ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの発展史

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Tim GrassのGathering in His Nameの中p.167からDoctrial

Disctinves(教理上の特徴)のうち、神の律法についての記載

を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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信仰者の生活におけるモラルの側面の役割における神の

律法の役割に関するブラザレンの考え方は、英国の福音派

がブラザレンを反律法主義であると激しく批判したため、分

離派の中での少数者となった。というのは、悪名が轟いて

いるRobert HawkerやWilliam Huntington等のhigh Calvinist

が主張したような反律法主義とブラザレン派が同一である

と見られたからである。神学的には、ブラザレン派の信者が

信者の生活の基準としての律法の性質を否定したので、こ

の批判は正しいとは言える。しかし、この批判がもたらす、ブ

ラザレン派の人々が神を喜ばせることに全く無関心である、

という結論は必ずしも正しいものではない。あまり適切でな

い批判として、ブラザレン派の人々は不道徳なライフ・スタ

イルを容認するような教えを含んでいると誤解された。確か

に、具体的な成果での教理が十分ではないという側面があ

るものの、ブラザレン派の信者にとっては、人生の大きな目

的は神に栄光を帰し、神とともにいることを喜ぶことである。

さらに、ブラザレンの律法についての考え方は、彼らのディス

ペンセーショナリズムと深く結び付いており、このことは

A.N.Grovesがこの考え方を支持していたことは確認されている。
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この時代の福音派と呼ばれる人々が、律法に対してどのよう

な考え方を持っていたかは現在、研究中なので、かっこたる

ことは、よく分かりませんが、おそらく律法の基準に従って生

きるべきだ、という考え方があったことは想像に難くありません。

当時のイギリスは、ビクトリア朝時代ですから、貴族階級など

での非常に表面上のモラルや行動基準が高いこともあった

と思います。Grassは、以前別のところで説明しているため、

おそらく意図的に触れていないのだと思いますが、ブラザレ

ンの第1世代のリーダーは、貴族関係者が多く、一種の貴族

文化、あるいは紳士階級の文化がそのまま残り、ビクトリア

朝の貴族の高いモラル基準が維持されたものの、第2世代、

第3世代のリーダーたちに移行していく中で、普通の人々、と

いうよりは労働者層のリーダーが出現するに及んで、その人

たちの文化が不健全であるという思い込みが他の福音派の

人々のうちにあったため、このような批判が出てきた可能性

があるのではないか、と思います。

イギリスの階級社会の文化的な影響は、いまだに残ってお

り、そういったものの見方の残滓が時にイギリス社会の中で

見ることができます。


Tim GrassのGathering in His Nameの中p.166からDoctrial

Disctinves(教理上の特徴)のうち、聖化についての記載を

紹介しながら、考えてみたいと思います。

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聖化の実際面を犠牲にしながら、聖化の「立場上の側面」に

強い強調がおかれている背景には、ブラザレン派における原

理主義(Packerのいう意味でのFundamentarism:聖書中心主

義)的な教理の側面、すなわち聖化は、回心の結果の賜物と

して、新しい性質が与えられるということであり、古い性質の

改善をもたらすものではない、ということへの強調があるかも

しれない。古い性質は、回復不能なほど痛んだものである物

の、新しい性質に沿って存在し、信者はその古い性質から脱

却できない、とするという考え方である。聖化は、信仰の結果、

キリストと一体となることによって実現する、という理解である。


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このあたりの聖化に関する考え方は、実はかなり多様で、信

仰者の信仰履歴によって変わってくるような気がします。特に、

第1世代のような一種のショックを受けるような形での信仰上

の回心の経験を持つ人々はこのような聖化に対する考え方

が強く見受けられる様な気がします。素直に信仰を持った信

者さんでは、必ずしも、このようなショックというのか回心経験

と信仰ゆえの行動規範の変化というのは、あまり強調されな

い方もおられ、この辺り、ここまで言い切っていいのかなぁ、と

いう側面はありますが、ここで触れられたような考え方は、比

較的一般的であるといってよいように思います。

ところで、Fundamentalismはさまざまな意味合いで用いられ

ていますが、私自身は、キリスト教世界におけるFundamentalism

とは、テキストとしての聖書を中心としてそれを基に考える姿勢

であるという意味で、J.I.PackerのFundamentalism and word of

Godで記述された内容は、多くのキリスト社に共通するものでは

ないか、と思うのですが。実際に聖書をどの程度読んでいるの

かは、信者ごとにかなり違うように思いますけれども。

Tim GrassのGathering in His Nameの中p.165-166からDoctrial

Disctinves(教理上の特徴)のうち、聖化についての記載を紹介し

ながら、考えてみたいと思います。
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ブラザレン派の聖化に関する理解の根源(foci)には二つあり、ひとつ

