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お魚の話

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魚の名前(2)

私が愛して止まないアユには古来様々な呼び名があった。

古くはアイ(阿以)、アイオ、アイノウオからヒウオ(氷魚)、あるいは見た目や香りから細鱗魚、銀口魚、香魚(コウギョ)、等々。

アユと言うようになってからの字は阿由が最初らしい。奈良時代には鮎という字はあったが、こちらはナマズを意味していた。鮎がアユをさすようになったのは鎌倉、室町あたりだそうだ。

日本書紀には神功皇后が戦の勝負を占って、着ていた着物の糸をほどき、飯粒を結わえて川へ落したところこの魚が釣れたとある。故に魚ヘンに占の字をあてたとか。

アユが飯粒を食うはずもなく、この話はどうも疑わしい。

中国では現在も鮎はナマズをさす。アユは香魚(シャンユイ)

まったくの推測ではあるが、この中国読みのユイ(まれにイユ)というのが日本へ渡って、のちの「ウオ」という発音になったのではないかと思っている。

沖縄では今でもフナのことを「ターイユ」という。中国文化の影響を多分に受けた土地だけにうなづける。

そして、さらに推測は進むのだが、日本では大昔、魚に「〜ウオ」もしくは「〜ノウオ」という呼び方をくっつけていたのではなかろうか。

東北地方の方言には、昔の言葉が方言として残っているものが多い。「いづい」「とぜん」「たろひ」等々。「ゴデサマ」や「オガダ」も入るかもしれない。

私の住む宮城中北部では、サケのことを「サゲノオ」と言う。これは「サケノウオ」がなまったものに違いない。

また、我が町ではウグイのことを「ヘノオ」や「ヒャナオ」と呼ぶ。(どうやら周辺の地域では言わないらしいのだが)。これはまさに「ハヤノウオ」がなまったものと信じている。

文化伝来が遅かった分、東北には貴重な言葉(表現)が残っている。

なかなか捨てがたい。

魚の名前

私の住んでる地域を含め東北の多くの地域で、魚のニシン(鰊)のことを「カド」と呼ぶ。

この呼び方は当然のごとく方言だと思っていた。が、違っていた。

江戸期に始まった北前船は、下り便(北方行)にはさまざまな日用品を積んでいたが、主力は綿であったようだ。帰りの便には蝦夷地の海産物などが多くのせられたが、なかでも金肥(キンピ)と呼ばれたニシンの干物は、綿栽培の肥料として重要であった。

当時内地ではニシンのことを「カド」と呼んでいた。つまりカドは和名なのだった。

ニシンとはアイヌ語の呼び名で、のち、この呼び名が定着した。当時の乗組員や商人にとって、アイヌ語を使う方が「ハイカラ」と感じたのかも知れない。

スェーデン出身の生物学者リンネが、生物に世界共通の呼び名をつけようと、ラテン語の二名法をもってしたのが18世紀半ば。これによって世界中の生物にいわゆる「学名」が付けられた。同時進行で各国でも自国語での統一した呼び名がつけられた。日本の場合はかなり遅れて、明治に入ってからのようだった。

日本における統一した(正式な)呼び名を「標準和名」という。

おそらくこのころにはカドよりもニシンという呼び名の方が一般的になっていたのだろう。
結果、ニシンが標準和名になった。(かなり推測まじり)

標準和名は多くの場合、東京を中心とした地域での呼称に因むものがほとんどだが、このようにある種の方言名が和名になっているものもある。

沖縄近海には「グルクマ」と呼ばれるサバの類がいるが、このグルクマも方言名が和名になっている。

それとは違って沖縄の県魚「グルクン」はあくまで方言名で和名では「タカサゴ」やはり東京、神奈川の呼び名が採用されている。

話は変わるが、この江戸期の船の用語が今でも多く使われている。

日本海航路の北前船も太平洋航路の樽廻船も、幕府の規制で帆は一枚と決まっていた。当然、速力を出すために大きな帆が張られた。船の艫(トモ:船尾)からの風が一番速力を出す。この風を真艫(マトモ)の風と言う。「まっとうな」という意味で今も使われている。

