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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.177からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のOther Assenbly Activities(そのほかの活動)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
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教会の現実的なことに関する会議は、あまり頻繁に開かれていなかった。(とはいっても、全体の責任を負う兄弟たちは、月に一度程度あって、現実的な対応や牧会上の問題を取り扱っていいただろうと考えられる。[変換者註 丸カッコは、Grassによる])この時期、我々が持っているような記録によれば、このような会議は、年に2回から4回持たれ、交わりのお茶会と一緒に行われたようである。
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日本では、月一度の兄弟会のような形で、この種の現実的なことへの対応をしている集会は多いと思いますが、信者全体が集まって、このようなことへの意見を自由に述べられる機会を持っているところは少ないと思います。ただ、兄弟会が成立する前提としては、独身の姉妹などとの、教会運営に関する意見聴取と決定事項についての非公式チャンネルが十分に機能していることが、重要だと思います。
小さい教会(集会)では、日日の会話の中で、さまざまなことがきめられていくこともあり、このような公式の機会がない運営をしておられる場合も少なからずあるようです。個人的には、こういう公式の組織や機会がないのが問題だ、とは思いません。というのは、要するに集会はゲリラ的な活動なので、要するにそれぞれの集会が問題なく運営されることが問題であり、そのメンバーが不幸にならないことが重要だと思うからです。ゲリラ組織の特徴は、正規軍のように、行動のための綿密な連絡が必要なく、基本的なミッションだけ、与えておけば、あとはかなり自由に行動ができることが重要で、さらに、それをその場でアドリブで効果的な行動ができればいいわけで、公式組織のように会議、会議、そして会議のための会議は、集会のようなゲリラ的組織というか、一時的に突いたり離れたりする組織には、不要だと思うのですね。それこそが、実はキリスト集会の最大の特徴ではないか、と組織論的には思ってしまいます。まぁ、キリスト者集団のなかのオルフェウス室内楽団だと思えば、よろしいのではないかと思います。ただ、そのためには、ある程度役割を担う個々人にスキルが必要であり、求められます。また、相手の行動を読み込み、自分の動きを調整するスキルが必要でもあります。一種神経戦的な状況に対応、適応するためのスキルが要求されるわけです。これに耐えられない人は、面倒になって、キリスト集会に居づらくなるという、効果も持ってしまうのかもしれません。お任せをしたい人々は、それは、牧師のような役割が面倒なことを丸抱えにしてくれ、そこに参加するだけで満足な人もいるともいますので、それはそれで、全部のキリスト者が集会のようなスタイルでの参加をしなければならない、ということにはならない、と私は思うのですね。全部のキリスト者が集会にあつまらなければならない、に近いことを思ったのが、じつは、J.N.ダービーという方だと思います。その思想が、今もキリスト集会の中で、響いているように思います。
また、通常発言権を持たない独身の姉妹や中学生で信者であるような人々も、集会のメンバーである以上、無視されてはならないとは思いますが、それが公式であるかどうかより、意見を伝えるチャンネルが公式であれ、非公式であれ、存在し、総合的な判断の中で、その意見が反映されることが重要だと、私は思います。
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ブラザレンの発展史
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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.177からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のOther Assembly Activities(そのほかの活動)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。 --------------------------------------------------- ある面、当たり前のことであるが、1890年代には、これらの週の半ばの集会は聖書の学び会よりも多くの参加者を集めていることに対する苦情が出ている。このことの一部の原因として、ある面事実である半面、あまり適切ではない指摘でもあるのだろうが、自分たちで仕事をしないで、集会で出る食事にありつくために来ている参加者が多いということもあったようである。 --------------------------------------------------- こうなった構造として、初期のキリスト集会は、いわゆる貴族階級に属した長老や執事の人たちであったこと、さらに、それらの責任者の人々が、産業革命の中、劣悪な環境に置かれていた貧しい工場や炭鉱労働者に対する思いから、これらの困窮している人々に対して、集会を通して手を差し伸べようとしたという側面があったためと思います。しかし、生活実態的には、それとあまり変わらない中間層に属する人々が、なぜ、我々の乏しい中から差し出した献金が、まともに働こうとしない人々や当時問題化していたアルコール中毒者の食事のための出費に回されねばならないのか、そのような出費をすることが、本当の教会の望ましい出費と奉仕なのか、という疑問が出たのではないか、と思います。 |
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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.177からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のOther Assenbly Activities(他の集会活動)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
