釣道楽山道楽

山・川・海・・自然三昧

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全54ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

種々雑感

少しペースは鈍りましたが、相変わらず山菜採りで山を歩いてます。

タラッポは大体終了です。今年は例年より多く採りましたな。あちこちから「食べたい」というリクエストが多かったもので・・

大好きなシドケ以外は家にはほとんど持って帰らないのですが、女房殿が「テンプラ用に何か持ってこい」というので、タラッポとコシアブラを持って帰りました。

我が家で食べるのには少し多いかなと思ったのですが、何回かに分けて食べればいいか、と思っていたのです。しかし我が女房殿・・一回で・・大皿2枚に山になるほどテンプラを作っちゃいました。

どうやらこの生物の頭の中には「分けて食べる」という思考回路は存在しないようです。

でも、去年まではあまり山菜に箸をつけなかった娘が「これおいしい」とばかりに、かなり食ってました。高校生になってやっと山菜のおいしさがわかってきたようです。

兄貴たちは相変わらず「ボチボチ」でしたが・・
イメージ 1養殖場に生えているタラッポもほぼ終わりました。いろんな人が入れ替わりで採っていきましたな。最後に残ったやつは発育が遅かったようで、今日やっと「食べごろ」です。採りませんけど・・
曇天の中でフラッシュを使って撮ってみました。


