ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの信徒と世代論

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

 今回がこの連載の最後です。2000年以降のキリスト集会の

信者とその信仰スタイルについて、思うところを書いて見た

いと思います。

1950年代が、思想の混乱からの脱出の援助としての信仰、

1960年代は、孤独からの脱出の援助としての信仰、

1970年代は、政治的経済的な不安からの脱出の援助としての信仰

1980年代が、経済的繁栄の陰への不安のなかでの霊的な不安から
      の脱出としての信仰

1990年代が、多様化と多忙化の中での個人的な信仰の追求

として特徴付けられるとすると、

2000年代は、失われた10年の中など経済的な混乱の中での信仰

として特徴付けられるかもしれません。

 1980年代のバブル、1990年代の大量消費時代からの脱却を経て

個人が中心になり、セーフティネットを含め社会構造がぐずぐず

に崩れ、変容し、それこそ小泉改革路線で、自己責任の追及が声

高に主張される中、個人は個としての不安にさらされるものの、

日本では、プロテスタント社会が300年ほどかけてきて構築してき

た個が成立しておらず、それが突然個人責任とか、個であること

を求められ、混乱を起こすと同時に、過去20年の社会構造の変化

のなかでの、規範意識が低下した個人が登場してきた時代です。

1970年代は、規範意識に抵抗したり、戦ったりしたものの、企業

人(社会人というよりは企業人)になった段階で、規範意識への

抵抗が薄れ、規範意識を受け入れた時代だったと思います。

 しかし、1980年代、特に1990年代以降は、規範意識が大きく

損なわれた時代だと思います。1990年代に、茶髪にしてきた

日銀マンを人事部長が散髪バサミを持って追っかけた話を聞い

たことがありますが、茶髪が普通になり始めたのも、この時期

です。学校や幼稚園の先生などでも茶髪が増えましたし、幼稚

園の父兄会では、茶髪が当たり前、大阪府知事をしている橋本

さんも弁護士時代は茶髪だったです。茶髪ガングロとよばれる、

アフリカの方ですか、とお聞きしたくなる女子高生やその女子

高生もどきのお母さんが幼稚園などのお迎えで見られるように

なったのもこの時期です。

 キリスト集会にこられる若い方に、従来の社会規範を期待す

ることができなくなったのもこの時期です。ただ、中高年は、

従来の社会規範のかけらが多少なりとも残っているので、対応

は可能ですが、生活習慣、勤労意識、キリスト集会等信者集団

への帰属意識を含め、相当に低下したのもこの時期だと思いま

す。ちょうど、ボーリング・アローンというソーシャル・キャ

ピタル関係の学術図書がありますが、その本などの分析にも見

られるように、個が比較的早く成立していた欧米では、20年位

前から社会集団への帰属意識が徐々に薄まっていたようですが、

日本では、個が成立する以前に社会集団への帰属意識と社会規

範が崩壊してしまったアノミー状態または、カオス状態になっ

ているように思います。

 このような中では、キリスト集会での日曜日の聖餐式やプロ

グラムよりも個人的なイベントを重視することに全く抵抗感の

ない信者が現われたり、個が成立していないうえに慎重に体系

的でなく聖書を読んだ結果、自分の感性に合う部分だけ剽窃す

るような聖書の読み方をする信者の方が全くおられないわけで

はないように思います。

 その意味で、集会の責任者が、若い世代に話すことがより難

しくなり、適切な聖書理解を伝えていくことが難しくなってき

たように思います。特にブラザレンが平信徒主義に立ち、歴史

神学の背景がないまま、素直に聖書に向かうことを進めていく

中で、過去の歴史上の誤った理解の再現や過ちの再現をしてい

るのでは、と考えたくなるようなお話が聞こえてくることもあ

ります。その意味で、日本国内でのブレーキ役を果たしてきた

神学的理解をもった聖書学校でのコースを押さえた宣教師(英

国や米国では、聖書学校という形でのブラザレン系の神学教育

機関が実在しますし、後に神学校に変化していったものもあり

