ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

英国史とブラザレン

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ブラザレンとの関連から見た英国史
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ブラザレン自体1830年代以降の動きですが、大規模な戦争に巻き込まれたのは、第1次世界大戦が初めての経験になります。それまでも戦争はあったわけですが、それまでは、基本的にイギリスの国教会制度の中にあったわけですから、そこでは、教会の教えと国家の方針は大きくずれていませんから、それぞれの時代の要請であった戦争にイギリス全体が巻き込まれた行ったわけです。

その意味で、徴兵制を含め、ブラザレン誕生以来イギリスが抱えた大規模な戦争として行われたのが第1次世界大戦であったわけです。ブラザレン自身、戦争反対をきっかけとして生まれた集団ではないため、英国内で第1時世界大戦にたいしてブラザレン自体、一致して大反対という立場をとりませんでした。イギリス系のブラザレンの歴史を書いた、Coadなどの本を読んでいくとわかりますが、第1次世界大戦については、戦闘に参加したブラザレンがいたようです。

第1次世界大戦は、非常に悲惨な戦闘が交わされた戦争ですが、その後の時代のあり方は、ブラザレンに大きく影響を与えていきます。

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ビクトリア朝時代というのは、懐古趣味が幅を利かせた時代でしたが、それと同時に英国人の男性が海外のあちこちに帝国建設のため出て行った時代でした。

帝国の初期に危険と隣りあわせで外国に出て行くためには、身を守るための武器や能力が必要ということで、男性が主に送り込まれることとなるわけです。その結果、国内の男性数が極めて少なく、女性がかなりの部分、あまるということとなり、人口学的に非常にアンバランスな状況が生まれます。

この結果、海外の植民地での結婚を斡旋する業者が出てくることとなります。以下に国内に男性が少なかろうとも、当時、女性に許された労働は、家政婦、ちょっとインテリだと家庭教師、そこまでインテリでないと子供の世話係(ナニー メアリーポピンズがその代表例)といったところになります。

ナニーの場合、家庭に住み込みですから、基本的には未婚の女性となります。若い女性は、その家の主人との恋愛関係などの問題が生まれるため、結構高齢の見た目に印象の乏しいナニーが多かったようです。メアリーポピンズの最初の場面で、高齢のナニーがやってられるか、ということで家を飛び出すシーンがありますが、その女性も結構高齢の気難しそうなおばさんとして描かれています。

余談が続きましたが、クリスチャンの熱心な女性信者にとっては、ある程度帝国支配が進んだ安定した地域での海外宣教というのも一つの選択肢だったようです。そこには若い男性の熱心なクリスチャンの宣教師もいます。少し意地の悪い見方ですが、海外宣教というのは、階級社会でがんじがらめにされていた英国のビクトリア朝の階級社会の枠組みを離れるという側面もありました。

当時の英国で、どんなにがんばっても、誰からも尊敬の面で見てもらえない人々であっても、宣教師として神の福音を伝える限りは、非常にすばらしい教えを持ってきてくれたすばらしい人として尊敬を受けることが出来るのですから。このあたりの事情も全くなかったとは言えそうです。このあたりの事情については、どこかの本に書いてあったので、それをさがし出して、ご紹介したいと思います。

世界大戦とブラザレン

フレンド派の方々の主張とブラザレンの主張がよく似通っているので、ブラザレンが非戦主義だ、という理解もありますが、これは一概に言えないと思います。アメリカのドイツ系ブラザレンやメノー派(メノナイトブレズレン)の一部に非戦主義があるので、非戦主義がブラザレンの特徴にあげられることもありますが、関連書籍を見ていると、必ずしも、英国では戦争に全く参加しなかったということはないようです。

このあたりのことは、

Coad, F. R.(1968), A History of Brethren Movement, Paternoster Press
Shuff, R. N.(2005), Searching for the True Church, Paternoster Press
Dickson, N. T. R.(2002), Brethren in Scotland 1838-2000, Paternoster Press

にも記載されていますが、戦争に反対した、あるいは神への信仰のもと非協力であった人々と戦争に参加した信者の両方がいたことが記載されています。

このことは日本でも同様で、第2次世界大戦のときに、戦争に従軍した信者も少数いたことが、石濱さんの「私の歩んだ道 イエス・キリスト」という自伝にも出てきます。


ブラザレン=平和主義ではなく、ブラザレンの一部が、神の名の下に平和主義者だったようです。
このことは、英国国教会でも同様で、国教会の牧師が国家の教会として戦争協力を説いたことはあったようですが、それであっても良心的従軍拒否があったようです。

ブラザレンの福音宣教を考えるときに、大英帝国の世界最大の領域をカバーするシステムを今世紀最初に作り上げたという意味で画期的です。その意味で、英国は現在の米国の親(実際にもそうですが)ということができます。

特に郵便制度の創設とその利用ということは、ブラザレンの福音宣教に大きな影響を与えます。世界各地での伝道奉仕に当たりながら、その状況の克明な報告、必要な物資や資金の送付などに、郵便は非常に便利で、簡易な方法を与えています。

特に、現在の状況の報告は、伝道者を送り出した母教会に祈りと物質的な必要に対するサポートをいらいすることになります。そして母教会のメンバーは、多くの実際的な苦労はしないものの、何より自分がその活動の一部に関与しているという自身と誇り、そしてそのことを通して自らの信仰の成長を進めていくための糧をあたえることとなります。

ただ、宣教師は宣教師で、報告のレポートを毎日のように書いていた、という実際の宣教師同士のお話を聞く機会があったので、それはそれで大変だったようですが。

ヴィクトリア朝の英国は、近代産業社会へ、工業社会への移行期にあたり、英国のあり方が大きく変わった時期でもあったため、独自の雰囲気、あるいは時代の空気があったようです。

ポスト・モダン世界のキリスト教 A E マクグラス著 稲垣久和監訳 教文館 98ページに、

 状況は、大きく変わってくるため、これまでわれわれが経験してきたことは何も将来役に立たないであろうと感じるのです。 中略 私たちは、過去の方がよかったと考える傾向にあるようです。

 こういった態度は、イングランドのビクトリア朝時代に非常に強く見られます。(中略)これは、以前のキリスト教価値観と信念が、ついに覆されるに至っためです。この時代の多くの著作家たちは、自分たちが新しい時代の入り口に立っており、ここから何が起こるのかは、わからないが、古き思考方法は終わりを迎えつつあると考えていました。

という表現があります。

ブラザレン運動が成立・拡大した時代の背景に、一種の虚無的な、過去を美化する傾向が非常に強く見られたようです。これがブラザレンの志向に影響を与えないわけがありません。ブラザレンの人々は、それを否定するでしょうが、間違いなく、この時代の雰囲気はブラザレンの思想や志向に影を落とします。つまり、過去を異様に美化する時代の雰囲気が、その当時の時代と正面きって切り結ぶのではなく、当時の時代に背を向け、自分たちが美化する、美化したいキリスト教会が成立した使徒時代、あるいはブラザレンの成立時期を賛美する雰囲気につながったように思います。

ビクトリア朝時代については、現在、英国史を読みながら、研究中ですが、ブラザレンが成立したビクトリア朝時代には、ギボンが書いたローマ帝国衰亡史(1776)が大ヒットした時代で、非常に懐古趣味の強い、そして英国が衰亡するのではないかという危機意識の中であったことは間違いないようです。ローマ帝国衰亡史が出版された1776年は、大英帝国の植民地であった東部13州がUnited States of Americaを宣言した年であったということも忘れるべきではないでしょう。

これについては、また別途改めて。


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