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石濱さんは、神戸に戻って新開地の付近みたいなところで、歯医者さんをしていたのですが、歯医者だらけの真ん中で、開業したモンですから、お客がきません。そこで、歯医者の材料屋さんに相談したところ、兵庫区の和田岬なら、お客がいるし、歯医者が少ないと聞いて、心機一転、兵庫区の金平町というところで、バス停だったか市電の停留所ののまん前に開業します。(ここも遺族の方からの情報提供から、修正を行っています。情報提供ありがとうございました。) |
石濱義則さんの思い出
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石濱さんは、もともと、淡路のご出身だったこと、神戸でこれまで暮らしてこられたということ、さまざまなことがあったのでしょう。このあたりの細かいお考えについて、語られたことは少なかったですが、神戸に戻ってこられました。小倉で仕事が順調に進み始めたというもののの、あくまで雇われ勤務医だということなどもあり、結局、神戸で歯科医院を開業することになります。 |
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これは、石濱義則さんが書いている本「私の歩んだ道 イエスキリスト」には、書かれていないのですが、戦後の一時期、多分、山口の海底炭鉱で、石濱さんは炭鉱夫として働いていたとおっしゃっておられた記憶があります。多分、1週間以内だったので、自叙伝である「私の歩んだ道 イエスキリスト」には、書いておられないようですが、記憶では、相当厳しい思いをした、とおっしゃっておられた記憶だけが残っています。 |
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戦後、石濱さんは、しばらく小倉で活躍しておられたようです。歯医者の勤務医として、そして、家庭集会から始まった集会に、ご近所の人たちを中心に、多くの人たちが集まり始め、その結果、信者になる人が出てきます。そして、ある程度の信者があつまることになり、小倉(現在の城野集会)の前身を立ち上げていくことになります。近所の人や患者さんに福音を語っていく中で、信者も徐々に増えて行ったようです。 |
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石濱さんの話の中で、小倉時代の話はほとんど聞けていません。ただ、そこで非常に熱心な信者が何人も増えていった、ということ。小倉に非常に思い入れが深いということは、よくお話になっておられました。 |




