ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレン

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 今回は前回に引き続き、小渕さんの書かれたキリスト

教会についてのテキストを使いながら、信者間の関係と

キリスト集会での行動、信仰者の交わりについて私が考

えていることについて、お話して見たいと思います。

(引用元 小渕春夫(2009)
牧師と信徒、相互の霊的成長を求めて,
牧会ジャーナル 2009年夏号 7ページ)
 毎回の説教を聴いたり、兄弟姉妹の証や態度から多く

を頂いたりしたが、私の性格と年代にもよるものか、教

会の人間関係に馴染むのには年数を要した。そこには何

年も前から築かれた関係や教会特有の行動様式らしいも

のがあった。日曜の数時間しか接触しない人がほとんど

なので、互いに親しくなるのに年数がかかった。自分は

どう振舞えばよく、どう振舞ってはいけないのか、なか

なか見当がつかなかった。(中略)どのような言葉遣いで、

どの程度近づいたらよいのか、何を期待し、何を期待し

てはいけないのか、周りを見ながら見習うしかなかった。

(以上、引用終り)

 「教会の人間関係に馴染むのには年数を要した」とあり

ますが、私の場合は、5歳児のころからイエスを信じる決心

をした14歳の時まで、ほとんど日曜日を教会で過ごしたので、

人間関係に馴染むのに苦労した、と言うことはありませんで

したが、ある日突然キリスト教会(キリスト集会)に入ってこ

られる方というのは、苦労するでしょうねぇ。知り合いもい

ない中、どんなところかもよく分からずに飛び込んでいくの

ですから。まさしく、ジャングルに分け入るランボーみたい

な感じでしょう。まぁ、信者のお友達がいらっしゃったら、

そして、事前にちょっとした解説があれば、それは薄らぐか

もしれませんが、そうでなければ、大変だと思います。この

種の苦労をしたのは、大学生のときでした。全く地域の違う、

全く経験したことがない文化の異なるキリスト集会に飛び込

んでいったので、「そこには何年も前から築かれた関係や教

会特有の行動様式らしいものがあった。」ということを発見

することになりました。ラッキーだったことに、飛び込んだ

先が、若い人に柔軟に対応してくれる文化を持ったキリスト

集会だったこと、5歳くらい上のクリスチャンの方がいて、何

かと面倒見てくれたこと、他にも10歳くらい上の信者の方々

が何かと面倒を見ていただいたこと、そこの責任者がかなり

頻繁に招いてくださって、いろいろ食事をしながらお話して

くださったことなどもあり、定着することができました。逆

だったら、さぞやつらいだろうなぁ、と思います。

 「日曜の数時間しか接触しない人がほとんどなので」。そ

うなんですよねぇ。普段は仕事があるんで、接触しにくいん

です。皆さん。私のときには、木曜日の聖書研究会とも祈り

会ともつかない会があったもので、それが私の成長に重要な

役割を果たしました。それと、伝道者の方がおられたので、

伝道者の方がほとんど出てくださったのも大きかったです。

 「何を期待し、何を期待してはいけないのか、周りを見な

がら見習うしかなかった。」(中略)で略されている部分は牧

師に関する部分ですが、これは、牧会ジャーナルの本誌をお

買いになってお読みください。もともとのコンテキストでは、

牧師に対して語られていますが、キリスト集会の場合、誰に、

何を期待し、何を期待してはいけないのか、周りを見ながら

見習うしかない、というのが実際のところだろうと思います。

キリスト集会には、「明文化されているルールがない」とは

言いつつも、明文化されているルールがないがゆえに、この

ような周りの動きを見ながら判断するということが、普通の

教会よりもはるかに求められるものと思います。外部の人に

は分かりにくく、長年いって初めて分かるルールは存在しな

いでしょうか。某巨大掲示板サイトでのあるキリスト集会の

できごとに関しての記事にも、そんな投稿がありましたっけ。

もし、長年いっているうちに分かってくるルールが存在する

とすれば、キリスト集会には、「暗黙に宣言された見えない

ルール」が外部の目から見た場合、存在することになると思

います。ほとんどのキリスト集会には、そういうルールはな

いと思っておりますが。とはいえ、自分自身、自分の心の中

に書かれていないルールを作っていないかどうか反省しないと。

ルールがないと明確に主張する方がおられるほど、キリスト集

会は、革命的なんだなぁ、キリスト教界におけるロックン・ロ

ールだったんだ、と改めて思います。服装はロックやカジュア

ルでなく方が多いですが…。

これからのシリーズは、ある方が牧会ジャーナルに

かかれた、この方のキリスト教会の体験が記された

記事の内容を引用しながら、私たちのキリスト集会

に共通する問題を考えて生きたいと思います。今回

は、現代に生きる教会(キリスト集会)のあり方を考

える、ということでお話をスタートして見たいと思

います。

(引用元 小渕春夫(2009)
牧師と信徒、相互の霊的成長を求めて,
牧会ジャーナル 2009年夏号 6-7ページ)