は『立場に関する側面』ともうひとつは『実際的側面』である。『立場に

関する側面』としては、信者は、キリストの美徳のうちにおかれること

で聖化がなされており、神のために『とりわけ(set apart)』られた立場

にあるものであり、この結果、他の信者(ブラザレン派以外の教会の信

者も含む)も『聖徒(saints)』とする立場である。Robert Andersonは、こ

の『とりわけ』がなされているということを聖化にとっての主要なポイント

であるとし、義認と同様に完全で絶対であるとした。この立場に関する

側面は、聖化の実際的側面に影響すると考えられており、初期の19世

紀のカルバン派(high Calvinism)の考え方の影響を受けているといえる。


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こうかかれると、ブラザレンの片隅にいる人間としても、確かに『とりわ

け』についての理解は、共通しているなぁ、と思います。信者は、神に対

して、あるいは神の前に取り分けられた存在である、という漠然とした理

解は共通項として一定程度共有されているように思うのです。基本的に

予定説にたつかどうかどうかは別として。聖化に関して、実際的な生活

面についての重視の程度は語りて一人ひとり違うとは言うものの、一定

の認識はあるように思います。

語り手がどの程度意識しているかは別として、福音集会や学び会など

では、漠然とであるか、意図的であるかどうかは別として、この論理に沿

ったメッセージが語られていることは少なくないように思います。

信者が神の前に「とりわけられていること」が完全で絶対であるとする

のは、神が絶対だから、という理解からきているのだと思いますし、個

人的にもそうかなぁ、と思います。自分と自分と出会ってお話をお伺いし

た信者さん以外のことはよくわからないので、確実にそうだと言い切る

だけの自信がないのですが。


Tim GrassのGathering in His Nameの中p.165からDoctrial Disctinves

(教理上の特徴)のうち、聖化についての記載を紹介しながら、考えて

みたいと思います。
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Rowdonが指摘するように、オープン・ブラザレン派は、ダービー派の考

え方の影響を受けていると考えられる。ライルのような註解とがっちり

としたクリスチャンの聖化に関する性質と聖化に関する動的側面につ

いての神学的理解の不足は、クリスチャンの生活が外的な制度や規

則に一致する必要がある、あるいは従う必要があるのか、という律法

主義に関する質問が、定期刊行物に繰り返し現れている。

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この直前でも紹介したと思うのですが、オープン・ブラザレン派では、

非常に高名な注解書を書いた人物や、書物を書いた人物がいなか

ったこともあり、がっちりとした聖書理解や組織神学のようなものを

構成し得なかったといえます。そもそも、聖書という同じテキストか

ら出発しているため、聖書を読めば、組織神学で触れていることと

かなり近いところまでいけるので、重箱の隅をつつくように神学論争

のようなを世界についてのような考え方が本当に必要か、という議

論があることもまた確かです。しかし、書かれたものがないことは、

話し手や信者によって、ある程度聖書理解に幅があることにもなる

傾向があるようです。

だからこそ、現実世界との関係性を具体的に考えていく上で、律

法主義との関係が何度も繰り返し取り上げられる必要があったの

かなぁ、とも思います。

さらに、オープンブラザレン派もダービー派も、出発点では同じで

あるともあり、ダービーの考え方との親和性が非常に高く、ダービ

ー派の考え方の影響が少なからずあったように思います。

Tim GrassのGathering in His Nameの中p.165からDoctrial

Disctinves(教理上の特徴)のうち、聖化についての記載を

紹介しながら、考えてみたいと思います。

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聖化(Sanctification)

1830年代にキリストの行動に一致するような信徒の生活の

概念がブラザレン派の教理と実際の面で大きな影響を与え

た。例えば、陸軍や海軍からの退職などがその一つの例で

ある。とはいえ、このような動きは、19世紀後半には弱くなっ

ていった(とはいえ、第1次世界大戦中に武器をとって戦うか

に関する論争が起きた)。オープン・ブラザレン自体、聖化に

関する改革派の国教会J.C.RyleのHolinessといった書籍や、

他のケズウィック参加者のような影響力をもった出版物を

あまり出していなかった。


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このような傾向は、いまなお、日本のキリスト集会の中で、

見られるように思います。20年近く前、東京での大会に出

席した時のテーマが、このような聖化の概念を日常生活

にどのように適用するのか、ということに関したものでした。

非常にこまかな日常行動に触れながら、日常生活の中で、

聖なるものになっていくという一種の道を究めるといったよ

うな傾向がみられるようなお話しでした。なんと、風紀委員

のようなお話しだなぁ、と思ったこともまた事実です。

個人的には、J.C.Ryleの「ヨハネによる福音書講解」は最

初に読んだ聖書註解であるだけに、Ryleには、思い出深い

ものがありますが、確かにRyleの考え方とブラザレンの考

え方に共通部分は少なくないように思います。その意味で、

きよめ派やメソジスト派と近い精神性、きよめ派やメソジス

ト派の亜種と誤解される可能性が少なくないように思います。



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