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この間、久保木牧師のブログを読んでいたら、ウィラードの新刊書 (あめんどう刊)を受けて魂についての記載がある記事 (http://blogs.yahoo.co.jp/sjy0323jp/61128297.html)があり、 その中で、ブラザレン運動からのスピンアウトといってよい(あるいは そのものだという人もいますが)ウォッチマン・ニーの著作が言及 されていました。読んだ瞬間、びっくりしてしまいました。まさか 久保木牧師のブログでウォッチマン・ニーに出会うとは。まぁ、 福音派の考え方に、明白に意識されていないけれども、ウォッチマン・ ニーやジョン・ネルソン・ダービーの影響は一般に強いので、驚く 必要性はない、と言えばその通りなんですけれども。 ちなみに、ウォッチマン・ニーの後継者となったウィットネス・ リーとその影響を受けた方々は、完全にブラザレン運動からは実質的 にスピンアウトしてしまい、別系統に分類できると個人的には思って います。それらの方々からすれば、ブラザレン運動が堕落した、という 評価のようですが。 ブラザレン運動の関係者の間では、聖霊の働きを極めて重視する ので、これまでのお話で聞いたことのある聖霊の解釈について、 少し振り返ってみたいと思います。 なお、ブラザレン系の信者にかなり影響力を持つ伝道出版社では、 「助け主」というタイトルで、聖霊論の本を出しておられますが、 現在版元切れで、入手できないようです。手元の書棚にもないんで、 古本屋を当たるしかないかなぁ、と思っています。 ということで、これまで聞いてきた聖霊論と聖霊についての個人 の考え方に関することでのお話を少し書いて、わたくしなりに 整理してみたいと思います。 |
ブラザレン
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ブラザレン運動がアイルランドで始まったことによる影響を 書いてきましたが、最後に植民地としてのアイルランドとい う視点からこの視点を考えてみたいと思います。 日本人には、わかりにくいのですが、英国で最初の植民地経営 がされたところとしてアイルランドは位置付けるのが良いよう です。スコットランドは、いまだにエディンバラ公という名目 上のスコットランド王(エリザベス2世の夫)がおり、英国の皇 太子はプリンス・オブ・ウェールズであることが示すように、 ウェールズでも、スコットランドでも、実質的には、大英帝国の 一部をなしているものの国家としての王制の名残は残っているの ですが、アイルランドでは、スコットランドやウェールズのよう な形で王制の名残は残っていません。それだけ、徹底的にクロム ウェルが征服行為をしたということなでしょう。そういうわけで、アイ ルランドはクロムウェルの時代以降冷や飯を食います(食わされ続 けるというほうが正確でしょう)。 ちなみにイングランド王で、アイルランド王を最初に名乗ったの は、エリザベス1世の父であるヘンリー8世らしいです。もともとは 貴族の集団とうちがされていたようです。だからこそ、アイルラン ドはアイルランド共和国でないと行かんようです。 つまり、落下傘のように英国系の人たちが北アイルランドに降 ってきて、それが支配体制を作っていく、ということが当たり前に 行われた(その結果の恨みが積もっている)ということのようです。 こういう精神性は、伝道にある面、影響を与えているかもしれ ません。未開の大地(クロムウェル時代のアイルランドがそうだ とは言いませんが、クロムウェルにはそう見えたのかもしれません) に乗り込んでいって、そこの新しい秩序を作り上げる。それの根拠 となる聖書がある。そして、新しい秩序としての教会(集会)を 作り上げていく、英国系アイルランド人ならではの発想のように思 います。 そういえば、初期のアイルランドのブラザレン運動の指導者たち には、英国系の貴族の家系の出身者がやたらと多いのも、関係が ありそうです。彼らには、カトリック世界という伝統にどっぷりつ かった(確かに一部のカトリックには、ハロウィーンのように異教 的な伝統もある)未開の大地に住むカトリックの人々に聖書の伝道 を、という精神性がアジアやアフリカの大地に置き換えられながら 伝道が進められていった、ということもあるかもしれません。 もちろん、多くの宣教師が純粋に福音を伝えたい、という思いで 母国を出発したことは間違いはないことですが、しかし、最初の 出発点で持っていた国民性というのか、言語や社会に埋め込まれて いた暗黙の前提の影響も全く見逃してはならないと思います。 しかし、英国史の知識が薄いのは困ったものです。書いていて 苦労します。まだ、未消化の部分もあるので、それはおいおい 英国史(アイルランド史)などをもう少し勉強しながら、文章化 していきたいと思います。今回は、ここでこの連載を終わりたいと 思います。 次回からは、ブラザレン運動と聖霊論、そのあと、女性伝道者 (宣教師)という存在について、しばらく考えてみたいと思います。 |