教会における信徒の霊的成長については、それぞれ

の歴史、習慣、環境の違いがあるので、共通するこ

とを述べるのは難しいと思われる。そこで私がかか

わった教会との関係で、以下に助けられたかを短く

振り返ることで、私なりに気付いたことを述べてみ

たい。自分の経験は限られているので、見当違いに

ならないかを恐れている。

(中略)

 初期の教会生活で受けた印象は忘れられない。教

会のメンバーは年上ばかりで、同年代の若者はほと

んどいなかった。年長者たちはみな、地味な背広と

ネクタイだった。私は背広を持っていなかった。

ジーンズ、Tシャツ、長髪という70年代のファッシ

ョンで育ち、ビートルズやロック音楽を聴き、反体

制的な文化で育った私には、背広とネクタイは体制

派の象徴だった。また、教会は地味で、使用してい

た『聖歌』『聖書』の表紙は黒しかなかった。初め

て所有した聖書の表紙には特に戸惑った。黒字に金

文字、ページの縁には金泥が施してあり、ピカピカ

に光っていた。色あせるまで隠して持ち歩いた。

 礼拝では、深刻な顔をした大人たちが下を向き、

自分たちの罪深さを繰り返し嘆き、救いへの感謝の

祈りを捧げていた。賛美の歌は、少し物悲しいもの

か、勇ましいものが好まれていた。『賛美歌』の歌

詞はよく分からなかった。それで私の信仰がどの程

度養われたかは自信がない。人間関係ではみなが丁

寧に接してくれたのは驚きだった。「兄弟」「お祈

りください」「感謝です」「恵まれました」「導き」

「御旨(みむね)」といった独特の慣用句、敬虔な

表現に戸惑い、みなが私より信仰的に優れた人ばか

りに思えた。

(引用終り)

