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今日もTim Grass のGathering to His Nameからの
テキスト(145ページ)からの要約を取り上げ、そ れについてのコメントを書いていきたいと思います。 ----------------------------------------- Aryshire Gospel Tent(エアシャー伝道テント会:スコッ トランド)は1888年に活動を開始し、毎年6週間に及ぶ 活動を繰り広げた。イングランドでは、エセックス州が 先行し、ケント州がその数年遅れで着手していった。 サフォークのブラザレンの指導者たちは伝道について 話し合い、ヨークシャーのブラザレン運動の指導者たち は、リーズで行った会談の結果を教会間回覧文書で伝 えていった。この合意は、伝道の方法の最善の方法は 家庭訪問や、路傍伝道や天幕伝道であり、ロマン主義 や、Spritualism(心霊主義)、人々の不信仰について非 難することであった。 彼らは1927年まで、一つのテントと一台の聖書馬車で 活動したが、その間に、12の新規のキリスト集会が発足 した。 これらの試みは、新しい集会を形成するために行われ た。そして、伝道者たちは、(要訳注:巡回伝道の中で、) 福音をつたえると同時に、『集会の真理』(assembly truth) をも伝えたのである。 ----------------------------------------- しかし、路傍伝道、天幕伝道という日本の戦後のブラザ レンの活動で主流であった伝道の方法論が、リーズでの 合意の影響を受けたものであることを見ると、100年前の 手法であることがわかります。古いから悪いというのでは ありませんが、その方法が現代に生きる人たちに本当に 価値ある方法論であるかどうか、昔からある方法だから、 聖書に出てくる方法だから、ということに依存するのでは なく、方法論をよく検証してみる必要がある様に思います。 昔は、テレビもなく、映画館もなく、退屈し切った人々が街 にあふれていた時代、今は、携帯電話でメールやウェブ サイトを見ながら歩く人が普通の時代、そんな時代の伝道 方法って、何なんでしょう、ということを考えてしまいます。 しかし、ロマン主義が人間中心主義的であるからとはい え、ロマン主義を非難するというのは、自分たちがロマン主 義の影響下にある、ということの意識の反映なのかもしれま せんが、ロマン主義がなければ、ブラザレン運動のような無 謀な運動はできなかったはずなんですけど、と思ってしまい ます。 心霊主義は、1900年ごろ、イギリスで大流行したらしく、 コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの作品にも、その影 響が少し垣間見えます。コナン・ドイルはその心霊主義に深 く関与した人物ですが、そのことはあまり知られていないよう です。それも、非難していたんですねぇ。 しかし、非難することで伝道しようとした傾向は、確実に現 在の日本のブラザレンの一部に引き継がれているように思 います。これが、どうにかならないかなぁ、と思うところでは ありますが。非難して、相手を論破して、それで伝道する方 法は、ブラザレン派の伝統的手法ともいえるように思うので すが、Ministryという雑誌で書かれていた元気のいい「脅し 系」にも一歩間違うとつながりかねないので、何とかならな いかなぁ、と思ってしまうのでした。 なお、ブラザレンの伝道者や教会でのお話のすべてが、 非難的な論調や元気のいい「脅し系」のお話で語られてい るわけではなく、それは属人的な要素が強い、とだけ、申 し上げておきたいと思います(なお、私はそんなスタイルで お話はしたくはないので、さけています)。 何より、思わず、「おお」と思ったのは、この1900年当時 の伝道者が、巡回伝道の中で、福音を語っただけでなく、 「集会の真理」をつたえていったというGrassの言及です。 内部にいる人には絶対に言えない言葉だよなぁ、と思いま す。なお、GrassはBaptistの牧師さんです。日本では、伝道 出版社という出版社から「集会の真理と行動」という本が出 ていますが、それは、これらの伝道者が伝えた「集会の真 理」の一部を文書化したものなので、ブラザレン研究者にと っては必携の書といえるでしょう。 以上で、ブラザレンの発展史は終わりですが、次回からは、 少し趣を変えて、アメリカのサンタバーバラで思ったことを復 活させていきたいと思います。 |
