ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

英国史とブラザレン

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ブラザレンとの関連から見た英国史
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 3月1日に10000アクセスを超えました。忘れてました。これまで

ご覧下さった方、コメントくださった方、ありがとうございます。

ミカタロウさん、Luceさん、jjs*rulさん、実の木さん、武蔵乃

鳩さん、ダビデさん、ジョンヤッシー さん、くぼきさん、他、

お一人お一人名前を挙げたいですが、名前が分からない方も見て

おられますので、お名前の上がらなかった方、ごめんなさい。た

くさんの皆さん。このブログに、ご訪問、ありがとうございます。

 これからしばらく、このブログをはじめた理由について、お話

してゆきたいと思います。がこのブログをはじめた理由の一つに、

今後現地化が進んでいくであろう、日本のキリスト集会が、そし

てそこに属する信徒が、今後どのようにどのように進むのか、に

関する関心が私の中にあるから、というのが一番、大きいのと思

います。

 キリスト集会とは何か、を考えるためには、歴史を見るのが一番

かなぁ、と思います。自分たちの歴史よりも、信仰のほうがもっと

大事ではないか。福音のほうが大事ではないか、伝道のほうが大事

ではないか。その通りです。しかし、その反面、自分たちが聖書に

書いてある使徒の働きの時代と同じような教会運営を、自分たちの

理解できる範囲で、また自分たちの理解した範囲で目指しているこ

とを根拠に、パウロの時代の信仰のありかたを維持しているもので

あると、私も思ってきました。多くの信徒の方も、自分たちがどの

ような集団から来たのかを明白に知ることなく、過ごしてきたと思

います。それはそれで幸せなことかもしれません。

 しかしその結果、自分たちの姿や自分達の聖書理解を無意識のう

ちに前提条件として受け取ってしまい、それを客観的に見ることが

出来なくなったように思います。少なくとも私はそうでした。

ブラザレンの歴史、特に日本のブラザレンに多くの宣教師を派遣し

てきた大英帝国、とりわけアイルランドの成立経緯は、一般の信徒

である私にとって、本当に『雲のごとく』つかみどころのないもの

だったわけです。ところで、『雲のごとく』という本が伝道出版社

というブラザレン関係の出版社から出ていますが、この本は、日本

の1970年代くらいまでのキリスト集会と呼ばれるグループの関する

歴史をまとめた一種の記録文書です。伝道出版社がこの本にこの名

前をつけられたのは、違う意図だということは知っています。でも、

この本を読んでも、個別のキリスト集会の動きや、戦前からの個別

の信者の動きや日本のキリスト集会の成立過程は分かるものの、そ

れを整理してくれる視点を与えてくれる書籍ではありませんでした。

事実だけが述べられ、評価やその意味は、ほとんど触れられていな

いからです。では、私たちの考えの何がユニークなところなのか、

また、その考えはどのようにして成立していったのか、ということ

は、まさしく、『雲のごとく』つかみどころのないものでした。

少なくとも、私にとってはそうでした。なので、キリスト集会の成

立を調べようと思っても、日本語で読めるのは、『信徒の諸教会』

の1章だけ。これでは、よく分からない。ある日本人の年配の信者

の方からも、英国からの説教者の講演記録(日本語)をご提供いた

だいたのですが、それでも、A4で数ページだけ、という状態でした。

英国出身の宣教師に聞いても、言葉を濁して、あまり明確に教えて

もらえませんでしたし。日本にあったのは、Nozzonさんという信者

さんが個人的にまとめたサイト 

http://www.geocities.jp/nozzon0602/index.htm

だけでした。

 以前から興味はあったのですが、集会とその特徴、その特徴がど

のようにして生み出されたのか、という関心から、私の研究は始ま

りました。とはいえ、元々が資料が少ないこともあり、全体像は非

常につかみにくく、ブラザレンが英国で生まれた背景やその後の展

開は、Coadの本を読むことで、ようやくおぼろげながら姿を現した

ものの、それでも、『雲のごとく』のような状態におかれている状

態でした。これは、英国でも同じようです。ここでも何度か紹介し

ているBrethren Movement in Scotlandの著者Neil Dicksonは、5代

