ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

英国史とブラザレン

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ブラザレンとの関連から見た英国史
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ブラザレンの福音宣教に限った話では、ありませんが、強いポンドというのは、第2次大戦まで、ある意味では、2次大戦以降20年くらいの間は、福音宣教に大きな役割を果たしていきます。世界の基軸通貨である、ということは、それなりのことはあるのです。

基本的に、現地通貨との交換レートがより有利に運ぶため、ポンドでは小額でも、現地通貨では、非常に高額になるため、イギリスでごくわずかの金額を送っても、現地では非常に大金になることがありました。

今では、ポンドと円の交換レートは、1ポンド200円前後で、結構乱高下していますが、昭和30年代は、1ポンド2000円から2200円前後していたわけですから、かなり小額のポンドでも、日本では非常に価値があったということです。その面で、昔はイギリスから宣教師をアジアへ、日本へ送り出すことは大変ではありましたが、今ほど大変ではなかったわけです。また、宣教師の方も、本国からの支援金だけで生活できた時代でしたが、今では、それでは非常に厳しくなっていることも確かです。

自国通貨が強いということは、その国の国民にいろいろメリットを与えることになります。

バブル経済華やかなりし頃は、日本円をアジアの基軸通貨にしようというような構想もどっかであったように記憶していますが、バブルがあっという間にはじけてしまい、アジア金融市場、アジア経済でのプレゼンスを失った日本は基軸通貨どころか、その影を薄くしてしまいました。ただ、日本円の偽札が出ているということは、まだまだその価値はアジア市場では小さくないようですが。

ブラザレンの海外宣教を支えたもうひとつの要素は、造船技術と船級確認です。

商船は、保険がかかります。どんな船でも、自然現象としての嵐や風波、座礁で、不幸にして沈没してしまうことがあるからです。この保険を握っていたのが、イギリスのロイズですし、海外航路を就航する船が造船された場合、必ず保険の等級を確認するために、ロイズ保険会社から、船級確認員が各国に派遣されます。

船級確認員に、ブラザレンの関係者も少なくなかったらしく、各国に派遣された方々はその場での福音宣教に関与していくことも少なくなかったようです。

今は、飛行機が発達しましたので、造船の完工のたびに派遣、ということのようですが、昔は、主要な交通機関が船でしたから、行き来するにも時間がかかるので、一定期間派遣し、その期間は現地に船級確認の技術者を貼り付け、ということのようだったようなので、比較的ゆっくりと仕事が進んだようです。

その間、福音宣教にも関与、ということもあったのでしょう。神戸集会にも、造船関係者がたくさん入れ違いのようにこられていた時期があります。もちろん、神戸が造船の町であったということ、さらに石濱さんが英語がしゃべれたということ、デクスターさんというウェールズ人の宣教師がいたということもあって、結構、造船関係の海外の駐在の方や、短期滞在者の方が神戸のキリスト集会に来ておられたことを思い出します。

今は、飛行機で世界各国にいけるようになりましたが、1960年代までは、船が国際交通の主力でした。

その船会社で、世界各国を結ぶことを可能にしたのが、商船隊であり、商船会社でした。東京商船大(現東京海洋大)、神戸商船大学(現神戸大学)の出身者が船に乗れた幸せな時代でした。

このチェーンがあったからこそ、海外宣教が出来たということはあったと思います。客船はほとんどなく、また価格も高いので、宣教師と呼ばれる人たちは、貨客船と呼ばれる、貨物船の一部を客室部分とした船で、海外宣教に出て行きます。

この船会社を一番たくさん持っていたのが、そして、その主役は英国の船会社、煙突のところに塗られた横線を元に、レッドライナーとかブルーライナーと呼ばれる商船会社の商船が世界をせましと(今よりはスピードはやたらと遅いですが)走り回りました。

それ以外にも、ジャーディンマジソン商会だの、いろんな商船会社あるいは海外交易会社がチャーター便を含めて運用していたようです。

このような物流の流れがあったからこそ、海外に宣教師を送り出すことも出来たようですし、また、それをサポートすることも出来たようです。

私自身の信仰も、この宣教師とその影響を受けた人(たとえば石濱さん)なしには、考えられない部分があるので、大英帝国の遺産を受けて信仰があるという現実を見るときに、何とはなしに神様の計画って、一体どんなものなのだろうと思ってしまいます。

ブラザレンの人々が、非常に活躍した時期、またその信仰が非常に影響力を持った時期というのは、1850年代から1960年代までの時代だといっていいと思いますが、このうち1930年代までは、大英帝国の時代Pax Britanicaイギリスによる平和を謳歌した時代です。

イギリスは、そのBest and Brightestを海外の開発にどんどん排出していきます。ロイド保険会社というか保険組合は世界の保険市場を握り、ポンドが世界の実質的な基軸通貨(今はドルがその立場を担っていますが)であり、ロンドンは、世界の金融市場の中心であり、グリニッジが世界標準時の基準点となり、世界の科学技術の中心は、イギリスであり、オックスフォード及びケンブリッジは世界のアカデミックな活動の中心点だった時代です。

英国の海軍力と経済力を背景として、世界で英国人が活躍した時代です。日本でも、お雇い外国人がドイツからも呼ばれましたが、英国からも結構たくさん呼ばれています。

夏目漱石は、英国に官費留学(なんという懐かしい表現)していたり、英国から一発屋とも言うべき外国人なんかが日本や海外諸国にたくさん出て行っていたことは確かです。

そんな時代に、乗る形で、ブラザレンは英領を中心に海外宣教をしていきます。

学校教育とブラザレン

ブラザレンの発展の為には、イギリスの公教育(学校教育)制度が重要な役割を果たします。

聖書が読める為には、文字が読めなければなりません。
文字が読めるのは、18世紀では限られたエリートだけでした。

もちろん、グーテンベルグが印刷術を発明し、イタリアのアルド社が、イタリック体フォントを開発し、それを使った本を出したところで、一般読者に読みこなす能力がなければ、読めません。もちろん、アルド社の読者層は、大学生、および商人(今で言えば、ビジネスマン)など、文章を読み書きする能力のある人たちでした。
また、ティンダルが英訳聖書を出したところで、読めるのは、一般の人ではなく、社会の一部の商人やパブリックスクール(パブリックスクールとは言えども、本当の公教育ではなく、自分たちで家庭教師を雇うほど金はないけれども、子弟に教育をほどこしたいために金を出して作ったプチセレブの行く私立学校)出身者でしかありませんでした。

しかし、19世紀に入り、誰もが学校に行ける公教育制度が始まってはじめて、一般人が無理なく聖書を読み書きできるようになりました。ブラザレンは、この公教育の始まり時を一にして、拡大していきます。ブラザレンは、公教育制度なしには成立しない運動でした。

ことのよしあしは別として、グローブスにしても、ダービーにしても、第1世代のブラザレンの指導者たちは、神学校で教育を受けたエリートでしたが、第2世代では、そうでない人たち、特に公教育だけしか受けていない人たちが、主役になり始めます。

特に、ダービーが既存の神学校教育を受けた牧師、あるいは司祭制度を批判したこともあり、その牧師の養成機関でもあった大学(オックスフォードも、ケンブリッジも神学校、神学部が母体)教育に批判的なこともあり、ブラザレンでは、高等教育の必要性は非常に軽視されました。

今では、極端な高等教育への批判はありませんが、高等教育を必要としない、という姿勢の片鱗がときに見られることもあり、高等教育を受けた人は、ブラザレンでは、時に居心地の悪い思いをすることがまったっくないというわけではありません。


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