ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

石濱義則さんの思い出

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日本のブラザレン形成において、非常にユニークな活動をした石濱義則さんの問わず語りの記憶など
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(前回から続く)


 戦後も、和田岬の金平町というところ(ちょうど川重、三菱重工などの工場群のすぐ近く)で開業したら開業したで、患者さんがどっと集まって、夜中二時まで技工作業(金属製の詰め物を作ったり、入れ歯を作ったりする仕事)をするような生活となります。そんな時、石濱義則さんは御家族に向かってこう言ったそうです。「患者が多すぎる。患者が多すぎ、伝道活動に差しさわりがあるるから、一日12人くらいになるように神様に祈らなければ・・・」これも石濱義信さんがお話してくださいました。

(ブログ主の感想)でも、これが石濱義則さんなんですよねぇ。家族のことなんかほとんど考えていない。神様と自分との約束(たぶん、石濱義則さんが、信仰を持たれた時に、私は神のために生きる、という約束をされたようです。それを単純に守ろうとされたようです。)が何にもまして優先する。それはクリスチャンとしてはそうなんですが、やっぱりどう見ても、石濱義則さんの信仰の姿は、破天荒。
 
石濱義信さんのお話によると、北海道で伝道集会をするから、ということで本日休診の札を掲げて、1週間ほど家を空ける、小倉で伝道集会があるから、ということで、また1週間を家と診療所を空ける。という生活だったことをお話しでした。

(ブログ主の感想)この話を聞きながら、石濱さんの生前のご活動を思い出してみると、確かにそうだよなぁ。よくまぁ、奥さまがあきれずに支えておられたというのか、あきれて諦めておられたから、支えることができたのか、といった感想を個人的にはもちました。
 お客さんやら、客人やらが絶えなかったことだと思います。まぁ、非常にオープンであまりいろんな細かいことを考えない方でしたから、お客さんがちょっと寄っては泊っていく、ということはしょっちゅうだったようです。今と違って、安いホテルがあちこちにあるわけでなく、また、楽天トラベルみたいにホテルを検索して、安いところが見つかるわけではなく、新幹線や飛行機がバンバン動いているわけではありませんから、九州から東京に転勤だと言っては、ご訪問なさる方があったり、といった具合だったようです。このことも、記念式で石濱義則さんの二男の石濱義信さんが語ってくださいました。お客さんをどうぞどうぞと言って受け入れ、信仰談議に花を咲かせるのは石濱義則さん、そのための準備をするのがシナヨさんだったわけですから、そのご苦労は並大抵ではなかった、と思います。

(次回に続く)

(前回から続く)

 石濱義信さんのお話の続きです。

 戦後は戦後で、日本中が貧しいといっていい状態の中、歯科医の免許が治安維持法違反の結果、取り上げられ、歯科医としての仕事がない中での生活、歯科医免状を回復してからも、小倉での勤務医として歯科医をする生活、神戸に移ってからの開業しての生活など、さまざまなご苦労があったようです。

特に仕事が無い中、山に登るときに賛美歌を歌いながら、石濱義則さんは、情けなくて、涙を流したというお話も、石濱義信さんから、石濱シナヨ姉妹の思い出の一部として、お伺いしました。

神戸に戻って開業したら開業したで、ちょうど、戦後多くの宣教師が入ってきたこと、伝道が自由になってきたこと、進駐軍の暗黙の支援などもあり、各地で教会(集会)が雨後のタケノコのように増えていく中、なかなか話し手がいないということもあり、石濱義則さんは各地で開かれる特別伝道集会にヒョコヒョコと気軽に出かけて行かれたようです。今のように飛行機がバンバン飛んでいるわけでなし、新幹線が1時間に6本も7本も走っているわけでないなか、どっかの教会(集会)に呼ばれたら、自分は、「伝道者として、神様の仕事をするために、アルバイトで歯医者をしている」と言って、すぐさま本日休診の札を出しては伝道に出かけられていたことなどの思い出を石濱義信(二男の方)さんは、お話して下さいました。 

 この辺は石濱義則さんはあまり話さなかったので、よくわかりませんでしたが、戦後モノがない時代、開業してもお客が来ないとき、奥様が、お手持ちの着物などを質に入れ、生活を支えておられた結果、奥様の着物がどんどんとなくなっていく、それでも気にせず、石濱さんは伝道と聖書研究に明け暮れる生活だったというお話も石濱義信さんのお話の中で、うかがいました。こんな伝道生活を陰で支えられたのが、石濱シナヨさんだった、というお話を石濱義信さんからお伺いしました。