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アイルランドで子のブラザレン運動が生まれたことは、
伝道という意味では、非常に大きなメリットを持った 様に思います。 スコットランドもそうなのですが、アイルランドも人口 圧力が非常に高い地域であるために、スコットランドも アイルランドも海外にかなり出ていっています。典型 的には、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、ア メリカが主な流出先です。特に、アメリカでは、特定の 職業(警察官、消防士、軍人)などアイルランド系や スコットランド系の人が多い職業もあります。 人口流出圧力は、海外伝道者として海外で奉仕する 人々も増やすことに貢献したように思います。もともと アイルランド人が持っていた、一種の冒険精神というか、 挑戦者精神は、海外で十分な支援もなく伝道に当たら なければならなく海外伝道者には非常に有効に働いた と思います。また、結構アイルランド人は頑固な人が 多いので、その意味でも、伝道者に向いていたかなぁ、 と思います。 そういえば、日本に1930年代以降に到着した伝道者 にアイルランド人が多いことの背景には、そのような 側面もあるのではないかと思います。 |
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以前にも書いたような気がするのですが、ブラザレンの神学嫌い
という側面があります。この側面の背景には、当時のメジャー路 線であった神学がいわゆる自由主義神学や聖書を合理的に解釈 しようとして行きすぎてしまった結果て、聖書の正当性に疑問を抱 かせる神学であったこともあるとは思いますが、それ以上に、 アイルランド人の反骨精神と言うのか、挑戦者精神ということが あるような気がします。 挑戦者精神と言えば聞こえはいいですが、要するに既存の権威 の権威を認めず、権威に食って掛かる姿勢というのが、ブラザレン の信仰スタイルの中で一つの特徴でもあるように思います。 既存の教会を排除してみたり、政治に無関心と言うのか、関与する ことを『世のこと』としてものすごく否定的にとらえてみたりとか、ある いは世俗的な制度(たとえば、帳簿をつけることとか、組織としての 認証を政府や政府の関係機関から受けること)に非常に否定的であ る事などは、アイルランド人気質が多分に影響している部分としてあ ると思います。もちろん、日本のブラザレン運動の多くの集会(キリス ト者集団)は、15年戦争当時、宗教団体法を事実上無視する形で活動 した結果、逮捕者を出してしまいましたし、中には、逮捕、取り調べ中に 拷問を受けた結果と思われる死亡者が伝道者の中から出ています。 このあたりのよくいえば挑戦者精神、悪くいえば無謀さというキリスト 集会の聖書理解にも流れる基本的な精神性はアイルランド人気質に 由来するような気がします。なお、逮捕、取り調べ中の拷問の結果、 死亡されたと思われる伝道者もアイルランド人の伝道者です。(一応 赤痢で死亡したことに当時の特高警察の資料ではなっているようです。) この辺非常に有名なアイルランドのテロ組織とキリスト集会を同一 視しているわけではありません(もちろん、穏健な方が多いですので、 たいていの場合は安心できるのますので、警戒しないでくださいね) が、独立の精神がたっぷりあふれたアイルランドで生まれた信仰復 興運動の一つである、ブラザレンにも、アイルランド人の独立の意識 や思想は大きく影響しているように思います。 ブラザレン運動で中心となったのは、イングランドでも、ウェールズでも なく、スコットランドとアイルランド(いずれも版イングランドでは共通する) であったことなどからも、このことは言えるんではないでしょうか。 とはいえ、宣教師で、赤毛の宣教師は少なかった様に思います。とは いえ、昔の写真は白黒なんで、断言できませんが。(なお、アイルランド 人には、赤毛の人が多いという話があります。) |
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ブラザレン運動がアイルランドで始まったことには、国家と一体化した
教会(国教会、とりわけ、英国国教会、日本では、聖公会)に対する 否定的な視線があります。 日本では、聖公会は大きな集団でないため、取り立てて聖公会の 人々に対して何か特別な思いがあるかどうかというと、あるわけでは ありませんが、聖公会を含め、その他の教会全体に対して、否定的 な視線を含みます。 場合によっては、他のキリスト者の集団と交流すること、友達で あることすら、よくないとされる場合があります。ほんとうは、そんな ことはなくそうとして始まった運動なのですが、既存の教会に対する 否定的な意識から、このような方向に向いているのかもしれません。 あと、アイルランド人の冒険精神というのでしょうか、一匹狼でも平気 みたいなところも、キリスト集会の信者像の一部にあるように思います。 |




