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ブラザレンの出発の時期は、一種のリバイバルの時期と重なっていたこと
もあり、ブラザレンだけではなく、多くの福音を大事にする教会に人々が集
まり、そこで、聖書のお話を聞いて、非常に多くの人々が、改心して、個人
的な体験として、神と出会い、神と従う決心をした人々が非常に多かった時
代のようです。それもあって、この時期にブラザレンのキリスト教会(キリ
スト集会)は相当な勢いで拡大したようです。
Tim GrassのGathering to His Nameの61から62ページには、次のような記述が
見られます。
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1840年に、A.N.グローブスが記録したところによれば、イングランドとアイ
ルランドで約200の集会があり、そのメンバーは、さまざまな社会の階層からの
人々だったようです。1940年代末には、キリスト集会の多くはイングランドの
集会でありましたが、ここでも社会の幅広い階層の人々が集会を形成していま
した。アイルランドの多くの地域で、特にプロテスタント派が多い地域で、非
常に目立つ存在となっていました。(訳注:アイルランドは、カトリックが
人口のかなりの部分を占めている地域でしたし、今でもそうです。路傍伝道や、
天幕伝道が行われた理由は、プロテスタント派の教会に入ることを禁じられて
いたカトリック信者を招くため、という側面があるようです。Gospel Hallとい
う名称が使われたのも、その関係かもしれません。)結婚や個人の交友関係の
ネットワークを通して、初期の重要な集会設立の動きが始まり、集会ができれ
ば、そこを基礎として別の集会を設立する動きとなっていきました。(中略)
この段階で、集会のリーダシップを重荷になったのは、高い教育レベルにあ
った中産階級の人物でした。そして、その多くは、聖職者だったのです。多く
の集会は、労働者階級の人々が、人数の割合の上では、かなりの部分を占めた
のですが、19世紀の後半になるまで、これらの労働者階級の信者がリーダーシ
ップをとることはありませんでした。ブラザレン運動は、19世紀初頭に生まれ、
労働者階級の平信徒が、指導的な役割をかなりになったメソジスト運動とは少
し違い、(補注:運動の出発点では)必ずしも民主的な運動とはいえなかった
ようです。
以上和訳終わり
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ブラザレンの最初の教会がいつなのか、ということはよく分からないのです
が、1825年ごろがその活動の出発点だといってよいとおもいますので、10年で
200集会まで増えたとは、すごいなぁ、と思います。日本は、異教社会とはいえ、
実質的には、1950年からの60年間の伝道期間で、約150集会程度ですから、プ
ロテスタントの影響が強い英国とはいえ、その拡大の仕方というのは目を見張
るものがあります。
ブラザレンは、普通の人々が指導的立場の責任を担うのは、どちらかという
と20世紀に入ってからのようです。この辺も、指導的階級である貴族や紳士階
級が社会のあちこちで指導的役割を担ったビクトリア時代の英国において産ま
れた教会革新運動ならではの、指導者の役割のあり方と思います。ブラザレン
運動では、現代になってもなお、長老の立場というのか、長老の影響力が非常
に大きいのは、運動の出発点でこれらの貴族階級や紳士階級の人々が大きな役
割を担ったことの影響なのかもしれません。
ここまでで、キリスト集会の初期についての状況についてのTim Grassの言及
の紹介は終わりにします。次回からは、分裂の歴史を紹介していきたいと思い
ます。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
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