ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

原理主義とブラザレン

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

ブラザレンが原理主義から脱却できるかどうかは、かなり厳しいかもしれません。

というのは、福音主義=原理主義だとすると、原理主義からの脱却はありえないと思います。
しかし、福音主義は聖書に忠実であろうとするものの、他者との緩やかな対話をし、他のキリスト者との対話を行い、他のキリスト者との豊かな関係を構築していくと同時に、愚直に福音を伝えていこうとする立場へ変わろうとするなら、原理主義からは脱却できると思います。

実際、日本の40歳代以下のブラザレンの中では、本来の独立型ブラザレンのような形で、自由な動きを試みようとする動きや、聖書研究を真剣に求めていく動きもあるので、期待をしていますが、どうなるかを興味深く注視しています。そのためにも、40歳代以下のブラザレンがある程度成長して、責任ある立場に立ち、日本のブラザレン、あるいはキリスト集会、諸集会と呼ばれるキリスト者の集団が保守化傾向を強め、従来のあり方をかたくなに守るという方向で進むのか、それとも新しいことへ取り組もうとするのか、どのように変化していくのか、ということは興味深く、そして、心から祈りつつ、そして当事者の一人として関与しつつ、見ようとしています。

歴史的に見てみると、ブラザレンの初期の指導者、ブラザレンの拡大に非常に寄与したJ.N.ダービーがキリスト教原理主義の成立に大きな影響を与えたことは、あるいは、キリスト教原理主義の形成に大きな役割を果たしたことは、歴史的な事実として認識されるべきことだと思います。ブラザレンの人々は認めないと思います。なぜなら、自分たちは、ただ単に聖書に忠実に歩んでいるだけであり、それが与える影響というのか、自分たち以外のキリスト教の世界とのかかわりということに関しては、あまり関心がないからです。

その意味で、非常に精神の内面というか、霊的世界の内面にこもりやすい(言い方を変えるならば、ブラザレンという霊的集団に、神学的な意味で引きこもりをしている)部分があるように思います。もちろん、例外の方もたくさん居られますが。

私個人としては、18世紀以降の啓蒙時代に発生した一種の信仰運動、つまり、十字架にもどれ、十字架を述べ伝えている聖書の世界にもどれ、という意味で、非常に重要な価値を持った運動であると思います。言い過ぎかもしれませんが、18世紀における教会改革運動であり、その精神自体は、ルターや、カルバン、ツィングリ、スフといったそれ以前の宗教改革者と言うよりは、教会改革者と同じ役割を果たそうとした、というところにあると思います。その教会改革精神自体は重要でしたが、やり方があまりに教条的で、というか、頑固で、あるいは、知恵がないというのか、子供っぽいというのか、青年の理想主義の故の暴走というのか、評価はさまざまでしょうが、改革に取り組もうとした方法自体に、成熟がなかったということでしょう。

これからのブラザレンを支えていく皆さんには、知識と知性、成熟した方法論で、そして、広くキリスト教世界に目を向けると同時に、自分自身のあり方にも、冷徹な批判意識を持って(聖書的にいえば、へりくだりの精神を持って)、神の前に自分たちのあり方を考えるということをしていってほしいし、自分自身そのようなあり方を維持したいと思う今日この頃です。

ブラザレンは、アメリカ型原理主義との親和性が非常に高いことは、ある面当然だといえます。なぜなら、ブラザレンに大きな影響を与えたJ.N.ダービーがアメリカ型原理主義の基本形の成立に大きな影響を与えたわけですから。

しかし、近年の大統領選でジョージ・ウォーカー・ブッシュ君の大きな支持母体となった宗教保守派(その一部にアメリカ型原理主義を含む)の矮小化された論点のひとつである中絶反対には、基本的に賛成ですが、それ以外の部分では、かなりの温度差があります。

ただ、完全にアメリカの宗教保守派と信仰スタイルは似通っていますが、ブラザレン自身、政治的関与には消極的で、現在のアメリカ社会のあり方に疑問視は持っているものの、より内面的な部分に向かっているため、政治的にはアクティブなグループではありませんし、現在のアメリカの宗教保守派のようなあり方、サザンバプティストのようなあり方などについては、やや批判的な視点を持っているように思います。とはいえ、最近、ブラザレンのアメリカの教会(集会)に定期的に参加していないので、正確にはなんともいえませんが。

 この10年で、大きく変わった可能性はありますが。ただ、宗教的には、ブラザレンは孤立主義的であるがゆえに、マジョリティとはなりえないので、アメリカ型原理主義者のように政治的には影響力がないために政治的活動には積極的に関与しても仕方ない部分があります。

なお、日本では、政治的には中立というのか、政治的には無関心なブラザレンが多いです。正確に測ったことはないので、なんとも言いがたいですが、投票に行く方も少ないように思います。なお、国民の責任として、与えられた発言権を行使するためだけに私は行きますが。

昨日、ニュースステーションを見ていたら、神道系カルト教団「紀元会」の報道のなかで、キャスターと呼ばれている古館伊知郎さんが、カルトというべきところを、原理主義、といっていた。

