ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの集会(教会)の建物

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]

 とはいえ、人数が大きくなり、献金も増え、家庭集会をしている

わけですから、その家庭には、負担がかかりますが、建物に関する

経費がかからないため、献金の内部留保が溜まります。すると、

やはり、独自の建物や施設の取得に関する方向で動き始めます。

 キリスト集会にとっての施設に関するオプションは3つ位あ

って、

(1)時間貸しで施設を借りる方法

(2)賃貸契約として施設や家屋を借りる方法

(3)不動産と建物を入手する方法

があります。家庭集会で始まっているのですから、とりあえず人数は

十数名弱ですから、普通の民家の改造でも十分事が足ります。なので、

普通の民家が利用されるケースがかなりあります。

(1)時間貸しで施設を借りる方法では、民間または公的な施設が

聖書研究会などの名目で借り上げられます。信仰者の目から見れば、

聖書研究会であり、宗教行為ではないとはいえ、外部者の目から見れ

ば、明白な宗教行為に受け取られる場合がありますから、礼拝行為が

ある以上、公的施設の管理者としては貸し出しを渋ることになります。

(2)賃貸契約として施設や家屋を借りる方法
 賃貸契約を個人が結び、家屋を借りて、その一部を利用しつつ

キリスト集会として運営する方法があります。住宅を借りている

場合は、家主の了解があれば大丈夫なので、この方法を利用する

と、比較的費用を安く済ませることができます。
 
 あるいは、オフィスビルなどの店舗用の施設を賃貸し、それを利

用して集会施設とすることもあります。この場合、企業と同じよう

な賃料を支払うので、かなりの高額の負担をしている集会が多いよ

うです。

 地方部では、信者さんの持つ不動産を非常に廉価で賃貸する形で

会堂として利用しておられる場合もあるようです。

(3)不動産と建物を入手する方法
 
 不動産と建物を個人名義が入手し、それを集会として利用する

方法です。この方法で古くから集会が運営されています。基本的に

家庭集会の延長ですから、共通の教会施設であっても個人名義に

することには大きな抵抗はありません。ただ、個人名義にした場

合、名義人の死亡に伴って、相続が発生するので、それが非常に

面倒な問題を生みます。

 