話はかわって・・・先日。痛ましい事故が起こってしまいました。

牡鹿半島でシカの有害駆除をしていた猟師が、間違って仲間を撃ってしまったのです。
撃たれた人は死亡しました。

64歳だったそうですが、誤射した人は82歳。なんともいたたまれない気持ちになってしまいました。

82歳になっても有害駆除に駆り出されるなんて・・老齢化がすすんでます。



またまたかわって・・・大阪のハシモト市長が「従軍慰安婦」について語ってました。
「言っちゃった」って感じですかね。「確信犯」ですかね。

あちこちから、ここぞとばかりに非難の嵐です。短絡的。

私自身は政治的傾斜はありません・・無意味ですから・・

ハシモトさんの発言をイシハラさんも否定はしていないようです。

いいんじゃないですか・・真実です。

だから戦争をしてはいけないってことですよ。



きょうからいよいよシドケ採りにいこうかと思ってます。

午後からは雨の予報なので・・降らないうちに・・(^。^)y-.。o○

山は平和です。

暖かくなりました

今週、月曜、火曜と埼玉・東京方面へ行ってきました。

月曜の朝出てて埼玉の次男坊の所へ。2年前に行ったのですが、すっかり道を忘れてしまってました。
カーナビなどなく、感を頼りの道中です。

大体こっちかな〜なんてね。東北道を久喜ICで降り、上尾、川越を通ってふじみ野へ・・・のはずでした。

しかし、埼玉という所はやたらと信号が多い。ちょっと進んでは赤信号でストップ。胃に穴があきそうでした。川越まではすんなりでした。が、そこからが大変。

どこまでいっても川越から出ない。てきとうに走ってたら、なにやら見覚えのある所へ。
よ〜く考えて気付きました。

2年前、次男坊のところからweltgeistさんのところへ向った時に通った道です。
ってことは・・所沢に来てしまいました。

あわててもどって、再度感を頼りに走ったら・・・なんとズバリ、到着しました。

予定を1時間オーバー。

で、そこから八王子の長男坊の所へ向ったのですが、その前に、東京、秋川の教祖K峰名人のところに泊めていただきました。

「アユに適した川はいかにあるべきか」について、K峰名人の奥様まで巻き込んで、夜中まであーでもないこーでもないと・・・・・

で、翌日八王子へ。午前中には用事も終わって・・帰ってきました。

暖かかった・・とにかく・・あたりまえです。400キロも南ですから。桜も満開でした。


でも今日は、宮城もあったかです。

イメージ 2養殖場内に最後に残った雪です。今月中には無くなるでしょう。

雪代のピークは過ぎたようですが、さすがに今日の暖かさで用水に濁りが入ってます。
水温も今年最高の8℃になりました。

ヤマメの稚魚の食欲も旺盛になってます。
イメージ 1

華厳

 聖書やコーランを読むと、なんと親切なことだろうと感じ入ってしまう。人語でもって ――それも平易な表現で―― 人の暮らしの規律をこまごまと教えてくれているのである。
 こういうのを、啓示宗教という。
 revelation(啓示)は、ふつう、すっぱ抜きとか、暴露、隠れていることを見せてしまうこと、などという意味があるが、神学のほうの「啓示」もおなじ意味で、神が人々に対し、自分自身の内部をすっぱ抜いてしまうことである。キリスト教では、イエスを借りてそれがおこなわれる。

 仏教には、啓示はない。
 解脱だけを目的としている。解脱とは煩悩から解き放たれることで、本来の仏教というのは、極端にいえば解脱の必要と、そのための多少の方法しか説いていない(釈迦の在世中は、その教説は文字として表現されなかった。仏教は、本来不立文字(ふりゅうもんじ)が本質だったのである)。
 ここでちょっと小声でつぶやきたくなるのだが、サトリ(解脱)などは、何百万人に一人の天才にして可能なものであるのに、釈迦さんはどういうつもりで法をすすめてまわったのだろう。大衆の中に、百万人に一人が必ずいると信じて説かれていたのだろうか。

 要するに、解脱が目標でなければ、仏教ではない。
 解脱の前に煩悩がある。煩悩がなければ、解脱もない。そもそも煩悩というものは生命そのもののことではないか、生命の諸現象からの束縛を離れようとする生修行(なましゅぎょう)の意識にとらわれるより、いっそ煩悩即菩提とひらき直るほうがいいのではないか、というところから、紀元前一、二世紀ごろ、大乗仏教が興った。

 ――大乗仏教はすべて釈迦とは何の関係もない。


 と、精密に論証したのが江戸中期の比較哲学者富永仲基(なかもと)で、富永の説はいまも論破されていない。
 最澄が重んじた法華経も、法然・親鸞が所依(しょえ)の経典である阿弥陀経も、みな後人の作であって仏教ではないと富永はいうのである。

 奈良朝は、仏教の時代だった。
 現実には、造寺造仏の時代でもあった。内容となると、一大体系が存在したわけではない。
 当時の仏教というのは「経律論抄章疏(しょうしょ)」(聖武天皇の詔の中の用語)のことだった。
 右の字句解釈ふうにいうと、経があるかと思えば戒律があり、それらについてインドの学者の解釈論の中国訳である「論」があり、またそれらの注釈書(章疏)があるといったふうで、雑多というより、ほとんど断片のかきあつめだった。
 思想的にも、釈迦本来の解脱を説く小乗がおもで、それに多少の大乗(小乗とは異質のもの)がまじりあっており、まともな頭なら、なにがなんだかわからなかった。

 体系的な思想としては、華厳経だけで、それも奈良時代でも、遅い時期に入った。

 ――世界はこうだったのか。

 というほどのおどろきをひとびとにあたえた。聖武天皇がこの経に接し、華厳世界の中心的な存在である毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を「大仏」と「大仏殿」のかたちにして造営したのも、初めて「体系」に接したことの昂奮のあらわれであったといっていい。

 華厳経ももまた大乗仏教で、したがって釈迦以後の成立なのである。
 この思想は、紀元前一世紀ごろから四世紀ごろにかけてしだいにつくられて中国に入り、多少の中国哲学が加味されて一大全集になった。そういう事情はともかく、この経典に盛られた思想こそ、のちの日本的思考法や思想の先祖の一つになったというのが、この稿の主題である。
 たとえば、一はすなわち多である、多はすなわち一である(一即多・多即一)などという言い方は、のちに多様に応用された。
 また、一個の米粒をみて、宇宙と人事の一切がこめられている(相即(そうそく)されている)という日本的な考え方も、華厳経から出発した。一粒の米は自然がつくるだけでなく、社会(農民や配給機構、最後はそれを炊く人)の営みの一切がこめられている。華厳ふうにいえば、一が多であり多が一でありつつ、その「多」の中の「一」がそれぞれ無限に他とかかわりあい、動いているのである。しかも無限に相互に依存しあって(相入(そうにゅう)しあって)孤立してない。つまり私どもの住む宇宙も生物界も人間の世界は華厳でいう「重重無尽(じゅうじゅうむじん)」しあって相互に関連し、変化し、一が多を包摂し、無数・無限に包摂しあってできあがっているのである。