 この文章を読みながら、私は、その通り、同感と

思ってしまいました。最初に私が集ったキリスト教

会(キリスト集会)では、同世代はいないどころか、

14歳だった私の上は、40前後の男性信徒の方でした

から、かなりさびしい思いをしました。母親がその

教会のクリスチャンでしたことと、まだ中学生でし

たから、反体制的なファッションや音楽、文化には

触れていなかったので、体制派の象徴を素直に受け

入れていたのでした。その意味で、中学生にして体

制派(?)に組み入れられていたのかもしれません。

オヤジ臭い中学生だと思います。歳不相応にませた

ことを求められたともいえるかもしれません。

 「深刻な顔をした大人たちが下を向き、自分たち

の罪深さを繰り返し嘆き、救いへの感謝の祈りを捧

げていた。」その通り。私が信仰生活を始めたキリ

スト教会(キリスト集会)もまさしく、お葬式のよ

うな礼拝でした。そして、それが当たり前と思って

いたのです。でも、今になって考えるとおかしいの

かなぁ、と思い始めています。そもそも、礼拝とは、

イエスの復活とイエスの復活に連なったことを覚え

ることが目的のはず。何でそれがお葬式なんだろう。

確かに、イエスの十字架は重たい、救いの意味は重

たい。でも、いつもいつもお葬式である必要がある

のだろうか、と思ってしまいます。古屋 安雄 著

『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか』によれ

ば、他の教会でも似たり寄ったりのようです。

 このことへの問題意識をもったのは、アメリカに

行ってここでも紹介しているShoreline Community

Churchに滞在して以降です。彼らの信仰生活はまじ

めでしたが、礼拝はお葬式ではなかった。私は、カ

ルチャーショックを受けたのです。そして、そうか、

単純に喜んで礼拝していいんだ、それを表現してよ

いのかなぁ、と思い始めたのでした。キリストの死

と復活にあずかることの喜びを表現する、そのこと

の重要性を最近は感じています。

 (「兄弟」(中略)「御旨(みむね)」といった独

特の慣用句、敬虔な表現に戸惑い」)とありますが、

普通の日本人は、戸惑って当然だと思います。そも

そも日用語にそういう語がないんだから。戸惑わせる

だけならいいけれども、それが人、特に来会者(業界

用語で求道者)との間に心理的な壁を作るとすれば、

どうでしょう。逆効果になりかねない危険性を感じ

ます。教会で(キリスト集会で)どのようなことばを

どのように使うのか、これは重要だと思います。そ

のことをこの文章を読みながら思いました。

 最近、私の小学生のおいが巡回伝道者に「○○兄弟、

お交わりをお願いします。」といったとかいわないと

かといった話を私の母親から聞かされましたが、これ

も外から見たら、ちょっと変かもしれないなぁとおも

います。敬虔な小学生?個人的にはあまりありえない

のでは、と思ってしまいます。小学生の素直さ故にロ

ールモデルを演じているとしか思えないからです。そ

れは一種の演技であって、本質ではないのではないか、

という疑問を持ってしまったのです。

 私たちが福音を伝えることは、私たちの主義主張を

そのままの形で、伝えること、相手の方にそのことを

納得してもらい、要請するということではないのでは

ないか、と最近思い始めています。相手の立場に立っ

て、相手のココロにイエスキリストが伝わるよう、伝

えることが、大切ではないかなぁ、と思います。

 この部分を読みながら、そんなことを感じました。

 先日の記事で、オープン・ブラザレンの考え方に、エクスクルーシブ・

ブラザレンの考え方が影響した話をいたしましたが、その中でも最も大き

な影響を与えたのが、CHMで知られるマッキントシュです。

 信者の色分けをするようなことはいやなのですが、日本でも、エクスク

ルーシブ・ブラザレンの方の書いた書籍の影響は大きいと思います。CHM

で知られるモーセ5書に関する注解書のマッキントシュはエクスクルーシ

ブ・ブラザレンの色の濃い人物です。CHMはブラザレン系の教会(キリスト

集会の世界)では有名ですが、それ以外では、あまり影響を持った信者で

はありません。F.F.ブルースは、オープン・ブラザレンの人物ですが、

ブラザレン系のキリスト教会(キリスト集会)ではあまり認識されていま

せんが(とは言っても、伝道出版社から本が出ているので、関係がある

人物として認識されていますが)、英国では余りキリスト集会(ブラザレ

ン系のキリスト教会)ではよく言われていなかったようです。彼の書いた

ローマ書の注解はすぐれていると思いますし、他の本もすぐれていると

思います。日本語訳が少ないのが残念ですが。

 書籍が色々な形で、読者に影響します。その意味で、読む本を選ぶこ

とが大切ですし、著者の立場や考えをある程度知った上で、書いたもの

を丸呑みするのではなく、自分の中で聖書に照らしながら、批判的に考

えること、時間がかかっても聖書をもとに自分の頭で考える、という作

業を繰り返すことが大切だと思います。ここの本だから、安心だ、とい

う形で読むのではなく、どの本でも、その本の著者と対話するつもりで、

そして、そこは私は同意できない、ここには疑問があるということを考

えながら自分の考えを深めていくことが大切だと思います。

 本を読むことは、大切です。聖書を読むことはもっと大切ですが、そ

うであっても、独りよがりの信仰とならないために、本を読み、冷静に

その本の内容と自分の聖書理解の違いを考え、他の信者がすでに10世紀

以上も前にたどり着いている結論を10年かけて再発見することに意味が

ないとは言いませんが、独りよがりな信仰とならないためにも、聖書以

外の信仰書、注解書、霊性を養う書物の類を、聖書に照らしながら、注

意し筒、慎重に読むことも重要だと思うのですが。

 若い人たちは、自分達の信仰を見直す道具として、積極的に聖書と聖

書以外の聖書に関係する書物を読むことをお勧めしたいと思います。
 
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参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

 オープン・ブラザレンとエクスクルーシブ・ブラザレンの区別が

つきにくい原因の一つに書籍があります。オープン・ブラザレンが

エクスクルーシブ・ブラザレンとの聖書理解の関係が近いというの

か、エクスクルーシブ・ブラザレンの考えではないかと思われるお

話をされ足り、そのような聖書理解に立つオープン・ブラザレンの

信者がいる理由は書籍の影響と考えた方がよさそうです。

 特に19世紀のブラザレンの成立期には、オープン・ブラザレンで書

籍を出版して、多くの信者に影響を与えた信者が少なく、オープン・

ブラザレンの信者が聖書以外で読む本の多くは、エクスクルーシブ・

ブラザレンの著者が書いた書籍だったということがあるようです。

まぁ、19世から20世紀にかけては、自由主義神学が跋扈した時代です

から、神学良書と呼ばれる書籍が少なく、一般の神学書には、手を出

せなかったこともあり、安全と思われたエクスクルーシブ・ブラザレ

ンの書籍を読んでいた、という側面もあるのだろうと思います。

それと、聖書以外は、禁書、見たいな雰囲気もあったのでしょうし。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes,
Paternoster.
ISBN 1842272209

 これまでも何度か触れたように、オープン・ブラザレン

(インディペンデント・ブラザレン)とエクスクルーシブ・

ブラザレン(コンネクシアル・ブラザレン)の間で、関係改

善や関係回復を目指し、関係修復を目指した動きはとられま

したが、関係修復が成功したとはいえない状態が続きました。

しかし、互いにそっぽを向いてたわけではなくて、協力する

場合は協力関係がとられたのでした。

 例えば、よく見られた協力関係では、伝道者、特に海外伝

道者への支援です。これは、オープン・ブラザレンの宣教者

をエクスクルーシブ・ブラザレンの信者が支援したり、エク

スクルーシブ・ブラザレンの宣教者をオープン・ブラザレン

の信者が支援したりと、かなり広範な関係が見られます。宣教

はエクスクルーシブ・ブラザレン、オープン・ブラザレンの区

別なく、プリマス・ブラザレンの最大の特徴でもあり、協力関

係がとられました。これは忘れてはならないことです。だから

こそ、日本のキリスト集会の今の形もあるし、私が信者でいら

れるのも、このような広範な協力の成果だと思います。

こういうキリストの体としてひとつであることを認識した上で

の小さなトラブルを超えた広範な協力関係を構築することの大

切さを感じます。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes,

Paternoster. ISBN 1842272209


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