ます)が激減する中、2000年の歴史の中で繰り返し起きてきた

誤った聖書理解の問題に対応するため、キリスト集会の指導者

の神学教育は本来急務のはずですが、それを企図したKBTCが

10年で閉鎖してしまう現状を考えると、将来のキリスト集会の

あり方について、考え込んでしまいます。

 キリスト集会の教会運営のあり方は、多くのキリスト集会が

最近取り組んでいるスモール・グループ運動の先駆といってよ

いと思います。実際に、影響を与えています。ただ、欧米と日

本との差は、基礎的な神学理解へのアプローチのしやすさです。

欧米には、信仰者の世界(いわゆるキリスト教の世界 クリス

チャンドム)が存在するにもかかわらず、日本は、それが大き

く歪んでおり、おまけに幕藩体制のような分裂・分立状態にあ

るような気がしてなりません。つまり、信仰良書は未だに輸入

に頼らざるを得ず、さらに、教派教団間での連携がない、基礎

的な文献にアクセスしにくい(良書でもすぐ絶版になる、教会

図書という概念が弱いなどなど)、個人の聖書理解を深める機

会が限られるというのが日本の現状ではないか(特に地方部で

は)、と思います。

 社会が多忙化、多様化し、社会規範がぐずぐずになっていく

中で、ある程度適切な学びをしていくためには、適切な書籍に

アクセスしつつ、聖書研究を進めていくか、最も安全な策であ

る過去の伝統にしがみつき、19世紀の装いで、21世紀にいきる

人々の中で、少し変わった考えを持つ少数者の人々として生き

ていくことになろうかと思います。

 少数者であることを誇り、山の上の町と化し、社会にあるべ

き姿と自分たちが主張するものを無言で示唆するのも、また一

つの方法ですが、社会に生きる人々に福音を語っていく為の研

鑽をするのも、また一つの方法だと思います。他にもいろいろ

な有方があるでしょうし、それを自由に追求できるのがキリス

ト集会の美点の一つだと思っています。

 ただ、この連載を書きながら思ったことなのですが、現代と

いう時代を生きる人々にキリスト集会が何を提供するのか、と

いうことは一人ひとりの信者として考えたほうがいいかなぁ、

と一信者としては思います。そのためには、歴史理解、とりわ

け、近代史の理解と整理は意外と大事ではないかと思います。

 以上10回にわたりこの連載で書いた文章は、個人的な思惟の

結果でありますが、感想文の域を出ないものなので、学術的批

判に耐えうるものではありません。また、多くの誤りや理解不

足を含んでいると思いますので、関連するご指摘、コメントを

いただき、よりよいものにしていければ、と存じております。

もちろん、内容に関することであることが条件ですが。

1990年代の時代背景と信者の関係の続きです。

 1990年代は、1950年代以降の行動経済成長路線のからの

決別の時期でもあり、社会的にもマスからパーソナルへの

転換が生まれた時期でもあります。それは、前回の記事で

記載したとおりです。

 これが微妙に信仰のスタイルに影響しているような気が

します。それまでのブラザレンの信仰者の姿は、キリスト

者という国内社会集団の中でも少数派の中も、さらに少数

派でもあり、それがゆえに結束し一致団結して進む体制に

あったのですが、数も増えてくること、社会自体が個人の

自己実現を認める姿に転換するなかで(小泉純一郎氏の

総理もいろいろではありませんが、信者もいろいろ、とな

ってくるなかで)、信者であることの抵抗が弱まると同時に、

個人にとっての帰属集団としてのキリスト集会という存在の

ウェイトが低下してきた時期だと思います。

 それこそ、昔は、キリスト集会一番(神の国の擬似組織だか

ら)、土日に仕事があるなら、仕事を変わることが当然とされ

た時代から、そこまでする必要があるのか、ということを思う

信者が出始めた時期だろうと思います。

 それと、この時代になると、トラクトを撒いていても、『耶

蘇(イエスの中国語名)』といわれるなど侮蔑的体験をすること

がなくなった時代でもあります。私は、トラクトを街頭で手渡

ししながら、1970年代末に当時の50くらいの叔父さんから『耶

蘇か』といわれた記憶がありますが、今はさすがにそういうの

はなくなりましたねぇ。

