ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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最近読んでいる本

今日は、ちょっとブラザレンの枠から外れます。

たまにはお休みしましょう。久保木牧師のお勧め本

http://blogs.yahoo.co.jp/sjy0323jp/60266600.html

でJean Vanierという人の、Man, Woman, God Made Them

という本を読んでいます。ラルシュ(フランス語で箱舟)

コミュニティという活動で障害者にかかわったカナダ人

の人の書かれたものです。日本語訳もありますが、

中古本で7000円以上するので、出物が出たら、即、お

買い上げしたいと思っています。

 それでは、本題に。

 障害を持って生れてしまったがために、社会から排

除され、社会から無視され、社会から排斥されていっ

ただけでなく、家族からも愛されず、だれからも愛さ

れず、心を閉ざしていった人たちとのかかわりの中で、

ジャン・バニェが考えたことの記録です。障害を持っ

てしまったがために、人間として生きることを認めら

れず、社会の枠外に生きることを求められていった人

々の回復、そのために愛を示すことが必要であること、

具体的に体に触れながら、愛が伝わり、ともにいるこ

とで愛が伝わることがどれほど大切か、ということを

示した本です。

 このことは、ハンセン病者の問題(ハンセン病者と

キリスト者の問題)、未開人と勝手にヨーロッパ人が

思いこんだネイティブアメリカンやインディオ、アジ

ア諸国の人々、アボリジニの問題、ジプシ―問題、ユ

ダヤ人問題、カルト被害者の問題などと、深く関係し

ているように思いました。

 ところで、ディズニー映画(アニメです)のノート

ルダムの鐘で取り上げられる障害者のコジモドは、そ

の意味で、二重の被差別の対象です。まず、出生がジ

ブシーであり、障害者であることで、コジモド君は、

二重の差別を受けることになります。しかし、カーニ

バルという特殊環境で、彼は一瞬、異形の王としての

扱いを受けるのですが、すぐに現実に引き戻されてし

まいます。

 あの映画が面白いのは、ヨーロッパの伝統を受けな

がらも、アメリカ映画であるためか、王権に対して

ジャスティスと正義を叫ぶこれまたジプシーのエスメ

ラルダの姿です。ヨーロッパでは、この種の人権的主

張は社会の枠外であるとされるジプシーからされるこ

とはほぼ許されないのですが、この映画がアメリカで

作られたために、このような設定になっているのだろ

うと思います。なんせ、アメリカの子供は、幼稚園の

ころから、国旗のプレッジを言わされるときに、

We pledge allegiance to the flag of United States

of America and to the republic for which it stands,

one Nation under God, indivisible, with liberty and

justice for all. っていわされるので、Justice for

Allというのがことばの上ではしみ込んでいるし、意識が

喚起されやすいんですよね。でも、アメリカ人のいう

JusticeはUS Citizenだけに限られることが多いようで

す。(一部のアメリカ人は、アメリカ市民権を持ったコ

ーカシア系住民のみに限られる、といまだに思っている

節があります)でなければ、911の後の、イランやア

フガニスタン系アメリカ人への無茶は考えられません。

いかんいかん、ジャン・バニエから外れてしまった。

 いずれにせよ、社会から切り離され、家族から切り離

され、愛される対象となることがなかった人々が本当の

愛に触れるためには、ステップストーンとしての愛が必

要であるというくだりがあります。

Jean Vanier, Man, Woman, God Made Them, Paulist

Press, p.17

In order to open oneself to others and to the world,

a wounded person needs to find someone who acts as an

intermediary. ・・・・ Discovering confidence in

oneself, it is no longer necessary to fight others and

one's surroundings in the same way, Little by little

one can begin to trust them too.

