ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

英国史とブラザレン

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ブラザレンとの関連から見た英国史
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ブラザレンの研究をしていると、その組織構成原理が地縁型の教会組織というよりは、フラタニティ(結社コミュニティ)とそっくりなのかなぁ、ということを思っています。

フラタニティとは、ある特定の共通項を基にしたグループです。いちばん、わかりやすいのは、キューティブロンドに出てくるデルタ・ニューだとか、ライオンズクラブとか、ロータリークラブとかです。ロータリークラブとか、ライオンズクラブなんかは、今は本部組織があってそこが地区組織の認証をしているようですが、もともとは、相互認証だったはずなわけで、そういう意味でもこういったフラタニティ組織とブラザレンは似ているように思います。

それはある面当たり前かもしれません。もともと、フラタニティ組織は、お葬式なんかのための相互組織だったようで、ある面、よく似ていても当然と思います。

フラタニティ組織で有名なのは、フリーメーソンでしょう。そういう意味で、ブラザレンとフリーメーソンが混同される(日本では、少なくともその影響と共通項はないといってよい、と思いますが)のは、いたし方がないことなのかもしれません。

今でこそ、英国の通貨であるポンドは、1ポンド200円前後という為替相場ですが、私が小学生のころ、また、高校生のころくらいまでは、1ポンド3000円とか2000円の時代がありました。英国ポンド健在なりしころです。しかし、その後の国際金融市場の変化、英国の長期化した不況、日本の経済的成長などなどから、ポンドはその相対的な価値を下げていきます。つまり、従来であれば、英国本国からのポンド建ての資金援助で十分活動できた英国人の海外伝道者が、その資金だけでは活動に困る状況が発生することになります。

もちろん、海外伝道者になるということは、金銭的な労苦を経験するということも含めて覚悟して日本で伝道しておられる方々なので、このことでの不満とかいうことは全く聞いたことがありませんが、現実にはかなり厳しい環境での伝道を強いられたのだろうと思います。

また、1950年代に20代か30代で日本に来ても、現在であれば、80代から90代に近いご高齢となりますから、かなりの方が既に日本から去っておられ、80年代くらいから、英国からの海外伝道者の数は、急速に減少しているという印象をもっています。ブラザレンとの関連で、新規に来られる方も少ないようですし。

この前、Echoesの編集者の方が日本に来られたときにちょっとお話しする機会があったのですが、いまは、Echoesが情報提供などで支援している海外宣教者、あるいは紹介している海外宣教者のうち、イギリス人の割合は半分程度、あとは、海外、とくにインドなどアジア出身の支援宣教者の割合が多いというお話でした。

日本での伝道は、いろいろな習慣と一体化した宗教概念や過去これまでのキリスト教の歴史的展開などの様々の諸問題により苦労が多いわりに、信仰を持つ人々は少ないなど、多くの問題を抱えていることもあり、いろいろな面でなかなか大きな課題があるように見えるのも事実のようです。

ブラザレン運動の生まれたイギリス19世紀の社会は、従来その存在が薄かった社会の中産階級が社会の主軸となった時代であったとはいえ、基本的に階級社会でした。その意味で、階級内での民主主義、あるいは共和制ということはあっても、階級間(労働者階級と貴族階級やそれ以外の階級)での民主主義という意識は薄かったと思います。

その意味で、社会を主導するのは、貴族階級であり、教会を主導するのも貴族階級という意識がある程度あったのではないかと思います。もともと、そういう社会背景のあったイギリスでの国教会から分離したこともありますし。また、ブラザレン運動に大きな影響を与え、エクスクルーシブあるいはコンネクシアルブラザレン(連結型ブラザレン)グループの主導的役割を示したジョン・ネルソン・ダービーは貴族階級の出身ですし、ある面で言うと、さまざまな社会的活動を主導する役割は、貴族に求められたし、それを貴族は提供してきたという側面があるからです。

 となると、ブラザレン集会の中で、一種の社会運用の知識とノウハウに富む貴族が長老執事の役割を占めるのは当然となり、長老の指導性が強くなるのも当然となるかもしれません。また、時代がより民主主義的な社会に移動していく中で、貴族の存在というのは印象が薄くなってきた反面、それに変わる存在として、集会運営の経験、これまでの集会の運営経験を知っており、さまざまな経緯を知っている有利性から、年長の信者が長老として長期政権を担うことは当然といえたのかもしれません。

ブラザレンは、倫理観と性役割が厳密であったビクトリア朝に生まれたキリスト教運動であるためか、男女の区別が結構厳しいです。もちろん、旧約聖書では、男性の優位が確立していますし、新約時代においても、男性信徒の相対的優位があります。

そのことからか、教会でも、椅子の着席順として、男性信徒は講壇に近い条件のよい席、女性信徒は後ろのあまり条件のよくない席が割り当てられることが多いです。このご時世に、そんなことにこだわっても、とは思うのですが・・・。

私が大分、伝統的なブラザレンのグループとは違った考え方を持っているので、昨年3月にある献堂式に行ったときに、年長の信者が講壇に近い空き座席を探したり、そのような前のほうの席に移動しようとしておられた方が居られたことをみたとき、せっかく家族で着ておられるんだろうに。一緒に座ったらいいのに、と思いましたが、夫婦別々に座って、男性だけが前のほうに座ろうとするブラザレンの慣習がそうするのが当然と思うんだろうなぁ、と思いました。

また、今回久しぶりに参加した大会で、食事する場所が男女別になっていたこと、夫婦同席となっていなかったことなどを見て、何なんだろうなぁ、と思いました。まぁ、若い未婚の男女の信者同士が勝手にお見合いしたりしないような配慮かもしれませんが、そこまで配慮しなくっても、と思ってしまいました。

ブラザレンの男女間の間の落差や区別、グループの区別というのは非常に大きいのだなぁ、と改めて思いました。

ブラザレン自体は、ビクトリア朝という、性役割が比較的厳密であり、社会生活が厳格で、風紀の厳しい社会環境の中で生まれてきました。

この時代、男女が夫婦でない限り席を同じくしない、というのが社会環境の中で当たり前で、男性社会、女性社会という区別が厳格に存在した社会です。男性だけが所属できるサークル、女性だけが所属できるサークルというものが別々に構成され、男性だけがするものとされたこと、女性だけがするものとされたことが厳密に区別された時代でした。

基本的に、啓蒙時代を経て、男性にのみ普通選挙権が成人であることを背景に与えられるようになりましたが、女性には、参政権はなく、男性のみが政治的な議論と社会の運営に当たるという仮設、想定が当然のものとされた時代でした。したがって、女性の教会運営に関する議論は、その当時の社会の性役割を色濃く反映したものとなっています。

それに加えて、また、聖書自身が良し悪しは別として、男性中心社会であるギリシア社会で生まれたこと、聖書が基本的に男性だけにより大きな権利と責任を与えている(実際にこの方が問題なく動くことが多いので)ことからも、ブラザレンでは、女性の様々な行事への参加が大きく制限されています。賛美の能力を与えられた女性であっても、独唱で賛美することはいかがなものか、と議論されたこともあったようです。


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