ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの発展史

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Tim GrassのGathering to His Nameの中pp.181−182からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。


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John Andersonという方が、次のような記述をしておられます。

女性信徒による牧会(Ministry)はAberdeenshire集会において大きな混乱を巻き起こした。神から祝福を受けた女性は、集会や私の家の近くでの働きでも大きな祝福であった。この女性による牧会について我々の唯一の指導的指針として聖書を用いて学んだ。現代という時代(dispensation)において、霊的な捧げものをささげるという点で、男性も女性も祭司としての役割があることが分かった。男性も女性も、ペンテコステの日に聖霊に満たされた語り、キリストも地上で歩まれた時、女性の願いに耳を傾けられた。女性も公の証をするように言われたし、復活を最初に見たのも女性であった。新約聖書の教会では、男性も女性も祈ったし、神によって話すようにされ、預言もした(第1コリント11:5)したがって、スコットランドやイングランドの指導的な兄弟たちの強硬な要求にかかわらず、Rhynie集会は女性が参加することを拒否することに対して反対した。その結果、我々は、追放されることとなったが、ほかの集会よりRhynie集会のほうが、聖霊の働きを感じると、ほかから来た人々は言っておられた。

John AndersonのAutobiography pp.21−22
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こういうのを見ていると、集会とみなすかどうかでかなり差別的な言辞が飛び交ったのではないか、と推測されます。あくまで推測なので、事実そうであったかどうかは別ですけれども。ただ、Grassが調べたところによると、このRhynie集会は、集会のリストにはないようです。事実上の絶縁状態(破門状態)だったようです。ある面でいうと、イングランドとスコットランドの非常に狭いビクトリア朝時代の時代背景が影響した女性に対する理解がこのようにさせ、そして、それが現在もなお続いているとするならば(そうでないことを希望しますし、大半のキリスト集会は、18世紀英国の歴史的時代の思想による縛りからは解かれているものと確信していますが)、非常に残念なことだなぁ、と思います。

 個人的には、女性の適切な範囲での参加はあってしかるべきなのではないかなぁ、と思います。どう考えても、マリヤとマルタとラザロと家庭集会でほのぼのと、談笑しながら話しているイエスの姿があるように思うのですけども、それは私の聖書理解がひずんでいるのかもしれませんね。


Tim GrassのGathering to His Nameの中p.181からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のThe Changing Role Played by Women(女性の役割の変化)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。


今日からしばらく新しいテーマです。

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1860年代と1870年代におけるスコットランドのブラザレン運動において、非常に目立った役割を話した数名の女性がおり、これらの女性たちは、より広い英国のリバイバル派のネットワークの中で、重要な役割を果たしている。Larkhall集会が設立される以前、何人かの女性は1859年のリバイバルの中で、回心し、大勢の人々の前で日曜日の夕方聖書の話をしていた。明らかに、このことは例外的であるが。当時の社会的、そして集会における規範(基準)からの乖離は、いくつかの点から説明された。例外的な時代には、例外的な手段が必要であるとか、ヨエル2章の中で預言され、ペンテコステのときに見られた女性の預言とみられるのと同様であるとか、この働きのために神から明らかに能力を与えられた女性であるとか、リバイバル時期の実際性の典型的な表現として、非常に多くの人々が好奇心をもって、教会堂を埋めているとかなどである。ときには、女性信徒が、学び会で前に立って奉仕することもあり、そのことは、集会での生活の中で、特筆すべき出来事の一つともなった。

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女性信徒の働きの問題は、F.F.Bruceの立場を困難にさせたことの一つですが、歴史的には存在したこと、それが容認されていたことを考えると、ブラザレン派における自派の歴史に関しても歴史的に無知であることが、彼を苦しめた、とも言えそうです。

個人的には、あまり問題ないと思うのですが、極端な場合、男性信徒がいる前では祈れなかったり、いかなることでも全く発言をすることが許されない場合もあるようです。こんな場合は、いきすぎかなぁ、と思います。このように公式の発言が認められなくなると、実は、非公式の方法に頼って公式の問題に影響を及ぼす場合もあるので、この場合、問題は深刻化します。

ここに書いたように、キリスト集会を日本において自称するグループでは、婦人が前で語ったり、ある程度代表となるような場合は、極めて稀ですが、日本のキリスト教界における女性の働きの重要性は、もっと深くそして、正当に評価されるべきなのではないか、ということを思います。