これを読みながら、考え込んでしまった。人間は、被造物で

あるがゆえに、傷ついた心の回復のためには、人の介在が

必要であること、その意味で、その回復のためには、我々は

ステップストーン(あるいは中間者)としての人が必要であ

ること、そして、それは、神でありながら、地上を歩んだ

人間イエス(ナザレのイシュアシュ、あるいはヨシュア)が

どうしても必要であることを。そして、イエスまたはイシュ

アスまたはヨシュアは十字架の上で異形の王になり、王の王

としての姿を完成していったことを。

 傷ついた心は、エスメラルダの主張するジャスティス(正

義)では、癒されず、エスメラルダがコジモドに対する友情

(愛の一種)で癒されていくことになる。ただ、エスメラル

ダはフィーバスという十字軍あがりとおもわれるかっこいい

騎士の兄ちゃんと結果的には恋に落ちちゃうんですが。

 連休間、もしお暇なら、「ノートルダムの鐘」というディ

ズニーアニメ、家族でも楽しめますが、深い文明批評をしな

がらも案外楽しめるかもしれません。

 ジャン・バニエの本を読みながら、いろいろと差別、傷つ

いた心、その回復、愛、中間者の存在、という問題を今考え

ています。

本の紹介

先日来、コメントを頂いている『みなと☆』さんから

ご紹介いただいた、一ヶ丘福音館のサイトを拝見して

おりましたら、そこの牧師紹介のサイト

http://cristfukuinkan.web.fc2.com/kyoukainosyoukai.html

の中に次のような記述を見つけました。

---------------------------------------------------------

教会(一ヶ丘福音館)のモットー

元来教会のイメージは堅い、暗い、面白くない、難しいです。

その逆ををとって温かい、明るい、楽しい、分かりやすい教会

であることを心がけております。
---------------------------------------------------------

この記載されてあるのを見て、最近読んだある本の内容を

思い出してしまいました。それが、これから紹介する次の

本です。


古屋 安雄 著 なぜ日本にキリスト教は広まらないのか

―近代日本とキリスト教 (単行本)