ここから、ブログ主の感想。
 タケノコ生活(タケノコの皮のように着るものがどんどんはぎとられていくように、着るものがなくなっていくことから付いた戦後の困窮生活を表す言葉)を福音宣教のためと思って、石濱シナヨさんは、支えられた方だったんだなぁ、と思います。元来、石濱義則さんは、わりとお金に無頓着なところがあって(これはブラザレンでよくある話)、とりあえず生活ができているなら、それで満足しておられたのではないかと、個人的な感想を持ちました。何せ、お得意の表現の一つは、ヨブ記からの引用で、「ヱホバ與へヱホバ取りたまふなり ヱホバの御名は讚べきかな」でしたし、その通りと、単純に思っておられた節がありますから。
ここまで、ブログ主の感想。

(次回に続きます)

石濱シナヨさんの召天記念式に参加してきました。

2008年7月12日、去る2008年6月11日に天の神の御許に帰られた石濱シナヨさんの記念式に参加してきました。およそ100人くらいの方が集まっておられたでしょうか。遠くは九州の城野集会からの方たちが来られていたり、各地から来られていました。
 他には、クリスチャン・ステッカー兄姉(軽井沢)ギュンター・ステッカー兄姉などが来ておられました。日本橋集会から佐野信一兄姉も来ておられました。神戸からは、関係の深い辰巳成之兄姉が来ておられました。
 聖書からのお話をされたのは、下小鳥集会(高崎)の三輪敬太さんでした。しおりに載っていたヘブル書の個所と黙示録の聖書の一部から、神の国とそこに入る希望がクリスチャンにはあること、この希望こそが、キリストを信じる意味であること、その希望を持って生活された石濱シナヨさんだったということ、何かをお話しされました。意外だったのは、三輪さんが信じるきっかけになったのは、アウグスティヌスの「神の国」を読んだことだったということです。
 そのあと、石濱義信さんが、シナヨさんの思い出を語っておられました。ハワイのサトウキビ畑で働くために出稼ぎされていたご家庭で生まれられたこと、14歳の時に日本に戻られて女学校に行かれたこと、そのあと、広島女学院で働いておられたこと、そこで信仰を持たれたこと、広島女学院の宣教師の方の紹介で、石濱義則さんと結婚することになったこと、石濱義則さんと結婚されて、その後、急速に軍国主義に傾倒していく日本社会の中で、ずいぶん時代の波にもまれるような生活をされたこと、特に、戦前の軍国主義の時代の中で、不敬罪での逮捕、信仰のために治安維持法違反で石濱義則さんが逮捕投獄されたこと、その時期、子供さんを抱え、食糧難の中、石濱シナヨさんが生活を必死になって支えられたこと、荒地の開拓などをシナヨさん自らツルハシを持って、子供さんたちと一緒にされたことなどをお話しになられました。あまりお話しになられませんでしたが、軍国主義が蔓延し、それが正義とされた時代、キリスト(というよりかは、ヤソ(イエスの蔑称))を信じて投獄されることは非国民的行為(大時代がかっているけど、本当に厳しい生活だったと思います)だったわけですから、配給の点や、日常生活の点で、辛酸をなめられた、といってもよいと思います。お話になられた石濱義信さん自体、当時の少国民として辛酸をなめられたのだと思いますが、今回はそのことは一言もお話しになられませんでした。(お気持ちが、戦争時代のことに触れられた時の沈黙の中で私には、伝わりました。)

(次回に続きます)

石濱さんが好きだった賛美歌を今、思い出してしいました。
アメリカのドラマ(Without a Trace)で流れていた賛美歌を聴いた瞬間、石濱さんがお好きだった賛美歌は、これだったなぁ、と思い出しました。


きみはわれのまぼろし



きみはわれのまぼろし
たれをほかにもつべき
ひるもよるもわがみの
あおぎみるはただきみ


みことばなるキリスト
われとともにますとは!
血をわけたるおやこも
およばざるつなぎなり


たからも名ものぞまじ
きみをやどしまつれば
いともたかきおうなる
きみぞわれのとみなる


きみはわれのまぼろし
いかなることありとも
のぼらしめよわがみを
いよよたかきそらへと


歌詞の内容も、石濱さんの生涯をあらわしているようで。 特に3、4番は、石濱さんのクリスチャンとしての心情をよく現しているように思います。

石濱シナヨさんは、苛烈とも言うべき石濱義則さんという信仰者の生活を陰になり支えた方でした。とはいえ、あまり体のお強いほうではなく、何度も入院されておられました。胃潰瘍で入院されたり、石濱義則さんがなくなられてからも神戸の鐘紡病院で入院されていたような記憶があります。

高校生時代に鐘紡病院にお見舞いに行った記憶があります。病室をお尋ねし、少しの間お話をして、最後に詩篇の91篇を開きました。

いと高き者のもとにある
隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。

たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。

この聖句は、石濱義則さんもお好きだった聖句のようです。これはまた、改めて。

病院をご訪問したときに、うれしそうな顔をしてくださったことは、忘れがたい思い出のひとつです。ゆっくりとお話をした、数少ない機会だったように思います。


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