ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

お勧めの本

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今回の一押しの本は、
ポスト・モダン世界のキリスト教 21世紀における福音の役割 A.E.マクグラス著 稲垣久和監訳 教文館 1800円


http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E2%80%9521%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%81%AE%E5%BD%B9%E5%89%B2-E-%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9/dp/4764266466

今回もまた、アリスター マクグラス本です。福音主義神学の立場に立つ著者が、日本での講演で語った内容を翻訳し、書籍にまとめたものです。彼の神学のエッセンスが詰まった本です。非常に深い内容が書かれており、聖書や神をポストモダンの時代にどのように語るのか、を考える上で非常に参考になる本です。

特に、彼の主張の重要な点は、21世紀のキリスト教で中心的な役割を果たすのは、カトリック、ギリシア正教、福音主義(マクグラスの言う知的な福音主義)だという点です。なぜ、福音主義がカトリック、ギリシア正教と肩を並べるかというと、カトリック、ギリシア正教で培われた神学的な伝統に根ざそうとする志向を持つからだ、というのがマクグラスの主張です。

しかし、現実に福音主義者(あるいはキリスト教原理主義者)と呼ばれる人々の間に、福音を伝道することに集中するあまり、知的な伝統に根ざさない貧弱で矮小化された福音を伝えることしかできない人々が少なくないのも事実です。ブラザレンに限らず、プロテスタントの中の一部に、(そして福音派と呼ばれるグループのかなりの部分に)知的に矮小化された信仰生活しかおくれない教役者が少なくないようです。

この本の中には、いくつか、わらえる表現があります。

聖書の釈義、解釈、教理の教義化が真空状態でなされるかのように振舞う、アメリカで広く支配的ではあるが知的には自殺行為である傾向

伝統には、『伝統主義者』という意味も含まれています。それは以前の世代のプレッシャーであり、私たちが以前の世代の人たちと同じように考え行動し続けることを要求します。そのようにして、福音主義を16,18,19世紀の世界観に閉じ込めてしまうのです。(中略)それは現代のサンフランシスコで、18世紀の服装をするのと同じほど滑稽なことです。

福音主義者にも、福音主義の批判者にもお勧めの一冊です。

小島克博・中島 考・手島勲矢著

原理主義から世界の動きが見える キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と虚像 

PHP新書 780円

この本は、原理主義という言葉がどのように生まれ、どのように理解され、どのようなコンテキストの中で語られてきたか、ということを分かりやすく、勝つ丁寧に解き明かした本です。

一般向けの本であるだけに、若干ジャーナリスティックな表現も見られますが、表現の部分は別として、事実としては非常に丹念にどのような環境の中でどのような意識の中で、キリスト教原理主義が生み出されてきたのか、その人々が持っていた意識とはどのようなものだったのか、ということを非常に分かりやすく明らかにしています。

また、現在のようなコンテキストの中で、原理主義が語られるようになった経緯と、それがもともと誇りを持って語られ、用いられていた意味から大きく異なって、一種の蔑称になってきていることを示しています。(こうなっても仕方ない頑なさをブラザレンの諸先輩方は持っていたと思いますが)

この本の中に、ジョン・ネルソン・ダービー、ムーディの立場について、そして、それが後の原理主義者にどのような影響を与えたのか、ということが書かれています。

とはいえ、この本の重要性は、ブラザレンや原理主義自体を否定的に、切って捨てているわけではなく、プロテスタント自体がそもそも原点回帰の意識から始まったと意味で、カルビンもルターも原理主義と考えることが可能であること、そしてカトリックの中にも原理主義的な要素があることを示しています。

また、この本を推薦する理由は、ユダヤ教自体の歴史的変遷をたどりながら、イスラエル建国とシオニズム運動を単に陰謀史観として捉えるのではなく、ユダヤ教の理解の変遷がいかに彼らの建国、イスラエル国家の理念に影響したのかを示しています。

後、もうひとつの重要な視点は、手島先生の指摘で、問題なのは、原理主義ではなく、教条主義、あるいは心の狭さであるという指摘だと思いました。これは、ブラザレンを考えていく上で、非常に有効な指摘だと思いました。

ご紹介する本は、McGrathの「神の科学」という本です。

http://www.amazon.co.jp/gp/product//4764266520/ref=cm_rv_thx_view/503-2172743-0209569

この本は、McGrathという面白いおじさんが書いた、聖書理解と科学理解の対話が可能であること、もともと、諸科学は、聖書理解の一環として生まれてきたこと、その結果、科学(自然科学および社会科学ともに)は、ほんらい聖書理解や神学と対話可能であること、を明らかにしている本です。


この中で、非常に面白かったのは、ユルゲン・ハーバマスという人の提唱する公共性という概念に触れながら、もともと、神学も学問である以上、公共的なものであり、また、公共的なものでなければならず、その公共性を成立するための基礎が、対話であり、神学が諸科学と対立するのではなく、批判的な(いわゆるいやみではなく、正当かつ冷静な合理性を持つ合理性の観点から)対話することの必要性を明白に述べています。

個人的には、膨大な過去の神学文献を大量に読みこなし、それを整理・分析した上で、議論をしているこのMcGrathの立場は非常に優れたもので、個人的には非常に感銘を受けました。

この人は、若いときにマルクス主義に傾倒し、自然科学を専攻し、オックスフォードでの分子生物学の研究中に神と出会い、結果、神学と生物学ということを同時に勉強することで、神学と科学の相克を自ら直面したという意味で、非常に変わりだねの神学者のような気がします。

現代神学のなかでは、流行もあり、人によって言うことが違うし、時代のコンテキストの中で語られた部分もあるので、分かりにくいことは事実です。教派の考えを頭から受け入れることを良いと教えてこられなかったブラザレンは、基本的にこの種のことを、はなっから「悪」だと決め付けてしまっているので、自由主義神学だとか、バルト神学とかに関しての本は読めない、読まない、読んではいけないと思っていますが、ここ100年くらいに他の方がどんな風に考えてきたのかな、ということを考える上では、この本はお勧めでしょう。1/25,000地形図や、航空写真ほどの解像度はありませんが、1/200,000地勢図くらいの地形の雰囲気はなんとなくつかめるような描き方で、現代神学のおさらいをしてくれます。

細かいこと、頭が痛くなるようなことは、あまり書いてありません。これまでの現代神学の潮流の大まかなところをつかみたい方には、いいんじゃないでしょうか。

同胞組合ブログ(トラックバックとやらをしてみるのですが、うまくいくかどうかは不明)では、バルト神学までは簡単に触れていてくれているのだけれども、それ以降の枠組みの説明がないので、最近読み直した本を推薦します。

改訂新版 現代神学小史 カール・F・ヴィスロフ 著 鍋谷尭爾・勝原忠明訳編
いのちのことば社  ISBN  978-4-264-00177-5

いのちのことば社にも在庫が少ないらしいので、買いたい方はお早めに。

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