単行本: 195ページ
出版社: 教文館 (2009/06)
ISBN-10: 4764264390

なぜ、日本にキリスト教が広まらないのか。

これは欧米諸国やアジア諸国からの宣教師ならずとも、少し

考えるキリスト者なら、必ず直面する問題だとおもいます。

 結婚式は、キリスト教式での挙式を希望する日本人がなぜ、

キリスト者にならないのか。それは、重要な問だと思います。

 それは、キリスト教式での挙式を希望する普通の平均的日

本人にとって、キリスト教会を構成するキリスト者、特に牧

師が特殊な人種であり、人間的な接点と共感性を失っている

からであるというのが、著者の主張です。納得できる部分が

あると思います。

 この本は、日本の福音宣教が、札幌農学校を基礎とする札

幌バンド、熊本で始まり、後に同志社の設立へとつながった

熊本バンドにしても、武士階級出身者への伝道、武士階級出

身者が信者となったことから始まったがために、大衆伝道へ

とつながるきっかけをうしなってしまったことを指摘してい

ます。さらに、戦前の官学(国立大学)のドイツ中心主義に

も影響されたドイツ神学の過大な影響、戦争中の政府との関

係のとり方との失敗、戦後の復興での学生中心の伝道、戦後

の学生信徒の卒業に伴う信仰の卒業の結果、キリスト教に惹

かれつつも、キリスト教が広がっていかない日本の現状をあ

る側面から切り出しているように思います。

 さらに、東南アジアやアフリカから来たキリスト者が、日

本の教会に行った時に、まるでお葬式のようだ。私たちの国

であれば、誰も、こんなところに来ることはしないだろう、

という発言があったということが記載されています。日本の

一般の教会は喜びがないところのようです。

 これらのことを指摘した上で、著者は賀川豊彦が行った神

の国中心型の社会の中心を担う人々への伝道の重要性を指摘

しています。この主張は、傾聴に値すると思うのですねぇ。

普通の人、大衆が信じなければ、そこに定着しなければ、信

者の比率が増えるはずが無い。中国や韓国教会が成功したの

は、この大衆伝道が中心であるため、信者数の違いとなって

いる、という主張には、傾聴すべきものが含まれると思いま

す。

 この本の主張には、傾聴すべきものが含まれているのです

が、講演会の記録を中心に編成した本であるために、ほぼ同

一内容の主張の重複が目立ちすぎ、時に読む気を失うと思い

ます。しかし、日本におけるキリストを伝えることの意味を

考える上では、非常に参考になる視点を与えてくれる本だと

思います。牧師であれ、信徒であれ、日本のキリスト教の問

題、伝道しようとする人は、まずこの本を手にとって自分の

姿を省みるために読んでおいたほうが良い本であると思いま

す。

 そうでないと、そこに助けを必要としている人たちが失わ

れてしまうことになりそうです。 現代に生きる社会人に伝

わるキリスト、その伝え方ということを考えないといけない

なぁ、と思った本でした。そういえば、それをアメリカ風に

したのが、リック・ウォレンがかれの経験を基に書いた、

Purpose Driven Churchだったような気がします。日本語訳

も、『健康な教会へのかぎ』として出ていたような気がしま

す。但し、この本には重要な未訳出部分があるので、読める

人は原著を読んだほうがもっと分かりやすいと思います。

 なお、「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか」の本と

あわせて、中村敏 著 日本キリスト教宣教史(いのちのこ

とば社)を読まれることをお勧めします。

 みなと★さん、考えるきっかけとなったコメントありが

とうございました。

 以下は、今月の所属キリスト教会(キリスト集会)の月報に載せた

書評です。久々のナウエンの本を登場させました。

両手を開いて
アンリ J.M. ヌーエン著 高野実代 訳 サンパウロ ¥1200.-

 この本は、この欄でも、何回か紹介してきたヘンリー・J.M.ナウエン

(アンリJ.M.ヌーエンはフランス語で彼の名前を読んだ時の呼び方です)

が祈りについて述べた本です。祈りのさまざまな側面について、具体的

な状況を想定しながら、クリスチャンとして祈るということはどういう

ことか、祈りの意味とは何か、日常生活で誰しもが経験するさまざまな

状況について、祈りを通して自分の心のうちを探り、神との関係を深め

る内容に満ちています。祈りについて、ナウエンらしい、彼独自の視点

からの非常に深い洞察を分かりやすいことばで書き記した本です。他の

本もそうなのですが、ナウエンのほとんどの本は非常に平易なことばで

書かれていますが、非常に洞察力に富む内容が書き記されています。こ

の本も、その代表例のような本です。

 いくつか、印象的な彼の記述を抜き出してご紹介したいと思います。

---------以下 引用文 --------------------------

 祈るように言われる時、あなたはしっかり握ったこぶしを開き最後の

コインを引き渡すように求められる。しかし誰がそうしたいと思うだろ

うか。手放したくないことが分かるので、そのため最初の祈りはしばし

ば痛みを伴った祈りとなる。(P14)

 ほとんど信仰のない祈りは、ある安全を勝ち取るために、私たちを

現在の具体的な状況にしがみつかせる。その祈りは直ちにかなえられ

ることを懇願する望みで満ちている。(P72)

 キリストは、最も意味深いやり方で、祈りは神の力にあずかること

だということを明らかにしたおん者(おん方、とした方が一般的でし

ょう)である。この力を通してキリストは世界を一変させた。数え切

れぬほどの男女を彼らの存在の鎖(現実に存在する鎖、の方が分かり

やすいと思います)から解き放った。(p135)

