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小松武さんの家はこんな感じになっている。(メモから)
②の場所にかつてあった母屋の2階まで津波は押し寄せたというから、12〜13mまで押し寄せたということである。かつて海の高さと同じところに工場(処理場)があったのであるが、ここは80cmも地盤沈下しており、嵩上げをしなければ建築物は建てられない。 県の担当部局に、いつ嵩上げと堤防の工事が完了するのかを確認したところ、平成28年3月までかかるという。それまで出火ができないのは、何よりも痛い。 ①の場所は江戸時代から持っていた土地で、以前は畑として使っていたそうです。牡蠣の仕事が忙しくなり、畑を止めることになった際、孫が(武さんのこと)家を建てるときの為にと、木を植えたのです。 以前あった母屋もまた、ここを開墾したときに切った木を山中で製材し、その材料を使って家を建てたのです。そしてそのお祖父さんの植えた木は、今回母屋の跡に建てられた牡蠣の処理場に使われました。 気仙大工達は、生えている木に触れながら頭の中にある設計図の中のどこに使うかを切り倒す前に決めていきます。この地に暮らす人々の、自然とのかかわり方と時間軸の長さを知った貴重な体験でした。 ①の新居を建てる場所。木を切り出しているところ。使えない木は燃料用のペレットとして業者に引き渡されました。 中古品と支援してもらった資材で作った筏、購入した新品の資材について補助金が支払われないという問題は、一応の解決を見た。工場の建設に当たっては、何度も申請を提出したが審査を通ることは無かった。水産庁からは「この規模では無理」とはっきり言われたとのこと。(規模が小さすぎる) 震災復興の支援の仕組みはいくつかあるが、いずれの申請も却下されてしまっている状況にある。そんな中、彼は自己資金での工場建設を決意したのである。 ※この後、元世界銀行副総裁の西水さんのアドバイスと、テラ・ルネッサンスの鬼丸さんの繋がりによって、アメリカのNPOを通じて加工場再建の資金援助を得ることができました。 ②かつて母屋があったところに漁具を上げた時の写真。ここに工場を建てるため、これだけの漁具をさらに上の畑まで人海戦術で運び上げた。(一番下の写真が運び上げている途中の写真) ③以前工場のあったところ。堤防は震災前へ”復旧”することで決まった。私有地の嵩上げも自前でやらなければならない。 ここで重要となってくるのが牡蠣のオーナー制度である。多くの方から賛同を頂いているこの仕組みは、資金の調達というより顔の見える商売がしたいということで始めたもの。しかしこの状況の中では、重要な意味合いを持つことになってきた。 東京にいる僕ができることは、自ら立ち上がろうとしている人達の為に使える補助制度はないか調べること。必要とあれば、政治家にも話を聞いてもらうつもりである。 負げねぇど (こうしたケースに使える補助金をご存知の方がありましたら、是非教えて頂きたいと思います。)⇒無事見つかりました 2013.3.20 川尻 健裕 http://yamayosuisan.wordpress.com/ |

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