ブラザレンの発展史
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今日もTim Grass のGathering to His Nameからの テキスト(144ページ)からの要約を取り上げ、そ れについてのコメントを書いていきたいと思います。 ----------------------------------------- 1870年代には、海外のブラザレンの宣教師のための 支援機関として、Echoes of Serviceが形成されて いった。1880-1900にかけて、この組織は急速に成長 しました。この組織は、英国本土での、特に地方部で の実際的必要を満たすために重要な触媒の役割を果た しました。この時期の英国の農村部では、国教会の High Church(儀式性や様式性を重んじるグループ) の台頭があり、儀式的な暗闇の中に信仰生活が沈み 始めていたからである。 このような必要は、国内での伝道活動の必要性と 調整を図る組織の必要を生み出したのでした。1899 年の早期の段階で、国外に伝道者を送り出している 集会(教会)が国内での必要に無関心であることを、 J.J. Maclean(Echoes of Service)の編集長が指摘 しています。 1900年に、最初の聖書馬車(聖書の言葉を大書し た馬車で、伝道のために巡回)がエセックス州で用 いられはじめ、1905年には、聖書馬車は11台までに 増え、テントは4つまでになったのですが、これは、 William Page(Croxley Green出身)により、購入 されたものであった。The South Eastern Counties Evangelization (南東郡部伝道協会)は1904年に活 動を開始し、ケント州、サリー州、サセックス州で 活動し、Sir George Pigotによって、改造自動車が 提供されたことにより、ハンプシャー州、バークシ ャー州、オクスフォードシャー州で自動車による伝 道活動が開始された。 ----------------------------------------- この文章中に出てくるEchoes of ServiceのWebsiteは http://www.echoes.org.uk/ です。その中のアジアに関するセクションの情報が http://www.echoes.org.uk/prayer-points.php?region=10#prayercontent で見られます。 ところで、上記の文章に見るようにこの時代から、 海外伝道熱というのが高かったことがわかりますが、 それと同時に、英国国内でのHigh Church派の台頭に よる国教会の信仰スタイルの大幅な変質があるよう です。国教会(アングリカンチャーチ・日本では聖 公会)は、Via Mediaを標榜していますが、実態は、 カトリック風の信仰を持つ信仰者集団から、バプテ ィストやペンテコステ派に近いところまでの信仰者 集団含む寄り合い所帯と呼んだ方が近いような印象 があるのですけれども(それはそれで立派なあり方 だと私は思いますが)、地方部ではカトリック時代 への伝統回帰もあったのでしょう。国教会における High Church派が勢力を増したようです。 これまで、日本では、海外伝道者があまり出てい ないとはいえ、最近はアジア地区、アフリカ地区で の医療伝道や、アジア地区での宣教活動に出ている ブラザレン関係者は多いと思います。 現在の日本のキリスト集会とはあまり関連がない のですが、エクスクルーシブ・ブラザレン(自分た ちでそうおっしゃっておられるので、そのご主張を 尊重いたしたいと思います)の関係者で、同信会と 活動に参加しておられた乗松雅休さんという方が、 朝鮮半島の水原で戦前の西暦1900年に、伝道を開始 しています。ほとんど、朝鮮半島語がしゃべれない なかで、伝道されたようです。これは、日本のキリ スト者の世界の中でおそらく最初の海外伝道者と考 えても間違いないと思います。このあたりの伝道へ の熱心さが、ブラザレンの特徴といってよいだろう と思います。