 祈るとは神の前に両手を開くことを意味する。それは手を握り締め

る緊張をゆっくりと緩めること、そして、あなたの存在を守るべき所

有物としてではなく、受け取るべき贈り物としてこころよく受け入れ

るようになることを意味している。何よりも、祈りは、神の約束に対

して手を開いて、あなた自身、隣人、そして世界への希望を見つける

この世のまっただなかで静けさを見出させる一つの生き方である。

(p144) 
--------------------以上 引用終わり---------------------

 このような魅力的なことばが、あちこちにちりばめられた美しい本

です。翻訳がこなれてないかな、と思うところも時々ありますが、日

常生活の祈りについて考える際のヒントになることと思います。祈り

の生活を深められたい方に、是非、ご一読をお勧めします。



 ということが、今回の書評でしたが、引用部分がちっと多くなり

過ぎたかなぁ、と思います。とはいえ、ナウエンの本の内容のユニー

クさは書き換えでは伝わらないところがあるので、引用の方が伝わっ

たのかと思います。ナウエンの本を読むたび思うのですが、この深さ

をもった分かりやすい聖書の入門や、信仰というものについての解説

を誰か書いてくれないかなぁ、と思います。ナウエンもそれを目指し

て、『愛されているものの生活』という本を書きましたが、結局どう

みても信者向けの本になっていましたし。あの本はあの本で、面白か

ったのですが。

 さて、来月、どんな本をとりあげようかなぁ。

 しかし、今回の月報の発行は綱渡り。礼拝直後の諸連絡の時間には

完成させないといけない(礼拝で帰宅する人がでてくる可能性がある

ので)にもかかわらず、ぎりぎりの10時15分まで、若い人たちが自分

達の文章の作成作業をしているし、誰かが、プリンターをリストから

削除してしまっていたので、礼拝の賛美の時間なんかを使いながら、

ドライバーを再インストールしたりと、礼拝に今日は集中して参加で

きなかった。かなり残念。

今回は、私どものキリスト集会の月報に書いた書評を載せておきたいと思います。

上沼昌雄 著 
『闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神』 ¥1,890円  いのちのことば社 刊

