ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの信徒と世代論

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ | 次のページ ]

 1970年代と伝道の続きです。

 いまだに、教会でギターやゴスペルフォークなどに抵抗感を示すやや

高齢の信者さん(今の60歳代以上の信者さん)が多いのには、わけがあります。

今の60歳代以上の信者さんの教会のイメージは、ペギー葉山のずばり、

「学生時代」

歌詞を筆者の註付きで紹介しておきます。

------------------------------------------

1.つたの絡まるチャペルで祈りささげた日

  夢おおかりしあのころのおもい出をたどれば、
  (筆者注:あ、この人も教会卒業生ですね。学生時代は
   教会に行くけど、卒業したら、とんと御縁がなくなるという
   どうもこのタイプの人が日本には多いらしい。)

   
(中略)

2.讃美歌を歌いながら清い死を夢見た
  (筆者注:死ぬなー。生きてくれー。絶望してはいけない。
   しかし、歌詞を書いた人は、讃美歌の意味を分かっている
   のだろうか)


  なんの よそおいもせず、くちかずもすくなく

(中略)

3.ロウソクの灯に輝く 十字架を見つめて
  (筆者注:ブラザレンのキリスト教会でないことは確か。
    だって、この時期十字架を掲げるブラザレンの教会は
    なかったはず)


  白い指を組みながら うつむいていた友

------------------------------------------

一部を紹介しただけで、今の日本人の感性とはずいぶん違うこと

をご理解いただけるかと思いますが、これが、60代以上の人たちの

キリスト教のイメージに鮮烈な印象を与えていることは確かだと

思います。

 全文を引用すると、じんましんが出そうなので、歌詞全文を知り

たい方は、『ペギー葉山 学生時代 歌詞』で検索してください。

 つまり、多くの当時の日本の人々がキリスト教会に抱くイメージ

は、清い死を夢見る白い指でいられる様なお嬢様がおられるちょっ

とハイソ(現代語にするとセレブ)でメルヘンチックな人々がいると

ころ、なんですねぇ。ちゃぶ台で、猫マンマ食べているガテン系庶

民のイメージでは少なくともありません。ちゃぶ台をひっくり返す

星一徹とは相容れない存在です。

 話を元に戻すと、ギター → フォークソング → ベトナム

反戦運動 → 学生運動 → 反体制派 → 革命分子という

印象のつながりがあるので、ギターを使った賛美などは60年代

から70年代のころ以前に信仰を持たれた方には、到底認めがた

い価値観だったのでは、と思われます。もちろん今では世間様

では当たり前になった長髪(幸せの黄色いハンカチに出ていた

武田鉄也風の長髪 や 髪の毛の脱色、今風の髪型)には、今

でも抵抗感のあるご高齢の信者さんは多いかも。

ジーンズにしても、長髪にしても、

 長髪(ジーンズ) → フォークソング → ベトナム反戦運動 →
 
学生運動 → 反体制派 → 革命分子 → 共産主義

とつながるネガティブな印象のつながりがあるので、駄目だった

わけです。

ユニクロファッションは、1970年代のキリスト集会ではNGでした。

そういえば、1970年代にある大学の欧米人の学長が、女子学生の

ジーンズに苦情を言って物議をかもしたことがあったっけ。

そんな時代です。

上で示したペギー葉山の「学生時代」で示されたキリスト教会のイ

メージの影響を多少なりとも60年代後半から70年代前半に信者

になった教会員や集会のメンバーの方は受けていると思います。

 いずれにせよ、ギター、長髪、ジーンズといった当時の学生に

とって当たり前だったスタイルは、「清く正しく、ちょっとハイソ

でトラディショナル」を価値観とする、キリスト教会の60年代以前

または、それより前に信仰者となった方々の世代の方々に不評なのは、

ある面当たり前であることはお分かりいただけようかと思います。

 しかし、この時代であっても、ブラザレンは非常に成長していき

ます。というのは、この時代のキリスト教会(キリスト集会)として

の成長は預言理解やクリスチャン・シオニズムと若干関連のある

聖書の理解と一部結びついているからです。個人的には、このクリ

スチャン・シオニズム的なものには、トラウマがあるので、かなり

批判的です。先に謝っておきます。不快だったら、ごめんなさい。

あの時代、ユダヤとイスラエルに異常な関心があったので、まったく

当たっていないわけではない、と思います。

(なかなか本題に入れない。次回に続く)

