ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

英国史とブラザレン

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ブラザレンとの関連から見た英国史
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 これまでにも触れてきましたが、ブラザレン運動は、ヴィクトリア

朝時代に英国で急拡大して行きました。その当時の上流階級の人々の

持つ意識、考え方や雰囲気を知るということは、ブラザレン運動を理

解する上で、非常に重要かもしれません。特に、ブラザレン運動の指

導者層の人々は、貴族階級や、中産階級の人々が多く、それが運動の

あり方に一定の影響を与えていると思います。

 たまたま、テレビを見ていたら、ミス・ポターというピーター・ラビ

ットの原作者となったベアトリクス・ポターという人物の伝記映画をし

ていたのですが、この映画の中で当時の家庭生活や階級意識といったも

のが非常に色濃く反映されて表現されていたので、大変参考になると思

いました。特に、結婚の問題が重要であったこと、また、人々の動きや

考え方といった言葉にしにくいものが、映画として表現される中で、な

るほど、こういうものか、という形で理解できるように思います。女性

の社会とのかかわりや、女性の男性とのかかわり方、ビクトリア朝のイ

ギリス社会における階級意識ということも非常に興味深く見ることがで

きます。

 イギリス人の階級意識については、ほぼ同時期に公開されたQueenとい

うダイアナ妃が亡くなった前後のイギリス王室を扱った映画や、『日の名

残』というイギリス貴族階級とその執事との関係を扱った映画でも、うか

がい知ることができます。発音で出自が分かってしまうのは、マイ・フェ

ア・レディを英語で聞くと分かります。マイ・フェア・レディは英語の

違いが分かれば、大爆笑できます。英語は英語でも、発音の良さ、という

のが重視されるのが英国人気質のようです。

 しかし、1990年代のワシントン州でであったキリスト集会の女性たちの大

半は、ミス・ボターというこの映画の中で、ロンドン時代に登場する女性の

服装と同じような服装をしたので、服装のコードは、基本的にこの時代で止

まっているのかなぁ、ということを感じました。

 そういう意味でも、ブラザレンの生まれた時代背景を知る上で、非常に参考

になる映画です。Lake District(ポターがはじめたナショナルトラストの発

祥の地)の美しさを見るだけでも価値はあると思います。

 
 ブラザレンの出発の時期は、一種のリバイバルの時期と重なっていたこと

もあり、ブラザレンだけではなく、多くの福音を大事にする教会に人々が集

まり、そこで、聖書のお話を聞いて、非常に多くの人々が、改心して、個人

的な体験として、神と出会い、神と従う決心をした人々が非常に多かった時

代のようです。それもあって、この時期にブラザレンのキリスト教会(キリ

スト集会)は相当な勢いで拡大したようです。

Tim GrassのGathering to His Nameの61から62ページには、次のような記述が

見られます。
---------------------------------------------------------------
 1840年に、A.N.グローブスが記録したところによれば、イングランドとアイ

ルランドで約200の集会があり、そのメンバーは、さまざまな社会の階層からの

人々だったようです。1940年代末には、キリスト集会の多くはイングランドの

集会でありましたが、ここでも社会の幅広い階層の人々が集会を形成していま

した。アイルランドの多くの地域で、特にプロテスタント派が多い地域で、非

常に目立つ存在となっていました。(訳注:アイルランドは、カトリックが

人口のかなりの部分を占めている地域でしたし、今でもそうです。路傍伝道や、

天幕伝道が行われた理由は、プロテスタント派の教会に入ることを禁じられて

いたカトリック信者を招くため、という側面があるようです。Gospel Hallとい

う名称が使われたのも、その関係かもしれません。)結婚や個人の交友関係の

ネットワークを通して、初期の重要な集会設立の動きが始まり、集会ができれ

ば、そこを基礎として別の集会を設立する動きとなっていきました。(中略)