 私が読んでいるあちこちのブログ(「おふぃすふじかけ」や「本を枕に スピリチ

ュアルな日々」)や、私のブログを読んでくださっている方のコメントの中にこの本

の紹介や本書の名前が出たので、少し関心を持って昨年末から読んでいました。

 この本は、非常に考えさせられる内容を持っていた本です。読みやすい文体、読み

やすい装丁、読みやすい文字の大きさを持っているのですが、内容が非常に重要であ

ると同時に重たいテーマのものであるため、なかなか読み進めることができなかった

ことも事実です。その意味で、重たい内容を持った本です。この本の中では、村上春

樹の小説も題材に使いながら、神と共に生きた人々、例えば、ダビデやパウロの心に

潜む部分があったことを示しています。神と共にあろうと思いつつも、これらの信仰

者にも、そして現代を生きるクリスチャンの中にも心のうちに潜む闇の部分があるこ

と、そのことに気付いたときそれを神の前に明け渡し、その部分を神の光で照らして

いくことの重要性を述べています。このことは全ての信徒にとって言えることかもし

れません。

 この本の中で面白いなぁ、と思ったのは『ことばの手前の部分』や「ものがたり」

という表現です。ことばにならない「うめき」や「つぶやき」あるいは「ものがた

り」として表現されるものがあるということでした。つまり、理性で説明できない全

ての人間の内にある部分が大切であること、その部分について聖書に照らしながら対

応していくことの大切さ、のようなことを改めて考えるきっかけとなりました。

 私たちは、科学が万能と思われた時代、客観性(間主観性)が重要であるとされた

時代(今でもそう思われている部分がありますし、そう思いたい人々もいますし、私

もそういう部分がありますが)を経た現代という時代に生きていますが、人間の存在

にとって、神を理解するための共感性を与えるための重要な部分でありながら、ブラ

ックボックス状態となっているために、近代という時代の中で忘れ去られようとして

いた『ことばの手前の部分』とそれを通した聖書理解の重要性についての指摘でした。

素朴な経験や聖書理解の分かち合い、罪や心のうちにある闇の問題について、信頼の

ある関係性の中で心を神に明け渡すと同時に他の人に明け渡していくことの重要性を

示した書物でした。誰しも、他人を必要とし、他人の援助を必要とする、というきわ

めて基本的な原則を再確認させてくれる本です。信者としての成長のためにも、また、

人々にイエスという存在、その十字架を伝えていくうえでも。つまり、全ての方のう

ちにある『ことばの手前にある部分』への対応が伝道や信者の成長にとって重要では

ないか、ということをこの本を読みながら考えました。お勧めの1冊です。

 以上の文章は、私の所属教会(キリスト集会)の月報の原稿として書いた書評です。

この本を読みながら、特に最後の2章を読みながらブラザレン運動が持っていた、あ

る方向性について考えました。つまり、啓蒙思想が幅をきかせ、社会が近代化してい

く中で、ブラザレン運動は、この『ことばの手前の部分』の大切さを主張しようとし

たのではなかったのか、という理解です。もちろん、このことに関しては、クエーカ

派の背景を持った人々との交流(ダービーだけでなく、Tim GrassのGathering to His

Nameの12ページにはグローブスにもBessie Pagetというクエーカ派の背景を持つ姉妹

を通しての影響が記されています。)も影響しているでしょう。しかし、ブラザレン

運動が主張してきたことの特徴は、当時のキリスト教会の中で、忘れさられかねない

状態であった『ことばの手前の部分』からの反論だったような気がします。同様の主

張は、いわゆるホーリネスと呼ばれる方々にも見られると思います。『ことばの手前

の部分』は、ある場合には『聖霊の導き』と呼ばれたと思います。ある場合には『こ

とばの手前の部分』の重要性を重視すべきであるということを主張するために『(理

知的傾向が非常に強まってしまい本来の神学のあるべき姿を失った)神学は要らない』

という表現となってしまった可能性があるように思います。

 近代化社会、科学万能社会が構築される中で切り捨てられようとされ、キリストを

信じる人々の中でも忘れ去られかねない状態にあった『ことばの手前の部分』につい

て、明確に言語化できない中で、言語化しない中で重視するべきではないか、『こと

ばの手前の部分』を介して聖書を直接読み、聖書理解と神を知るということを信者が

深めていくという主張がブラザレン運動のひとつの主張だったということを考えまし

た。ただ、『ことばの手前の部分』の重視は一歩間違うと神秘主義への通路でもある

ので、十分な注意が必要かなぁ、とは思いますけれども。

 『ことばの手前の部分』は、言語化することで異質化してしまうこころの一部分な

のですが、その部分の信仰生活の役割の中での重要性を理解し、そして、その『こと

ばの手前の部分』を手がかりにした伝道を行ってきたのが、ブラザレン運動だったし、

『ことばの手前の部分』と多くの人が文字を読める時代となったことを通して聖書を

理解することが重要であると主張し、聖書理解と言う行為を教役者に外注するのでは

なく、普通の信者自らの手に取り戻そうという主張がブラザレン運動の革新性だった

ように思います。しかし、時代を経て、本来主張されてきた内容が忘れられてしまい、

その断片だけが残り、現在のブラザレン運動の中でそれが違った意味として残ってい

るとしたら、残念でなりません。そうでないことを願っていますが。その意味で、

『ことばの手前の部分』と『ことばの先にある部分(理性や知性)』とのバランスの

取れた信仰生活が大事なのかなぁ、と思います。

 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。わ

れらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、

力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』」(マルコ12:29-30)の部分は、バ

ランスの取れた信仰生活の大切さを教えているように思いました。人間は『ことばの

手前にある部分』と『ことばの先にある部分』の両方で成り立っていて、どちらか一

方だけで成り立っているわけではなく、その部分の占める比率は、人それぞれなので、

様々な信仰の形態がありえるのだろうと考えています。

 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』を読みながら考えたことの一つに、土着化、という表現(もとは、Localizationかな?)の中には、積極的な意味と注意すべき点が混じっているじゃないか、ととおもいました。ここは注意しないといけないかもしれません。同じようなことは、マクグラスの、『総説 キリスト教』を読んでいるときにも感じたことなのですが、この土着化の問題をどう考えればよいのだろうという問題意識を改めて強く感じました。

 多分、『土着化』ということばの中に、『現地の文化と習合してしまい、キリスト教に似て非なるものとなってしまう』問題点と、『現地の文化でいきる現地のクリスチャンが主体的にきちんと聖書に基づき、自ら考え、福音宣教を聖書の真理からぶれずに取り組む』という積極的な意味が、並存するからだと思います。

 マクグラスも、多様なキリスト教のあり方、現地に定着し、現地の信者が抱える問題と聖書がどう切り結ぶのか、その中で、ミッション系の教会、欧米系のミッション団体がこれまで当然としたことと違う部分があっても良いとしているようです。まぁ、ポストモダン、ポストコロニアルの視点からの論者であるマクグラスの立場からすれば、当然といえるでしょう。

