ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

石濱義則さんの思い出

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日本のブラザレン形成において、非常にユニークな活動をした石濱義則さんの問わず語りの記憶など
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石濱さんは、神戸で歯科医を続けながら(本職は伝道で、歯科医は副業をだといいながら、(そうですね。確かにそうおっしゃっていましたよねぇ。ここもご遺族の方からの情報提供がありました。情報提供ありがとうございました。))、神戸を中心に全国で福音宣教活動をされ、トラクトを書き、ラジオ伝道をし、神戸集会(教会)の責任者をし、という活躍をされていました。ご自身、自給宣教者(自分で、給与を手にして生活をしながら、その傍らで伝道をする宣教者)という立場であり、パウロがしたように自分もしているのだ、という思いがおありだったようです。パウロがしたように、自分もしているというあたりが、聖書に忠実なブラザレンのブラザレンたるゆえんだったりします。

その中で、最初のころは、太鼓などの鳴り物を持って賛美歌を歌いながら、近所を回りながら聴衆を集めたり、子供を集めたりしていたようです。

戦後すぐのころは、集会所などがありませんから、基本的に青空のもと伝道をする、あるいは街角で、人が集まってくるなか、伝道する、運動会のときなどに利用されるテント(天幕)を仮設で空き地に設置し、その中で伝道する、ということをしていったようです。

娯楽といえば、ラジオが各家庭に一台あるかどうか、の時代、映画は年に数回の贅沢だった時代、また、チンドン屋(街頭宣伝活動業者)さんが町に来るだけで、大騒ぎだった、社会が退屈だった時代、このような活動で、聖書を伝えることは非常に重要な方法だったようです。

まぁ、とうふや焼き芋、ラーメン、鮮魚、野菜などの街頭売りが当たり前で、人々が家の中で閉じこもっていない時代ならではの特長だったかもしれません。

石濱さんは、神戸集会の指導者として活動されると同時に、日本各地での伝道活動にも、熱心に関与された方です。あちこちの集会で招かれるたびに、その集会に行っておられたようです。今のように、新幹線が多い時代でもなく、飛行機があちこちに飛んでいる時代ではないのですが、土日を利用しながら、あちこちに行っておられたようです。小倉(城野)から、秋田、郡山、青森、関東各地の集会に行っておられたようです。

もちろん、当時の日本には、イギリス系の宣教師、アメリカ・カナダ系の宣教師、ドイツ系の宣教師、オランダ系の宣教師、ニュージーランド系の宣教師など、さまざまな宣教師がおられましたが、日本語が十分でないこと、日本人の感覚との微妙なずれ、などもあり、福音を語るためにはちょっと課題があったこともあったのでしょう。特にまったくキリスト教に触れたことのない方が多かった時代には、誤解が少なくなかったようです。

日本人の宣教師や伝道者が少なかった時代には、多くの教会(集会)での活動に協力されたようです。

石濱義則さんの戦後の大きな貢献のひとつに、トラクトの原稿作成ということがあります。

ブラザレンの伝道方法の大きなもののひとつとして、トラクト配布ということがあります。街頭に立ち通行される方にトラクトを配布するか、近隣の住宅の郵便受けにトラクトを配布するという方法で配布することがあります。

この配布する際のトラクトの原稿を石濱さんはたくさん書いておられました。伝道出版社というブラザレン系の出版社の伝道用雑誌、「道しるべ」への寄稿したものに手を入れたものや独自に作成した原稿などを利用してトラクトは作成されていました。石濱さんの文章がトラクトとして採用されたものも、数種類あったようです。

最初は、伝道出版社でトラクトを出しておられたのですが、たぶん過激な原稿を書いたことから、伝道出版社で採用にならず、問題視され、それ以降、伝道出版社に寄稿するのをおやめになられたようです。分かりやすい文章をお書きになる反面、やや過激、やや奇矯な行動ともとられない行動も少なくなかった為、このようなトラブルは時々起きていたようでした。子供だったので、よく分からなかったですが。

結局、伝道出版社でのトラクト出版がされなくなったので、ご自身で、お近くの印刷会社でトラクトを印刷されるようになったようです。

戦後、石浜(石濱)さんは、活発な伝道活動をしましたが、その中でも、特筆すべきは、トラクトの作成とラジオ伝道があります。

石浜さんは、聖書を純粋に研究した上で、分かりやすく人に話すこと、分かりやすく人に聖書の言う概念、信仰について話すことができた方です。深い聖書知識、面白く親しみやすい語り口の二つが相乗効果で働いて、トラクトにしても、ラジオ伝道にしてもそれを読んだり、聞いたりした方が福音を知る機会となったようです。

ラジオ伝道は、大阪に居られたバットさんが録音係、話すのが石濱さんで、後に他のブラザレンの関係者の伝道者が語るようになりました。録音された内容は、ラジオ関西から放送され、朝早い時間帯や遅い時間帯に放送されたため、電磁波の影響を避けられたので、一応日本全国で雑音混じりながら聴くことができたようです。とはいえ、電波の出力がそこまで強くないので、山間部などの条件の悪い地域では聴くことができなかったようですが。また、昔は北朝鮮や中国などの各種放送(妨害電波やプロパガンダ放送)の電波出力も弱かったので、結構な範囲で聞こえていたようです。

今は、この放送は、高原剛一郎さんという方がされているようです。比較的語り口は柔らかで、共感を呼ぶスタイルですが、個人的にはぜひ聴こうというような思いになれない点もなくはありません。現在は、インターネットでコンテンツがダウンロードできるような工夫をされていますが、個人的には、私の目指す方向性と少し違ったものを感じるので、少し違和感があります。教会にいけない方に、お勧めしますか、といえば超入門コースとしては、あるいは信仰に興味を持ってもらうためにはお勧めますが、本が読めるなら、他の本を読まれたらいかがですか、いくつか面白い本がありますよ、とお勧めすると思います。

ただ、石濱さんの放送は、非常にひょうきんと同時に考えさせるような内容だったように思います。

戦後の石濱さんの活動

ヘイさんが、神戸市兵庫区内に伝道所を建設してから、そこで福音を語っていきます。伝道所で語ることはもちろん、ラウドスピーカーをもって人通りの多い公園とか街頭で路傍伝道をしていきます。

このあたりは、ブラザレンらしい伝道方法ですし、昔は、チンドン屋さんなどの街頭広告業者も結構たくさんいらっしゃったので、普通の伝道方法であったようです。今では、警察や公園管理者の許可を取ったりしないといけないなどの問題や、世間がこういうことに否定的な目を向けるようになったので、ブラザレンでは、あまりこの手の手法が用いられなくなりましたが。

でも、戦後、この手法で集会に来る人々は少なかったようです。

一番、救われる人が多かったのは、パルモアさんのお手伝いで始めていた英語を用いた聖書研究会のボランティアで出会った方だったようです。聖書研究会のボランティアで聖書を語るうちに、神様を知る人が何人かおられたようです。そのうちの何人かが、神戸集会(神戸キリスト伝道所)の定期的な参加者、そして、そこの信者さんになっていかれます。


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