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これも、かすかな記憶でしかないんですが、石濱さんがブラザレンに関与するようになったのは、ユニオンチャーチに来ていたブラザレンの兄弟とユニオンチャーチでであったことによるようです。ひょっとして、戦争前から来ていたブラザレンのライトさん(ヘイさんだという修正のご連絡をご遺族からいただきました。ご連絡感謝します。いやぁ、この辺が口述歴史の記憶者の記憶がいい加減で・・・・。)かもしれないが、お話として覚えているのは、不確かになっている。(この辺、口述歴史の限界・・・記憶者(私)が馬鹿だとどうにもならない)
多分、石濱さんがユニオンチャーチに接近したのは、英語が目的だったように思います。基本的に、尋常小学校卒、高等小学校を出て、旧制中学に行かないといくら才能があっても勉強できない時代ですから、その枠を通り抜ける方法として、外国人のいる教会にいって、英語を身につけようとされた、というようなお話の記憶がかすかに残っています。だから、教会ならどこでもいいのではなくて、英国系、国教会からの外国人宣教師のいるユニオンチャーチだったのでしょう。
しかし、ブラザレン運動が飛び出した国教会系のユニオンチャーチでブラザレンの信者に会うというのも変な話だとはおもいます。いずれにせよ、このブラザレンの信者の方は、ユニオンチャーチに行きます。聖餐式に行かないで一人でいるよりは、ダービーが悪だと決め付けているとはいえ、神の民を求めたのかもしれません。理由は分かりませんが、そのブラザレンの兄弟は、ユニオンチャーチにいかれます。
で、ユニオンチャーチで、ブラザレン運動に出会って、石濱さんはユニオンチャーチから、ブラザレン運動にどっぷりとつかっていきます(のめりこんでいく、というほうがいいかもしれません)。東京の新宿にあったブラザレンの教会(今の大京町集会)に所属しておられた皆さんや大阪の信者の皆さんと密接な関係を持つようになります。まぁ、ブラザレンに属する人々自体が少ないので、密接な関係になるのは当たり前といえば、当たり前でしょう。
それで、伝道を一生懸命し始めるようになりました。多分、伝道に必要だったのでしょう。聖書の勉強、そのうちにギリシア語、ヘブル語まで独習してしまいます。
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