船が港を出て、海況が悪くて港にもどることを「出戻り」という。これも今でも内容をかえて生きている。

樽廻船の主要な荷は一時「酒」だった。兵庫の灘から江戸へ運ばれた。この清酒は味がよく江戸では重宝された。下りの便で運ばれたから「下りもの」あるいは「下りの酒」と称された。

のちに武蔵など江戸近郊でも酒が造られたが、品質は悪く不味かった。これが「下りでないもの」、転じて「くだらない」となった。

人工アユの放流

関東以南ではもうとっくにアユの放流は終わっている。5月に入ってから始まった東北の放流もそろそろ終わりの時期を迎えている。北海道は6月の中旬くらいから。

ここのところアユの時期になると決まって出てくるのが病気の話。

特に10年以上も関係者を悩ませているのは「冷水病」。

ピーク時に比べればずいぶんと少なくはなったが、ワクチンをはじめ、有効な薬もあることはあるが、依然として病気は無くなってはいない。

放流用のアユを生産する中間育成業者にとっては、死活問題。

冷水病発生から現在にかけて、養殖業者の方向性は大きく二つに分かれた感がある。

一つは、徹底的に無菌を追求し、養殖アユを病原菌に絶対さらさない、という方向。

もう一つは、病原菌に対して強い種苗、つまり保菌はしても発病しない耐性の強いアユを作ろうとする方向。

前者は海産アユを親魚にし、川水を使わず地下水のみで飼育できる養殖場に多く、宮城では中新田の養殖場があげられる。

後者はどうしても川水を使わなければならない施設に多い。川水を使う以上無菌管理は不可能なため。かつての琵琶湖産アユを提供していた施設に多い。

それぞれ一長一短がある。無菌アユはそのままなら理想的なアユだが、いったん罹病すると耐性がないだけに、全滅する危険がある。したがって、川に放流する場合には、他産地との混合を嫌う。

一方、耐性アユは罹病してもなかなか死なないが、そのようなアユがいるかぎり日本の川から永久に冷水病はなくならない。

この冷水病をめぐっては河川の現場では様々なことが起こっている。

その一例。

アユを放流する時、今ではほとんどの川で、県などの水産試験場の係官がやってきて、病気検査用のアユを放流前の活魚車から検体として持ち帰る。このアユから冷水病菌が見つかることはまずない。

漁協は安心する。しかし、すばらくすると(梅雨などで水温が下がったりすると)冷水病が発生する川が出てくる。その川在来の他の魚や水生昆虫、さらには川底の砂泥中に菌がいたりするときもあるが、それよりも問題なのは、放流アユがもともと持っていた場合。

試験場の検査では陰性なのに保菌しているアユが放されている。これが現実。

このこと、養殖業界では常識的(?)なこと。からくりは・・

冷水病に罹患しているアユにある薬を与えると、菌は死滅しないが不活性(休眠状態)になる。自分の養殖場で冷水病をだしてしまった養殖業者は当然のこととしてこの薬を投与する。

試験場の検査は培養検査であるため、菌が増殖しない限りわからない。薬で不活性になった菌は増殖しない。

結果「保菌なし」の判定が下る。この薬は二週間ほどで効力がなくなる。
結果「発病」する。

冷水病菌の検査には菌そのものの検査に加えて、この薬が使われているかの検査も同時に行わなければ無意味なのだ。

私は、事あるごとに漁協関係者にこのことを訴えてきたが、あまりピンとはきていないケースが多い。

県が調べたのだからと信用しきっている。

大金を投じて、病気アユを買っている漁協が多々ある。

電気ショッカー

夕方のテレビニュースで「水たまりに取り残されたアユが3万匹」(局によっては1万尾というところも)というのがあった。

相模川のとある頭首工の下。いわゆる「カマボコ型」の堰。(形状から見て60年代から70年代初頭に作られたものか)

普段は水の流れないところにアユが取り残された。このての堰は常に水の流れる「常水部」と増水のときだけ流れる「遊水部」に分かれていることが多い。

先日の雨でこの池状の遊水部に入り込んだアユが減水後どこへも行けず、取り残された。底には消波ブロック(六脚ブロック)が敷き詰められている。

漁協関係者や県の職員が「救助」しようとしたが、アユはすばしっこいからなかなかすくえない。
そこで登場したのが「電気ショッカー」。だいたい6ボルトから12ボルトの電気を流して魚を「気絶」させ、すくう。

