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石濱さんは、神戸で歯科医を続けながら(本職は伝道で、歯科医は副業をだといいながら、(そうですね。確かにそうおっしゃっていましたよねぇ。ここもご遺族の方からの情報提供がありました。情報提供ありがとうございました。))、神戸を中心に全国で福音宣教活動をされ、トラクトを書き、ラジオ伝道をし、神戸集会(教会)の責任者をし、という活躍をされていました。ご自身、自給宣教者(自分で、給与を手にして生活をしながら、その傍らで伝道をする宣教者)という立場であり、パウロがしたように自分もしているのだ、という思いがおありだったようです。パウロがしたように、自分もしているというあたりが、聖書に忠実なブラザレンのブラザレンたるゆえんだったりします。 |
石濱義則さんの思い出
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石濱さんは、神戸集会の指導者として活動されると同時に、日本各地での伝道活動にも、熱心に関与された方です。あちこちの集会で招かれるたびに、その集会に行っておられたようです。今のように、新幹線が多い時代でもなく、飛行機があちこちに飛んでいる時代ではないのですが、土日を利用しながら、あちこちに行っておられたようです。小倉(城野)から、秋田、郡山、青森、関東各地の集会に行っておられたようです。 |
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石濱義則さんの戦後の大きな貢献のひとつに、トラクトの原稿作成ということがあります。 |
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戦後、石浜(石濱)さんは、活発な伝道活動をしましたが、その中でも、特筆すべきは、トラクトの作成とラジオ伝道があります。 |
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ヘイさんが、神戸市兵庫区内に伝道所を建設してから、そこで福音を語っていきます。伝道所で語ることはもちろん、ラウドスピーカーをもって人通りの多い公園とか街頭で路傍伝道をしていきます。 |




