ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

日本の60年代までのブラザレン史

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  1956年は、集会にとって、実に微妙な時代です。

以下の内容は、書かれているものに問題となりかねない微妙な

部分があります。ことさら今それを言ってどうなるのか、という

話もあり、書くかどうかを迷いました。その意味で、この文書自

体取り上げるかどうかを迷ったのですが、事実は事実として、

取り上げる、ということでできるだけ正確に日本語訳したもので

す。このことで、特定の個人の過去の行動に就いて批判・避難

する、あるいはその行動を取り上げて問題にするということは、

控えられますように。この文章を書いた、ローワーさんも悩んだ

のだと思われますが、悩んでも書いています。それは、後世に

この事実を残し、読み手自身の問題としてとらえることが

大切だ、と認識されていたからだと思います。パウロがコリン

トに向けて書いていたものが残されたのも同じ問題意識だと

思います。問題を覆って、なかったことにするよりは、問題を

明らかにして、再発をそれぞれの信者が防ぐということが大切

だからだと思います。今日翻訳した部分の事実を、個人的には

私自身の問題として、深く受け止めています。それと、この書

物を読みながら、ローワーさんというのは、非常に正直という

のか、誠実な方だったんだなぁ、とこの誠実さは大切にしたい

なぁ、歴史家としては、この種の身を切るような誠実さが大事

なのかなぁ、と思います。書かれたものは、後世の認識を歪め

ることもあるので。


 実際、私自身、自分自身の聖書理解はかなり変化していますし、

一貫していません。過去20年の信仰生活を振り返っても、

かなり紆余曲折があり、今の自分の聖書理解が成立しています。

一時期は、それこそ艱難後再臨説に影響され、その後前千年王

国主義に影響され、カトリックの思想に影響され、新神学の

理知的な傾向に影響され、とふらふらしているので、過去の行

動を問われても仕方がないのかなぁ、と覚悟はしています。

 一時期は集会の枠を離れようかと、真剣に考えたことも

あります。ただ、集会の良さというのは素朴に聖書を

読んでいくというところにあり(それゆえに誤った聖書理解

に私のように達したり、ほかの思想に影響され、聖書理解が

変容する可能性もあるのですが)、何を大切に信仰生活を

考えていくということから、結局キリスト集会の枠内に

かろうじてとどまっているという部分があります。

 なので、今日の記事には、翻訳すべきかどうか迷った4

人の方の過去の行動の事実が書かれていますが、自分自身

の問題としても重く受け止めていますので、私自身のため

の翻訳だと思ってください。

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1956年

宣教師の到着
G.ヘンジウェルド嬢(オランダ)
ターナ夫妻(英国)
既存集会 16
新規集会 1(盛岡)
計    17

ステッカー氏・ウンストーフ氏交わりから離れる。
青森でラジオ放送開始
横川集会、軽井沢に移転
ヘイ夫妻神戸に転居
伝道出版社の販売店、飯田橋に移転。
ブリクストン嬢、ヘイズ夫妻小倉に転居。
笹沼氏伝道者として推薦


1956年にマカリスタさんたちが結婚した後、

マカリスタさんたちは、盛岡に移動し、3人の若

い男性たちによってはじめられた伝道の働きを助

けることとした。やや独立して小倉の南で証して

いた小倉の南地区は、ブリクストンさんとヘイズ

さんがその地に転居することで強められた。ビシ

ョップ夫妻は、浜松地区の働きを助けるために転

居し、ヘイ夫妻は、日本に戻ってきて神戸での働

きを強めるために神戸に住まいを構えた。

 日本人の兄弟では北野さんと笹沼さんが伝道者

として推薦されたが、笹沼氏は、一般の仕事での

普通の雇用に翌年戻った。伝道出版社の働きは、

より広い土地に移動することができ前進すること

となった。スピッチリ嬢が、店の責任を持ち、実

際の出版はライトさんと一緒にカリー氏が多くの

責任をとるようになった。三人のドイツ人の奉仕

者はペンテコステ派の聖書理解の影響のもと、集

会を離れたが、ステッカー夫妻は1958年に集会の

交わりに戻った。
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1956
MISSIONARY ARRIVALS
MISS G.HENGEVELD (Holland)
MR. & MRS. TURNER (England)
EXISTING ASSEMBLIES 16
NEW 1
-
TOTAL 17

STOECKERS & P.WUNSTORF
LEAVE FELLOWSHIP

AOMORI RADIO PROGRAM BEGUN.

MR.& MRS. McALISTER START
ASSEMBLY AT MORIOKA

YOKOKAWA ASSEMBLY MOVE TO
KARUIZAWA

MR. & MRS. T. HAY MOVE TO KOBE

EVANGELICAL PUBLISHING DEPOT
MOVES TO NEW SHOP IN IIDABASHI,
TOKYO.

