ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

北米のブラザレン運動関連文書

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4.LEGALISM ANDPHARISEEISMの続きです。

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We“Gospel Hallers” love our externals, because they are easy. Got yourskirt? Check. Got your hat? Check. But internal issues? Wellthat’s another matter. It’s not so easy to discern whether someone isstruggling, now is it? It takes being spiritually minded and in tune withthe Lord, His Word, and submission to the Spirit’s leading to discern thespiritual needs of others. Someone once told me that people don’t care how muchyou know until they know how much you care. Another has said that actionsspeak louder than words, so maybe we should all start putting ourChristian love for one another into action and then we wouldn’t lose so manypeople.

Concernabout losing young people is one thing, but we should be concerned too aboutthat fact we are not even getting them in the first place! For example,there is a brother in our assembly who teaches the older Bible class. Butas these kids are from a poorer background with no Biblical influences, anddon't do so great in school, this brother wanted to use a version of theBible more suitable to their reading level. He was refused permission, soit was back to the KJV for all of them. One of the girls in turn refusedto use the KJV because she said she cannot read it and does not understandit. Do we really want to win people for Christ, or are we more concernedabout things like which version of the Bible we should read than a soul’ssalvation! For the sake of our legalism, we would jeopardize a young girl'sopportunity to study the Bible and learn about the Saviour. It's legalismlike this that just turns us young people off. We strain at a gnat andswallow a camel! Major on minors, and minor on majors. The older brethrenmay refuse to acknowledge it, but many young people are getting fed upwith all this ridiculous legalism.


Facebook上で、非常に面白い文書を見つけ、日本語に翻訳 or 和訳 or 日本語変換したいと思い、試しに日本語で読めるようにしました。かなり雑な翻訳の続編です。前回から手紙の本文の続きです。内容としては、かなり厳しい表現となっていますが、ある面の事実を示していると思います。

なお、次の記事で、英文も載せておきます。なお、【・・・】の部分は、この文書の変換者の補注です。

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われわれ、集会に集う人々は、外面を愛しているのです。なぜなら、それが簡単だからに過ぎません。「スカートをはいていますか?」「いいですね【言外に聖書的な生活スタイルをしていることを意味するのだ、と思います】」。「帽子【北米では、文化的にベールではなく、帽子が聖書に指示された正式なかぶり物だと思っている一部のキリスト集会がある。おそらくフランスを中心としたヨーロッパの貴族文化が英国文化に影響を与えた結果と思われる】をかぶっていますか?」「いいですね【言外に聖書的な生活スタイルをしていることを意味するのだ、と思います】。」しかし、心の内部の問題は?そう、それは別問題なのです。ほかの人が苦しんでいることを見つけるのは簡単ではありません。それは、霊的な豊かさがあることと、主と主の言葉と、聖霊の導きに従い、他者の霊的な必要に関心を持っていることが必要だからです。ある人が以前私に言ったことがあります。「人々は、あなたがそのことにどの程度の関心を持っているとわかるまで、どの程度考えているのかを知ることはできないのではないのですか。」ほかの人は、「行動は言葉よりも影響力がある」といいました。だとすれば、私たちはキリスト者の愛を実際に行動に起こしたらよいのではないでしょうか。そうすれば、多くの人々を失うことはないはずです。

 若い人々を失うことは一つのことですが、しかし、そもそも若い人が集会に来ていないことにももっと関心を払うべきです。たとえば、私たちの集会に高学年向けの聖書クラスを担当している男性信者がいます。彼が担当している子供は、聖書の影響の少ない家からの子供で、学校でもいい成績というわけではありません。この兄弟は、子供たちがわかるレベルの聖書の翻訳【Today’s English VersionかNew IInternational Versionの子供向けの聖書だと思う想定されます。】を使おうとしていました。しかし、そのことは許可されませんでした。そしてその子供たちは、KJV【King James Versionの頭文字をとったもので、かなり以前の時代(シェークスピアの時代)に英語訳された聖書の一つ。日本語の感覚で言うと、文語訳(大正改訳とかイエズス会の戦国時代の翻訳・高校生程度の古文の知識が必要)を読んでいる雰囲気】を利用することになったのです。女の子と一人は、KJVを使うことを拒否しました。彼女はそれを読めもしないし、彼女は読んでも理解できないからです。キリストに人を引き合わせること【直訳風に訳せば、キリストのために人々を勝ち取ること】に関心があるのでしょうか。それとも、魂の救いよりも、どの聖書のバージョンを読むのかは重要なのでしょうか。我々の律法主義のために、われわれは、少女の聖書を学ぶ機会と救い主について学ぶ機会に壊滅的な打撃を与えたのです。このような律法主義が、若い人々を集会から離れさせるものなのです。【マタイ書23:23-24の言及を引用していると思われる】、あなた方は、ブヨは漉しているが、らくだは飲み込んでいる。大きなものは小さくされ、小さなものは大きな者とされるのです。この年長の兄弟は、そのことを認めることをしなかったのです。多くの若い信者は、この愚かしい律法主義に飽き飽きし始めているのです。【ここでは、愚かしい、と少し上品に訳していますが、原文では、ridiculousですから、ばっかばかしい、とか、実にくだらない、愚にもつかない、といった表現の方がより適切なんですが。】