むろん、水原での定着の前に、同信会 の設立の出発点となる活動をした英国人ブラント (貴族階級の出身者)がソウルで伝道活動をしたと、 同心会さんのサイトに記載されていますから、乗松 氏に対するブラントさんの影響もあったとは思いま す。この乗松雅休さんという方の奉仕と困難は、も う少し正当な評価をされてもいいと思いますが、い まだに日本国内で評価が定まらない、言及されるこ とがあまりないのは非常に残念でもあります。 だからといって、顕彰碑を建てよとか、本を出版し たら、といっているのではなく、知識として、そう いう方がおられた、ということとそのことに思いを はせることが大切かなぁ、とより多くのキリスト者 に思ってもらいたいだけです。 特に、あまり事情をご存じでない外国の宣教師の 方、特に日本以外のアジア諸国のキリスト集会関係 者のかたから、日本人は、海外伝道する気がないと か、日本の信者は海外から受けるばかりだ、という ことをお聞きすることがあり、ある面、そのような 傾向は否定できないのですが、とはいえ、現在日本 のブラザレン関係者で、アフリカ諸国やパキスタン 付近を中心とするアジア・アフリカ諸国に伝道に出 ている信者さんもおられるので、このあたりの認識 がより多くのブラザレン関係者に広まることを期待 したいと思います。 |
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今日も、Tim GrassのGathering in His Nameの142ページからの
要約を載せたいと思います。今日は、民衆型の伝道者と超教派活
動についてです。
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もうひとつの民衆的な伝道者のタイプは、ジョン・ハンブルトン
John Hambleton(1820-1889)であるが、1851年に信仰告白するまで
は、コメディアンであり、(要約者註:先述のジェントルマン型の伝道者
の)ラドクリフの勧めもあり、スモールグループ活動を自宅で開始し、
自宅でも聖餐式でも、聖書の学びと伝道を行った。ハンブルトンは、当
時の文化に対するブラザレン信仰者の典型的態度を示している。彼は、
以前役者でもあったこともあり、劇場に対して厳しく反対の立場をとり、
ストラトフォード・アポン・エイボンStratford-upon-Avonで行われたシェ
イクスピア300年祭で、劇の上演を責めるような伝道を行った。
ほかの民衆型の伝道者としては、ヘンリー・ムーアヘッド(Henry Moorhead(1840-1880))であり、彼は超教派的な伝道者リチャード・ウィ
ーバー(Richard Weaver)を通して福音を知り、ハンブルトンに紹介され、
少年向け伝道活動で活躍したため、少年たちの伝道者、とよばれた。
確証のない伝承によれば、彼は神の愛に強調を置いており、とくにヨハ
ネ3章16節に強調を置いたようである。彼は、ムーディーのシカゴの教
会でも説教をしたようで、この説教のスタイルは、ムーディの説教に強
い影響を与えた、と言われている。彼は都市中心部での聖書研究会を
始めた人物とされており、ムーディやその他の伝道者の聖書研究のた
めのネットワーク形成に大きな役割を果たしたとされる。
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この文章を見ながら、なるほど、キリスト集会の映画だめ、演劇だめ、
という志向は、ジョン・ハンブルトンの影響かなぁ、と思ってしまった。
しかし、シェイクスピア300年祭で出向いたうえで、抗議行動もどきの
方法で反対までしなくてもいいかなぁ、と思ってしまった。しかし、それ
を確信に満ち、実施するあたりがこの時代のブラザレンの精神性を示
すような気がします。
それから、ここで紹介したヘンリー・ムーアヘッドの説教ですが、他の
本(確か、Dicksonの本)によると、このヨハネ3章16節だけから延々と
ほぼ1週間にわたってシカゴのムーディの教会で説教し続けたらしい
です。それまた、すごい経験ですが。
そして、福音派全体に影響を及ぼすキーとなった人物が、このムーア
ヘッドだろうと思います。このムーアヘッドがいなければ、天啓史観とか
時代区分説と呼ばれる、アービングの構想をダービーが拡張して成立し
た、いわゆるディスペンセーション主義が福音派というか、聖書中心主
義者の基本コンセプトの一角を占めるという現状はなかったように思い
