朝7時40分に尾道駅に到着。福山からは片道向後通行箇所もあって、洪水の傷跡が到着前から見る事になった。駅の目の前には海が広がっており、向島ドッグなどのドッグには建造中の大きな船を見る事ができた。海を眺めているとkazubon殿からメールが来ていたことに気が付いた。北海道に向かっている彼は、どうやら北海道入りをしたようだ。「寒い」というタイトルで「朝から運河」という写メである。計画通りフェリーで小樽に入ったようだ。返信で「こっちは暑いです尾道市」と送る。反応なし。
駅に迎えにきてくれた細川殿の車で移動。ここから山に向かった集落に拠点を置き
、彼はミニミニボランティアセンターを1人で運営しているのである。気仙沼大島のボランティアセンターで長期間活動していたときに細川殿と知りあった。彼は青年海外協力隊としてパプアニューギニアに派遣され現地で活躍していたのである。
車を走らせること20分、尾道市吉和町のボランティアセンターに到着。拠点としていたのは現地の一般の方の家の庭で、簡易シェードを設置。まるで野戦の前線基地のようであるが、簡素で機能的である。実はこのお宅もまた被災したという。ここに一輪車、スコップ類の置き場にしているのであった。
隣に借りた倉庫に飲料を保管し、そこから補給をする形にしているという。
さっそく現場に向かう。この日は細川殿の協力隊仲間5人での活動であった。
お手伝いに行ったお宅は、裏山から土砂が殺到。家の一部を壊して突き抜けた形になっている。ここには住んでいる人が居なかったので、人的被害は無かったというのが不幸中の幸いである。
砂のようになっている土砂。手で触ってみると花崗岩がバラバラになったもののように見える。水を含むと液体のようになり、遮蔽されると破壊力を発揮するのではないだろうか。素人考えだけれど・・・・
まず気が付いたのは、被災した人達の疲労である。笑顔で迎えてくれたが、色濃い疲労は隠すことはできない。特に消耗していた家主には、私達に任せて休んで欲しいと皆で声をかける。災害から1ヶ月、土砂にまみれた家の中からは酸味のある臭気がしてくる。そんな中、家族だけで作業を進めてきたかと思うと気の毒でならなかった。
暑い環境の中、10分から15分の作業で休憩を取る。熱中症の場合、「喉が渇いた」と思ったらすでに手遅れなのだそうだ。無理をしないため、ご家族と一緒に休む。休憩時間にはご家族の皆さんとできるだけ話をする。そんな時、自分のようなアホな男は、たくさんのヨタ話をして笑わすことができるのだ。まったくナニが役に立つかわからない。1日に500ミリリットルのペットボトルを6本飲んだが、すべて汗で出てしまったのである。
翌日も同じ現場に行くことにして、15時前に撤収。拠点に戻り高圧洗浄機で資材を洗浄して作業を終了したのでありました。
その後、細川殿と協力隊の皆とで反省会に出席。自称揚げだし豆腐マスターの細川殿が、日本一美味いという揚げ出し豆腐を賞味する。
うんまい、うんまいではないか
もし大村益次郎が生きていたら、この店に入り浸っていただろうと思うのである。
仕事場に戻って残った業務を片付けてから参加した人も加わり、大いに盛り上がる。協力隊の任期は普通2年なのだそうだが、細川殿は4年もパプアニューギニアで過ごしたのだそうだ。これはとっても異例のことで、これ以降は認められなくなったのだそうだ。口の悪いⅠ殿によると、長い間辺境の地で生活をしていると、「人間ってっこんな極限状態でも生きていけるのだ」と思うと、社会復帰が難しくなるのだそうだ。インドネシア、ミクロネシア、ガーナに派遣されていた人達から色々な面白い話を聞く。ふわふわな卵焼き。
お好み焼きである。そうか自分は広島に来ているのであった。
辛いものが大好きという自分のために激辛マーボ豆腐をいただく。
反省会は20時ぐらいに終了。細川殿のご好意で自宅に泊めさせていただく。するとナンということでしょう、風呂に入ろうと思ったら無いのである。どこをどう探しても無いのだ。どうしよう・・・・
仕方なくおパンツ無しで寝る。明日はきっと良い日だ。
ごちそうさま