MISS BRIXTON AND MR. & MRS. L. HAYES MOVE TO KOKURA.

T. SASAMUMA COMMENDED AS EVANGELIST.

After their marriage in 1956, Mr. and Mrs. McAlister moved to Morioka to
follow up the gospel witness started there by the three young men.
The rather lonely witness down in the far south in Kokura was strengthened
through Miss Brixton and then Mr. and Mrs. Hayes moving there.
Mr. and Mrs. Biship moved to help the work in the Hamamatsu area and
Mr. and Mrs. T. Hay, back in Japan once again, settled in the Kobe area to
strengthen the witness there.
Two Japanese brethren, Mr. Kitano and Mr. Sasanuma, were commended to
the Lord's work although Mr. Sasamuma went back into secular employment the
next year.
The Publishing Depot took a further step forward in being able to move into
their own enlarged premises. Miss Speechiley was now in charge of the shop and
Mr. Currie had taken on a lot of resposibility with Mr. Wright in the actual
publishing.
Three of the German workers left the fellowship under the persuasions of
Pentecostal teaching, but Mr. and Mrs. Stoecker came back again in 1958.

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本日紹介する時期は、1955年についての記事です。

この年も新規集会は建設されませんが、宣教師の到

着は続いており、戦後の急速な拡大への地ならしが、

宣教師の方々によってなされたことが分かります。

 特に、盛岡で、トラクトを通してイエスを知り、

文通を通して、3人の信者さんが救われたことは、

特筆すべきことだと思います。2年後には、盛岡で

集会が建てられていきますが、この間、文通だけで

支えていた伝道があったことを思うと、時代を感じ

ます。

 今であれば、インターネットやメールでやり取り、

でしょうが、当時は、そんなものはなく、お互いの

内容を受けずに、手紙のやり取りが行われ、ほとんど

毎日手紙を書いていた、という話を石濱義則さんから、

聞いたことがございます。

 戦後10年、社会が、高度経済成長に向かっていく

中、地方でも都市部でも伝道が行われたことを思うと、

トラクト(往復はがきサイズのもの)が有効に機能した

例として考えることができますが、今は、あちこちで

ビラが撒かれるので、トラクトを通して、神と出会う

人の割合が急速に減っているように思います。
 
 今のテレビ以上の魅力のあったラジオでの伝道が

始まったのも、この時期です。イギリスでは、BBCの

枠を取れないか、という話が出たそうですが、無理だ

った様です。

 このラジオ放送は、今でもラジオ関西で、「聖書と福音」

というタイトルで、ラジオ関西で、日曜日の朝7時45分から

8時まで放送されています。インターネット放送のスタイル

も取られていたのですが、今はつながらなくなっています。

 石濱さんのラジオでした話の原稿は、「歯医者さんがラジ

オでした聖書の話」として、石濱さんの遺稿がたまたま見つ

かったため、それをもとに石濱みかるさんが自費出版されて

おられます。

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1955年

到着した宣教師
J.ルスコー氏(ドイツ)
H.バウマン氏(オランダ)
H.ハヤシ嬢(アメリカ)
H.スティール夫妻(カナダ)
既存集会  16
新規集会なし
三人の男性が石濱さんのトラクトで救われる。
ステッカーさん高崎に移転
神戸で集会所が建設
デクスター夫妻神戸に移転

バッド夫妻ラジオ伝道を開始最初のテープはマニラから放送される
短波ラジオがのちに長崎と佐世保から放送される
ステッカー氏ブレシュナイダー嬢 結婚


1955年には、石濱さんのトラクトを通して福音が最初に三人の

男性に伝わり、信仰をもつという盛岡で着目すべき証が見られ

た。石濱さんとの文通により、彼らはキリストについての明白

な信仰をもつようになった。

 この年は、バッドさんが大阪からラジオ伝道の働きを始めた

年である。日本の民放局の放送時間枠が購入され、フィリピン

のキリスト教放送局から、短波放送が無料で提供された。バッ

ドさんは、放送用テープを録音するスタジオを建設し、石濱さ

んと北野さんの放送を流した。

 ステッカー夫妻は、高崎での奉仕を助けるために高崎に移動

し、デクスターさんは神戸に移動した。神戸集会は、この年、

神戸集会の会堂を建設した。

1955
MISSIONARY ARRIVALS
MR. J. RUSKOW (Germany)
MR. H. BOUMAN (Holland)
MISS H. HAYASHI (U.S.A.)
MR. & MRS. H. STEELE (Canada)
EXISTING ASSEMBLIES 16
NONE ADDED