 聖書の基本ラインをはずさずに、聖書理解を深めつつ、日本人教役者が聖書を語ることが、現地化、土着化するのであれば、それはマクグラスが言うように可とすべきでしょう。しかし、この土着化というべきか、現地化というべきか、地域文化への対応ということに関して、『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』の中で触れられていることばを使えば、『世界の再呪術化』の問題、もっと具体的に言えば、日本の文化である祖先崇拝(祖霊崇拝)との習合の問題、日本文化が背景としてもっているものへの対応を間違うと、あるいは、日本文化との対応を間違うと、もともとは、聖書に基づくキリスト教の原点回帰運動であったものも、容易にキリスト教風の日本の新宗教となりかねないことをこの本は示しています。実際に、この本の中で取り上げられているものの中には、キリスト教とはもはや分類できなくなったものも含まれています。

 なお、大半の日本人にとって、キリスト教は『新宗教』の一種、という指摘は非常に重要かもしれません。

 ブラザレン運動が、日本で現地化していくのは、当然のことですし、それはそれで適切だ、思います。ただ、現地化していく中で、いくつかの点を留意すべきでしょう。

 聖書を読むときに、どうしても、日本語の聖書を日本語で、あまり深く考えずに読む、ということはおきやすい。その時、日本の文化のバイアスが入った状態で聖書理解をする人々が出現することは避けられない。その場合、平信徒による聖書研究を中心としていくキリスト集会の場合、学びや聖書の深い理解に達しようとしたとき、この日本文化に基づく聖書理解や、日本語による聖書理解のバイアスが時に悪影響を及ぼしかねないのでは、ということを危惧しないといけないかなぁ、と思うのです。

 そのバイアスの影響が小さいときは良いけれども、そのバイアスが大きい場合、また、それぞれの地域の集会で聖書を取り次ぐ人々や責任者、影響力の大きい信者が大きなバイアスをもって聖書を解釈するようなケースが出てきた場合、その影響をどのように最小化していくのか、という視点は重要かもしれない、ということを、この本は実例から教ええてくれるように思います。

 この問題は、平信徒が中心的役割を担う信仰復興運動、キリスト教の原点回帰運動には、必ず付きまとう固有の危険性かもしれません。そのことを、この『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』は私たちに示しているように思います。『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』で取り上げられているものは、いずれも、キリスト教の原点回帰運動であり、平信徒にある程度の役割が当初与えられていたものが多いことは、私たちの運動と非常に近しいものを持っています。

 現在、日本のキリスト集会と呼ばれるグループで、この種の『再呪術化』のような深刻な問題を抱えたキリスト集会は、ほとんどない、と思います。ただ、どの教会にも問題がないわけではないのと同じように、ちょっとした問題はあると思います。問題の深刻度は程度の違いはあるにせよ。

 以前にも書いたのですが、巡航速度で順調に走っているときには、エンジンの回転数の調整とハンドルさばきだけで車のコントロールができるものの、トラブルが発生したときには、それに対応するためのシステムが必要で、それが今の各地のキリスト集会には十分あるのだろうか、という疑問です。つまり、防具としての神学、あるいは、異端的な考え方に対するブレーキとしての神学の必要性です。このブレーキとしての神学が、私たちのキリスト集会の一部の信徒、リーダーとなる召命を受けた信徒にとっては、今後必要になるのでは、問題がでる前に、対応しておくべきではないか、というのが私の基本的な問題意識です。神様が守られるから大丈夫。そうかもしれません。でも、個人的には、念のため、備えたほうがいいのでは、と思っています。

 今後一層、宣教師や伝道者に依存できない多くのキリスト集会にとって、この異端的思考への対応と、集会の一部の信徒の暴走により、カルト化したり、「世界の再呪術化」するような動きが、キリスト集会に起きないようにするためのブレーキとしてきちんとした神学、または聖書理解が必要ではないか、ということを感じています。平信徒運動であるがゆえに発生しやすい問題が、どのようなものであるかを知るためにも、この『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』で取り上げられた事例は、私たちとの考えかたの類似性があることを踏まえると、これらの問題を避けるためのヒント、私たちがこれらかの集会のありかたを考える上での何らかのヒントを与えてくれると思います。

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