ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

石濱義則さんの思い出

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日本のブラザレン形成において、非常にユニークな活動をした石濱義則さんの問わず語りの記憶など
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石浜義則さんは、最後まで歯医者さんでした。

石浜義則さんが、亡くなったとき(天に召されたとき、父の御許に戻ったとき・・・)最後のことばは、少し疲れたから昼寝をする、というものだったとお聞きしています。それも、歯科診療か技巧作業が終わったあと、ちょっと疲れたから、ということでお休みなっている最中に、本当に眠るようになくなったようです。

記憶が定かでないのですが、なくなられたのは、私が高校2年生だったころなので、81年か82年だったと思います。調べれば分かるのですが、記憶が定かではありません。

最後のころは、例の、「命進呈します」というトラクトを配布する、しないということでなかなか理解が得られない(多分、普通の感覚の人には理解できにくい)ことからくる心労、結核による体力の消耗、15年戦争当時の悲惨な生活などから、体力が相当消耗されていたようです。中学生だったころ、お話しておられる石濱さんを見ながら、いつか話している最中に倒れるのではないかしらん、と思ってしまうようなことが何回かありました。また、毎日曜日のように三宮のセンター街でのトラクト配布など、無謀・無茶ともいえるような活動があったためだと思います。

本当に、イエスキリストの福音を伝えるために人生を燃焼しきったその生き方であったように思います。その近くにいながら、なかなか偉大さに気が付かなかったのも、事実でした。こうして振り返ってみると、本当に神に用いられようとした、神に人生を捧げた方なのだなぁ、と思います。

お葬式は、石濱さんが一生懸命奉仕した拠点となった神戸教会(神戸集会)で行いました。全国から多くの方が集まったようです。当時は高校生だったのと、神戸集会の中心であった石濱さんがなくなったショックで、なんともいいがたい気持ちになったことだけは覚えています。

葬儀が行われた結果、珍しく、集会所一杯になったお花と、それを持って帰ってください、と自ら体を動かしておられた奥様の姿だけがすごく印象に残っています。

石濱さんは、歯医者さんをしながら伝道をしていらっしゃいました。診察の合間にも、福音を時々語っておられたようです。

昔かたぎの職人肌の歯医者さんでしたが、医院を開業しておられた近所には、歯医者さんがほとんどなくて、そこで営業していたものですから、患者さんはかなりいらっしゃったようです。入れ歯を作ったり、虫歯ようの詰め物を作成したり、という作業も自分でしておられたようです。器用な方で、なんでも自分で工夫しながら作っていくような方でした。

また、宣教師(医療保険がない)の虫歯などを治したり、ということで、交わりを兼ねて、歯の集中治療のために日本全国から、当時少なくない宣教師が神戸に来て歯の治療を受けておられました。保険がない宣教師の治療は、ボランティアというのか、無償でしていらっしゃったのではないかと思います。宣教師にはありがたいサービスだったろうと思います。

基本的に、外国人宣教師の方は、国民健康保険に入っていない方が多かった(今でも少なくないと見ていますが、よそのお宅のことなので聞きにくい)ので、石濱さんのところで治療を受けた宣教師や伝道者の方は少なくなかったように思います。

あまり、語られることのないテーマですが、宣教師と医療の問題というのは、実はかなり深刻な問題のように思います。それだけの苦労をしても、伝道しよう、と言う決断、というのは真剣に受け止めないといけないように、改めて思います。

戦後の石濱さんの活動に、新約聖書の4福音書での出来事の記述を出来事順に並べ、地図の上に出来事の内容と聖書箇所と一緒に落としていって、わかりやすい福音書記事地図を作成しておられたことがあります。

今ではあまり省みられることはないですが、聖書の場所を分かりやすく表現し、聖書の内容の理解を深める上では、非常に役立つものでした。

事件が発生した場所と聖書の内容、4福音書の記述の異同を抑えながらの作業でしたから、相当大変な作業だったようです。昭和30年代に最初の母型ができ、昭和40年代と50年代に何回かに分けて印刷されたようです。最初の母型の作成に当たっては、熱心な若い信者の皆さんを指導しながら、作成されたようです。家内の父親も、そのような作業に加わっていたようです。

そして、印刷したものを販売したりもしておられましたが、大半は無償で各地の集会(教会)に配布したりしておられました。そのあたりの鷹揚さのある方だったとおもいます。大量に送られた教会では、配布先に困っておられたこともあったようですが・・・。

また、その内容を気に入った方がリプリントする場合もあったようですが、自由にリプリントされることをお認めになっていたようです。

石濱さんは、器用な方だったので、コストをかけずに、一定の機能を果たすような方法をお考えになることが大好きで、いろいろな工夫をしておられました。コンピュータなんかが機械に入っていない時代だったので、機械なんかの小さな修理くらいは自分で解体し、自分で修理しておられたようです。教会でも、いろんな修理はご自分でして居られました。

そういう意味では、本当にアイディアマンだったように思います。一番、思い出に残っているのは、集会の雨戸のロック方法です。雨戸を閉じて、外から動かせないようにするために、一本の木の棒でするのではなく、複数の木の棒で、ストッパー役をさせ、完全にロックするようにして見せる方法でした。

また、教会(集会)の木製の椅子に15cm×120cmのラワンの板をくっつけ、テーブルをつけたり、いろいろな工夫をしておられる方でした。また、テープをうまく使って、古くなった聖書や聖歌の補修をしたり、といろんなことをいかにお金をかけずに工夫で対応するのか、ということに熱心に取り組んでおられました。

石濱さんの思い出で、忘れられないもののひとつに、「私の命差し上げます」というトラクト(伝道用文書)事件がありました。

このトラクト(伝道用文書)というのは、キリスト教の間違いを論破した方に、石濱さんの命を差し上げますという真剣勝負のトラクトを配布しようとした事件です。神戸集会のトラクトとして企画し、印刷して、それを配布しようとしたのですが、その内容の過激さから、さすがにストップがかかり、結局個人で、それを配布、責任の取り先も石濱さんにすることによって、配布されたようです。

非常に無謀というのか、それだけの自信があったというのか、インパクトの強さではこれに勝るものはなかったですね。非常に過激であるという意味でも。この過激さが石濱さんの信仰の情熱の現われだったような気がしてなりません。非常に苛烈な環境を通って形成されたものであると同時に、偏りもあり、とっぴでもあるような気がしてなりません。

このあたりの時期から、神戸の教会(集会)のほかのメンバーとの間に、なんとなく違和感というんですかねぇ、少し気分の違いが生まれていったように思います。


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