 この段階で、集会のリーダシップを重荷になったのは、高い教育レベルにあ

った中産階級の人物でした。そして、その多くは、聖職者だったのです。多く

の集会は、労働者階級の人々が、人数の割合の上では、かなりの部分を占めた

のですが、19世紀の後半になるまで、これらの労働者階級の信者がリーダーシ

ップをとることはありませんでした。ブラザレン運動は、19世紀初頭に生まれ、

労働者階級の平信徒が、指導的な役割をかなりになったメソジスト運動とは少

し違い、(補注:運動の出発点では)必ずしも民主的な運動とはいえなかった

ようです。
以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------

 ブラザレンの最初の教会がいつなのか、ということはよく分からないのです

が、1825年ごろがその活動の出発点だといってよいとおもいますので、10年で

200集会まで増えたとは、すごいなぁ、と思います。日本は、異教社会とはいえ、

実質的には、1950年からの60年間の伝道期間で、約150集会程度ですから、プ

ロテスタントの影響が強い英国とはいえ、その拡大の仕方というのは目を見張

るものがあります。

 ブラザレンは、普通の人々が指導的立場の責任を担うのは、どちらかという

と20世紀に入ってからのようです。この辺も、指導的階級である貴族や紳士階

級が社会のあちこちで指導的役割を担ったビクトリア時代の英国において産ま

れた教会革新運動ならではの、指導者の役割のあり方と思います。ブラザレン

運動では、現代になってもなお、長老の立場というのか、長老の影響力が非常

に大きいのは、運動の出発点でこれらの貴族階級や紳士階級の人々が大きな役

割を担ったことの影響なのかもしれません。

 ここまでで、キリスト集会の初期についての状況についてのTim Grassの言及

の紹介は終わりにします。次回からは、分裂の歴史を紹介していきたいと思い

ます。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

 
 ブラザレン集会とクェーカーの関係には、色々あるようですが、

クェーカーのグループ内部での分裂にも影響を与えたようです。

自派も、この後分裂するのですが、この分裂にも、ダービーは影

響を及ぼすようです。それだけ、強烈な個性の持ち主だった

というのか、影響力の大きい方だったようです。このことに関し

て、Tim GrassのGathering to His Name57ページには、次のよう

な記述が見られます。

---------------------------------------------------------------
 イングランドの北西地域では、ブラザレンのキリスト集会ができ