目のブラザレンの信者ですが、彼の本の中に、5代目だから、研究

しやすかったか、といわれるとそうではなく、この研究をまとめる

のに大変苦労した、という表現が出てきます。なお、彼の研究資料

は、英国のマンチェスター大学で、アーカイブとしてまとめられて

います。

 ところで、ブラザレン運動は、平信徒運動であるが故の課題を抱

えてきたことも確かだと、認識しています。同じ課題を避けるため

には、歴史を学ぶしかない。これが私の現在のスタンスです。『信

徒の諸集会』は、教会史という枠組みの中で、聖書への原点回帰運

動全体を捉えた運動の本であって、集会の成立を注意深く追うには、

不十分だと思っています。とはいえ、参考にはなりますが。この本

のオリジナルが出た段階では仕方なかったのかもしれませんが。日

本語で海外のブラザレン関連の動きとして読める本としては、今で

もこの本しかありません。しかし、この本で満足できなかった私は、

どうせ考えたはじめたんなら、とことん、ということで、いろんな

本を読みあさり始めました。どうせ学んだのなら個人的な研究成果

を個人研究にとどめるのではなく、ここでちょっとづつご紹介して

分かち合うほうがいいかな、と思って公開しています。これまで数

冊読んできましたが、それらを総合すると、個人的には、アイルラ

ンドで始まった平信徒による教会改革運動に端を発する福音を伝え

ることに存在意義を見出した、キリスト者の集合と見るべき、と思

っています。なので、どうしても多様であり続け、分かりにくいの

かなぁ、と思います。

 その意味で、このブログは、キリスト集会の中で、普通に生きる

信者の方には、無用だろうと思います。ただ、他人に自分たちの信

仰とそれがどのように成立してきたのかということを説明したり、

自分たちのキリスト集会の今後の展開、現地化にまつわる諸問題を

考えたい人のごく一部にしか有用ではないかもしれません。でも、

知りたい人、私と関心を分かち合ってくださる方が何人かいらっし

ゃるようなので、できる限り、書いていきたいと思っています。

明日行こう、それをもうちょっと詳しく書いていきます。

 ブラザレンのキリスト集会の場合、記録を残していないことが多い

のですが、ヘレフォードのキリスト集会には、記録マニアの人がいた

らしく、かなり詳細な記録が残っていたようです。Tim Grassの

Gathering to His Nameの52ページには、次のような記述が見られます。

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 ヘレフォードの集会の最初から、かなり詳細な記録が残っています。

毎週金曜日の朝に開かれていた責任ある兄弟たちの集まりの詳細など

の記録も残っています。たとえば、メンバーと言う位置づけの話や牧会

上の問題も含まれているのですが、これらの責任者の兄弟たちが、日

曜日のパン裂きで全員にパンがいきわたるために何個にパンを分ける

べきなのか、という内容も含まれていました。集会生活は、毎週日曜

日の10時30分から始まり、1時ごろまで続くようなパン裂き集会を中心

に動いていたのでした。その中には、聖書の話が含まれていましたが、

これは、他の機会に集会の学びに参加できない遠くの信者も機会をあたえ

るためでもありました。

以上翻訳終わり
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 しかし、2時間半にも及ぶ聖餐式。長いなぁ、と思います。1時間で

も長いと思いますが。その中で聖書の学びが入っているとはいえ、2時

間以上の聖餐式は長いなぁ、と思います。

 今、私が参加しているキリスト集会の聖餐式は、長くても45分なの

で1時間は長いなぁ、と思います。数人の信者さんのところでも、1時

間の聖餐式のところは普通だと思いますが、かなり厳しいのではない

かなぁ、と思います。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

 ブラザレンの運動の出発点に、既存の教会への不満があること

はよく知られていることですし、そのこと自体は事実だろうと

思いますが、このことについて、イギリス各地の集会の成立過程を

取り上げている部分で、Tim GrassはGathering to His Nameの51

ページで、次のように記述しています。
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 (既存教会への)不満な思いは、ヘレフォードの集会の出発点