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うーん、ここまで書くかなぁ。このメールの著者は、よっぽど頭に来ていたのだろうと思います。

ただ、最初に米国の西海岸の教会に行ったときに、まぁ、ワシントン州は、カジュアルな服装がかなり認められている地域だから、といわれてカジュアルな格好だけ(一応ネクタイだけは、持って行った)をもっていったら、いきなり、みんな黒服の男性信徒、姉妹は、大草原の小さな家に出てくるオルソン夫人の教会服(その教会でオルソン夫人のきていた教会服を着ていると、派手で浮いてしまうと思います。)のような紺の地味なドレスを着ているのを見て、あれ、話が違う、と思ったのでした。あわてて、スーツを日本に帰った際に持ち出し、何とか体裁を保ったものの、普段がカジュアルな服装の人たちばかりの環境の中にあって、19世紀的な服装を見たので、あれれ、この人たちは棺の中の人と同じ服装を着ている、と思ったのでした。

また、聖書も大時代風のKJV、それも特殊なリズムと抑揚のついた読み方でした。うわぁ、と思ったのも事実です。わたしは、米国での標準と聞いていたので、NIVをもっていったのですが、それは聖書ではない、とまでは言われませんでしたが、それに近い扱いを受けました。KJVこそ、由緒正しき、誤りのない神の言葉、という雰囲気が漂っていましたねぇ。

確かに、このメールを書いた方がおっしゃるように、外面だけで判断するのであるとするならば、キリストの言った愛を実践するということになっているかどうかを含めて、よく考え直さないといけませんねぇ。それは、このメールを書いた方にも言えることかもしれませんが。ほかの人たちの行動、そして、私たちの行動を批判的に考えると同時に、その内的な霊性とは何か、その原動力とは何か、なぜ、こうなったのか、ということをもう少し批判的に考える方がいいかもしれません。

4.LEGALISM ANDPHARISEEISMの続きです。

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Supposing this Sunday morning I came in without a head covering and sat down. What do you think would happen? Well, people would initially become very nervous and uncomfortable, and then if after about 10 minutes I didn't put my hat on, I would get a reminder from someone, and if I still didn’t put my hat on, I would likely get reprimanded, and that's fine, I would expect that. It is after all a truth clearly laid out in Scripture, so a very easy one to “nail me on.” But let's say for the next 2 years I come and go, wear my skirts, wear a hat, don't wear make up, don't wear earrings, say all the right things, etc, but don't read my Bible or pray. Do you think people would notice or challenge me on it? Probably not. Why? Because no one ever cares enough to ask, or visit to encourage.
Facebook上で、非常に面白い文書を見つけ、日本語に翻訳 or 和訳 or 日本語変換したいと思い、試しに日本語で読めるようにしました。かなり雑な翻訳の続編です。前回から手紙の本文の続きです。内容としては、かなり厳しい表現となっていますが、ある面の事実を示していると思います。

なお、次の記事で、英文も載せておきます。なお、【・・・】の部分は、この文書の変換者の補注です。

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日曜日に、被り物なしに集会に入り、座ったとしましょう。何が起こると思われますか。そう、多くの人々は、次第に不安になり、落ち着かなくなり、10分かそこら帽子をかぶっていないだけで、誰かから注意され、それでも帽子をかぶらないなら、譴責されることになるでしょう。それも良いでしょう。その譴責は当然予測されることです。聖書の中に『真実』【第1コリント11章のパウロの言及を指していると思います】が書かれているとおりです、まさに、私を十字架につけよ、という状態です。その後、2年間まったく聖書も読まず、祈りもせずに、それでも、私がスカートをはき【うーん、この手紙を書かれた方の集会では、パンツスタイルは、服装倒錯とみなされるのでしょうか】、帽子をかぶり、化粧もせず、当たり障りのないことを言う形で集会に出入りしたとしましょう。そのことに気づいたり、そのことを問題視する人はいるでしょうか。おそらくいないでしょう。なぜですか。誰も、聞くほど気にかけてもいないし、励ますために来てもくれないからです。