 そういえば、1990年代のもう一つの特徴は、キリスト教会式

での(というよりはウェディングドレスを着るスタイルでの)結

婚式が異様に増加したことです。キリスト教会を模倣した結婚

式場が急速に増えるのがこの時期です。結婚式場が、擬似的な

キリスト教会を式場に設け始めたのが、この時期だと思います。

ホテル併設の教会というわけ分からないものが出たのも、この

時期です。退職宣教師を探してくれ、と知り合いのホテルマン

から頼まれたのも、この時期です。

 1960年代であれば、耶蘇式での結婚式なんて、と家族から大

反対されたはずですが、1990年代には、そのキリスト教式の

結婚式が商業化(冠婚葬祭業者がビジネス化)するほど、社会に

受け入れられてきた、ということだろうと思います。

このように、日本社会にプロテスタント系ヨーロッパ及びアメ

リカの表層文化がほぼ定着して、太平洋の両側で時代やカルチ

ャーが緩やかにシンクロし始めたのもこの時代だと思います

(基層文化であるキリスト教の定着が進まないのが、困りもん

ですが) 。映画の日米同時封切に違い状態になったのがこの

時代だと思います。それまでは、米国で上映してヒットした

映画を輸入して、字幕をつけて、という手順だったのが時間

差が短縮され、上映開始時期がほぼ同時になってきた時代です。

 そういう意味で言うと、「人生いろいろ、総理もいろいろ」

ではありませんが、個人のライフスタイルの追求の結果、共同

体や共同行為がうまくいかなくなり始めるのも、この時期です。

そういえば、成田離婚の走りもこの時期かもしれません。

 そういう意味で言うと、北部ヨーロッパ(ドイツ、イギリス)、

北米の基層文化を形成しているプロテスタント系の聖書理解への

抵抗がほとんどなくなったのもこの時期です。この時期に救われ

たクリスチャン2世が、高校とか大学で、自分はクリスチャンだ、

と一大決心してともだちにいっても、「それ、ちょっとかっこい

いじゃん」というくらいで大した反応がなくてご両親から聞いて

いた話と違って拍子抜けした、という話をしてくれたことがあり

ますが、そういう時代となったのがこの時代だろうと思います。

つまり、個が重視される結果となった中で、かなり自由に信仰者

であることが維持できると同時に、『彼は敬虔なクリスチャンで

酒もタバコものまず』といったような形容詞が信徒につかなくな

った時代でもあります。アメリカのタバコの危険性が裁判で

明らかになり(詳細は、『インサイダー』という映画を参照)、

嫌煙思想が流入し、新幹線で禁煙車が生まれたのも、この時代で

した。その意味で、のびのびとした信仰生活が送れるようになっ

たのだろうと思います。

 その分、共同体としての教会への帰属意識というのは、1970年代

までと比べて、非常に薄くなり始めます。教会は、自分の信仰を

守る砦ではなく、むしろ、緩やかな信者の連合体となっていか

ざるを得ない状態になり始めたのだろうと思います。一致協力一丸

として、といった教会運営のスタイルのとり方ができなくなったの

も、この時期かもしれません。

 昔は、「飴玉しゃぶらせとけば」という形で、それこそ、幼稚園児

から中学生までを集めた日曜学校(したことがあるが大変)だったもの

が学年別分級というスタイルになったり、婦人会(結婚した主婦の

方々の集まり)が子育て中の主婦層と子育て終了後の主婦層に実質

的に分離が始まった(というよりは、子育て中の主婦は、仕事との

両立ができるため、また企業から求められるため、平日の日中にある

婦人会には参加できなくなったため、高齢の主婦層が集る婦人会に

なりはじめた時期であろうと思います)時期ではないかと思います。

 この時期から、交通手段の発達もあり、東京大阪の日帰り出張当

たり前になるなか、平日の夜の集会への参加者が都市部では急減した

時期のはずです。

 その意味で、多様化と多忙化により、一致団結して一丸となった

キリスト集会での活動が次第に困難になり始めた時代だろうとおも

います。その分、個性的な若い世代の信者が形作られる今現在の基

礎を作り出していると思います。

 先週末から、本業が多忙になり、生活時間が完璧に乱れてしまった

ために、一回分抜けてしまいました。一応、第1段階のピークを抜け