九州におられたD橋姉や、京都におられたK井姉、東京におられた、Riddelsさんやスピッチリさん、京都におられたカーテンさんとトロッタさん等は、極めて重要な働きをされておられたと思います。

ここまで、ブラザレンの長老職の話をしてきましたが、それに関連する文章を見つけたのでご紹介します。

何かの参考になれば、と思います。

トゥルニエ (生の冒険)から
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さて、私たちのせいの展開を記し付ける参加と開放の交代するリズムに戻ろう。参加がなければ、冒険もない。しかし冒険が古びるとき、ただ参加だけが新しい冒険にわたしたちを乗り出させ、自由の感覚を取り戻させてくれる。私はつい最近その経験をした。15年前私は、(中略 他の研究者とともに)人格医学年会を創設した。(中略)さまざまの教派、国籍、専門の医師たちをこのようにしてまじめな対話と、より人間的な医学を共同で追求していくことによってまとめていくことは、私たちにとってすばらしい冒険であった。私たちはこの部ループとまったく一体化していたので、多くの同僚たちは、このグループを「トゥルニエ・不ループ」と呼びはじめた。
 (中略)彼らは、私たち(トゥルニエ夫妻)が率先してやることを期待していたので、私たちが共有のものとして望んでいたこの運動は、あまりに個人的な、あまりに私に依存するものとなってしまった。
 私は始め、表面に出てきた批判―それは私たちが、このグループで優勢的な役割を果たしていることを攻めたものであるが―に猛烈に反発し、私の自由主義で講義した。しかし一人の同僚が、私を助けてその批判からむしろ忠告を受け取るようにさせてくれた。彼の言うには、15歳で、子供は成人になるため、父親から解放されなければならない。私は『ボッセイ・グループ』び父親核であり、妻は母親であった。ただし子供は両親の手を離れ、責任能力を持っていたが。私が新しい冒険に乗り出せるためにも、グループ自身に冒険精神の更新を可能にするためにも私が何らかの形で解放されることが必要であった。(中略)
 私が今言ったことは、(中略)何らかの企てをあきらめるときが来たのを感じてはいるが、それに愛着するあまり、なかなかあきらめ切れない人を励ますことができるだろう。過去の栄光、正確には時代遅れの栄光を裏切らぬよう、生き延びて無為に日を送っているさまざまの出来事のことを考えてみよう。芸術や文学のグループ、あるいは宗教や職業上の団体を創設し、何年も熱心に、また有効に指導に当たってきたが、一番近しい共同者たちもひそかにその人の辞任を望んでできていない、そういう一位bとのことを考えてみよう。
 (中略)彼らを助けてこの困難な放棄を行わせるのは、ここに新しい冒険を見出すことにほかならない。
 この冒険の連続こそ人生の姿、そして意味である。人生はとまることがない。誕生は冒険であり、死も冒険である。青春は冒険であり、中年は別の冒険であり、老年はまた別の冒険である。この時老年になれば必ず次々としていかなければならない放棄はまったく別のものに見えてくる。すなわち衰弱ではなく、新しい冒険によって豊かにされると思えてくるのである。 (pp. 221-224)

Tim GrassのGathering to His Nameの中p.181からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のLeadership and Office(リーダーシップと教会運営)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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貧しい人への対応と会計の責任は責任者を置くことの原則における広く認められた例外の一つとされた。これらの優先性と説明責任が求められるがゆえに、信頼するに足るある人物を選び、集会によって任命され、会計と貧しい人々の受け入れの責任にあたらせることが当然と考えられた。このような任命は、霊的な必要性よりも、物質的な必要性のことに関して、任命されることは受け入れられたのである。多くの分離派の教会とは異なり、ブラザレンでは、これらの具体的奉仕に当たる人を執事として、任命することをすぐに辞めてしまった。しかし、事務局長、または、『渉外にあたる兄弟』は集会生活において一般的なものとなり、話し手の依頼などにおける彼の役割の重要性から、一定の影響力を集会に及ぼすものとなった。


