北総線 北国分駅は三菱電機 |
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2013年01月27日
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製作国:イギリス 製作年:1969年 <スタッフ> 監督: ボリス・セイガル 製作: ルイス・ラックミル 脚本: ドナルド・S・サンフォード
ジョイス・ペリー
<キャスト>デヴィッド・マッカラム:クイント・マンロー スザンヌ・ネヴ:ベス・スコット デヴィッド・バック:デヴィッド・スコット <感想> V1ロケットによってロンドンを空襲されていたイギリス軍は、起死回生として製造工場を爆撃する 作戦を企画する。ボール爆弾という新兵器を使って攻撃を加えようとするが、イギリス空軍の捕虜を 人間の盾とするドイツ軍にどう対抗するか、イギリス空軍は悩むのであった。 ※モスキート爆撃機。エンジンはロールス・ロイス社製。後には57ミリの対戦車砲を搭載した機も出た イギリス空軍とドイツ空軍が死闘を繰り広げたバトル・オブ・ブリテン。制空権をモノにすることで ドイツはイギリス本土への陸上部隊の投入を目論んでいた。そこでチャーチルは総力戦を宣言。ドイ ツ空軍の空襲によって生産能力が下がっていたにもかかわらず、大量増産に成功した爆撃機がこのモ スキートなのである。正式名称はデ・ハビランド モスキート(DH.98)。 最高速度は667.9キロというからかなりのもの。敵戦闘機も追うことができなかった程である。 尚、中嶋飛行機の偵察機彩雲(C6N)は、終戦後に米軍によって高オクタン価の燃料を使って試験 飛行をしたところ、最高速度は700キロに迫る695キロであったらしい。「ワレに追いつくグラ マン(F6F)なし」と基地に打電した実力は、伊達ではなかったのである。 さて映画では 「V1ロケットを継ぐ新兵器の開発」とあったが、これはフォン・ブラウン博士の開発 したV2ロケットのことであろう。V2を開発したドイツ軍は、バトル・オブ・ブリテンの制空権を 争う戦いで破れた。これは大型爆撃機を持たなかったという点と、レーダーを持ったイギルス空軍の 優位性があったからと思う。敗戦後、ヴェルナー・マグヌス・マクシミリアン・フライヘル・フォン ・ブラウン博士(やたら長い)はアメリカに移住。レッド・ストーンロケット、ジュピターCロケッ トに続き、サターンロケットを開発。月面着陸の中核をなすロケット開発に貢献したのである。 この映画ではバトル・オブ・ブリテンに活躍した高速爆撃機として描かれているが、この機体は開戦 から終戦まで大活躍をした。木造の爆撃機で、増産には木工や家具屋まで駆り出されたそうである。 また固形燃料で飛ぶV1ロケットは速度が遅く、速度自慢の戦闘機スーパーマリン スピットファイ ア戦闘や高射砲の餌食になったそうである。V2は液体燃料で飛ぶため推力が強く、最高速度は57 00キロを越えた為、撃墜は困難になった。この開発に関わった技術者がアメリカとソビエト連邦の ロケット技術の基礎を作り上げたことを考えると、この映画もまた一味違って見えてくる。
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tomo殿からいただいたお土産をいただくtomo殿の話によると韓国在住の韓国人(なんだか当たり前のような気がするが)でも辛いと言っていたらしい。これは期待が持てる。さっそくばっちゃんに作ってもらう。作り方は・・・・・・裏面を読んでみる。 読めません できあがったラーメンを一口食べてみると、けっこう辛い。いままで辛いといううたい文句にどれだけダマされてきたことであろうか、正真正銘の辛いラーメンに出会えて嬉しい。「辛いラーメン」で検索すると楽天でヒットしたこの商品。通販で買って見るのもいいかも知れない。 ごちそうさま |
「明日」という表題でメールが来たのは1/24 18:08:36おひさ殿からメールが来たのは、木曜日の夕方のことでありました。文面は以下の通り
「かわしり家のみなさま
明日ヒマ?