たため、今後しばらくは定期的にあげられるかなぁ、とおもいます。

 1990年代と信徒との関係から見て生きたいと思います。この時期に

救われた信徒では、個人主義的な信仰への加速感が強まったと思います。

 1990年代は、バブル崩壊と土光臨調以降の規制緩和及び小泉改革

路線(その路線が適切かどうかは別として)、教育では個性の重視という

ことがいわれ始めた時代です。それまでの義務教育、中等学校教育が歪

んだ平等性(この影響は少なくないとおもいますし、個人的にはどうか

なぁと思います。戦前の臣民教育が形の上で、民主教育に変わっただけ

で表面的には、あまり変わりえなかったように思います。)を背景にした、

大量生産方式の教育から、個性重視の教育に移り始めた時代です。大学

入試でも、それまでの5教科7科目全科目受ける形の全国共通一次試験か

ら、大学入試センター試験へと変わり、教科選択型の科目になったり、

不登校児の問題が社会問題化し、その問題回避におわれるようになると

同時に、産業界では規制緩和が進み、それまでの産業政策にかかってい

枠組みが、特に、金融政策にかかっていた「たが」が緩みはじめ、金融

自由化の結果も影響していると思うのですが、1990年代末には木津信用

金庫の経営破たんに端を発し、金融恐慌一歩前までいきました。

 その結果、平成の高橋是清と評される原因となったた宮沢喜一氏が

総理大臣経験者にもかかわらず、大蔵大臣に就任するなどのことがあった

のがこの時期です。何で、この話を良く覚えているかというと、突然、

この就任劇が、7月末から8月上旬の軽井沢キャンプ第2部の時期で、そ

の時、軽井沢上空には、ヘリが舞う、長野県警のパトロールが頻繁にな

る、軽井沢のバイブルキャンプ場から歩いて5分くらいの宮沢氏の軽井沢

別邸付近に黒塗りの車が止まり、報道陣が群がる、という一種の混乱状態

が起きたからです。

 キャンプから帰る途中で、宮沢氏が大蔵大臣就任というニュースが流れ、

あぁ、なるほど、ということだったのもこの時期です。このとき、そうい

えば、軽井沢は、町からちょっと離れると、ジュース類の自販機が当時あ

まりなかったので(今でも少ない)、当時キャンプ場においてあった、ジュ

ースの自販機でパトロール中の警官がジュースを買ったら、大きな音がし

たため、その自販機のそばに泊まっておられたAK姉が窓を開けて、「いい

加減に早く寝なさい!」と子供だと思って叱り飛ばしたら、警察官の方で、

はぁ、申し訳ありません、と帰っていかれたという事件が起きたのも、こ

の時期だったと思います。

 企業は企業のほうで、この時期は、フレックス生産システムとか多品種

少量生産とかいう経営の概念がもてはやされた時期で、これまでの生産者

主導型の大量生産大量消費の時代から、消費者主導型の多品種少量生産及

び消費への転換を迎えた時期でもあります。

 つまり、何がいいたいか、というと1980年代のバブル経済で増加した

国家の資産により、「個人」や「個人の嗜好」を実現できる時代になった

のが、この時代です。金融システムは、90年代末にズタズタになりますが、

日本経済が黄金期であった時代です。

 その中で、個人が個人としてキリストに出会う中で、信仰生活を始めて

いくなかで、時代背景もあり、従来の集団としてのキリスト者信仰よりは

個人としてのキリスト者信仰が強くなっていく時代でもあります。

 また、キリスト集会自体も数が非常に増加し、キリスト集会の多様化も

急速に進んできたのもこの時期だと思います。元来、キリスト集会は、相

互独立、相互無干渉主義(なんかアメリカのモンロー主義みたいですが)です

ので、もともと多様性があるのですが、多様化が進み始めるのがこの時期

の様に思います。伝統的なスタイルを堅持するキリスト集会もあれば(そ

れは、それで一つの見識だと存じます。)伝統的なスタイルから逸脱し、

独自のスタイルを模索するキリスト集会(緩やかにつながりつつですが)が

現われるのもこの時期です。1970年代までの全国大会で一本化みたいなこ

とが信者の増加につれてできなくなってくると同時に、各地での大会の分

散開催となってくるなかで、信仰の多様化が進んだ様にも思います(それ

はそれで、健全な結果だとは思います)。

(続く)