で重要な役割を果たしました。ヘンリー・ジップという国教会の

主任牧師は、非常に多くの人々を集めていたのですが、その教会

では、聖霊の注ぎによる祈りを牧会の中で、重視していました。

ジップは1832年になくなりました。ジップの娘は、後にダービー

の著作集の編集者で、最も学識にすぐれたエクスクルーシブ・ブ

ラザレンの一人であった、ウィリアム・ケリーと結婚しました。

ジップの後継者のジョン・ベンは福音派の有名牧師を輩出した家

系出身の福音派の人物であったのですが、前任者と比べるとそれ

ほど人気があったというわけではありませんでした。彼の教会運

営の方針は、あまりにもアルミニウス的であるとされておりました。

そんな中、ある女性信徒がプリマスの集会に参加したときに非常

に感銘を受け、その集会のホールさんに自分の教会に来て話すよ

うに依頼したのでした。ホールさんの聖書の話は、その教会の多

くの人から支持を受され、(そこでの奉仕のために 補注)ヘレ

フォードに家を建て住むように招かれました。この動きに対して、

ベンはブラザレンに対して反論する説教をしたり、文書を書いたり

したんですが、彼が引き継いだ教会の会衆の100人以上の熱心な

信者が、ホールの説教の霊的な質に引きよせられるかたちで、キ

リスト集会に移ったのでした。ベンが攻撃した結果、もともとの

教会から、その中でも熱心な信者が100人以上も、離れていくとい

う結果になったのでした。この過程で、ホールはニュートンにヘ

レフォードに来て、牧会を手伝うように頼み、実際にニュートン

はヘレフォードでの牧会に携わることとなったのでした。
以上翻訳終わり
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 これはヘレフォードの国教会からの大量離脱事件ですが、以前

にも触れたように、ミューラーやチャップマンのバプティストの

信者の方々がほぼ教会ごとブラザレンに移行した例もあります。

それ以外にも、こんな形で他の教会からの分離も起きたようです。

ジョン・ベンのような出て行かれる側の教会や牧師からすると、

庇を貸して母屋を取られるようなものですから、耐え難いものだ

ろうなぁ、と思います。特に献金で生活している牧師、それもあ

まり経済的に豊かでない分だけ、厳しい経験だったろうと思いま

す。19世紀から20世紀初頭にかけてのイギリスにおける国教会の

牧師の貧しさと社会的地位の高さのギャップというのが、何か

ありそうな印象を持っています。

 また、当時の教会の特徴として、聖霊の導きが軽視されていた

ということ這いえると思います。ジップの牧会で人々が集まった

というのも、そのかけた部分をジップがともに分かち合おうとし

ていたからだと思います。

 この話を読みながら、牧会者の代替わりで、教会の雰囲気が変

わるんだなぁ、と思いましたし、それほど、牧会者の役割は大き

いということも印象深かったですね。日本は、これからこういっ

たことを非常にたくさん経験することになるんでしょうけど。

 牧師の代替わりについては、小さないのちを守る会の水谷さん

という方の「命と性の日記〜日々是命、日々是性」でも触れられ

ていましたねぇ。

 まぁ、ブラザレンでも、長老の考え方がそのキリスト集会の

あり方に大きく影響を及ぼすので、牧師さんのいる教会に限った

話ではないんですけれども。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

 神が信者とその働きを必ず支えてくださるという確信は、バクダッド伝道に

行ったA.N.グローブスの確信でもありましたが、ミューラーも同様の確信、あ

るいは信仰をもっていました。彼が、神が必要なものを必ず与えられるという

確信の元で、孤児院運営したことはよく知られていることです。この考え方は、

いわゆる多くの福音宣教主義(Evangelical Mission)に立つ多くの人々にも引

き継がれていきました。その代表例が、中国内陸伝道を目指したハドソン・テ

イラーや、OMF(Oversea Mission Fellowship)やリーベンゼラなどです。この

考え方について、Tim GrassのGathering to His Nameの47ページには、次のよ

うな記述が見られます。

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 聖霊知識教会(The Spritual Knowledge Society)は当初通常の学校、日

