ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

石濱義則さんの思い出

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日本のブラザレン形成において、非常にユニークな活動をした石濱義則さんの問わず語りの記憶など
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石浜義則さんは、1970年前後にイスラエルにいかれます。どういう経緯だったかは分かりませんが、イスラエルに旅行されたようです。(この記事は、私の記憶間違いによるものです。ご親族の方からの証言から、いかれていないことが分かりました。謹んで訂正します。ご親族の方の情報提供ありがとうございました。)娘さんに当たる、現在作家をしておられる石浜ミカルさんが、学生のときにイスラエルのキブツ(イスラエルの集団農場)で生活しておられたかもしれません。

そこにいって、ユダヤ教の世界の現物を実際に体験されて、イスラエル人がどのような環境でどのような生活をしているのかに触れられたようです。覚えている話しといえば、死海の水がやたらと塩からかったこと、塩の柱が立っていたこと、ヨルダン川が本当に幅の狭い小川のような川であったこと、それから、現地のステーキが血抜きをしている為にぱさぱさでまずかったこと、安息日になりそうになるとタクシーが大慌てで目的地に向かって仕事を終えようとするようなこと、なんかをお話になっておられました。

(石濱ミカルさんと直接お会いし、より詳細かつ具体的な情報提供を受けましたので、情報を修正します。これは、石濱義則さんが、当時イスラエルに滞在しておられた石濱ミカルさんからのお話や写真、8mmフィルムなどを元にお話してくださったことを、伝聞情報だ、おはなしされた部分が記憶から抜け落ちてしまったために起きた問題のようです。謹んで訂正いたします。しかし、なにぶん25年以上前の記憶なもので、確かでないことが多くなっています。申し訳ありません。)

個人的に石浜ミカルさんとは面識がないので、なんともいいがたいのですが、1970年時代に戦争をあちこちと抱えているイスラエルに旅行者なのか、留学なのかは詳しく分かりませんが、滞在すること自体チャレンジャーですし、今のバックパッカーの走りだったのかもしれません。よく分かりませんが。

石浜義則さんの思い出で、忘れられないのが、オルガンです。

これもまた、独学ですが、石濱さんは音符と鍵盤の弾き方を多分、本で読んで覚えてオルガンを弾いておられました。今もあるかどうかは分かりませんが、神戸集会にあったヤマハのオルガン(足踏み式の戦後すぐのもの)で鍵盤が木のものだったです。このオルガンを演奏し、聖歌の伴奏をするのが、石濱さんの大きな役割でした。唯一楽器が扱えた方でした。ブラザレンは、楽器をほとんど使わないのですが、唯一受け入れられているのがオルガンでした。オルガンで聖歌の伴奏をした後、司会の方が講壇から降りるとしばらくして、石浜さんが立ち上がるというのが一般的でした。もちろん、他の方も順番のようにお話されていましたが。

正確に演奏なさるのですが、オルガンはオルガンですからテンポはややゆっくりめだったように思います。

オルガンといえば、イスラエルに行かれた後、現地のユダヤ人から聞いてきたユダヤ音楽を覚えてきて、それの伝承に努めようとされたようでしたが、神戸集会では、あまり受けなかったので、結局誰も伝承しなかったように思います。今から35年位前のお話ですが。

石濱義則さんは、まともな中等教育、高等教育を受けることはありませんでしたが、英語を手がかりに、ヘブル語、ギリシア語と聖書研究の幅を広げて生きます。多分、ギリシア語、ヘブル語の順番だと思いますが。

当時、ヘブル語に基づいた旧約聖書の解釈が出来る唯一の、といってよいと思いますが、日本人伝道者でした。伝道や学び会に行っては、ヘブル語の聖書理解の中から話をされることが多かったように思います。ユダヤ人が、主と呼ぶべきところを、アドナイといっているといっては、けしからんといい、本来はイヘウェィと発音すべきだといっては指導し、皆さんも、主と書いてあるところは、本来的にはイヘウェイと読み発音したほうがいい、というようなことをお話になっておられたようです。

神戸集会(神戸市兵庫区)で語っておられたときも、何回もそのお話をしておられました。子供心におんなじ話をして、よく飽きないなぁ、と思っていましたが。

そこまでいうなら、日本語訳はやめて、ヘブル語訳にしたら、という話もあるとは思いますが、それを突き進めていくと、ほとんど異言を語ることと等しくなるので、日本語訳聖書を使っておられました。

石濱義則さんは話が面白かったのですが、熱が入ってくるととまらなくなる習慣があったようで、延々長時間、聞き手の生活を斟酌することなく話をする、というようなことがあったようです。

これは、聞いた話なので、なんとも言いがたいですが、時に3時間を越すような場合もあったようです。特伝に招かれた先で、午後7時から10時過ぎまでやってしまったことがあり、さすがに聞いているほうが限界に達したみたいで、いろいろトラブルが起きた、ということを聞いています。

私が接した時期では、さすがに2時間を越えることはなかったですが、それでも1時間超というのはざらだったです。話し出したら、とまらない。というのは、ブラザレンの特徴か、と思うことは少なくありません。個人的には、お約束はきちんと守る、ということをいたしておりますが。

それだけ、福音宣教に情熱を燃やしておられたということと、語りたい内容があったということだろうと思っております。

石濱さんの戦後の活動とは直接関係ないのですが、石濱さんは、もともと結核患者だったこともあり、呼吸関係の器官にトラブルが多かったらしく、何かと言うと、飴をなめる習慣がありました。しょっちゅうなめておられました。

今では、のど飴とかいった商品が各社から出ていますが、昔は、浅田飴か(そういえば最近あまり見ない)ヴィックスのドロップでした。石濱さんは、浅田飴派だったように思います。時々、ビックスのドロップだったようですが。

子供心にカンから飴を出して、おいしそうに飴をなめる石濱さんを見て、うらやましく思ったものです。懐かしい思い出です。


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