たことが刺激となり、1835年にクェーカーの中で、聖書といわゆる

『内なる光』のどちらが相対的に重要かという議論がまきおこりま

した。その結果、クェーカーのグループ内での分裂騒動にまでなり

ます。いわゆる、ビーコン問題です。この名称は、Isaac Crewdson

(1780−1844)の著書『フレンド会派のビーコン(灯台の光)』か

ら来ています。この本は、聖書と福音派的な視点から、フレンド派

の神学的刷新を目指した本でした。イングランドの北西部では、数

百人単位の福音派的なクェーカーがそのグループから離脱し、英国

全土では、3000人前後の人々が、離脱したようです。ある人々は、

マンチェスターでCrewdsonがしたように自分達で独自に集まりまし

たが、多くは同じような考えを持つと彼らが考えたブラザレン関係

のキリスト教会(集会)に転入してきました。そのブラザレンと共

通する考えとは、多くの人がみている状況の下でのバプテスマと聖

餐式です。クェーカーのグループでは、バプテスマと聖餐式を実施

していなかったので、彼らはその点で欠陥があると考えていたよう

です。そして、公式に認められた牧師による牧会を否定するところ

もブラザレンとの類似点であると考えたようです。クェーカーの神

秘主義的な考えにアレルギーのように反応したにもかかわらず、ニ

ュートンは、彼のクェーカーの家族の関係者との関係を保ち続けま

した。(中略)この『聖書か内なる光』といった議論にダービーも

参加し、1836年に『(内なる)光と理性に関する見解』という本を

出版したのでした。ダービーにとって、この問題の根源にあるもの

は、聖霊についての神学的問題であると見ていたのです。しかし、

ダービーにとっては、礼拝における聖霊の役割に関してはクェーカ

ーのものと同様の方向性(神秘主義的傾向)を持っていたのですが、

礼拝における聖霊の役割についての考えをこの問題から発展させた

ことは明らかでした。

以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------

 そういう意味でも、クェーカー的な発想やフレンド派との親和性の

高さというのは、非常に納得できるもののように思います。親子ほど

そっくりではありませんが、ある程度の類似性はあります。神の民の

群れの一部だから、当然といえば当然ですが。個人的にフレンド派の

方々と、お付き合いがあるわけではないのですが、いろんな資料や関

係するものを見る限り、違う部分、似ている部分、いろいろあって、

平和主義的な考え方なども、ブラザレン運動初期の段階でこの運動に

参加されたフレンド派のかたがたに負っている部分というのは少なく

ないと思います。ダービーは、神秘主義的な志向性を非常に強く持っ

ていたことが知られている人物です。この神秘主義的な部分というの

は、今のブラザレン運動にも影響しているように思います。特に、具

体的な物事の決定における神秘主義的な意思決定のあり方をよしとす

るような雰囲気もあるので、それは、フレンド派の方々とよく似てい

るなぁ、と思います。ブラザレンの集会では、合意することを優先し、

多数決の原則はほとんど取らないので、どうしても、意思決定のため

の会議は常時間かかる場合が多いようです。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

 
 このハワードが始めたロンドンでの集会は、後に大きな影響を与える

ことになります。というのは、ロンドンの集会は、経済的な豊かさもあ

ったのか、後に中心的な役割を果たす集会の一つとなるのです。まぁ、

首都の集会ですから当然といえば当然ですが。実は、後のエクスクルー

シブ(連結型)ブラザレンが形成していくことになるセンターとなる集

会とその影響を受ける集会という構造の原型が生まれのが、どうもロン

ドンのようです。これに関して、Tim GrassのGathering to His Nameの

54ページには、次のような記述が見られます。
---------------------------------------------------------------
 後のエクスクルーシブ・ブラザレンが持っていくことになる擬似連結

関係(Quesi-Connexional)の原型が、ロンドンで生まれました。ロンド

ンでの新しい集会の形成を熟考していく中で、Wigramは1838年に『この

地域の中で聖徒の聖餐式を行うような集会は制限されるべきかどうか?

一つの中心的な集会があることが主の栄光と証をより豊かにすることが

できるのではないか?ある範囲の中での証をすることは、共通の責任とも

いえるのではないか?ある集会とつながっている集会の数が増えれば増え

るほど、主の恵もより確実なものとなり、ここの集会が独自にし、関係

を持たずにすることよりも、集会成長の益になるのではないか?』とい

う問題意識を持ったのでした。
以上翻訳終わり
---------------------------------------------------------------

確かに、大きなイベントをしたり、大会のような人数が必要な活動をす

ること、あるいは、一つに集まって神の恵みを感じたような気になるこ

とがあることは、否定できません。もちろん、数が多いというだけで、

一種独特の雰囲気があることも確かですが、それだけに気をつけないと

いけないように思うのです。

 教会成長ということが、1990年代後半から福音派と呼ばれるプロテス

タント系のグループでは大きな注目を集めてきましたが、大規模教会の

牧師さんの中には、何か勘違いしておられる人々もおられるのではない

か、と思われる場合があります。また、教会成長を強調した教会の中に

は、カルトとみまごうばかりの教会もあったわけで(そうでないものに

も、カルトまがいのものもありますが)、人間的な力に頼った福音の証

ができるというWigramの考え方には、一理あるような気分がするものの、

危険なにおいも感じないわけではありません。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

ブラザレンの聖霊の導きの強調は、内なる光と呼ばれるクェーカ

ーのグループとの共通性がよく言われますが、ロンドンのブラザ

レン運動の中心となった、トッテンハム(トッテナムとしたほう

がよさそうでした。コメントありがとうございます。)の集会の

設立者はクェーカーの関係者だった人物です。このことについて

Tim GrassのGathering to His Nameの53ページには、次のような

記述が見られます。
---------------------------------------------------------------
トッテンハム(トッテナムとしたほうがいいですね。確かに)集会

の設立者でもあるジョン・エリオット・ハワード(1807−83)は、

クエーカー教徒でもあり気象学者であったルーク・ハワードの息子

でした。クェーカーの書物について福音主義の視点から注意深く検

討した結果、ジョン・ハワードは、これらの書物がバプテスマと主

の晩餐に関して少なくともそれほど深みのないものであると思った

ようです。1836年の6月にジョン・ハワード夫妻とB.W.ニュートンが

その妻と一緒に、何回か対話の機会を持ったあと、1836年7月に彼は

バプテスマを受け、クェーカーから10月に退会することとしました。

1837年に彼は、福音的な集会を始めたのでした。

以上翻訳終わり
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 グローブスに影響したBessie Pagetという姉妹などや、J.N.ダ

ービーの関係者など、結構クェーカーの関係者がブラザレン運動

に関係しています。聖霊の働きや導きを非常に重視するところの

影響は、クェーカーとの類似度やそのグループからの影響が非常

に高いと思います。ちなみに、クェーカーでは、完全に水につけ

る形のバプティスマをしないようです。

また、(17)が二つあったので、古いほうは削除しました。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

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