ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

石濱義則さんの思い出

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日本のブラザレン形成において、非常にユニークな活動をした石濱義則さんの問わず語りの記憶など
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石濱さんの戦後の活動として、というわけではありませんが、石濱さんは実直な方でもあり、うそとか妥協的なことが大嫌いでした。払うものは払うし、払えないものは、払えないという立場を取られた方でした。

たとえば、石濱さんは、自営の歯科医でしたから、収入をきちんと計算して、きちんと申告したら、周辺の歯科医師に税務査察が入ったことがあったようです。他の歯科医に比べて、収入が異常に多く申告されたらしく、それをもとに近隣の歯科医に税務査察があったため、近隣の歯科医から、申告に手心を加えられないかと持ちかけられたことがあったようです。そんなことを持ちかけられた日には、うそをつけというのか、といって、そんなことはできないということで、一言のもとにその意見を退けられたようなことをお話されていたのを思い出します。

節税のため、収入の過少申告が当たり前だった時代(さすがに今ではそういったことは少ないとは思いますが)、まともに所得申告したものだから、周辺の方が困られたということでしょう。

石濱さんらしいエピソードだと思います。

石濱さんは、歯医者さんとして活動しながら福音を語っていかれましたが、思い込んだら、そのとおり、原則を維持しようとする頑固さと言うのか、純粋さと言うのか、教条主義的な行動と言うのか世間から見たら(クリスチャンから見ても)ちょっとなぁ、と思う行動を平気で取れた方でした。

それだけの頑固さと言うのか、純粋さがあったからこそ、戦前、戦後の非常に厳しい環境下でも信仰を守れたのだろうと思いますが。

いくつか、面白い話がありますが、神戸で新しい建売を買って開業してから間がないころ、ご近所から神輿を差し向けられてのお祭りの奉納金の奉加帳が回ったことがあるらしいのですが、信仰と一致しないので一切奉納金を払うと言うことはなかったようです。当時は、都市化した地域においても神社やお祭りを中心とした地縁社会、地域社会が生きていた時代なので、この行動は相当奇異に移ったようですが、それをやってのけられるだけの頑固さが、信仰を保つ為には必要だったのかな、と思います。

そんなこんながあった後、学校に地域がピアノを寄付しようとしたとき、神社のお神輿への奉納金の拒否事件からか、石濱さんは、信仰から出さなかったのではなく、けちだから出さなかったのだと言ううわさが地域社会で蔓延したようです。この結果、寄付を求めて訪問する人々がピアノへの寄付金をお願いしに行くかどうかについてもめていて、そのうち一人が意を決して申し込んだところ、多額の寄付をしたので驚かれた、と言うことがあったようです。

信仰を守ることが、今のように容易でない時代、そして地域社会からつまはじきされることを覚悟しなければならない時代なので、非常にご苦労されたようです。

戦後の石濱さんは、ラジオ伝道、トラクトの作成、英語による聖書研究会による伝道、実際の福音メッセンジャーとして日本各地での奉仕と、元結核病患者と思えないほどの活動をされます。

ただ、思い込んだらまっしぐら、と言うところがあって、とってもチャレンジングなスタイルを保っておられました。自分がそうだ思ったら、だれかれかかわらず議論を挑んでいくところがありました。海外からの宣教師であろうと、多くの方から信望を集めておられるような人々であろうと、どんな信者であろうと、食って掛かっていきました。

とはいえ、自分より知識水準が十分でない為、誤解を生んでおり、おかしなことを言っている場合は、優しく個人的に違うのではないか、と言うような形でやわらかくご指導しておられたようですが、相手が大人の場合、同格の場合、公衆の面前で、あなたの考えは間違っていると言うことを指摘するなど、結構かなわないなぁ、と思われる行動をとられたようです。

とはいえ、当時の日本のブラザレンに珍しく、ヘブル語・ギリシア語に基づく聖書研究をしておられましたので、反論できる方は少なかったようです。論理も明晰だったですし。

ただ、反論の対象になった方は愉快な思いをしなかったことだけは確かですが。

戦後、中国伝道が、中国共産化に伴って困難になったため、A.L.Dexterさんご夫妻が、神戸の伝道のために1950年代から神戸での伝道活動に参加されます。神戸の三河口町にある集会所で、一緒に伝道活動を行われます。

もともと、ウェールズのカーディフご出身のデクスターさんたちは、ハドソン・テイラー同様、インランドミッションを目指しておられたために、日本語はあとから必死になって学んでおられたようです。

ヘイさんや、デクスターさん、石濱さんと英語を話す兄弟姉妹が多いこともあり、英会話を中心にして、伝道の切り口にしていった部分が非常にあります。ノバは倒産しちゃいましたけれども、英語がしゃべれることが今以上に価値のあった時代、生の英語にふられれる機会が、今以上に限られていた時代でしたから、英会話や英訳聖書を通しての聖書研究会等英語に触れられる機会は、非常に効果的に福音を伝える機会になったようです。

そういう意味で、神戸自体が外国のにおいのする町でしたが、その中でも、外国のにおいのする密度の高い教会だったように思います。

戦後の石濱さんの伝道スタイルは、路傍伝道であり、太鼓をたたいて、肩かけ型の拡声器で聖書を読んで、通行人に福音を語ると言うスタイルです。多くのプロテスタントでも以前はよくされた方法論でした。昔は、のんびりした時代だったようで、結構聞いてくれる人々も多かったようです。

ハイテクを比較的早く取り込むブラザレンらしく、石濱さんも早くから当時のハイテクだったテープレコーダーを路傍伝道で活用します。

ウォークマンで育った時代の人たちには信じられないでしょうが、当時のオープンリールは、10−20キロくらいある馬鹿でかくて、重たい機械でしたが、それを毎度毎度もって行っては、路傍伝道でつかったようです。

それに目を付けた泥棒さんに付けねらわれて、テープレコーダーを盗まれてしまいます。それくらい、貴重品だった、テープレコーダーだったことが分かります。


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