1980年代の信仰を特徴づけるのは、経済的繁栄の中での信仰という

ことではないかと思います。この時代は、バブル経済という資産イ

ンフレのそれも超弩級のインフレが起きた時代です。その中での

経済的繁栄、そして多忙化の中で信仰者となっていった方々です。

この時期は、繁栄の中で、いわゆる霊的な空虚感が蔓延した時代です。

経済的には反映しているものの刹那的な享楽がもてはやされ、精神

的な(というよりはナウエンの意味でのスピリチュアル的な)空虚感

が漂った時代でもあります。社会現象としては、ジュリアナ東京と

いうお立ち台のあるディスコがバカ受けし(いったいなんだったん

だろう。今になって思えば)、トレンディドラマと呼ばれる恋愛ドラ

マ(不揃いの林檎たち、男女7人夏物語、金曜日の妻たちへ)という

ドラマが生まれたのがこの時代です。今のTVドラマスタイルの基礎が

作られるのが、この時代でもあります。

 この豊かさの繁栄の陰を突くように、オウム真理教が精神世界での

充足を求める若者を集めていったのもこの時代の特徴でした。

ガネシャ帽(青いゾウさんの帽子)をかぶり、街頭で、ショコ、ショコ

ショーコウと歌い踊る若者たちがその後殺人者へと変質していく前段

階を迎えた時代です。

 しかし、キリスト教会では、時代の変化にもめげず、聖書的真理に

基づく伝道活動を堅持し(1950年代または1960年代の伝道スタイル

ではありましたが)、緩やかな信者の増加にとどまったのがこの時代

だと思います。

 1960年代以降の都市部への人口集中、80年代バブルでの東京への

就業機会と人口集中の結果、都市部では、ある程度バランスのとれた

信者の年齢構成を維持することは出来ましたが、地方部では、30代

から40代の中堅層が人口層的にも薄くなってしまい、同世代の信者の

いない若年及び中堅信者をもつキリスト集会がかなりの割合を占める

ようになってきたのではないかと思います。教会が、コミュニティ

(聖餐式:コミュニオンをする組織である以上共同体)である以上、

これは、若年層・壮年層に非常に大きな痛手を与えます。同世代の信

者がいないということは、実は非常に不幸なことなのかもしれません。

 1960年代、1970年代は、団塊世代の競争意識の問題はあるにせよ、

少なくとも人口数が大きい以上、同世代の信仰者がいてコミュニティ

が成立するのですが、1980年代になると、若年人口が減ることもあり、

単一の教会で同世代の信者のコミュニティが成立が地方部では特に

困難になります。もちろん、キリスト教会である以上、コミュニオンで

結ばれたキリストの体としてのコミュニティなわけですが、日本の儒

教文化的な影響、年功序列的な雰囲気とがあいまって、親子関係の

世代間の相互理解は難しく、そこに中間的な存在の方がおられれば、

うまくいくものの、なかなかそれができなかったのが、この時代の

特徴だろうと思います。

 そして、この時期には、都市への集中(特に東京一極集中)がやや止

まりはじめます。それと並行して、集会の人数の面での増加も止まり

始めた様に思います。日本の人口が安定期から逓減期に向かうわけで

すから当然といえます。

 この課題は、1980年代以降、少子高齢化に日本社会が向かい始めた

以上直面する共通の問題であり、それをどう対応していくのか、

ということが重要ではないかなぁ、と思ったりします。

 もう一つの側面は、英国系宣教師の帰国です。中国インランド

ミッションの崩壊が1950年ごろですから、1950年代に30歳前後だった

中国インランドミッションの崩壊に伴い、日本へと転進した英国系宣

教師の方々は1980年代には60歳代ないし70歳代に届こうかという時期

を迎えます。つまり、引退の時期を迎えられて、帰国ラッシュのよう

な状態を呈します。この背景には、1990年代の国際金融自由化の背景

