聞かずに一種の除名処分をし、

ダービーの考え方をよく調べもせずにその考えを受け入れた集会も問題

であるとしたのでした。

以上和訳終わり
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除名とか、絶縁とか、破門とか、昔からよくあることですけれども、

幅広い一致としての一つであるとすることを目指した人々が、一致の理

解がいつの間にか考え方の一本化、純化という意味での一致に変わって

しまったことの悲劇を感じます。

 今は「ローマ人の物語」の著者としてすっかり有名になってしまった、

塩野七生さんという方の割と以前の著作に「海の都の物語」というベネ

チアの歴史小説がありますが、その中で、面白かったのは、ベネチアが

ローマカトリックから何度も破門を受けながら、何も気にしなかった、

(彼らがいないと、ヨーロッパ経済自体が成り立たないので、破門され

て通商ができなくて困るのは、イタリア諸国とカトリックであるため)

という話が出てきますが、そういう話を思い出しながら、ベネチア人の

したたかさを感じると同時に、実は、破門とか除名とか、絶縁というの

は、あまり意味がないんだよなぁ、ということを思ってしまいます。

 早々、最近CNNで知りましたが、ジョージ・クルーニーのお父さんっ

て、TVキャスターだったようです。その辺も、グッドラック&グッドバイ

を監督・脚本をしたのかなぁ、と思います。

 今回は、映画の話が多くなってしまいました。

しかし、ニュートンとダービーの分裂騒動が起きた直後にニュートン

は奥さんをなくします。精神的なダメージは、かなりのものではなか

ったか、と想像します。そのこともあったためか、ニュートンとダー

ビーの間の論争は、一時は止まっていたようですが、ダービーが書籍

(というよりはパンフレット)を出版することで、議論が再燃したよう

です。

Tim GrassのGathering to His Nameの75ページには、次のような記述

が見られます。
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 1846年の5月18日にニュートンの妻がなくなり、ダービーが9月に

『事実についての詳細について −Ebrington Streetの会衆派の集会の

ある著作者の分離の問題に関して−』と題する本を出版するまで問題が

更なる展開を迎えることはありませんでした。この本は、ニュートンが

ある「システム」を教え込もうとしているという点に絞って、ニュート

ンを集中的に攻撃するかのような書籍でした。ダービーは、教役者には、

個人と神とを区別する権威が与えられているので、そのシステムを全体

として受け入れるのは悪魔の働き(註:Satan's work こういう言い方を

することは、適切なんでしょうか、と私は思います。)のしるしである

としていました。

ニュートンが聖書研究会に普通の信者が参加することを拒否しているこ

とをダービーは攻撃していました。ニュートンが一般の参加者の聖書研究

会への参加を認めていなかったのは、普通の信者が教益者の権威に疑問を

差し挟んだりする可能性があることや、また、ダービーはプリマスでの聖

職者主義の傾向が続いていること、開かれた牧会のあり方が制限されてい

ることを問題視していました。
以上和訳終わり
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ニュートンは、ニュートンで、オックスフォード出身のやはりエリート

主義者だったのかなぁ、と思い増す。『日の名残り』という映画があり

ますが、それを見る限りイギリスのエリート社会にしみこんだ思想とい

うものから抜け切れなかった、一般信徒を信頼し切れなかった人物だった

のかもしれません。これは、歴史家には本来許されない、私個人の想像

の部分です。ダービーも、エリート層の出身者ですが、彼が出たのは、

アイルランドの大学(Trinity College)であり、そのことも微妙な影を

落としているのかもしれないなぁ、と思います。これも、本来歴史には

許されない、想像の部分です。多分、その影響はなかったとは個人的に

思いたいですが。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

ダービーとニュートンの立場の違いの問題は、初期のブラザレンの

リーダー達にも影響を与えたようです。その影響の仕方は、非常に

多様だったようです。その多様さについて、Tim GrassのGathering

to His Nameの75ページには、次のような記述が見られます。
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 この問題の議論は、プリマスだけの問題にとどまりませんでした。1846年