 ここでは、1970年代ごろ、青年で救われた人たちについてのべて

行きたいと思います。2回くらいに記事が分かれるかもしれません。

 1970年代といえば、ニクソンショックとオイルショック。

ニクソンショックは、ベトナム戦争で国家財政が急速に悪化した

米国政府が、米国ドルと金の兌換制度(1ドルを持っていくと、な

にがしか重量の純金に代えてくれる制度。昔、通貨が金貨だった

時代の名残。通貨に含まれる金の含有量が高いほど、その国の財

政が健全であったとされる。今では、どの国も、兌換制度をして

いません。詳しくは、金融論の本を読んでください。)できない

から、ごめんね、といって、世界経済を混乱に陥れてしまった。

これにより円も当時の1ドル360円の時代から、変動相場制の世界

に突入してしまうわけです。今では、1ドルが100円以下も珍しく

ないですよね。

 当然、輸出してもうけていた日本だって、実入りのドルの金額

は同じでも、国内換算比率が下がるので、円建て収入は大激減で、

経済的に大ピンチを迎えます。それで、経済危機です。

 イスラエルの一応の建国が1948年ですから、それ以降、イスラ

エルとパレスチナのいざこざが、ムスリム国である全アラブ対イ

スラエルという構図に変わり、1960年代の中東戦争へとつながり、

70年代は、産業構造が、1960年代までの石炭から石油にエネルギ

ー源を依存する形に変わり、輸送の主役も、鉄道から自動車、ト

ラックへと変化していきます。昔の鉄道は、石炭焚いて走る蒸気

機関車(いわゆるSLというやつね)だったのが、重油焚いて走る

ディーゼル車や電気を使って走る電車に代わっていったのでした。

うーん、さすがに蒸気機関車が現役で走っていたのに(記念列車な

どのイベント以外で)乗客として乗ったことはない。貨物列車を

けん引しているの蒸気機関車は、幼稚園児の頃は、ときどき見た。

珍しかったので、はしゃいで母親から怒られたことを覚えている。

 で、石油がエネルギー源となるとどうなるか。産油国が、先進

国の息の根を止めることができるわけです。特に良質の原油を生

産する国は、ムスリムが幅を利かせている国が多いですから。

ムスリムの同胞(パレスティナ)をいじめる悪いイスラエルに仲間

な国には、石油売ってやんない。という一種の経済制裁が始まっ

たわけです。とはいえ、石油を掘ったのは、イギリスやアメリカ

の資本(昔は石油メジャーと呼んだ)ですが、その掘った井戸が、

その国にあるというので、軒並み国有化されるわけです。背景に

は、民族国家やネーションステートとしての欧州諸国からの植民

地からの独立という思想的背景があり、時代の大義としては、こ

の国有化を含めて認めざるを得なかったのだろうと思います。

 さらに、ベトナム戦争の敗戦色が濃くなるは、世界のリーダー

かな、と思われていたアメリカ大統領がウォーターゲート事件

(ウォーターゲートホテルにあった民主党の本部)で盗聴事件

をやらかして、覗き魔(ピーピング・トム 英語圏では、もっとも

してはいけない下劣な行為)のように言われた揚句に、やーめた、

って言ってあっさり政権投げだしちゃうわ、ということがあり、

政治的にも、経済的にも混乱した時代だったわけです。

 で、1960年代に一世を風靡した大学紛争も、対決すべき権威と

いうのか、国家制度というのかが実に頼りないということが

この辺の混乱によりわかってきたこともあるのと、あさま山荘

事件のような大学紛争における正義とは何か、ということに疑

念を持たせるようなことが起きてしまったがために、自然と沙汰

やみとなったらしいです。そういえば、この大学紛争で、東大の

入試がなかったということがあったそうです。大学時代の先生が

それを経験した、としてお話ししてくれたことがあります。

 また、ベトナム反戦運動とつながったヒッピー文化とそれを

表現するメディアとしてのフォークソング(Peter Paul and Mary

これを知らなくても、Puffとかいう歌は知っている人がいるでし

ょう。5年くらい前、日本語の歌詞にしたものを「お母さんと一緒」

で、うたのお兄さんが歌っていたので、NHKの教育テレビで、子

供にそんなヒッピーの反戦歌聞かせて大丈夫かと思わず突っ込ん

でしまった)、その手段としてのギターというものが若者文化を

形成した時代でもありました。(この10年前は歌声喫茶)

 で、時代背景の説明が長く続きましたが、いずれにせよ、

非常に混乱した時代だったわけです。その中で、平和を説き、心の

平安を説く、そして、混乱を読み解く時代の鍵概念として聖書があ

ると伝道していき、そして救われる人が多かったのが、この時代だ

と思います。(次回に続く)