となったプラザ合意以降の急速なポンド安でなんせ、200円を割った

(固定相場時代は、1000円以上であり、実質購買力でいえば、3000円

換算くらいあったはず)訳です。となると、ポンド建てで固定金額

での支給を受けている宣教師の方々の実質的な収入は激減します。

日本での宣教師としてだけの生活を維持するのは、もはや困難なの

は、明らかです。

 高齢に加えて、実質的な収入の減少。これはいたいと思います。

帰国すれば、大英帝国100年の栄華の時代に蓄積した国家資本の蓄積

で福祉国家が待っているわけです。老後はある程度国家が見てくれる

態勢が整っている大英帝国という福祉国家と、老後の世話を自分で続

けなければいけない日本ではどちらがいいかというと、それは当然の

帰結へとつながります。

 日本人教役者が中心的になり始めるのも、この時期だと思われます。

それに伴い、かなりの数の専心伝道者の方が生まれたように記憶して

います。

 1980年代と1990年代は、いまだ私の中で十分整理しきれていない、

まだ、ライブ感が強すぎて分離不能となっているので、消化不良だと

思います。ご意見や情報提供いただけると嬉しいです。

とはいえ、次回は、1990年代と信仰者という切り口で

お話を進めて生きたいと思います。

これまで、2回で1970年代という混乱した時代とその時代の伝道という

ことをお話してきました。1950年代までが、思想の混乱からの脱出の

援助としての信仰、1960年代までは、孤独からの脱出の援助としての

信仰、とすれば、1970年代は、政治的経済的な不安からの脱出の援助

としての信仰というとらえ方もできると思います。(なお、これは、

私の考えですので、異論があるのは当然ですし、コメントいただけれ

ば、特に当事者の方からコメントいただければ、うれしい限りです。

1960年代以前は、子どもだったり、生まれていないため経験がないも

ので。)

 政治経済的には非常に不安定で、不安の付きまとった時代でした。

五島さんという方がノストラダムスの大予言という本を出して、

バカ売れした時代です。その社会的に不安な時代であったがために、

多くの人が預言に関心を持ちました。

 聖書には、預言があるわけです。代表的なものとして、福音書の一部、

ヨハネの黙示録、エゼキエル書、ダニエル書などがありますが、この

時代の学び会や福音集会でのメッセージといえば、この辺のオンパレ

ードでした。混乱した時代背景とエゼキエル所、ダニエル書、黙示録

の記述などとの対応を考え、だから、キリストの再臨が近い、という

ようなメッセージが幅を利かせました。(その反動で、私は、その部分

の学びはさけていますし、絶対にそれを取り上げて福音を語ることは

しないことにしています。)これも、ある伝道者の方に直接聞いたお話

ですが、1970年代後半に学びのオファーがあると、オファーをされた

キリスト教会(キリスト集会)からは、「預言をしてくれ、エゼキエル

書かダニエル書をしてくれ」と指定があったそうです。そして、それ

はどうでしょうか、とお話しになったところ、「預言を学ばない伝道

者というのは…。」というご意見をたまわったことがあったそうです。

そういう熱狂があった時代です。

そういえば、関東の武蔵野にあるK集会の信者さんが、『空中携挙』と

いうレフトビハインドもどきの本を出しておられましたねぇ。実家には、

いまだにあるかもしれない。まだ、この時期は、武蔵野にあるK集会と、

日本の多くの集会が緩やかに交流があった時代なので、そんな関係で、

もらったような気がします。結構分厚かったような記憶があります。

 つまり、聖書には、これからのことが分かる、キリストを信じれば

これから何があっても、永遠のいのちは自分のもの(ここまではいい)