宗教的知識がないんだから、しょうがないといえばしょうがないんだけれども、知識がないんだったら、コメントするのはお控えになれば、という思いを持ちました。多分、イスラム原理主義の過激な行動との類似性で、原理主義、という言葉を口走ったのだろうけれども、あの集団は、現教祖の言動におそらく従っただけで、教義の原理に従おうとしたということではないので、厳密には原理主義とはいえないんだけどなぁ、と思ってしまった。この伝で、結構いい加減なコメントが多いので、最近ニュースがつまらなくなってしまったように思う。コメンテータと呼ばれるおじさんもキャスターと呼ばれる人の言動を、たしなめることをしない、というテレビに無知がはびこる一瞬だったようにおもいます。テレビはもともと娯楽品だと思えば、よいとは言うものの。世間的に影響力が大きく、第三の権力を自負するのなら、リサーチ不足かなぁ、とつい思ってしまいました。報道機関は第三の権力かもしれないが、それは十分なリサーチあって、責任ある言動あっての第3の権力。無知を自らさらけ出すようであれば、テレビ原理主義、あるいは報道原理主義者という意味での原理主義者の批判を受けても仕方ないのかなぁ、と思ってします。自らを戒めることの重要性を再確認した次第です。

ところで、原理主義の語源になった、キリスト教原理主義は、カルトとは確かにつながりやすいものの、カルトとキリスト教原理主義は厳密に区別すべきで、原理主義は、
経典の無謬主義、宗教の周辺化に対する反論、選択的教義の適応、千年王国主義(将来への恐怖と期待)、選民意識、明確な境界線意識、権威的な組織構造、厳格な行動規範
によって特徴付けられる(小島・中田・手島 原理主義から世界の動きが見える PHP選書)ということから考えると、今回事件を起こした宗教法人は、原理主義ではない、といえます。確かに、権威主義的な組織行動と、明確な境界線意識、選民意識の部分では、ちょっと原理主義の一部を有していますが。

カルトは、人格支配し、人間の自然なあり方を捨てさせ、ある特定の思考法に染めあげ、人間の権利を宗教の名の下に奪う反社会的行為だと思う。たしかに、ブラザレンの中に、ちょっとカルト風の集会(教会)も全くないわけではないけれども、カルト風ではあっても、人格支配にまでは陥ってはいないので、純粋な意味でのカルトにはなりえないといえるでしょう。確かに、ブラザレンは、原理主義に非常に強い影響を与えたのですし、千年王国の理解で恐怖心があおられた人々がいたことも確かであり、その意味で、ブラザレンの中にカルト風の集団になりやすい要因というのはあるのですが、全体としては、カルトとはいえないように思っています。

少なくとも、暴力行為に及んだということはないにせよ、人格的支配に近い行為を行ったTaylor Brethrenのようなグループも、Exclusive Brethren(連結型ないし閉鎖型ブラザレンの一部)にあったのは確かです。日本のブラザレンは、基本的にはオープンブラザレン(独立型、あるいは開放型ブラザレン)が主流であることから考えても、その影響は限界的なものであったように思っています。

個人的には、この運動がもっていた福音という注視すべき内容、語り合う心、他者に関する愛を考えるとき、全てのブレズレンの信者の方々が原理主義的な考えから脱出すること、カルト化しないことを真に願っていますし、個人的には、そのように神に祈っています。

なお、念のため申し添えますが、ブラザレンの集会(教会)の全部が全部、原理主義者ではありませんし、カルト風ではありません。大半は、健全だといってよいと思います。

アリスター・E・マクグラスのポストモダン世界のキリスト教 教文館 稲垣和久監訳は、非常に面白い内容を含んでいるのですが、その中に次のような表現がありました。そのうちにお勧めの本で、ご紹介したいと思います。

同書の77ページに次のような表現があります。

カール・F・H・ヘンリーは、ファンダメンタリストたちが独特の社会的ビジョンを備えた世界観として、キリスト教を提示せず、キリスト教の宣教という唯一の側面だけに集中することを選んでいると論じました。その結果として、どうしようもなく社会的ビジョンの欠落した貧弱で矮小化された福音が世に提示されていました。ファンダメンタリズムはあまりにも浮世離れしており反知性主義的でしたので、教育を受けた人々は耳を傾けませんでした。さらに、ファンダメンタリズムは、概してキリスト教がどのように文化及び社会生活にかかわるのかを探求してきませんでした。

このアリスター・E・マクグラスの主張は、非常に大きな示唆をブラザレンに与えると思います。ここに書かれている内容の一部は、ブラザレンにとって非常に耳の痛いものでもあると思います。キリスト教の宣教、と記してありますが、福音の宣教、あるいは伝道に集中するあまり、社会的ビジョンの欠落した、社会とのかかわりをあまりに無視した傾向がブラザレンの一部には、あったと思います。少なくともなかったとは、いえない様に思います。

とはいえ、日本では、英語やドイツ語といった海外から来られた宣教者の持つ、他国語が伝道の誘引となっていることが少なくないので、その結果として、信者の一部に、個人的な努力の結果、社会的文化的な関与を考えるような方もなくはなかったのですが。
とはいえ、ブラザレンには、いわゆる社会的には、インテリと分類される方が少なくないのですが、文化、及び社会生活にかかわるのかの探求という面では、世が悪であると考えるあまり、そこの部分との関与に関しては、若干その視野が偏りがあった面が少なくないと思います。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事