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<感想> 雪印乳業の事件の後、中国製の農薬入り餃子事件など、食の安全に関するさまざまな事件が発生 した。その都度マスコミは大きく取り上げ、身近にある食の安全性について多様な論議が繰り広 げられてきた。筆者は生レバーの提供禁止措置を取り上げ、その背景と経過を丹念に掘り起こし ている。それを踏まえて「食」は危険と隣り合わせであり、それを長年の知恵によって克服して きたことを説いている。放射能についても触れ、いたずらに不安感を煽るのではなく、冷静な視 線で書いてあるところに鋼管が持てた。
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ほほほほの本
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<感想> 1888年に出版された雑誌ナショナルジオグラフィック。写真と文章で長い間読者を魅了して きた雑誌である。月刊誌であるこの雑誌に日本が初めて登場したのは、1894年12月のこと であったそうである。それからすぐの1896年9月に三陸沖地震の津波被害についての記事が 掲載されている。この記事を書いたエライザ・R・シドモアに引っかかるものがあったので調べ てみた。するとやはりワシトンのポトマック河畔にある桜に縁のある人であった。彼女は日本の 桜を愛し、日本の風物を世界に紹介した人物である。ポトマック河畔の桜は、彼女は当時の米国 大統領夫人ヘレン・H・タフトの協力を得て、日本から苗を持ち込みポトマック川の両岸に植え たとされている。彼女が初めて日本に来たのは1884年28歳のときだったそうである。 今は横浜の外人墓地に眠っているそうである。 米国人の目から見た明治の日本は、「貧しいけれども幸せな国民」と映っていたようである。 われわれは100年の間に「幸福」を失ってしまったのであろうか。 象徴的だったのは、最後に掲載されている写真は、三陸町の防災庁舎に押し寄せる津波に流され まいと防災庁舎の屋上の手すりつかまる佐藤町長ら10人N姿である。この庁舎では42人の職 員が殉職したのである。冒頭に明治三陸地震、そして最後に東日本大震災を取り上げたところに 編集者の意図を感じずにはいられなかった。
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<感想> ハンブルグで知りあって結婚した北杜夫夫妻。最初は亭主関白であったのに、躁うつ病を抱えた 夫に猛々くなっていく妻。そんな夫婦関係を面白可笑しく述べた書である。 虚弱児だった僕は、よく熱を出して家の布団で寝ていることが多かった。その頃から布団の中に 本を持ち込んで読み漁るということをしていた。中学生になった時、友人から紹介されたのが 「ドクトルマンボウ航海記」。それからシリーズを何冊も読んだのである。 震災のあった2011年、残念ながら亡くなったのであるが、少年時代の思い出がひとつ消えて しまったようでさびしい。先日、娘さんの斉藤由香さんの本をふと古本屋で手にとって、久しぶ りに読んでみたくなった。
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督促OL修行日記 榎本まみ・著文藝春秋刊 8冊目<感想> 新入社員で配属された部署は、借りたお金を返さない人から借金を取り立てるところであった。 着任早々1日60件の電話をかけるように命じられる。電話の向こうから聞こえる罵声、怒声、脅しに 震え上がり、強いストレスに体調は悪化。さらに心の均衡を失っていってしまう。配属された貸したお 金の回収部署で最悪の成績であったOLが、次々と脱落する同期の中で最後まで生き残り、ついに は債権回収のプロフェッショナルとして花咲いていくまでの物語。 最悪な仕事環境の中、抱え切れないストレスに襲われているうち、知らず知らずの間に対応力がつ いていく。その過程を読みながらふと思った。避けることができない状況の中で、闇の中からもがき ながら立ち上がっていく姿。それが被災地の姿と重なっていました。内容的には参考になる書物で はありませんが、読み物としては面白いです。 |
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<感想> 秀吉が信長のわらじを懐で温めていた話や、狩りの途中で寄った寺で光成が秀吉に出したお茶の 逸話を通して、「おべっか」も出世の戦略と述べた書である。 ホイチョイ・プロダクションズの代表取締役の馬場氏は、成蹊学園に入学した同級生を中心とし てクリエーターグループを作った。映画「私をスキーに連れて行って」で一躍有名となったのだ。 安倍首相の同級生と言われ、多くの同級生が参加しているようであるが、いずれもアルファベッ トでした名前が記されておらず、全容は不明な集団。 今回も楽しい本であった。
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