 後、もう一つ思ったのは、1960年代に学者生活を始めた方か

らお聞きした言葉に、『今の学生が、本を読まないって君たち

は言うけれども、僕たちの時代はすることがないから、しょう

がない、学校の図書館で無料の本を借りて読んだんだ。ところ

が、今の学生ときたら、することはいくらでもある、インター

ネット、携帯、iPod、テレビ、テニス、スキー、ダイビング、

映画…。昔、みんな金持ちしかできないことばっかりだった。

することが、ありあまる時代の中で、彼らが本を読むなんて、

そりゃ、考えられないよ。嘆くだけ無駄、』とお話くださった

大先生の話をお聞きしたときも、なるほど、と感心すると同時

に、そういう時代背景であれば、確かに人を集めて話を聞かせ

る伝統的なキリスト集会型の伝道というのは、有効だろうなぁ、

と思いました。それも、『外人』としてくくられるよその国か

ら来たと一目で分かる外国人宣教師が日本語で分かるように話

してくれるのですから。効果抜群だったのだろうなぁ、と思い

ます。

今日は、1960年代に救われた方々を対象にしたいと思います。

この時期は、団塊の世代が、大学に行った時代で、学園紛争が

華やかなりしころでした。戦後民主主義の忘れ形見みたいな

ものだとは思います。経験したことがありませんが、大学は

封鎖されるは、教授陣相手に学生が団体交渉(団交というそ

うです)するはで、大学の基本的な理念やそれまでの価値観

を大きく変容させたのがこの時期です。一方で、東京オリン

ピックが開かれ、万国博覧会が大阪で開かれることがきまり、

東海道新幹線が開通し、名神の一部区間の供用が始まり、

といったバラ色に見えた未来があった半面、学生闘争に明け

暮れる○革派や革■派が乱闘をキャンパスで繰り広げていた

時代で、あさま山荘事件の前哨戦があちこちでひらかれてい

た時代でした。成田闘争やベ平連というのもありましたねぇ。

アメリカが、ベトナムで戦争していた時代です。しかし、

アメリカの主戦場が、朝鮮半島、ベトナムへと移っていった

ことから、国内の基地がほとんどなくなっていた時代でもあ

ります。

 また、地方からは、高度経済成長で活況を示す東京、大阪、

名古屋といった大都市に人がどんどん集まった時代でした。

地方に大量にいた若者(今では夢のような話ですが)を掃除機で

吸い取るように、都市部が集めた時代でもあり、現在の日本の

人口構造の基本計が成立し始めた時代でもあります。

 そういう雰囲気でしたから、この中でキリスト集会に参加す

ることになった方々は、ラジオ伝道とか、個人伝道、路傍伝道

などで聖書のお話を聞き、キリスト集会に参加した方だろうと

おもいます。

 基本的には、この時代は、まだ、社会全体、とりわけ若者全

体の中に反動的な雰囲気や、権威に対する挑戦的な態度がみら

れたわけではありませんから、権威に対する挑発的な見解を持

たない人々は、それほど違和感なくキリスト集会の人々とお話

しできたと思います。

 昔からそうですが、人間的な成熟が不足する分だけ、若者は

悩みやすく、そのための方針を示してくれる聖書のことばは、

多くの人々に悩みからの解放を伝えたと、と思います。

 それと、強力掃除機のように若者を都市はひきつけていっ

たとはいえ、その若者に人生の指針を示すものがそう沢山あ