信者になれば、将来のことが聖書から分かる(これは完全な誤解)という

ことから、結構キリスト集会に人が集まった時代がありました。

恐怖感や時代の閉塞感からの脱出(キリスト集会用語でいう『救い』)

を求めて、多くの人が救われたように思います。

 ただ、この時期に救われた青年の悩みは、前回も書いたように、

『清楚でちょっとセレブ(昔風にはハイソ)であるが故に保守主義的な

傾向を持つ人々が多い集会』とその当時のやや廃頽的なヒッピー文化

やフォーク文化(これは廃頽的というといいすぎかも)とのバランス

を取ることが難しく、そのバランスを取ることがしにくかったのだと

思います。

 日本のキリスト教徒について、ある著名なキリスト者でもある経済

学者が、「日本のキリスト教は、階段がない2階建て住宅のようなもの

である(その心は、精神世界と現実社会に二分されており、それを本来

つなぐ役割をすべきものが個人の中にない)」と言っていたそうですが、

こういう本音と建前の分離構造を当時若者としてキリスト集会(教会)に

関与された方は我慢する、あきらめる、そのまま受け入れてしまうのに

はナイーブ過ぎて、苦労されたと思います。1960年代までの社会であれ

ば、本音と建前の分離は当たり前でしたが、1970年代でその分離する

隔壁が壊れて融合が始まっている個人にとっては、信仰と霊的救済

(キリスト集会用語でいう「救い」)は確実であっても、この種の分離

に矛盾をその前の世代より強く感じたと思います。とはいえ、その前の

世代は、戦前に比べ弱体化しているとはいえ、本音と建前の隔壁がかな

り強固ですから、1970年代時代の若者の悩みが理解しにくく、若者への

対応がしにくかっただろうと思います。若者も若者のほうで、キリスト

集会文化にどう対応してよいのか、当惑していたと思います。

 とはいえ、この時期は、クリスチャンの第2世代(場合によっては第3

世代)が登場し始めていますから、この2世や3世の人々がいるところで

は、このあたりのバランスがある程度保たれた可能性があります。

 しかし、70年代で青年期にブラザレンで信仰を持たれた方には、この

預言理解が中心であったことによるトラウマがある場合があります。預

言理解は福音を多くの一つ伝える意味では重大な役割を果たしました。

大阪のUさんは、その点でキーマンでした。そのあとを受けた和歌山の

Yさんは、似たような本を出しています。(実は手元にあったりするん

だなぁ。これが。)

 この時期のメッセージは、旧約聖書の預言が成就する、イスラエルが

再建し、エルサレムにイエスが下りてくる、そしてハルマゲドンで戦い

がおこる(順番は重要ではない、と個人的には思いますが、それを重視

してキリスト集会内で議論が起きたことがあります)。そのキーはイス

ラエルだ、ということをご主張になられた方々もおられます。

もちろん、明らかなクリスチャン・シオニスト運動ではありませんが、

クリスチャン・シオニスト運動的な視線を持った人々がおられたことも

確かです。

 もともと、キリスト集会自体、その出発点からクリスチャン・シオ

ニスト的な視線を持っています。英語文献では、その種のことを指摘し

ている雰囲気から言ってかなりきちんとした学術研究書が出ています

(まだ全部読んでないけれども)。だいたい、ジョージ・ミューラー自

身、最初はクリスチャン・シオニスト的な雰囲気を持った思想の影響下

にあるのですから。旧約を読む以上、大なり小なり、クリスチャン・シ

オニスト的な視点は避けられないと思うのですが。陰謀史観まで行くと

明らかに、私はお付き合いしかねますが。

 元に戻すと、この時期の信者さんの特徴は、社会とのかかわりとの

なかでの霊的救済と考えるのがよいと個人的には思うのですが。それ

とこの世代は団塊世代の後半期にあたり、とにかく同世代間での競争が

激しい時代でした。同世代人ではないので、わからないのですが、

それが集会運営に影響した、ということもないわけではなさそうです。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事