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話し手にだれを呼ぶかは、結構、神経を使う問題ですし、日本国内の現在のキリスト集会の中では、巡回伝道者に当たる方々に、あるいは、その集会で責任のある方々にお願いしているところが大半だと思います。このような責任のある方々や、巡回伝道者に相当する方々(勝手に自主的に回る人々ではなく、招聘に応じて巡回する人々)へのアプローチは、基本的にある程度の教会生活の長さと、その語り手の人々との個人的な付き合いの深さ、またその人の考え方を知っていることが求められるので、聖書の特定の個所に特殊な強調をおく人々(典型的には、奇跡、とりわけ癒しや異言[わけのわからない言語で勝手に話し出す行為])を招聘した場合、信者に動揺が起きたりする場合もあるので、それだけ慎重さが求められます。また、招聘に伴っては、謝金も発生しますので、その処理もあるので、一定の明朗さがある方が望まれるのではないか、と思います。

ところで、人数が少ない教会では、会計の責任に当たる事務長と集会全体の役割を見る代表ないしは日本国内では長老と呼ばれることが多い役職に当たる人々が同一人物であることも少なくないと思います。この結果、どうしても、一般信徒が、ものを言いにくい状態が生まれる場合も少なくありません。ある面、集会(教会)といっても、信徒一人一人に大きな影響を与えるのが、霊的な牧会の役割を果たす人々と、物品の購入や献金の管理などを含め、信者の物理的環境を提供する責任を負う人々ですので、人数が多ければ霊的及び教理面での責任者と会計責任者分離、ということは可能ですし、そうしているところが多いようですが、人数が少ないところでは、この分離が進まず、日曜日の活動への参加者の規模が相当大きくても分離が進まない文化が形成される場合もあるかもしれません。この結果、不明朗な会計処理や、支出に関する意思決定の問題が起きかねないことや、そのことに疑問をもったとして、それを口にすることが、長老や責任者への尊敬を損なう行為であると、長老や責任者、あるいは一般のセイントから受け取られかねないことも少なくなく、疑問に思っても、それを口にすることが難しくない場合も少なくありません。その結果、不明朗と言われかねない対応や処理がそのままずるずると続く、という場合も発生することがあるようです。


Tim GrassのGathering to His Nameの中p.180からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のLeadership and Office(リーダーシップと教会運営)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。

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 クレイクとミューラーの牧会上の働きに多く負っているブリストルのベテスダ集会ですら、公式の責任者を認識し、特定の人物を任用するという原則ではなくなっている。1860年代には、教会(集会)全体の働きのために、外部からの人々をクレイクとミューラーは招いており、20人くらいからなる毎週の会議を開催し、会衆から選ばれた執事を置いていた。1870年代末には、Bedminsterのグループが自立することを求め、ベテスダの指導者層はこれをフルタイムの牧会者(牧師)を置くことという条件のもとで認めた。しかし、1900年代には、ベテスダは、公式の役割を置くことに否定的なExclusive (Brethren)の背景をもつ何人か信徒の影響を受けはじめた。この段階では、豊かな才能ある人々もいたが、1917年にはその才能ある人々に不足することを嘆くことになる。

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 こうやって書かれたものを見ていると、ミューラーやクレイクがいた当時のベテスダ集会は、牧師制度に否定的ではなく、むしろ肯定的であったことがわかります。しかし、ダービーはの考え方に影響を受けた人たちが増え、その影響力が強くなるについれ、牧師制度などや教会の制度的な運営機構に対しても否定的になったようです。Grassは明白には書いていませんが、才能ある人々(賜物ある人々)が不足することを嘆くことになる、という表現で、これらの神からの才能が与えられた人々が集会から脱出するということを暗に示しているようです。

 その意味で、1850-60年代、ミューラーやクレイクが活躍したベテスダ集会からも、1920年代には、その豊かな土壌が失われていったようですが、これと同じようなことが、日本のブラザレン運動では発生していないとご主張になられることが、キリスト集会で起きないように、聖書と集会の負の部分を含めた歴史から(残った人たちだけを研究する歴史ではなく)、きちんと学ばれて、よくお考えになられるように、そして、本来、多くの信者がキリストの体として集まることを目指していたのに、いつの間にかそのことを捨てて排他的になっていったこと、そのことが起きないように祈りをもって多くの集会が運営されることを私は願うばかりでございます。

 この前、関西のある若い方とお話ししたときに、この方も元集会におられた方、あの方も元集会におられた方、とお話したら、大変びっくりしておられました。逃げた魚は、むちゃくちゃ大物だったりするのでねぇ。

 

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