--------------------------------------------------- 一週間の中で、祈り会が持たれ、また、聖書を読む会が開かれていた。この学び会は、ブラザレンが最も得意とするものであった。会話形式をとりながら、聖書のある場所について、細かく学びがなされ、参加している男性(変換者註 おそらく信者でなくても)は、自由に参加することができた。学び会(Ministry Meeting)もまた多くの集会で開催され、ある兄弟が、一定の長さの聖書の個所から、講解するもので、オープンな参加による自由な討論がなされたわけではなかった。 --------------------------------------------------- 個人的には、ここで説明されている聖書を読む会、見たいなものがもっと増えるといいなぁ、と思っています。なぜかというと、一方的に学びを聴く会ではなくて、聴き手からのリパーカッションがあり、相互的に進められていくことで、まず、参加意識が参加者に高まること、また、会話形式というのか、対話形式で進められることで、疑問点があれば、それをさしはさめる(質問者と回答者間で、会話がかみ合わないことも時々は起こるようですが)という利点があります。 そういえばシアトル近郊のキリスト集会に行っていたときには、礼拝終了後には、申命記を読む会のようなことをしておられましたが、基本、CHM(マッキントシ)のモーセ5書シリーズにのっとった話が多かったように思います。ここでも、話というのか、質問と回答がかみ合っていなかったことも時にあったような気がします。 学び会というのも、時には1週間連続であることもあるようです。日本ではさすがにもうやっていないようですが。たとえば、ダニエル書とか、ヨシュア記などを学ぶ、とかいうような、注解書をライブでやるような感覚の学び会もあります。シアトル近郊のキリスト集会では、1週間ぶち抜きの学び会がありましたが、参加者は少なかったですねぇ。 |
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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.176からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
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しかしながら、少なからぬ信者が、福音集会を重視しないという苦情が割と早い時期から出ているようです。この福音集会に参加しないという苦情が出る背景には、外部からの参加者の一部がより低い社会階層に属する人であるがゆえに、参加しないという選択がとられたのかもしれません。社会の外部とのネットワークをより幅広く持つ信者たちは、日曜日に一回だけ参加する人々から受けるより広範な影響を考えたからなのかもしれません。
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こういう記述を見ていると、今では信じられないほどの社会的階層の分離が19世紀のイギリスにはあったようです。要するに低い社会階層の人々と事前以外で付き合うとなると、その人自身の社会的階層が下がったり、社会的信用に悪影響が出るということがあったようです。一応、身分の高い人たちが身分の低い人たちと交流するのは、慈善事業の一環であるとして理解されることが多いようです。まぁ、実際にはそうでなくてもですけれども。
この辺は、シャーロックホームズのシリーズにも露骨に出ていますし、それ以外にも、ミス・ポッターという映画や、ジョニー・ディップ主演のネバー・ランドにも、その片鱗が出ています。
そういえば、このあたりの違いについて、日本人の観察では、会田 雄次という作家の『アーロン収容所』で士官クラスと下士官以下のイギリス陸軍の中で、体格や行動パターン、しゃべる英語からして違っている、ということが記載されています。
日本には、イギリス人は、ブリティッシュジェントルマンという印象がありますが、これが当てはまるのは、イギリスの大学卒(一応社会的にはエリートとされる)までで、そうでない人たちにそうであることを期待するのは、現在でも無理のようです。ちなみに、ジェントルマンは、正確には新興階級を示すことが多く、本物の貴族にジェントルマンだというと、表面上はにこにこして聞いていますが、彼らは内心でそういう発言をする人々を馬鹿にして、笑っていることが多いようです。日本型の民主主義や社会階層の構造とは少し違う国のようです。
また、オックスフォードとケンブリッジ(いわゆるオックスブリッジ)の出身者は、大卒の中でも使う英語が違うことで、同窓生かどうかがわかるという意味では、かなり特殊な意識が生まれるようです。
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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.176からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。 --------------------------------------------------------- 聖餐式後の学び(Ministry)が持たれた集会は常に少数派であり、このような運営は、次第に他の集会に広まっていった。しかしながら、学びが、準備によるものか、その場で臨むべきものであるのかに関する見解の不一致が見られた。 --------------------------------------------------------- 聖餐式の後、学び会や聖書研究会を持たない集会は北米では意外と多いようです。というのは、大抵、聖餐式が1時間から2時間続くため、午前中はすべてそれに費やされてしまうため、というのが一つの理由ではないか、と思います。また、このグループの聖餐式では、聖餐式自体が長時間にわたることもあり、聖餐式の中で、学びが語られる場合もあるからだと思います。2時間の聖餐式に1時間以上の聖書の学び、というのでは、さすがに厳しいのではないかと思います。 北米のキリスト集会では、午前中聖餐式 午後 自宅に戻って、他人を招いての交わりや休息 夕方7時くらいから福音集会というところが多いようです。割と近いところの人が多いので、自宅に戻って一息入れて、という感じのようです。日本の集会で多いと思われるのは、午前聖餐式、午後福音集会と詰めてしまうタイプのようです。遠方から信者が来る関係上、仕方がないと思うのですが、これだと、結構疲れる方も多いようです。最近は、隔週で、午後福音集会、というパターンもあるようですけれども。 聖餐式の途中に、聖書を読むことはもちろん、建徳の学びとか、聖書の解説(といっても5分から25分まで、いろいろあります)がもたれるというのがおそらく、聖餐式の後に学び会がない第2の理由でしょう。その意味で、非常に長い聖餐式が行われているところが多いようです。 特に、聖餐式の中で、建徳の学びとか聖書の信者向けの話が語られることもあり、それが、あまり長いものでないこともあるようです。その点で、準備をしなくても、聖霊に導かれて、語れるため、準備が必要はないのだ、というご意見をお持ちの方もおられるようです。 ただ、このことの背景には、このグループの多くの方が聖書の虫、見たいに聖書を詳しく読んでいる人が少なくないこと、初期のこの運動の関係者の指導者の中には、神学校での牧師としての正規教育を受けた人がいることが大きく影響しているのでは、と思います。 昔は、かなり、準備をしない方が多かったらしく、今はご逝去された伝道者の方は、「聖書の話をするのは、講壇にたってみりゃ、何とかなるんだから、あんまり心配しなさんな」とおっしゃってくださいましたが…。ちなみに、私はがっちり準備して話しています。パワーポイントのスライドを使いながら…。 |