餃子食べに行きませんか?」
非常にシンプルでありましたが、いたいけな中年の胸にズキュンとくる文面。一気に血圧は上がり、ちょっとめまいがするぐらい。しかしながら金曜日はこれもまた前から訪問してみたかった豊島区千川の住民が愛してやまないお店「小柳」での宴会。
※ベッケンバウワーの為、涙を流しながら断ったのであります。
自分も餃子は好きでありますが、ばっちゃんもかなり好き。ファミリーレストランで餃子とビールを頼むというもうおやぢ状態。
これで 「わたくし28歳よ」 などとホザくのだ。そんな二人が我慢できるハズもない。翌日の土曜日、いつもより遅く目覚めた二人、暗くなったら大塚へ出かけようと誓うのでありました。それまでの間、DVDで映画を2本観て、きっとkazubon殿も見ているであろうスキージャンプを見て過ごす。
※「ベッケンバウアー」とは別件がある場合ばっちゃんが使う用語。ベッケンバウアーが何者かを彼女は知らなかった。
そして訪問したのは19時過ぎ。念願のお店に到着。
店内はかなりオシャレな感じ。これまでの餃子専門店というと、薄暗く狭いカウンターで、口をへの字にした焼き方さんが黙々と焼いているというのが通り相場。ところがこのお店はさにあらず、おしゃれな店内は明らかにこれまでのイメージとは違う。
紀元前6世紀の頃から食べられていたという餃子。意外に思う人がいるかと思うが、中国では餃子にニンニクを入れないらしい。自分の経験から言うと、いまから35年前の夏、台北で合宿をしたときに食べた餃子もそうであった。お湯の中に浮かんだ餃子を、タレをつけて食べるというもので、厚い皮の中身にはニンンクは入っていなかった。その代わりテーブルには生のニンニクが皮ごと置いてあり、それをむいてバリバリと食べるか、クラッシャーでつぶして食べるというスタイルであった。
日本で最初に食べたというのは黄門さまというからオドロキである。そういえばラーメンもそうであった。水戸光圀という殿様は、どれだけ食いしん坊であったのであろうか?などと思ってしまうのであります。
で、さっそく頼んだのは鉄板焼き餃子のダブル。もちろん生ビールも頼みました。
焼き目だけでキャイーンなルックス。中の具が見えるぐらいの薄い皮ということは、浜松系のウルトラライトか。宇都宮のガッツリ系とは違うルックス。そして横浜の分厚い皮のヘビーデューティとも違う。おお、これこそ午後もお仕事がある働く女子にぴったりではないかッ。
※「食べる豆板醤」をトッピング。画像だけで気を失いそう。 小さめの餃子をちょいとつまんで口の中に放り込む。口の中で噛み切ると中から出てくる汁がかすかに甘い。野菜から出た水分と、肉汁が渾然一体となって舌を襲ってくる。二度、三度とかみ締めると都度都度に味が変わっていく。ううう、手が勝手に餃子をつまんでいるではないか。こうなるともう制御不能である。アンコントロールとなった手は勝手にビールジョッキに伸び、グビリグビリと一気に餃子を胃に流し込む。あ、あかん、まずい(美味しくないという意味ではなく)、このままではビールを呑み過ぎて行き倒れになってしまう。
「中年夫婦、餃子の食べ過ぎで大塚駅で卒倒」
などというみっともないことはできない。餃子にナニを合わせようかと熟考した末に出した結論は「キンミヤ」のストレート。
餃子でフルスロットルになった胃を制御するには、コレしかない。四日市が世界に誇る宮崎本店。ハードリカーで食欲が増した胃にブレーキをかけながらいただく。これがなかなか旨い。実は宮崎本店は日本酒も作っていて、こちらもなかなかのものなのである。やはり水が良い土地柄なのであろう。
サイドメニューの煮チャーシュー。これはなかなか珍しいメニュー。生意気を言うともうひとひねりが必要かも知れない。肉もかなり良質なものを使っていて柔らかい。
缶詰はナニがあるのかと思って見せていただく。ノザキのコンビーフがあった。これは以前、野崎産業という商社が持っていたブランド。1999年に川鉄商事と野崎産業が合併。2004年に持ち株会社JFEホールディングスの子会社「川商フーズ」として再出発したのであります。
野崎産業は輸出ブランドとして「GEISHA印」を持っていて、これはかなり知名度が高いのであります。1911年にカニ缶を発売して以来、長い歴史を持つノザキのブランド。あまり知られてはいませんが、セスナとユーロコプターの日本での輸入代理権を1999年まで所有(現在は伊藤忠商事系の日本エアロスペース)していた商社なのであります。
このコンビーフにマヨネーズと七味をトッピング。久しぶりにいただくコンビーフはとっても美味でありました。
あられをおつまみでいただきました。もう立ち呑み気分でありました。
鉄飯碗餃子本舗
店主のブログです
てっぱんわんなんかどう?
ああ、何と罪深きオトコなのでありましょうか。帰り道新宿まで到着したところ、おなかが空いてきた。胃に負担が少ない餃子なのか、それとも自らがアホなのか、もうちょっと引っ掛けて帰ることにしたのであります。思いついたのは小便横丁の「安兵衛」。久しぶりの訪問である。相変わらず店は大賑わい。戦後この横丁に最初にできたお店は、中華の「岐阜屋」。その次にできたのが割烹「安兵衛」なのであります。
そこで自分は熱燗2合をいただき、転んで怪我してはいけないのでさっと帰る。楽しい宵でありました。
安兵衛
ごちそうさま
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きのとやのタルトをいただきました2個も食べてしまいました。
先日いただいたマグカップ。モノトーンで切り取ってみたら、質感をより感じることができました。もっと写真のウデがあればなあ〜
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