曜学校、霊的な働きを重視するような働きをしようとする宣教師をサポート

し、聖書と福音的な書物を提供することを目的で設立されました。ミューラ

ーが孤児院を始めようというアイディアを真剣な関心を持つまでに、この組

織を設立してからそう長くはかからなかったのです。ミューラーが神学生と

しての勉強をしている期間の中で、フランケ神父が1696年に設立したハレの

孤児院で2ヶ月泊り込みで過ごしています。ミューラーの孤児院運営を始め

る目的は、博愛的なものでも、貧しい人々を保護しようとするものでもあり

ませんでした。それは、ロウドンによれば、神が祈りに答えてくださるとい

う信仰を証するためのものでした。(中略)

 フランケの孤児院と同じように、孤児院運営の資金は祈りによって答えら

れると確信していて、資金的な必要に関しては、他人に訴えることをしなか

ったのです。ミューラーはどのような物資が必要で、それがどのように与え

られたのか、どのように祈りに答えられたのか、について詳細な年次報告を

印刷していました。この年次報告は、資金集めのためのものでなく、人々に

その年の神の恵みを知らせるためのものであると彼自身書いています。しか

し、この年報を読んだ人々のなかから、献金しようとする気持ちになる人が

出てきたことは間違いないことだったと思います。

以上翻訳終わり
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 必要なものが与えられる確信、というのは、ブラザレンに流れる伝統という

のか、信仰の姿だと思います。そのこともあり、あまり計画性がないと思われ

ることもあるように思います。

 個人的には、このようなあり方は、ブラザレン運動の美点の一つとは思いま

すが、行き過ぎると狂信的になりかねないので、このあたりのさじ加減が難し

いかなぁ、と思います。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

 キリスト集会のなかで、キリスト集会の基本的なあり方というものを

書いたものとして持っている集会は少ないと思います。とはいえ、宗教

法人を取得する際には、この種の基本的な組織運営のあり方、というこ

とは求められるので、なんらかの集会運営のあり方の基本的な考え方を

文章として持っておられるキリスト集会はあるとは思います。ただ、こ

れを作るとその文章に縛られる、という事でこういう文章を準備するこ

とを嫌うという性格が強いと思います。

 しかし、ミューラーとクレイクは、集会の出発点で、このような方針

をどこかで宿泊して、集中的に議論して(リトリートして)決めたよう

です。この背景には、信者としてのバプテスマを受けていない信者の取

り扱いの問題だったようです。というのは、幼児洗礼を受けて、その後

イエスに従っているものの、改心をした結果としてのバプテスマを受け

ていない人々をどのように取り扱うべきか、聖餐式に受け入れをどうす

るのか、ということが問題になったようです。ミューラーとクレイクが

奉仕するベテスダ集会でもこの問題が議論の対象になったようです。結

局、ミューラーたちは、ベテスダ集会では信者としての改心に基づくバ

プテスマをメンバーの基準とするということを撤回することになりました。

どうも、この基準というのは、ダービーによる問題提起に基づくものに

よるもののようです。ダービーは、生涯にわたって幼児洗礼者だったた

めに、実質的にダービーはベテスダ集会からやや遠ざけられていたよう

です。

 どうも、信者の受け入れに関する教会のあり方に関することが問題に

なったようで、聖書に基づいてこの部分に関する教会運営の方針を定め

たようです。これについてTim GrassのGathering to His Nameの45-46ペ

ージには、次のような記述が見られます。

---------------------------------------------------------------
I長老について
 1.長老は必要である
  (マタイ24:45、ルカ12:42、使徒14:23・20:17、テトス1:5第1ペテロ5:1)