るわけでなく、地方で構築された人間関係と断絶する形で

都市部に出てきた若者(当時は、労働集約的な産業が多かっ

た時代でもあり、企業にとっての有望な労働力であり、会社

に収入をもたらすため、金の卵と呼ばれた)は、孤独であり、

悩んでいましたし、遊ぶためのお金もそう沢山あるわけでは

なく、旅行に行ったりするためのお金もそうあるわけでもな

い、ディズニーランドが浦安にあるわけではなく、富士急ハイ

ランドすらできて間もない時期でした。豊島園は古いので、

昔からあったようです。

 当時は、歌声喫茶という今のカラオケの走りみたいな喫茶

店もあったようです。いまだに、喫茶店でカラオケしている

ところがあるのは、その名残かもしれません。スタバ・タリ

ーズ世代の方にはわからないでしょうが。(ちなみに、歌声

喫茶にも、カラオケ喫茶にも言ったことはありません。)

 いずれにせよ、退屈で、暇をもてあまし、悩んでいる若者、

それに聖書の中心メッセージが伝わると、どうなるか。かな

りの人が教会に集まったようです。当時の会社員は、高卒が

当たり前なので(今ほど大学が大衆化していなかったので)、

教会というとちょっとインテリ風の気分も味わえたし、

外国人宣教師がいれば、それはもう、見たことのない外国に

直接触れる機会だったわけです。

 この時期の時代を知る伝道者の方の印象的な一言。「あの

ころは面白いように集会に人が集まった。」うーん、そんな

時代があったんですね。

 今みたいに、テレビがあるわけでもない、インターネットも

ない、WiiもXboxもない、旅行に行く金もあまりない、スポーツ

といってもせいぜい卓球程度(だから、温泉旅館には、卓球セッ

トが設置してあるのでは?テニスはラケットとボールが高級品、

だから、今上天皇明仁(陛下)と美智子皇后(陛下)が軽井沢の

ユニオンチャーチの前の軽井沢会のテニスコートでテニスをな

さっておられたのは、テニスがお金持ちのスポーツの一つだっ

たからです。

 テニスやスキーなんてのは、金持ちのスポーツ)だったわけで

すから、考えてみれば、お金がなくって暇だけがある当時の若者

の皆さんにキリスト集会って、結構いい環境を提供していたとい

えようかと思います。考えてみれば、無料で西洋の香りのする聖

書のお話を(レベルはどうであれ)してくれて、知らなかった西洋

文明の基礎となったといわれる聖書について教えてくれて、さび

しければ話を聞いてもらえて、おまけにお茶やお菓子、時には食事

の接待までしてくれる。ところによっては、英会話が学べる。

独身者にはたまらないですね。集まらないほうが不思議。だから

こそ先ほど紹介した、ある伝道者から聞いた一言、「あのころは

面白いように集会に人が集まった。何やっても人が集まった。」

ということになったのではないかと思います。

 この時期、芸能人で最初のキリスト教式の結婚式がいとなまれ

た時期で、それがニュースになった時期のはずです。それまでは、

大正・昭和期に成立した神道式が主流です。その意味で、一つ

社会が変革しつつある時期だといえるでしょう。

 また、この時期、各地のキリスト集会は急拡大していきます。

この辺は「雲のごとく」にある程度書かれているので、引用は

しません。伝道出版社からお買い求めください。(あ、伝道出版

社のアファリエイトではありません。)