 西田幾多郎(きたろう)は友人の鈴木大拙を通して華厳経を知ったといわれているが、西田哲学における「絶対矛盾的自己同一」は華厳経から出たといっていい。また今西錦司の「自然学」の出発点になった「棲みわけの理論」も、華厳的世界の反映であるといえる。

 解脱はすばらしい。しかしただの人間にそれを望むべくもないとあれば、いっそ解脱した人を拝むことにすればどうか、ということが大乗仏教の出発だった。釈迦にとってはいい面の皮だったろう。かれは死後「神」として拝まれるなど、思いもよらなかった。
 釈迦は、サトリをひらいてから、みずからを如来と称したが、べつにえらぶってそう自称したわけでもなく、また当時「如来」ということばもそのような神秘的意味はなかった。単に法(真理)と一体化した人、という意味で、げんにこの人は、死んだ高弟をよぶ場合も、如来という敬称をつかったそうである。

 大乗仏教では、釈迦は仏陀(ぶっだ)という真理そのものになる以前、一階級下の菩薩の呼称でよばれていたという。菩薩とは仏智を得るべく努めてほぼ完成に近い段階の人ということだが、大乗仏教以後、菩薩は観念化し、人を救うための存在もしくは機能そのものになった。

 本来の仏教は解脱が目的であって、救済の思想はなかった。救済の宗教であるキリスト教では、いきなり神がわれわれを救ってくださる。しかし釈迦の仏教にあってはみずから悟って真理に合一させねばならない。仏が人間を救うなどは、めっそうもないことだった。

 劇的なことに、大乗仏教が出るにおよんで、救済が入ったのである。ここで仏教は大きく変身するのだが、このことを奈良朝のひとびとに委曲をつくして教えたのが、華厳経であった。
 華厳経以前の奈良朝人は、せっかく仏教を受容したものの、断片ばかりでこまりきっていたにちがいない。ひょっとすると、仏教に接したがために厭世的にさえなった僧が多かったのではないか。
 ところが、華厳経によると、毘盧遮那仏という真理(悟りのすがた)からみれば、仏や菩薩が毘盧遮那仏の悟りのあらわれであるだけでなく、迷いもまた毘盧遮那仏の悟りのあらわれであるとされる。人間どころか、草や石、あるいは餓鬼や地獄まで法(毘盧遮那仏)に包摂され、一つの存在がすべての存在をふくみ、また一現象が他の現象とかかわりつつ、無礙(むげ)に円融してゆくというのである。
 となると、一切の衆生(しゅじょう)は当然のありかたとして仏になっていく、ということになる。奈良仏教は、華厳経を得ることによってはじめて陽光の世界に出たのである。
 そういうよろこびが、大仏を鋳造するという聖武天皇の国家事業になったのにちがいない。

 その後、最澄と空海が渡唐してもたらした仏典によって平安仏教がひらかれた。
 空海が展開した真言密教は、紀元五、六世紀ごろにインドで成立したもので、教主を釈迦ではなく大日如来という非実在者としている点でいえば、仏教とはいいにくい。が、密教もまた空の思想をもち、解脱を目的にしている点からみると、濃密に仏教といえる。
 釈迦はなまみの歴史的な潜在である。釈迦という「如来」にこだわるよりも、いっそ完璧な観念像をつくるほうがよいとしたところから、真言密教の絶対者である大日如来という密教の最高理想がうまれた。それ以前に、すでに観念の存在である毘盧遮那仏があった。
 さらにその観念が密教化して大日如来になったといっていい。
 華厳経は世界像を提示した。しかし多分に哲学的説明にとどまり、宗教に必要な行(ぎょう)を説かなかったから、行を説く大日如来が出現したともいえる。ただし真言密教に関する諸経典では華厳的な論理が多用されているから、華厳が密教的に発展もしくは変質した一形態ととれなくはない。