1月11日には、ロンドンのRawstone Street集会で、コンゲルトン卿は、

Wigramがプリマスの集会を分裂させかねないダービーの動きを助けていると

非難したのでした。4月には、ロンドンで、(集会内で)何が起きているのか

に関する会合が開催されました。そこでは初期の指導者がどのように発言した

のかの記録がのこっており、この問題にどのように初期の指導者が反応したの

かを知ることができます。チャップマンは、プリマスでの悪(evil)の問題は、

キリスト集会全体に広がりかねない問題であるとしました。プリマスの人々は

最初の愛から離れてしまい、キリストに戻ることが必要であると主張しました。

そして、反省のための集会が(その段階で開かれていたのですが)、6年前の段

階で必要だったとChapmanは思っていたようです。Belletは、Chapmanの見解には

賛同していましたが、どこまでブラザレンが間違ってしまうことができるのか、

ということを聖書的に調べることが必要であると主張していました。Dormanは

「9年前に信仰を持った時の自分と今の自分が違う」ということから、世的なも

のが影響していたとしていましたし、コンゲルトン卿は、ダービーとニュートン

との友情を続けることができなくなったことと、彼が、参加している集会が攻撃

にさらされていることにショックを受けていた。Hargroveは、牧会と霊的な賜物

の件でのブラザレンの考え方の問題からブラザレン運動から離れていました。

Hargroveはプリマスでの分裂が確実なものとなっていない、と考えていたのです

が、ダービーとWigrameとは会いたくないと思っていたのでした。

以上和訳終わり
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この話を訳しながら、ブラザレンというのは、最初の頃から多士多彩だ

ったのだなぁ、と思いました。様々な考え方があり、それが相互に影響し、

そしてそれぞれの集会のあり方を作っていたのかなぁ、と思いました。

ある面、独立型ブラザレンが自治を重んじていくのも、それぞれの指導

者の考え方が違うので、自治が重視されていくことになるのかなぁ、と

いう印象を持っています。

 その意味で、昔も今も、多様性があり、それでもキリストの体としての

一致できる点をあまり明確にせずに一つの集団をなんとなく成しているの

がキリスト集会なのかなぁ、ということを思います。それは、それで、

素晴らしいことと思います。何か一つの教義に凝り固まったり、教義に

ふりまわされるのではなく、互いに受け入れあい、相互の考え方を尊重し

ながら、教会運営というものを考えていける、ということは長所だろうと

思うと同時に、そのことが内部で議論を生む原因となりやすいことを考え

ると短所ともなるなぁ、と考えると、少し考え込んでしまいます。

とはいえ、多元主義者の私としては、やはり集会のあり方がいいなぁ、

と思います。

ダービーとニュートンの対立の問題は、指導的立場である人の聖書に

描いてない部分や教会運営のスタイルにとどまるのではなく、最終的

に教会を二分する問題へと発展していきます。それを回避するための

関係者はかなり努力をしたようです。その努力がどのようになされた

のかに関して、Tim GrassのGathering to His Nameの75ページには、

次のような記述が見られます。

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 この問題に関して、1845年12月5−8日にこの問題について明らかに

するために(訳注プリマスで)指導的な役割を果たしていた主要な兄

弟達が、指導者間で非公式にこの問題を処理するための会合に集まる

よう召集されたのですが、望ましい結果を生み出すことなくこの会合

は終わることとなりました。

 ダービーは、この問題は、非公式な方法で処理されるべきでなく、

教会全体で議論されるべきであるとしたのですが、しかし、ダービー

の主張は取り上げられることはありませんでした。Wigramはダービー

の議論をサポートするためにロンドンからやってきたのでした。そし

て12月の7日と14日にEbrington集会からの信徒も参加するよう招いた

祈り会を開いたのでした。


以上和訳終わり
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 ダービーはある面、啓蒙主義時代の代表的な人物だという感じがして

なりません。名誉革命、フランス革命、アメリカの独立宣言、を経て、

普通の市民がいろんなところで実験を取り始めた革命と民主主義に目覚

めた時代の申し子みたいなところがあり、何でもかんでもみんなで議論、

なんでも公開というスタイルを好んだようです。しかし、以前にも触れ

ましたが、この時代のブラザレンの指導的立場にある信者は、貴族や

社会的に評価が確立した社会階層の人々が中心(ダービーも元々はそう

ですが)だったこと、イギリス風のエリート主導型の民主主義的な考え

方(日本の民主主義や、アメリカたがの民主主義とも一味もふた味も

違う感じがしますが)の影響もあったようですが、プリマスでは、内々

に処理しようとし、おそらく和解の勧告やら勧めやらがなされたよう

ですが、結局はうまく処理できなかったようです。そして、ダービーを

中心とするグループ(いわゆるエクスクルーシブ・ブラザレンと呼ばれ

ることになるグループの母体)が結果的に形成されていき、そうでない

グループとして、ダービーを中心としないグループ(後にオープン・ブ

ラザレンと呼ばれることになるグループにわかれた、というのがTim

GrassやCoadなどを読む限りの印象です。

 しかし、祈り会を開く、というのが、聖霊の働きを重視するブラザレ

ンらしいところだ、とおもいます。祈りは大事だなぁ、と思います。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209 