 この時代に青年期に救われた方方には、結構真面目な方が多

いので(あくまで印象論。証拠は示せません。ときどき親父

ギャグ連発の方もおられますが)、日本の経済的成長と日本の

キリスト集会(キリスト教会)を支えてこられた方々が多いも

特徴だと思います。自負されておられるとは思いますが、口

には絶対に出さないタイプの方が多いような印象です。

 ところで、それで、今書きながら思ったんですが、キリス

ト教会の伝道方法というのか、アウトリーチの方法って、こ

の時代そのままのところが多いような気がする。40年前の方

法ですよね。

「昔の名前で出ています(わからない人は、おじいさんかおば

あさんに聞こう)」どころではないくらい古い。うちの息子に

言わせれば、方法論として「昭和だねぇ。」ということなんで

しょう。それを続けるのも見識、変えるのも一見識。そんな気

がします。

前回の投稿で、戦前にブラザレン運動に関与していった信者を

ひとまとめにして議論しましたが、微妙な違いが1920年代まで

と15年戦争が始まった1930年以降では、あるはずですが、そこ

はサンプルが少ないのと、直接のお知り合いがいないので、

かなり大まかなくくりでしか議論していません。申し訳ありま

せんが。引き続き情報収集を行っています。皆さまからの情報

提供お待ちいたしております。

 さて、今回は、1945年以降1950年代までにブラザレン運動に

関与していった人々のお話をしていきたいと思います。

 この時期は、日本がアメリカに占領されていた時代の戦後の

精神的、物質的混乱を想定しておく必要があることと、GHQの

占領政策の一環として、海外からの宣教師への優遇についても

理解しておく必要があります。

 まず、戦争中、国家総動員体制の下、どの程度の影響があっ

たか定かではありませんが、天皇を中心とした国家観、組織観

が日本社会にある程度影響しました。特に国民学校と呼ばれた

初等教育機関での軍国教育は、かなりのものであったことが、

歴史的にも検証されています。それが、敗戦、GHQによる占領

で一気に否定されていくわけですから、否定された日本人の精

神的動揺は、想像を絶するものがあります。

 そこで魂の平安、神との平和、人生の価値を熱心に説明した

海外からの宣教師、伝道者が果たした影響は、非常に強いもの

があります。そして、多くの人が、聖書に触れ、キリストに触

れ、信仰を持っていくことになったものと思われます(ライブ

でこの時代を知らないので何ともいい難いですが)。つまり、

皇国史観や軍国思想に代わる思想的体系の提示がおこり、そ

れが人々をひきつけていきます。非常に多くの人々が教会に

集まったようです。それも、パッと見で外国人と分かる

宣教師たちが、ここに新しい価値観があり、生き方がある

と提示したものが、イエスの福音だったわけです。

 ただ、それまでのキリスト教会(キリスト集会では、教派と

か教団といった否定的な意味を含んだ語が用いられる)は、

インテリ集団のための教会という側面が強く、一種リバイバル

の様相を見せつつも、教会に定着した人は結構少なかったよう

です。しかし、それでも一定程度の方々は教会に定着して

行きましたので、教会自体がかなり大きくなりました。この

あたりは、「日本の信徒の神学」隅谷三喜男 日本キリスト

教団出版局(2004)に詳しいです。このあたりのこともあり、

2009年現在、教会の高齢化が議論に上っていますが、高齢化

している信徒層のかなりの部分は、この時期の信者だと思い

ます(今でいえば、70代から80代の信者さんでしょうか)。

 大正デモクラシーは不況を原因とした社会混乱の中から

生まれた運動で、この時期と大正リバイバルが対応してい

ること、戦後の民主主義への期待は、敗戦を原因とした

社会混乱から生まれた運動で、終戦直後のリバイバルが対

応していることを考えると、社会的混乱や社会的な精神の

安定性を欠いた時代には、一種リバイバル的な信仰への

希求がおこるようです。

 このような一般的な社会的背景の中、ブラザレン運動に

関与していく多くの信者が戦後急速に増加していきます。

何人かの代表的な人物がありますが、個人的に確認が

取れている範囲では、前橋のKさんなどが直接本人の証や

