ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンの発展史

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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.175からブラザレン文化に

関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life

and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical

Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみ

たいと思います。
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ブラザレンは毎週主の日(日曜日)にパン裂き集会(聖餐式)を開催し

たが、この根拠は使徒20章7節であり、使徒的な先例に倣うためとし

た。このことから、夜に聖餐式をすることは問題ではないとされた。こ

の理由として、ブラザレン派の信者においても、ユダヤ的伝統である、

一日は夜から始まり夜に終わると理解されたからである。したがって、

この節は、その日の一番最初の時間を主に捧げることで問題ないと

いう理解の根拠となるものと理解されていたことを示している。

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聖餐式を主の日にするというのは、心情的にわかるのですが、逆に

このことから日曜日でないとできないということも、現代のような勤務

形態が多様化したような状況にはなかなか対応できないように思い

ます。そもそも、使徒時代に従うのである、ということを考えると、最初

は毎日宮で集まり、聖餐式をしていたのですが、諸般の都合により使

徒時代でも、時代が後に下がると週の初めの日に行う、ということが

一般的になったようです。もちろん、この背景には、ローマ帝国がキリ

スト教化するまでは、日曜日が休日ではなかったため、安息日が明け

た最初の日にあたる日曜日の夜、仕事が終わってから聖餐式を実施

していたように思われます。

そのため、ユテコ君は、パウロが夜が明けるまで語り続けた結果、窓

から落ちて絶命しまったようです。とはいえ、すぐ復活したのですけれど

も。

これに関して、ここに登場してくださるNozzonさんが大変重要なブログ

記事
を書いておられます。ぜひ、ご覧ください。

http://ameblo.jp/maiko2010/entry-10901449419.html



Tim GrassのGathering to His Nameの中p.175からブラザレン文化に

関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life

and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical

Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみた

いと思います。
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通常の場合、聖餐式は日曜日の朝に行われた。というのは、礼拝に

出席することが、信者にとって第一に重要なこととされたからである。

その結果、『朝の集会(午前の集会)』は聖餐式と同じ意味を持った。後

にある集会は、信者の対応のために、その時代には、月一回の聖餐式

が持たれることがあった。通常の場合、福音集会の後に持たれた。とい

うのは、仕事を持つ姉妹たちがいたからである。なぜこうなったかという

と、家政婦や家の仕事をする女性がいたからなのである。

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聖餐式が重要だというのは、ある面当然という感じも受けますが、聖餐

式にだけ、参加していればいいというのもこれはこれで問題があるような

気がします。また、家政婦として働いている人のため、月一回のパン裂き

集会(聖餐式)ということであったということを見ていると、いかにも19世紀

の大英帝国が、家政婦などに支えられた時代であったということが思い起

こされます。こういうサービスがあるのであれば、現代でも医療従事者のた

めの牧会上の必要や、警察官、鉄道など交通機関関係者などのための牧

会上の必要を考えると、こういう対応が柔軟に考えられてもいいような気が

します。



Tim GrassのGathering to His Nameの中p.175からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。
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この聖餐式は、聖書に示してある通りの範囲内で(たとえば姉妹の礼拝での発言が認められないなど)、聖霊に導かれていると確信している限り、完全に自由に開かれたものであった。このことは、仕事のため(漁師の遠洋などへの出漁)などの理由で、かなりの期間にわたって、男性信者がいない、あるいは少ない場合は、大きな問題であった。その教会(集会)が活動を維持するために、近隣の教会(集会)などからの訪問によってパンを割いたりする活動があったかどうかは、よくわからない。

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確かに、ブラザレン派では、その教会(集会)の信者であれば、比較的自由に講壇に立ったり、祈りをしたり、ということができます。その講壇で語られる内容や、祈りの内容の当否はあまり問われることがありません。その分だけ、語られる内容や祈られたりする表現や内容にばらつきがあるのですが、そのこともあまり深刻に考えられることも少ないようです。
女性信徒だけになった教会(集会)は、大きな問題の直面します。教会が教会の機能を失ってしまうという問題に直面します。伝道だけでなく、信者の相互的なコミュニティの機能の一つである聖餐式が実施できなくなります。

女性の公式の場での発言が禁じられている結果、礼拝と呼ばれる聖餐式での祈りにしてもできませんし、もちろん講壇から語ることも、許されていません。女性だけからなる教会の場合、女性が語ることや祈ることが認められないといった結果、教会という建物があっても、神を礼拝する場所としての教会の役割を果せなくなった場合もあったようです。そうなった場合には、近所の集会と合同するか、他のキリスト教会に所属替えをしていく、というような対応がとれらたこともあったようです。中部カリフォルニアでは、実際にそういうことが起きたといことを当事者の方からお聞きしたことがございます。



Tim GrassのGathering to His Nameの中p.175からブラザレン文化に

関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life

and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical

Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみ

たいと思います。
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 聖餐式への参加は、特権であると同時に信者の責任でもあり、よく

知らない個人や私的なグループによって見られてはならないものであ

り、これは、大会でも同様であった。神学的には、主要なモティーフは、

『記念(remembrance)』(聖餐式の別称として、この語が用いられること

もある)であり、様式においては、礼拝(worship)または黙想であった。

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 聖餐式が特権だというのはある程度わかる気がします。しかし、特権

であるからといって、あまりに特別視しすぎるのは、一種の偶像礼拝(?)

に近いものを感じます。特にここで書かれているように、よく知らない個人

だから見てはいけないとか、その場にいてはいけないとか、という論理は

どこかまずいのではないかなぁ、と思います。

 聖餐式では、イエスの死と復活を記念するというのは、基本的にそうな

のですが、なぜ、それがほかの人に見られてはいけないのか、という聖

書的な根拠はないようにおもうのですが。教会(集会)以外の人を参加さ

せないというようなことは、イエス自身のところに子供がイエスのもとにい

こうとした時、それを妨げようとした弟子たちに、イエスが、「これらのもの

を私のところに来させなさい」といった姿勢とは、ずいぶん違うように思うん

ですけれども、それは私の思いこみすぎかもしれませんねぇ。


Tim GrassのGathering to His Nameの中p.175からブラザレン文化に

関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life

and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical

Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみた

いと思います。

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聖餐式への参加は、特権であると同時に信者の責任でもあり、よく知

らない個人や私的なグループによって見られてはならないものであり、

これは、大会でも同様であった。神学的には、主要なモティーフは、

『記念(remembrance)』(聖餐式の別称として、この語が用いられるこ

ともある)であり、様式においては、礼拝(worship)または黙想であった。

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 聖餐式が特権だというのはある程度わかる気がします。しかし、特権

であるからといって、あまりに特別視しすぎるのは、一種の偶像礼拝(と

いったらいいすぎでしょうねぇ。)に近いものを感じます。特にここで書か

れているように、よく知らない個人だから見てはいけないとか、その場に

いてはいけないとか、という論理はどこかまずいのではないかなぁ、と

思います。

 聖餐式では、イエスの死と復活を記念するというのは、基本的にそうだ

とは思うのですが、なぜ、それがほかの人に見られてはいけないのか、

という聖書的な根拠はないようにおもうのですが。教会(集会)以外の人

を参加させないというようなことは、イエス自身の雰囲気と少し違うように

おもいます。というのは、イエスのところに子供がいこうとした時、それを

妨げようとした弟子たちに、イエスが、「これらのものを私のところに来さ

せなさい」といった姿勢とは、ずいぶん違うように思うんですけれども。

それは私の思いこみすぎかもしれませんねぇ。

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