 2.長老は、聖霊によってその任に就くべきである
  (使徒20:28)

 3.長老の就任は、聖霊のひそかな召命によるべきであるものの(1テモテ3:1)、

   その召命の確認は、必要な性質を候補者が持っていることによって確認され

   るものであって(1テモテ3:2-7、テトス1:6-9)、長老の苦労は、神から
 
   祝福されるものである(Iコリ9:2)

 4.聖徒は長老についての上記の内容を覚えるべきで、主にあって長老に敬意をも

  って尊重すべき存在である(Iコリ16:15-16、Iテサ5:12-13、ヘブ13:7,13:17、
  
  Iテモ5:17)
II集会による訓戒について

 1.集会としての戒告を与えることの問題は、最終的に集会全体として決定される

  べきものである(マタ18:17-18、Iコリ5:4-5、IIコリ2:6-8、Iテモ5:20)

 2.戒告を与えることは集会全体の行動として理解されるべきであること

  (マタ18:17-18、Iコリ5:4-5・5・7・12-13、2コリ2:6-8)、長老も、集会

  全体としても、確実な信仰を告白する人々を受け入れるように指示されて

  いるのである(ローマ15:7)

   (註:このことから、信仰の確認が聖餐式参加の条件とされたようです)

III戒告のための信徒総会

 過去において、これらの信徒総会は平日の夜開催されていたけれども、戒告の問

  題は、日曜日の朝の集会の聖餐式の時には、定められるべきである。
 
 具体的な指導の内容
 1.(教会の開始時刻に)遅れることを避けること
 
 2.日曜日の朝の集会に参加を熱心にすること

 3.聖餐式に参加する個人は、教会の信者としてのすべての権利と責任と試練を受

  けるものであるということが示されるべきこと

 4.信者の交わりを表現するような神の定めとの関連で、これらの問題が扱われる
  
  のは当たり前であること

IV聖餐式
 1.聖餐式の回数に関しては、聖書には明白な基準が示されていないが、使徒たち

  の例や初期のクリスチャンのあり方を考えると、毎週日曜日がその例として示さ

  れている。(使徒20:7) やはり例示ですよね。

 2.主の死がもたらした恵とキリストにあって一致していることを、広く一般の参

  加があることで、象徴的に示す主の晩餐が行われる集会の性質を考える時、学び

  や、解き明かしの賜物、聖餐式における祈りや賛美の賜物が示される機会が保障
  
  されるべきである(註:だから長くなる場合があるようです)。学びや解き明かしの

  賜物がある人々は、集会の徳を高めることに勤める責任を感じるべきではあるが、

  そのような才能を持つ、ある一人の人の手のうちにおかれるべきものではない。
  
  (牧師のような制度はおかない)

 3.パン裂きのパンは、一人の長老が裂いて渡すものではなく、一人一人が手にとっ

  て取るべきものであり、このことは聖書にも望ましいこととされている
  
  (Iコリ10:16-17)。(註:確かに、アメリカの別の教会に行ったとき、小さく
  
  すでに小分けになった乾パン状のものが出た時には、正直驚いた。)でこのこと

  は、我々の罪ゆえにイエスの体が裂かれたことを印象付けるものであり、個々人

  がパンを取り、パンを裂くことで、信者がめいめい集まって礼拝し、神の権威に

  従うことが神の定めであることを示すのである。このように神の権威に従うこと、

  信者が集まって礼拝することは、牧会的な性質を持つとされるある人々によって

  聖餐式が行われることが必要ないことを明らかにしている。

以上翻訳終わり
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あー長かった。分かりにくいところは申し訳ないです。しかし、ブラザレンは、聖餐式

論に昔からこだわりがあったんですね。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209


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