この日、茨城の石岡に向かう。話せば長い物語である。
高校時代、自分はナゼか放送部に所属していた。しかもメカニカルな部署ではなく、アナウンスチームである。札幌から東京に転勤してきたとき、偶然にもアナウンスチームの先輩とネット上で再会した。彼女は石岡の出身で、結婚して東京に住んでいたのである。不二家のペコちゃんによく似ていたので、ペコちゃん先輩と呼んでいたのである。ペコちゃん先輩の旦那殿(パパさん)は、偶然にも自分の学校の同窓生で同年度の入学であることがわかりびっくり。サラリーマンをしながら、週末には石岡にハム屋をオープンして自作のハムを販売しているのである。元々ご実家がハム屋だった(今は廃業)パパさん、今は自分の理想だった無添加のハムを作っているのだ。週末だけ自分の時間を茨城で過ごしているということか。
ペコちゃん先輩からランチのお誘いがあった。その時代の顧問であった先生とワレ先輩(男子)・Oh!先輩(女子)も一緒である。ばっちゃんと共に家を出て11時半過ぎに到着。
しかし何で自分は放送部に入ったのであろうか。今となってはまったく覚えていないのである。中学時代はバスケット部でボールを追いかけたり、吹奏楽部でトロンボーンを吹いたこともあったんだが、放送部のイメージはまったくないのである。
なんでやねん。
さっそくランチ開始
低温調理器で作ったというローストビーフ。にんにく醤油とホースラディッシュでいただく。美味い。ホースラディッシュの話で盛り上がる。76歳になす恩師のI先生、出身が長万部なのである。子供の頃、海に行くのが遠かったので川に泳ぎに行ったそうだ。小遣い稼ぎに山や川原に映えている山わさび(ホースラディッシュ)を採って、売っていたという。
ペコちゃん先輩の1級上のワレ先輩(すなわち自分の2コ上)。なぜ「ワレ」と名付けられたかというと、本人はわからないと言う。中学時代からそうだったらしい。初対面だった新入生のとき、帰りに突然雨が降ってきたことがあった。「どうしよう」と声に出すとワレ先輩は、後輩達に向かって、「雨と雨の間を走って帰れ」と命じていた。不条理を平然と言い放つ誠に面白い先輩であった。今もそうである。
昔話で大いに盛り上がり、15時過ぎに解散。それから牛久の実家に寄る。
かあちゃんは粛々と天ぷらの準備をしていた。さらに料理を準備しようとしていたので必死で止める。揚げたての天ぷらをいただく。蓮根、茄子、インゲン豆、海老、茗荷、皆いただきものである。揚げたらどんどん皿に盛られる。またまたわんこ天ぷら状態である。
茗荷をブルーベリー酢で漬けたものをいただく。うちのかあちゃんはなかなかチャレンジャーなのである。ブルーベリーの風味と茗荷の風味が不思議な味がした。
食後のデザートと思えば悪く無い。
20時半過ぎに実家を出発。常磐高速から首都高6号線に入る。空いていて快調に走っていたが、突然の渋滞になる。普通の渋滞ではなく、いきなり止まって動かなくなったのである。これは事故だと直感。停止してから20分ぐらい経過して消防車・消防指揮車、救急車が、渋滞の隙間を通って追い抜いていく。それから10分後には、3台の消防車である。大きな事故のようだ。
結局1時間ほど経過して事故現場をパスできた。停車していた場所から10メートル程先が現場であった。1台の外車が転覆して腹を見せている。車体はぐちゃぐちゃになっていて何の車かよくわからなかったが、無傷のテールランプに見覚えがある。マスタングのようであった。酷い状態で、車の運転席の屋根は潰れてしまった状態であった。もすあと数分首都高に入るのが早かったら、巻き込まれるところであった。事故車の乗員が無事であることを祈った。
ハプニングはあったけれど、楽しい週末1日目でありました。
ごちそうさま
|