福音メッセージを聞くなかで、この時代から関与していか

れたことを、お聞きしています。すでに、神の許におられ

るはずの方では、日本橋のSさんがこの時代の方です。こ

れは、「雲のごとく」にご本人が書いておられます。

中国インランドミッションの道が閉ざされたことによる

英国系宣教師(中国インランドミッションは、ジョージ・

ミューラーの思想に大きく影響を受けた、ハドソン・テ

イラーに始まる伝道ミッションで、現在のOMFやTEAM

(いのちのことば社の母体)の出発点となっている)が新

たな宣教先として、近隣の日本を選択(韓国は朝鮮動乱

で混乱していたこと、台湾は、中国の本土への併合の可

能性があったこと)したことから、非常に多くのブラザ

レン運動に関係する宣教師が日本での伝道活動に従事し

ます。それを支援しながら、伝道していったのが、この

時代の信者さんの特徴です。

 その意味で、非常に伝道熱心でしたし、教会(キリス

ト集会)自体の運営の方法論がまだ十分定まらない

環境の中、現在のキリスト集会の基本的な行動様式を

生み出していった時代です。

 戦後の物資不足と社会精神的な不安定性の中での活

動ですから、路傍伝道や天幕伝道でも、ある程度人が

集まったということをお聞きしています。また、この

時期に信仰を持ったとしても、聖書があれば十分でし

たし、ほかに読むべき信仰書も出版点数は少なく、

また、かなりの部分の信仰書や聖書の註解書類も、

ドイツで戦前から進められ、英語圏で発達してきた

自由主義神学の影響を大なり小なり受けたものがか

なりであったはずですから、神学への否定的な意識は

この時期に形成されたとみてよいと思います。また、

理知的な自由主義神学及びバルト風の新正統主義神学

の影響(新正統主義神学の理知的側面)を嫌った宣教

師たちの暗黙的、また明示的なこれらの神学的潮流

に対する否定的な言及もあったのだろうと思います

(ここは推測の域を出ません。これを確定する証言が

得られていませんし、これからも得られないと思い

ます)。

 なお、ある方のブログに面白いジョークが紹介され

ていました。

http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/vs-6686.html

-------------------------------------------

話は変わりますが、かつてこんなジョークがありました。


「神学は、ドイツで興り、イギリスで変容し、
 ついにアメリカで堕落する。」


バルトがビリー・グラハムの伝道方法に嫌悪の念を持った

理由がわかります。

ところで、このジョークには落ちがあります。

「そして堕落したものが、日本に来る(!!)」

------------------------------------------------

その意味で、必死で宣教師の方たちは、堕落した神学

から、日本の信徒を守ろうとした結果、日本のブラザ

レン運動に関する多くのキリスト教会(キリスト集会)

では、神学嫌いの雰囲気が生まれていったのかもしれ

ません。

 とはいえ、この時期の信者さんたちは、ほとんど

何もない中、ひたすら聖書を読まれ、聖書と提灯だけ

を手に路傍伝道にいそしまれ、現在のキリスト集会

(キリスト教会)のグループの基礎を作られたかと思う

と、頭を下げずにはおられません。ただし、それゆえ

に、神学不要論が生まれた部分もあると思います。

各地で、家庭集会を基礎としながら、聖餐式、伝道

が行われていきます。もっとも、熱心に路傍伝道や

天幕伝道が行われたのは、この時期だったように思い

ます(これも推測です。なにせ、後付けしようにも、

手元にある資料が少なすぎるので。情報をお持ちの

方からのコメント欄への情報提供をお願いいたしま

す)。

 昭和20年代の信仰者は、混乱の中からの霊的な

安全確保という救いという側面が多少なりとも

あると思われます。

 余談ですが、ハドソン・テーラーは、中国への出発

前にブリストルのジョージ・ミューラーらの集会に参

加した記録が残っています。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事