ます。このムーアヘッドが影響を与え、ムーディへつながり、そして、ス
コフィールドによってディスペンセーション主義が流れていくことになっ
たようです。
この前、Ministryというキリスト新聞社刊の雑誌(これ、この夏号は絶
対に買ったほうがいい)に、八木谷さんというキリスト教会研究家(もと
もと翻訳の世界で仕事をするうえで必要な教会関連の知識を収集をし
ているうちに教会巡りをするようになった方)の方が書いていたが、
『「私たちのためにイエス・キリストが死んでくださった」などというので
す。こんな非日常的な、はっきりいって不気味なことを、いきなり訪れ
た未知の人から言われて、「そうだったんですか!もっと詳しく聞かせ
てください」と答える人がどこにいるのかと。』
という記事が載っていたが、それはその通りだと思う。そして、それに続
いて、少しあって、藤掛先生が、
『脅迫的なメッセージですよね』
八木谷さんが『人怯えさせて信仰に導くというか』
それを受けて、平野先生が『でも、脅し系のほうがなぜか元気なんです
よね』
(Ministry 2010年 夏号 44ページ 対談の詳細は本誌参照) そうそう、こういう会話、教会でしてみたい。ディスペンセーション説が悪
いとは言わないが、脅しに使うのは、なんだかなぁ、と思う。聖書に書い
てあるからといって、預言の部分だけを取り出して、そこだけに偏って注
目するのは、いかがかなぁ、と思う。だからと言っておろそかにしていいわ
けでもないけれども。
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今日も、Tim GrassのGathering to His Nameの 141ページからの要約を載せたいと思います。 今日は、伝道者と超教派活動についてです。 ------------------------------------- 超教派活動的なリバイバル運動がブラザレンの 集会の人々に迫ってくる中で、この超教派的なリ バイバル運動との間のテンションが、高まってい った。その理由は、ブラザレンが、ほかの教派と 呼ばれるものから明白に独自の性質(アイデンテ ィティ)を持つようになったからである。イングランド (ウェールズ、スコットランド、アイルランドを含まな い)伝道者たちはどこででも伝道したし、既存の教 会での奉仕を喜んで行ったし、ブラザレンの教会 論的特徴を語るのを避けた。このことは、The Believer's Magazineに代表されるより硬い(tighter) 集会から批判を受けることになる。スコットランド人 伝道者は、北西イングランドでも活発に活動してお り、これらの集会にスコットランド風の分離派的な雰 囲気をもたらした。 Coadはリバイバル時代の伝道者をジェントルマン 伝道者と民衆的な伝道者の二つに区分している。そ してそれぞれが異なった聴衆に語りかけたことを明 らかにしている。このジェントルマン伝道者の中核的 役割を果たしたのが、レジナルド・ラドクリフ(Reginald Radcliffe(1825-1895))である。このラドクリフは、ブ ラザレンに属することはなかった。彼は、リバプール 出身のアングリカン(英国国教会)の人物であり、ム ーディとサンキーの方法を受け入れた人物であった。 MarshallとJ.R.Coldwellの信仰告白に影響を与えた Gordon Forlong(1819-1908)もこのタイプの伝道者で ある。 ----------------------------------------- しかし、ジェントルマン向け伝道者と民衆的な伝道者 に二極化していくところが、19世紀のイギリスで、当 時の階級社会と階級間の分離を示しているように思 います。当時のこのジェントルマンと民衆の間の身分 の分化は、非常に激しいものであったようです。この ことは、 会田 雄次さんのアーロン収容所でも触れら れています。別の人種があるのではないか、と会田さ んが思うほどであったことがわかります。 雰囲気としては、映画Miss Potter(Peter Rabbitの 原作者のポターを題材にした映画)でも知ることがで きますし、映画「日の名残り」でも、使用人階層と貴族 との間の明確な違いを知ることができます。 19世紀とはいえ、18世紀以前の社会文化の風潮の 残った時代でもあり、さまざまな身分間の軋轢があっ たため、このように二分化していったようにも思います。 