これまでTim Grassの書籍から、ご紹介してきたように、基本的にダービーは

聖霊の働きがあり、ペテロたちがそうであったように普通の学のない信者にも

聖霊が働くので、それを重視すべきであるという立場であり、ニュートンは

聖霊の働きは否定しないものの、きちんと聖書理解を進めていくためには、

それなりの準備と、きちんとした聖書理解、また聖書に関する関連知識もそれ

なりに重要である、という立場だったようです。

 このニュートンの立場は、ともすれば聖職者主義につながり、一般の人々の

救いへとつながるメッセージが弱くなり、一部の知識のある人々のための説教

となりがちだということをダービーは危惧したものと思われます。

 しかし、いわゆるイギリスで起きたリバイバルを経験したニュートンにして

みれば、改心して間もない、まともに聖書を読んだことの少ない人々が、十分

でない聖書知識に基づいて福音を語ることを目の当たりにしていたのだろうと

思いますが、十分でない聖書知識に基づいた、独善的というのか安心感を持っ

て聞いていることのできないメッセージをそのままにする危険性というのを、

感じ取っていたのだろうと思います。

 ダービーとニュートンの分裂騒ぎの最終段階について、Tim GrassのGathering

to His Nameの74ページには、次のような記述が見られます。
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(補足:DevonとSummersetから)ダービーがプリマスに(補足:1845年)10月18日

に戻った時、ダービーは、ハリスに反省と祈りのための信徒大会を召集するよう働

きかけました。しかし、その目的は、実質的には、当時ロンドンにいたニュートン

はその呼びかけに応じませんでした。8日後、ダービーは、プリマスの集会は、キリ

スト集会を誤った方向に導く(堕落させる)ニュートンの考え方を持ち込み、その

悪しき(evil)考え方が十分判断されることもなく、また、誤っているということに

ついても悔い改めていないこと、金曜日の集会が、軽視されているという非難をし、

(補注:プリマスでの)聖餐式に参加しなかった。ダービーがプリマスから一線を

画す理由を、11月に開かれたキリスト集会の公開の集会で、ダービーはニュートン

が書いた「Clulowへの手紙」で触れた彼が言うところの4月におきた会談での間違い

が生じた責任(false account)と、ニュートンが出版した「5つの手紙」に変更を施

したこと、の2点に絞って、彼がプリマスから離脱するのだ、説明しました。この

「5つの手紙」は出版されるまでは手書き筆写の形で回覧されていた(訳注:新約時

代の手紙みたいに)のですが、ダービーの非難は、印刷された「5つの手紙」とは内

容的にずいぶん違うということで非難していたのでした(このニュートンが一部の印

刷された手紙において行った変更は、教会における教役者の権威についての議論の流

れを逆転させるような変更であった)。(訳注:なぜ、これが問題になるかというと、

この段階の前でのダービーのニュートンへの批判は、ニュートンが指導的立場の役割

を重視していたことによるものであるため、指導的立場の人の権威に関する議論の

あり方を変えることは、ごまかしとダービーの目には写ったようで、それゆえ、この

変更が行われたことをダービーは離脱することの理由としたものと思われます。)

印刷された「5つの手紙」の版では、二つの手紙が削除されていたり、付録に回され

ていたものもあった。(訳注:印刷版で、これだけの違う版(海賊版)がでた、とい

うこと自体、この手紙が多くの人々の関心を呼んだということの証拠だと思います。

今は、著者や出版社の権利や著者の権利が著作権で保護されているのですが、1840年

代にはかなり甘いものだったようです。)
以上和訳終わり
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この分裂を振り返りながら、日本でも戦後同じ様なことが起きたのではないか、と

このブログにコメントくださる方々からご教示された内容を思い返しておりました。

聖霊の働きも大事ですし、聖書知識が十分でない人々がまったく語るべきではない

とは思いません。聖書知識に限りがある方でもお話されることも、その方の訓練と

して大事だと思います。ただ、時に線を踏み外すこともあるでしょうから、そのよ

うな時に、そのお話のテーマを暖かく包み込み、深い聖書知識と知性においても解

き明かしをしていく聖書について深く学んだ方がさらにご自身の考えを述べること

で、様々な考え方や読み方が聖書でできることが、参加される一人一人の方に伝わ

り、いきいきとした聖書の内容がより豊かに参加された方に伝わるようなバランス

の取れた教会(集会)運営になると良いのになぁ、と思います。若い信者、信仰歴

の短い信者も証したり、聖書のお話をする、それをうまくカバーする形で聖書理解

をより深くもつ方がうまく補足する、という形でそのテーマを引き継いで語る、そ

して、参加された一人一人の方に全体として生き生きとした形で神の豊かさが示さ

れる、そんな教会(集会)運営ができたら良いのになぁ、と思います。

ただ、キリスト者とはいえ、罪ある存在ゆえに、どちらかに偏りがち。それが残念。


参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.

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