ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

石濱義則さんの思い出

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日本のブラザレン形成において、非常にユニークな活動をした石濱義則さんの問わず語りの記憶など
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 石濱さんというのは、伝道熱心な方でしたねぇ。3度の飯より伝道がすき、

というのか、他人の時間は関係なく、伝道していました。生活保護などの社

会福祉が進んでも、その制度の枠に収まらない方やそれでも十分でない方、

お金などに困っている方なども集会に来られたようです。何度かは、現場に

居合わせました。現在所属している集会でも、数年に1度くらいの感じで、

そういった方が来られることもあります。

 集会に来た以上は、福音を聞くものと思っている石濱さんにとっては、そ

の方を捕まえて2-3時間にわたって福音をお話になったようです。相手の方も、

お金とかいろんなものをもら得るだろうと思って、来ておられるので、仕方

なく聞いておられた方もあったようですが、ほぼ、一方的にお話しを聞かさ

れるので、かなり大変だったろうと思います。

 昔は、教会にはお金に困った方や、アルコール中毒患者の方、ギャンブル

中毒の方が時々来られていたのですが、最近は来られなくなりましたねぇ。

減ったような気がします。そういう方の目的が福音を聞くことでないと分か

っていても、延々と福音を楽しそうに語っておられたのが、石濱さんという

方でした。そういうときには、ギリシア語がどうの、ヘブル語がどうの、こ

の部分の聖書解釈はどうのということはなく、シンプルに分かりやすいお話

をしておられたことを記憶しています。

 石濱さんが集っていたキリスト集会には、石濱さんがなくなられる5年位

前には、聖書のお話を聴きに来る方は極めてまれでしたが、そういう人が来

られた時には、本当にうれしそうだったことを記憶しています。

 福音を語ることが心底何よりも楽しい、石濱さんは、そんな方だったです

ね。

 石濱さんという方について、まだまだ語りたいこともあるのですが、忘れ

たくない,残したい、こんな面白い話もあったのだけど、という思いもある

のですが、いつまでもずるずるとこのまま続けるのもどうかと思うので、石

濱さんの思い出については、今回で終わりにしたいと思います。懐かしい思

い出を持ったまま。

石濱さんの思い出(19)

 石濱さんの思い出が書きかけになっていたのですが、一応、これ以上は、

書くことがよいことかどうか迷うような部分もあるので、、このくらいに

しておきます。とりあえず、後もう1回分書いて、いったんこの記事を終

了にしたいと思います。とはいえ、この記事を終了したくない、という思

いもあるのですが。
 
 石濱さんは、髪の毛が薄い方でした。かなり若いときから、大分薄くな

っておられたようです。なので、時に路傍伝道しているときに、「おい、

はげ」とか「タコ坊主」とか侮辱的な表現で呼ばれることがあったようで

す。伝道が目的ですから、特にそれで怒ったり、そのことに対抗したり、

ということはなかったようですが、内心、あまり愉快でない思いだったこ

ともおありだったようです。まぁ、神戸は外部から見ればおしゃれな町か

もしれませんが、もともとは漁師町なので、かなり気性が荒い町でもあり、

また、昔は、港湾関係の労働者が多い町でもあったので、かなり気の荒い

方も少なくない町でもありました。神戸祭りというお祭りの時にかなり騒

動があった時期もあります。最近では、そんなこともなくなりましたが。

そんな中でも、一生懸命伝道されたのが、石濱さんだったのでした。

 一度、エリシャの話(2列王記2章)をしている時に、この話が出て、

「私は、外で神様のお話をしている時に、時々、はげ、とかタコ坊主とか

呼ばれることがありますが、皆さん、神の預言者にはげ、といったらいけ

ないんですよ。本当に熊が出るかもしれません。」とお話されたことがあ

りました。幼稚園児だった頃、この話を聞ききながら、「このおじいさん

にはげといったら、本当に熊が出て来るんだ」と純真だった小学校に行く

前の私は思い込んだのでした。

石濱義則さんは、小学生前後に、警察官だったお父様を肺の病気でなくされています。お話されたことはあったと思うのですが、正確な時期は覚えていません。歯科医のところに尋常小学校卒業で弟子入りされていることからも、多分、小学生の時期だったと思います。

記憶が確かでないのですが、鉄道のガード下で、交通整理をする形だったということで、塵肺か何かの肺のご病気でなくなったようです。

このお父様が早くなくなった、ということは、石濱さんの神様の理解に多少の影響があるように思います。というのは、聖書のお話を聞いている時に、父なる神、という表現が非常に強く出ているからです。
神様ということを理解する中で、ご自身のお父様と重ねてみておられたように思います。

というのは、石濱さんがお話されるなかで、神様に向かって「父なる神様」と呼びかけると「なんだね、義則」と答えてくださったというような表現をされたことが、何回かありました。そのお話を聞きながら、この人は、神様と非常に近しい関係にあるんだなぁ、ということを思うと同時に、この神様と身近にかんじるのはなんなんだろう、と思っていましたが、あまり関係を持つことが少なかった父親の存在を「父なる神」に重ねてみていたのかもしれない、と今になって思い出して見ながら考えてしまいます。