 日本の多くの集会は、家庭集会で始まり、当初は、10人程度の規模の

一般家庭の居間で開催していたため、教会と呼べないような教会(キリス

ト集会)が多くありましたが、参加者が増えてくれば、何らかの集会施設

(会堂とか集会所と呼ばれる)が必要になります。正確に調べたことは

ありませんが、集会施設は、おそらく1950年代後半以降まず、レンタル

などの形で始まるか、敗戦国であったため、ポンドやドルに対して、

非常に安かったこともあり、海外からの援助(献金)で建設された教会

(キリスト集会)が出現し始めます。関西にあるK集会(Nバイブル・ハ

ウス)も海外献金による資金援助を受けながら建設されたようです。

関西にある神戸集会(神戸キリスト伝道所)はカナダのヘイさんを通

じてのカナダからの支援(データソースは、石浜義則著 私の歩んだ道 

イエスキリスト)ですし、関西にあるA集会も最近まで、カナダのヘイ

さんの名義になっていたと聞きました。そういう意味で、戦後建てら

れた多くの教会の建築にあたっては、海外のブラザレンの関係する教会

(キリスト集会、福音館、聖書館など)からの資金援助を受ける形

での建設がみられます。

 北海道にある小樽キリスト福音館のサイトでは、ニュージーランド

からの献金に援助される形で建築が進められたことが記されています。

その面で、1970年代までの多くのキリスト集会が海外からの支援によ

って成立していたわけです。

 ここで、疑問に思われる方がおられるかもしれませんが、信徒の人

数が増えて来たら、どうしていたのか。多くの人数が集まれば、一杯

になって入れないではないか、という疑問があるかもしれません。こ

の問いへの答えは単純です。株分け、と称する家庭集会を別に開催し、

そこを起点に伝道し、キリスト集会が構成できる人数まで伝道する形

をとることが多いようです。つまり、15人を超えてきて、家庭で集ま

ることが難しくなれば、家庭集会を別に開いて、アメーバーが分裂す

るように分裂していくのです。一種のゲリラ的伝道方法といえるでし

ょう。これには、教職者がいらないというブラザレン運動に見られる

独特の教会運営のスタイルが非常に大きく貢献します。

 教職者がいなくても、聖餐式が開けるわけですし、聖餐式をするの

に神学教育を受けた牧師の必要がなければ、簡単に聖餐式が開けてし

まいます。そこで、福音や学びを語る役割をする男性信徒が不足して

いれば、そのグループの母体となった教会(キリスト集会)から男性

信徒が交代などで派遣されて、支援することになります。Neil

Dicksonの著書にも、そのような発展史が書かれています。

 この家庭集会を中心として、母体となったキリスト集会から、無償

で人的派遣をする形での支援形態を墨守しているのが、東京都西部の

郊外部にある某キリスト集会のようです。

 以下の文章は、私の所属するキリスト集会の見解ではなく、私の調査

結果に基づく個人的見解です。このシリーズの記事について、修正すべ

き点や、追加したほうがよいと思われた場合は、コメント欄等で、お知

らせいただけると嬉しいです。


 日本で、キリスト集会(プリマスブラザレン系のキリスト教会)の信者

が伝道を始めてから、100年あまり経ちますから、ある程度の歴史を持っ

ています。エクスクルーシブ・ブラザレンまたはコンネクシアル・ブラ

ザレンと思われる同心会さんでは、ある程度の歴史の整理が進み、文書

化がなされていますが、それ以外のところでは歴史の整備が進んでおら

ず、伝道出版社刊行の『雲のごとく』という出版物、『アイルランドの

赤いユリ』などの個人の伝記、石浜義則著『私の歩んだ道 主イエス・

キリスト』などに断片的に載せられた記述をもとに、また個人への

インタビューを基に再現していくしかないというのが実情のようです。

 戦前から、様々なスピンアウトがあり、また、英国のブラザレンから

の影響を間接的、直接的に受けて始まった独自のグループ、日本に来て

別の団体の宣教師がブラザレン運動に触れて、そちらに関与するように

なったグループなどもありますので、一概にまとめて歴史を語るのは難

しいところもあるのですが、ある程度、考えがまとまりつつあるので、

書いてみたいと思います。

 日本のキリスト集会でも、割と初期から、会堂を保有した集会があり

ます。しかし、キリスト集会の大半は、個人宅での家庭集会(家庭礼拝)

が主だったようです。石浜義則さんの個人的な活動の履歴を追ってみても、

1950年代までは家庭集会というような形での集会運営が行われています。

 つまり、家庭の6畳間に、座布団などを敷きながら、家庭礼拝の延長線

での集会運営が行われています。1950年末ごろの神戸にあるキリスト集会

の内部の写真をみたことがありますが、板の間に座布団敷きで座っている

信者たちの写真でした。つまり、家庭集会の延長が集会所で行われていた

ことを示す写真です。

 以前にも触れましたが、大英帝国内で始まった直後のブラザレン運動

自体、英国における家庭の居間を中心として行われたこともあり、家庭

集会の延長という伝統を持つ部分もあります。『ダラム便り』という山

田さんという方が書かれた本では、家庭が、神の国のモデルとなってお

り、その象徴的な部分は家庭の食堂やリビング(居間)である可能性が

あることが触れられていました。

 イギリスのブラザレン運動が、家庭集会としてはじめられたこともあ

り、その分、家庭的な雰囲気が尊ばれていたようです。教会への分離か

ら運動が始まったこともあり、それが大規模な教会建築物を保有する教

会との差別化の象徴、あるいは、差別化の一つの基準となってきたよう

にも思います。

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事