正直言って、集会の人のことを良く知らなかったとしたら、私は、人々は、私の歩みについてあまり気にかけていないと思うでしょうし、主の恵みによって成長しているかどうかを気にかけていないとすぐに思い込んでしまうでしょう。実際、私の頭に帽子を載せている時間が長ければ長いほど、人々は、私が被り物をかぶることの真理を理解しているかどうかを気にかけなくなり、帽子をかぶることは、救い主を愛するがゆえにするという動機を持っていることに関して、気にしなくなるのではないでしょうか。私たちがそのことにきちんと直面しているかどうかにかかわらず、集会では、内面より外見部分に重きが置かれるのです。あなたがある女性のことを信用していなければ、ある女性が女性として集会にスラックスで登場したときに、何が起きたのか、と聞かれることになるでしょう。人々は彼女とめったに話さなくなり、彼女を励まさなくなり、一方で脱いだものを裂き、もう一方で切り刻むでしょう。(このようなこと【集会にスラックスをはいてきた、ということをさすものとおもわれます】をした彼女の行動を容認しようとしているのではなく、例として用いているだけです。)


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ここまで来ると、言いすぎ、という気もしますが、しかし、服装コードを外した時の集会の人たちの反応を非常にビビッドに書いていると思います。特に、信者だ、といっても自分たちと少し違う恰好をしているだけで、非常に疑問視されるその姿を描いていると思います。

この事例と類似のことを、私たちは、15年ほど前にワシントン州で、体験しました。家内は、日本での習慣と同様に被り物として、レースのベールを持参したのですが、それが問題視されました。そこの集会では、帽子だったようで、帽子をかぶっていないことが問題視されたのです。とりあえず、同席してくださった信者さんが、解説してくださって、とりあえずその場での問題は回避されたのですが、結局、それらしい帽子を急いでデパートまで買いに走りました。

私自身は、スーツを着て行っていなかったので、それが問題視されました。アメリカでスーツを買おうと思ったのですが、なかなか合わなくて、結局、父親の手術の立ち会いのために、急きょ帰国した時にスーツ(夏用と冬用)をもって帰ってしのいだのでした。

しかし、その教会に8カ月ほどおりましたが、その8ヶ月間、毎週のように出エジプト記の学びをしておられましたが、わずか8章程しか進まなかったです。まさしく、幕屋について、細かな学びを聞かせていただきましたが、なるほど、このような精神性なのか、ということ体験的によくわかりました。実は、このブログの出発点や私自身が自分たちの姿を相対化する出発点は、実はこのあたりにあったりします。








前回の英文の続きです。

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4. LEGALISM ANDPHARISEEISM

Inevery generation, it is young people who have been the ones to question theways of the previous generation. That just seems to be the natural way ofhumanity! I have no doubt my children will grow up and question how I dothings too. Young people are idealists, and are quick to find theflaws, malfunctions, and falseness in older ones. The flip side is thatthe older generations are quick to dismiss, underestimate, and begrudgethe younger generation for what would seem to be a shallowspirituality, rebellion, etc. Let me be forthright and describe for youwhat we young people see in the assemblies today and, I guess in a way, inmuch of the older generation which constitute the majority ofassemblies today. (What I say next does not pertain to all, but most.There are always exceptions to every rule. But the following is what wesee as a general rule.) We see PHARISEEISM and LEGALISM at its finest.We see people who are circumcised in the flesh but not in the spirit orheart. Let me explain. We see people who are more concerned about therules; that we wear the right cloths - a suit on Sunday, etc; don'twear make up; don't have earrings; be at all the meetings (or they areconvinced you are backsliding and make you feel awful about it); don't dothis, do that; stay in step or off with your head, etc. We don’t seepeople who truly care whether we are walking with the Lord, enjoying HisWord and growing in grace, or if we are struggling with something in ourlives. In the light of eternity, does it really matter two hoots if awoman wears earrings or not, or is it more important that she is thrivingin her walk with the Lord? Pharisees were known to place burdens on thepeople that were too heavy to bear. We young people find the same thing inthe assemblies. Most young people who have left or just choose not to come intofellowship describe assemblies as stifling. We talk about liberty in theSpirit, but then why is it almost suffocating at times? I am going to giveyou an example of how the assemblies have become like the pharisees, to whomthe external was EVERYTHING but the internal was completely under-valuesand even side-lined.



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