THREE YOUNG MEN SAVED
THRO' ISHIHAMA TRACT

MR. & MRS. STOECKER MOVE TO
TAKASAKI
HALL BUILT AT KOBE
MR. & MRS. DEXTER MOVE TO KOBE
MR. & MRS. BUDD START RADIO WORK.
FIRST TAPES BROADCAST FROM MANILA.
SHORT WAVE LATER FROM NAGASAKI & SASEBO
C. STOECKER & A. BRETSCHNEIDER MARRIED
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During 1955 a remarkable witness was commenced in the city of Morioka through
the conversion of three young men first contacted with the gospel through
some of Dr. Ishihama's tracts. Correspondence with Dr. Ishihama brought them
into clear faith in Christ.
This year marked the beginning of the radio work conducted by Mr. Budd from
Osaka. Time is bought on the Japanese commercial stations and also offered
freely on the Christian station broadcasting on short wave from the Philippines.
Mr. Budd has built a studio to make the radio tapes and is assisted in the
preaching by Dr. Ishihama and Mr. Kitano.
Mr. and Mrs. Stoecker moved into the city of Takasaki to help work
there and Mr. and Mrs. Dexter to Kobe. The Kobe assembly put up their hall
building.

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1954年の記事をご紹介しますが、1954年ごろは、

伝道者として海外からの信者がこられているものの、

日本語で悪戦苦闘しながら、次の成長に向けての準

備をしている段階とローワーさんは理解しています。

この段階までは、日本人伝道者が少なく、信者自体も

少なく、非常に小さなキリスト者のコミュニティであ

ったようです。

 青森では、伝道から比較的早期に会堂建設に至った

ことが知られます。この背景を知りたいなぁ、とは

思います。どなたか昔のことをご存知の方に、インタ

ビューしたいとは思っていますが。1951年に信者が

確認されて、1954年会堂建設ですから、かなり早いと

思います。コールドウェルさんが1952年に青森に

移られていますし、コールドウェルさんは、このあと、

小樽福音館の基礎作りもしていくことになります。

 奈良でも、大阪の信者さんにより伝道集会が持たれた

ようですが、集会の形成とはならなかったようです。

このころから、ラジオ伝道、福音放送の原型ができていく

ようです。

 この年、クレイグ夫妻が、1949年に来日し、1954年に帰

国されますので、5年間の奉仕、だったようです。

集会の数も16ほどですから、一つの集会に20人としても、

総勢300人ほど。まだ、それほどバリエーションが目立たな

かったでしょうし、大会で一ヶ所に集ることも可能だった

時代かもしれません。その意味で、同質性が確保されてい

た時代かなぁ、と思います。

社会自体も、まだ、今よりは同質的でしたし。経済的な面

でも、社会的な面でも。経済環境とキリスト集会、という

ことも考えないといけないかなぁ、と思います。

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1954年

伝道者の到着
H.ビショップ夫妻(イングランド)
L.ヘイズ夫妻(イングランド)
P.ウンストーフ氏(ドイツ)
C.ステッカー氏(ドイツ)
A.ブレツュナイダー嬢(ドイツ)

既存集会 16
新規の集会の増加はなし
青森の会堂 建設
奈良で福音集会開始
神戸での福音放送開始


これまでの数年間で、最初の語学学校で学習が終わると

新しい伝道者は新しい町や市に拡張していった。新しい

働きが立上げらる時が来て、福音を聞いて救われた人々

がその信仰を成長させる時を迎えた。1960年までにこれら

の人々から伝道者になる人々が推薦された。この時期に、

疑いなくこの数年の(1958-1960)に向けてより大きな拡

張の基礎が固められたこととかんがえたよい。

 ドイツの集会からの最初の宣教師が来たのがこの年で、

彼らは温かく迎えられた。大阪の信者によって福音集会が

奈良で始められ、青森では集会所がたてられた。

クレイグ夫妻はこの年、アメリカに帰国した。
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1954
MISSIONARY ARRIVALS
MR. & MRS. H. BISHIP(England)
MR. & MRS. L. HAYES(England)
MR. P. WUNSTORF (GERMANY)
MR. C. STOCEKER (GERMANY)
MISS A. BRETSCHNEIDER (GERMANY)

EXISTING ASSEMBLIES 16
NONE ADDED

AOMORI HALL BUILT
GOSPEL MEETINGS BEGUN AT NARA
BROADCAST FROM KOBE BEGUN
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Expansion to many new towns and cities had marked the previous several years
as new missionaries finished their initial language study at school and were able
to move away from the Tokyo area. Now came a period whilst the new work
was being consolidated, those being saved through the preaching of the gospel
being built up in the faith. From among these have come the new evangelists
commended during the preset year (1960). Also no doubt this period will prove
to be the basis from which the more extensive expansion has taken place during the past year or to.,(i.e.1958-1960).
The first missionaries commended from assemblies in Germany were welcomed
during this year.
Gospel meeting were started in the city of Nara by believers from Osaka.
The Aomori assembly were able to build their gospel hall during this year.
Mr. and Mrs. Craig returned to the U.S.A.
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今日は、1953年の記事をご紹介します。