その構図が日本にも若干影響しているかもしれません。 それから、Tighterという言葉の背景には、Tightning Tightという主張をしたグループ(スコットランドとアイル ランドで活動)の存在があり、これが、現在の日本の ブラザレン運動にかなりの影響を与えているように思 います。1960年代までのブラザレンの歴史を追った記 事でも紹介したように、宣教師のかなりの部分がアイル ランドやスコットランド人ですから、その影響は少なから ず今も影響していると思います。 これらの記事を見るたびに、イギリスって、当時はも っとですが、やはり貴族と平民という身分文化の激し い国なのだ、ということをおもわずにはおられません。 |
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今日も、Tim GrassのGathering to His Nameの 141ページからの要約を載せたいと思います。 今日は、伝道者と超教派活動についてです。 ------------------------------------- 超教派活動的なリバイバル運動がブラザレンの 集会の人々に迫ってくる中で、この超教派的なリ バイバル運動との間のテンションが、高まってい った。その理由は、ブラザレンが、ほかの教派と 呼ばれるものから明白に独自の性質(アイデンテ ィティ)を持つようになったからである。イングランド (ウェールズ、スコットランド、アイルランドを含まな い)伝道者たちはどこででも伝道したし、既存の教 会での奉仕を喜んで行ったし、ブラザレンの教会 論的特徴を語るのを避けた。このことは、The Believer's Magazineに代表されるより硬い(tighter) 集会から批判を受けることになる。スコットランド人 伝道者は、北西イングランドでも活発に活動してお り、これらの集会にスコットランド風の分離派的な雰 囲気をもたらした。 Coadはリバイバル時代の伝道者をジェントルマン 伝道者と民衆的な伝道者の二つに区分している。そ してそれぞれが異なった聴衆に語りかけたことを明 らかにしている。このジェントルマン伝道者の中核的 役割を果たしたのが、レジナルド・ラドクリフ(Reginald Radcliffe(1825-1895))である。このラドクリフは、ブ ラザレンに属することはなかった。彼は、リバプール 出身のアングリカン(英国国教会)の人物であり、ム ーディとサンキーの方法を受け入れた人物であった。 MarshallとJ.R.Coldwellの信仰告白に影響を与えた Gordon Forlong(1819-1908)もこのタイプの伝道者で ある。 ----------------------------------------- しかし、ジェントルマン向け伝道者と民衆的な伝道者 に二極化していくところが、19世紀のイギリスで、当 時の階級社会と階級間の分離を示しているように思 います。当時のこのジェントルマンと民衆の間の身分 の分化は、非常に激しいものであったようです。この ことは、 会田 雄次さんのアーロン収容所でも触れら れています。別の人種があるのではないか、と会田さ んが思うほどであったことがわかります。 雰囲気としては、映画Miss Potter(Peter Rabbitの 原作者のポターを題材にした映画)でも知ることがで きますし、映画「日の名残り」でも、使用人階層と貴族 との間の明確な違いを知ることができます。 19世紀とはいえ、18世紀以前の社会文化の風潮の 残った時代でもあり、さまざまな身分間の軋轢があっ たため、このように二分化していったようにも思います。 その構図が日本にも若干影響しているかもしれません。 それから、Tighterという言葉の背景には、Tightning Tightという主張をしたグループ(スコットランドとアイル ランドで活動)の存在があり、これが、現在の日本の ブラザレン運動にかなりの影響を与えているように思 います。1960年代までのブラザレンの歴史を追った記 事でも紹介したように、宣教師のかなりの部分がアイル ランドやスコットランド人ですから、その影響は少なから ず今も影響していると思います。 これらの記事を見るたびに、イギリスって、当時はも っとですが、やはり貴族と平民という身分文化の激し い国なのだ、ということをおもわずにはおられません。 |