明日から、軽井沢の第2部に参加します。しばらくブログの更新はお休みします。

 また、英語が喋れて歯の治療も受けられる、というので、各地の宣教師が泊まり込みで歯の治療に来ていたのも、これまた事実だそうです。

神戸は海外航路の到着港の一つでしたから、神戸に行ったら、石濱という信者がいて受け入れてくれるという紹介もあったのかもしれませんが、そういう外国の方も結構来られていた、と二男の石濱義信さんがお話しくださいました。そんななかでも外国人がジョークを言っても、ネイティブのシナヨさんには通じても、文字を通して学んだ石浜義則さんには通じず、憮然とした表情をしていた、という私なんぞが垣間見ることのできないお話もしてくださいました。

 そんな昔話の後、石濱義則さんがなくなられた後、体の様々な部分が不調で、がんや、潰瘍の手術などで、体内を切り刻むような治療を受け、入退院を繰り返しながらも、ご家族に看病されながら、生活をされたこと、最後は、石濱ミカルさんのお宅で眠るように息を引き取られたことをお話しいただきました。

 その後、食事が用意されているということでしたので、お弁当を千葉キリスト集会(教会)の2階の食堂部分でごちそうになることになりました。お名前はかねがねお聞きしていた、そしてご著書を集めてきた石濱ミカルさんとお会いし、昔話にちょっと花を咲かせたり、私が書いているこのブログの話をさせていただき、いくつかコメントや記憶違いをお聞きしました。そして、石濱ミカルさんのブラザレンに関する意識みたいなお話も少しお聞かせいただきました。本当はもっとお話しをお聞きしたかったのですが、電車の時間があるとかで、先に出発していかれました。もうちょっとお話をお伺いしたかったですが、ちょっと残念でした。

 シナヨ姉妹の召天をきっかけに、石濱義則さんのお孫さんのお一人がこのブログを発見してくださり、コンピュータを使わない石濱さんのご親族にもご紹介していただいたことで、私の記憶違いや、私の勘違いなどのご指摘を頂いております。ご指摘をいただいたことは、すぐ直すのが、私のブログの方針なので結構変わっている部分があります。

(このブログの中での石濱さんの記憶をたどっている理由ですが、こういうちょっと変わった信者たちがいた、という記録を残すことで、今の信者の皆さん方に、ある時代の雰囲気とか、信仰を考えるきっかけを作りたいだけ、というのが理由です。自分がすべて正しいとは思っていませんので、訂正及び修正は素直にしていきたいと思っています。)

だから、mさん、気軽にコメントしてくださいね。

石濱さんを取り上げている理由は、どう考えても石濱さんみたいな破天荒な信仰生活はだれもができるものでもないし、そうしなきゃならんものではないし、現代では、そういう生き方は無理だと思っているのですが、自叙伝がもう手に入らないし、家族が書くとどうしても客観性の問題があるし、ということで、できるだけ私にいろんな機会で直接石濱義則さんからお聞きした記憶をできるだけたどりながら、書いていきたい、と思っているだけです。だから、ときさん、間違っても、石濱さんのまねしようとか思わないでね。一人ひとりの信者は、その人に与えられようとしている神様のご計画を素直に求めていけばいいと、私は思っています。石濱さんの場合、素直に求めたことが、結果として破天荒な生活だった、ということのように思います。

(前回から続く)

 戦後も、和田岬の金平町というところ(ちょうど川重、三菱重工などの工場群のすぐ近く)で開業したら開業したで、患者さんがどっと集まって、夜中二時まで技工作業(金属製の詰め物を作ったり、入れ歯を作ったりする仕事)をするような生活となります。そんな時、石濱義則さんは御家族に向かってこう言ったそうです。「患者が多すぎる。患者が多すぎ、伝道活動に差しさわりがあるるから、一日12人くらいになるように神様に祈らなければ・・・」というお話を、石濱義信さんがしてくださいました。また、遠方で伝道集会をするから、ということで本日休診の札を掲げて、1週間ほど家を空ける、小倉で伝道集会があるから、ということで、また1週間を家と診療所を空ける。という生活だったことをお話しされました。

 この話を聞きながら、これが石濱義則さんなんですよねぇ。家族のことなんかほとんど考えていない。神様と自分との約束(たぶん、石濱義則さんが、信仰を持たれた時に、私は神のために生きる、という約束をされたようです。それを単純に守ろうとされたようです。)が何にもまして優先する。それはクリスチャンとしてはそうなんですが、やっぱりどう見ても、石濱義則さんの信仰の姿は、破天荒。
このような話を聞きながら、石濱さんの生前のご活動を思い出してみると、確かにそうだよなぁ。よくまぁ、奥さまがあきれずに支えておられたというのか、あきれて諦めておられたから、支えることができたのか、といった感想を個人的にはもちました。
 お客さんやら、客人やらが絶えなかったことだと思います。まぁ、非常にオープンであまりいろんな細かいことを考えない方でしたから、お客さんがちょっと寄っては泊っていく、ということはしょっちゅうだったようです。今と違って、安いホテルがあちこちにあるわけでなく、また、楽天トラベルみたいにホテルを検索して、安いところが見つかるわけではなく、新幹線や飛行機がバンバン動いているわけではありませんから、九州から東京に転勤だと言っては、ご訪問なさる方があったり、といった具合だったようです。このことも、記念式で石濱義則さんの二男の石濱義信さんが語ってくださいました。お客さんをどうぞどうぞと言って受け入れ、信仰談議に花を咲かせるのは石濱義則さん、そのための準備をするのがシナヨさんだったわけですから、そのご苦労は並大抵ではなかった、と思います。

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