この「電気ショッカー」は大学や水産試験場などの研究機関ならどこでも持っている。

私も過去に県の研究機関の人とこれを使って魚を採ったことがある。いや、正直に言うともっと前、子供のころにも使った。

違法行為なので作り方は言えないが、ある特殊な装置さえあれば比較的簡単に作れる。
また、効果は落ちるがどこの家にもある「ある物」を使うともっと簡単にできる。

そんなわけで、知り合いのお父さんが作ったもので「違法行為」をした。40年も前のこと。

もとい。県の職員と「合法的」に使ったとき、ある疑問がわき、たずねた。

「電気ショック」を与えた魚は、その後の成長(特に生理的に)や産卵、孵化などのいわゆる再生産時になにかしらの影響はないものか、ということ。答えは「わからない、多分大丈夫でしょう」だった。

その後実証されたかは不明だが、今のところ私はそのことに関する知見は得ていない。

この「救助作業」は今日1日で終わりだそうで、2000〜3000尾のアユを川へもどしたとか。
取り残されたのが1万にしろ3万にしろ、助けたアユは少なすぎはしないか。

あとでとやかく言われぬよう「実績」は作った。典型的な「お役所仕事」

漁協の人が心配げに「水温は30度になっている。酸欠になってしまいそうで心配だ」と言っていた。

自然界の出来事に「手」を貸すのはよろしくない。しかし、それが人為的な工作物が原因なら話は逆。責任を持って最後までやらねばなるまい。

酸欠が心配なら、「かまぼこ」越しに太いパイプを数本たらせば、動力を使わずにサイホン式で水が流れるではないか。
あるいは、常水部との壁を少し壊せば逃げ道ができる。現場は堰の下。少々壊しても問題はあるまい。

それにしても、一回の増水で局所的に万単位のアユが取り残されるとは。

Weltgeistさんから「今年の相模の遡上は去年の30倍」ときいてはいたが、アユの多さにはびっくり。うらやましい限りだ。

当の鳴瀬川はというと、4月末から5月の頭にかけて、第一陣はすこし遡上したが、その後パッタリ途絶えた。増水で動いたかどうか、ラッキーを連れて見に行ってみよう。

アユはまだ産卵中

今日、小国川へ行ってきた。所用をすませ瀬見のN沢おとり店のじいちゃんとばあちゃんにご挨拶し、
「ヤナ茶屋もがみ」をのぞき、帰りしな愛犬ラッキーを遊ばせようと満沢橋の下の川原へ。

ラッキーを放し、なにげなく川をのぞくと瀬落ちの深場の底石が明るい。もしかしてと思い、辺りをみてみると、かけ上がりの瀬肩にアユがいた。それも200尾ほどが群になっていた。見ると、底は産卵に丁度いい大きさの石ではないか。そうかここで産卵したいのか。

ということは、もともとはもっと上流にいたアユだろう。満沢は小国のなかでも最上流に近い釣り場。アユは我々の想像を超えて、さらに上流まで遡っていたのだ。というのは集まっていたのはサイズから言って天然遡上のアユたちだったから。

大きいものでもせいぜい18cm、ほとんどが15cmほど。放流アユが今このサイズでいるわけはない。やはり天然、それもかなり遅くに遡上したアユたちだろう。となると・・

ここには書けないくらい、様々なことが頭をよぎる。

なにはともあれ、11月になっても生き延び、産卵をしようとする姿は神々しさすら感じられる。

地元に帰って、今度は鳴瀬川を見に行った。毎年多くのアユが集まるところへいくと、たくさんのサケがあっちでガボガボ、こっちでガボガボとホリ(産卵床)を掘っていた。10日ほど前に来たときはサケが掘って寄せた小砂利のところにアユが集まり、盛んに産卵していたが今日は見られなかった。こちらはどうやら終わった様子。

10日前には人の影でサッと逃げていたサケが今日はあまり逃げなくなっていた。産卵のピークが近いのだろう。

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