 さらにのちに、あたらしい絶対者としての阿弥陀如来が出現するのである。
 この出現は四世紀ごろかと思われるが、場所はインドではなく、いわゆるシルクロードのどこかであったはずである。
 最初は、大日如来の一化身として、救済のみをうけもつ機能(本願)にすぎなかったのが、しだいに独立しつつ日本に入った。
 この阿弥陀如来が、鎌倉時代、親鸞によって絶対者にされることで、仏教は徹底的に日本化した。
 阿弥陀如来は、毘盧遮那仏の思想的後身なのである。毘盧遮那仏と同様、人格神でなく法そのものの名であり、かつ光明の根源である。さらに宇宙の一切であってそのあたりに満ちみちているということにおいても、華厳経の世界説明や、その展開の論理とすこしもかわらない。

 奈良の東大寺は、聖武天皇の発願以来千二百数十年経ち、その間、華厳をひとすじに護持してきた。
 境内を歩くたびに、日本の思考の型の一つはここからはじまったとおもわざるをえない。境内のすみずみにまで、古代アジアの瞑想が、深い翳やしじまをつくっているようにおもえるのである。

司馬遼太郎「この国のかたち・30華厳」(文藝春秋)より

今日はいいんでないの

最近の天気は油断なりませんな。
一昨日のように、朝穏やかだなあ〜なんて、呑気に構えていると急に雨風が強くなり、そして記録的な暴風雪。

でも今日は大丈夫でしょう。好天気です。

朝からよく晴れてます。

私が養殖場へ来るルートはというと・・・

家を出て、まずは西へ向かいます。少しして北へ曲がり、さらに北西方向へ・・

西へ向かっている時は、正面に船形山が見えます。
北へ曲がると今度は栗駒山が正面にきます。

冬場は晴れていても、山には雲がかかっていてよく見えない日が多いのですが、今日はよくみえました。
イメージ 1
船形山です。
船形が見える地域の学校、小中高校の校歌には大体「船形」や「栗駒」あるいは「薬莱」という歌詞が盛り込まれていますな。船形は別名「加美富士」とも言います。

例えば、私の母校の中学校
「薬莱の夕焼け映えつ西の方(かた) 加美富士高し・・・」とか
「船形の雄々しき姿 仰ぎ見る我が学び舎に・・」などとうたわれてます。

高校の校歌では
「嵐を宿す栗駒や 雲居に晴るる船形ケ岳 晴れに曇りに揺ぎ無く 空を凌ぎて立つを見よ」等々。

で?・・小学校です。校歌を忘れてしまってます。全部ではありません。
断片的には思いだせるのですが・・ダメです。

つくづく・・歳はとりたくない???

雑談

みんなすでに気付いてることですが、変な冬です。

2週間前にはここでもUPしたように、大荒れの吹雪。北海道では死者まで出ました。
車の中や、車を降りてもわずか300m歩いたところで力尽きて凍死。

想像を越えてます。

かと思うと、先週は一転して高気温。10℃以上の日が4日続きました。
雪解けも一気にすすんで、養殖場の飼育水も雪代で濁りが入りました。

砂や落ち葉が大量に流れ込んできます。なんてこった・・です。

昨日は、雪こそ降りませんでしたが、暴風。建物が揺れるほど。

今朝は少し穏やかだったので、ストーブと煙突を掃除。
終わりかけの頃から雨が降り出し、今は横殴りの雨になってます。

まったくもって変な冬です。
イメージ 1
連日の高気温でやっと地面が見えてきました。


で、明日であの「東日本大震災」から2年。

我々内陸部の生活は元に戻ってますが、津波被害のあった沿岸部や原発被害の地域は?

現状は、2年という時間に見合った状態になっているのでしょうか?

スーツを着てネクタイをしめた連中の頭の中には、どんなイメージが浮かんでいるのか。
たぶん、自分の給与明細の数字しか浮かんでないでしょうな。

全54ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事