ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

石濱義則さんの思い出

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日本のブラザレン形成において、非常にユニークな活動をした石濱義則さんの問わず語りの記憶など
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石濱さんは、ご高齢になっても、金平町のご自宅兼診療所から、集会(教会)まで歩いて通っておられました。毎週、毎週。

神戸集会では、日曜日の午前中に、日曜学校、福音集会(以前、聖書のお話を聞きたい方が午前中を希望された)、午後が礼拝、木曜日が聖書研究会(いわゆる学び集会)でした。

基本的に、福音集会といっても、信者しかいないので、ほとんどが学びで、時々、聖書のお話を聞きたい信者以外の方が来られたときには、福音集会をする、というような乗りだったですねぇ。

ですから、福音集会といいながら、メッセージの内容は結構小難しいものが多く、眠たい盛りの中学生にとっては、厳しいものでした。

その多くのお話をされていたのが、石濱さんでした。石濱さんの語り口は、一種独特のものがあり、関西人特有なのかもしれませんが、一人漫談と言うのか、落語ののりというのか、一人で掛け合いをやって見せる、というようなところがありました。

1970年代後半から1980年代初頭にかけて、ブラザレンの中で、再臨に対する期待が極めて高くなりました。

ひとつは、オイルショック、ひとつは円ドル相場の自由化の結果、急速な円高・ドル安の進行と経済の大きな変革の時期があり、それと同時にイスラエルの対アラブへの戦争での勝利や中東和平の進展といったことを背景としながら、日本のブラザレンのクリスチャンの間でもユダヤへの関心が高くなりました。その中で、ブラザレンの中では艱難前再臨説が主流でしたが、石浜さんは艱難後再臨説を確信しておられました。これは揺るがなかったです。

以前にも書きましたが、経済危機や、政治的な変化の中で預言に対する関心が高まるのは、ブラザレンの伝統でもあるので、ある面当然という側面があります。ブラザレン自身が、再臨の待望を背景とした運動でもあったので、信者がある程度増えてきた中での始めての再臨の待望だったように思います。

その中で、宇野正美さんという元高校の社会科の教師の信者の方が、各地の集会で再臨のことについて学び、それと同時に本を出版(ユダヤが・・・・と世界が見えてくる)というようなタイトルで本を書き、フジテレビの竹村健一が出てくる時事解説番組にゲスト出演するとなると、再臨に関する宇野さんの講演テープが信者間で飛び交いました。宇野さんは、艱難前再臨説にたっておられますが、石浜さんは最後まで艱難後再臨説でした。

この背景には、第2次世界大戦中の非常に厳しい環境下での信仰生活を送ったという個人的な経験が拝見にあったと思います。そして、本当の信者とそうでない信者が分けられるという考えがあったようです。そして、困難の中でしかえられない信仰の成長があることも。

石浜義則さんと中東和平との関係で思い出深いのは、クリスチャンとして有名であった、また発言の節々にクリスチャンらしい言動をにじませていたジミー・カーターに手紙を出して、中東和平を推進するように手紙を書いたら、ホワイトハウスから本当にお返事が来たことです。

非常に喜んでおられたのを覚えていて、石浜さんでも、政治家から手紙をもらって喜ぶことがあるんだ、とちょっとすねた視線で見ていたのを覚えています。

書いた手紙の内容は、両者の間に権益と影響力を持つジミー・カーターが調停役になって、イスラエルのベギン首相(当時)とエジプトのサダト大統領(当時:後に暗殺)との間で、中東和平交渉をいっそう進めるべきで、という内容でその進展を非常に注意深く眺めている、とか言うようなないようだったと思います。

一日にアメリカ大統領が受け取る文書や情報量を考えたとき、まともにジミー・カーターが読んだとは思えず、おそらくホワイトハウスの事務方が、返事をしたものと思いますが、極東の一クリスチャンからの手紙に過ぎない手紙とはいえ、手紙を返してきたところが、まじめな南部かたぎ(ジミー・カーターはジョージア州人)のサザンバプティスト(当時)だったジミーカーターという人物をあらわしているように思います。

政権末期を汚したイラン・コントラ事件にしても、CIAの不始末の後片付けという側面が強いし、もう政権が機能しないことを前提とした上での作戦承認の気配が強いのですが、ジミー・カーター後の民主党系の大統領の平和への地道さのなさは、一体何なんだろうと思います。民主党と共和党の差が、それほどなくなっているように思えません。二人のジョージについては、…。コメントを控えます。

石浜義則さんは、イスラエルの進路に非常に興味を持っていたようです。1970年代には、ヨムキプール戦争があり、イスラエルの行方に非常に興味を持っていたようです。1970年代は、ブラザレンのみならず、イスラエルのあり方に多くのクリスチャンが興味を強く持った時代でもありました。

イスラエルの平和が成立するのかに非常に関心が寄せられた時代です。当時のアメリカ大統領は、ジミーカーターでしたし、エジプト大統領のサダトも、和平交渉に比較的乗り気だったというよりかはアメリカからの圧力を感じていたこともあることもあり、イスラエルの和平の成立に、石浜さんも非常に感心を持っていたようです。

ことあるごとに福音集会や学び会でのお話しでその話しが出てきました。

当時、ブラザレンの中で、宇野さんというもともと高校の社会の先生であった方が、伝道者として活動し、旧約聖書の預言に関する特別伝道集会を開いたり、本を書いたりしていました。その中で、イスラエルのあり方が注目されていたこともあり、かなりの頻度で触れられていました。

石浜義則さんは、イスラエルに行って、現地でレビ(ユダヤの祭司)にあって、旧約聖書に関する話などをしたようです。そして、ヘブル語での詩篇の読み方やエゼキエル書などの読み方などを教えてもらい、全ての聖書の場所が、音楽のように節がつけられ、覚えられていたということを改めて感じたようです。(ここも修正です。石濱ミカルさんからの情報によります。当時、石濱ミカルさんがイスラエル留学と言うこともあり、神戸に今もあるユダヤ人シナゴーグのラビやそこに出入りしていた人々など、関係者とのお付き合いがあり、旧約聖書の音読したものを入手されたようです。それを元に、我々にヘブル語について、お話してくださったことから、ああやっぱり、イスラエルにいっておられたんだ、という記憶にすり替わったようです。謹んで訂正しますとともに、情報提供いただいた石濱ミカルさんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。しかし、やっぱり記憶だけに頼るとどうしてもこうなるのがつらい。)

知識としては知っていても、文字情報からだけ読んでいくのと、さらに実際に歌われている姿を見ながらそれを経験するのでは訳が違うような気がします。

映画やテレビで、外国の様子を知ることができても、空気の雰囲気やにおい、食事の味など、現地に行かないと体験できないものもあるわけで、それを体験して初めて聖書の全体の雰囲気を味わうこともできるので、非常に意義深い経験だったようです。

ヘブル後の節がついた旧約聖書は、努力して教えようとされましたが、節を教えられたほうが馬鹿なので、覚えていない。変な節回しで、おかしくておかしくて仕方がなかったことだけが記憶に残っています。

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