この年は、府中集会の建物がたてられ、伝道出版社の

売店の奉仕をされていたカイルさんが、北アイルラン

ドに帰国されたようです。のちに、スピッチリさんが

この役割を担うことになります。

横浜で家庭集会を通して何人かが信者となり、集会を

形成するようになったようです。浜松伝道が進められ、

ヘイさんとブラウンさんで開拓が進められていったよ

うです。


1953年
新たな宣教師の到着
G.スピッチリ嬢(オーストラリア)
既存集会 14
新規集会 2  (横浜・浜松)
-----------------
計    16

横浜で集会が始まり、府中集会(東京)の会堂建設される。
ヘイさんとブラウンさん浜松で働きを始める。


1953年には、浜松がヘイさんとブラウン夫妻によって開拓

され、東京と大阪を結ぶ海岸線に沿って人口が稠密な東海

道に沿って、さらに集会の関係が延伸されていった。

横浜での家庭集会で何人かが救われ、その地で集会が形成

された。

会堂が東京府中集会によって建てられた。

カイル嬢は、北アイルランドに帰国した。

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1953
MISSIONARY ARRIVALS
MISS G. SPEECHLEY (Australia)

EXISTING ASSEMBLIES 14
NEW 2
-
TOTAL 16

ASSEMBLY STARTED IN YOKOHAMA
HALL BUILT AT FUCHU(TOKYO)
MR. T.HAY AND MR. & MRS. M. BROWNE
START WORK AT HAMAMATSU
------------------------------------------、

In 1953 a new city was opened up at Hamamatsu by Mr. Hay and Mr. and Mrs.
Browne, making a further link along the "Tokaido", the densely populated
route along the sea coast that links Tokyo and Osaka.
Several saved at a house meeting in Yokokawa formed an assembly there.
A hall was built by the Tokyo Fuchu assembly.
Miss Kyle returned to N. Ireland.
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中国の共産化に伴うインランドミッションの崩壊に伴い、

日本に来られて日本に定着された伝道者もありますが、

台北を中心とした台湾伝道へと切り替えた事例も少なく

なかったようです。


 その意味で、進駐軍は撤退していったとはいえ、

朝鮮戦争中のなお政治的安定のない韓国より、

日本が、やはり、日本がバックアップ基地となった

ことが分かる記事です。

 政治環境と福音伝道の問題は、微妙にリンク

していることが確認されます。その意味で、日本の

政治的安定化での福音をどう人々に証言していくか、

ということは大事だと思います。

 時代背景も感じる記事が多いです。雲のごとく

には、今翻訳しているローワーさんの文書の部分訳

がのっていますが、別府の集会の閉鎖は記録されて

いますが、その地の信者の処遇までは書かれていな

かったので、他の教会に転籍されたことがこの資料

で書かれています。
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1952年宣教師の到着

C.プレッソンご夫妻(アメリカ)
ビーン嬢    -|
フラナガン嬢  -|- 台北に移動
ベーアご夫妻  -|

既存集会  13
新規集会  2(青森・大阪の王子)
活動停止 ‐1(別府)
     ---
計     14
コールドウェルさん青森で活動を開始。
大阪で3番目の集会(王子地区)が開始
ファンさん夫妻、集会の交わりから離れる。
---------------------------------------

この年、コールドウェルさんは、本州という本土の最北部の青森にまで

移動しした。そこでは、ベーアさんが前の年に何人かの信者を確認した
ところである。
ファン夫妻は、集会の交わりから去り、別府の信者たちは、他の信者の
群れと共に集まることとなった。中国の伝道者たちの何人かが中国での
締め出しの結果、日本に来、台北での中国人伝道に転身していった。
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1952
MISSIONARY ARRIVALS

MR.& MRS. C PRESSON (U.S.A)
MISS BEAN   -|
MISS FLANAGAN -|-- MOVE TO
MR. &MRS. BEAHR   -| FORMOSA
EXISTING ASSEMBLIES 13
NEW ASSEMBLIES 2
CEASED(BEPPU) -1
-
14

MR. S. CALDWELL START WORK
AT AOMORI

3rd ASSEMBLIY STARTED IN
OSAKA(OJI DISTRICT)
MR. & MRS. WHAN LEAVE ASSEMBLY FELLOWSHIP
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During this year, Mr. Caldwell move to the far north of the main island of
Honshu to Aomori, where there were already some believers from the previous
year's work of Mr. Beahr.
Mr. and Mrs. Whan left assembly fellowship and the believers gathered at
Beppu went into another fellowship.
Some of the China missonaries who had come to Japan with the closing of
China moved on to do Chinese work in Formosa.

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