今日何食べた? 押忍!!おっちゃんの部屋

復活させております『おっちゃんの部屋2』も同時進行中・・・まだまだ頑張らねば

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思いつくまま

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浅草よもやま話その 1 は こちら   


浅草よもやま話 その2


神谷傳蔵と蜂印香竄葡萄酒

                      ↑はちじるしこうざんぶどうしゅ

みかわやが開業した当時の浅草は茶屋が12軒あるだけの寂しいところだった様です。しかし

傳兵衛は、浅草寺の檀家は信心深い人が多いので必ず客は来ると思っていたそうです。その思

惑は当たり、大繁盛となりました。そして店の裏でワインのブレンドを開始しました。

赤ワインは渋みがあって、当時の日本人には受け入れにくい飲み物でした。そこで一計を案じ

どぶろくや砂糖を混ぜて甘口にして店に出しました。これが大当たりして口コミで伝わり、ま

すます繁盛しました。

そんな中、明治15年(1882年)に「電気ブラン」を発売しました。これは輸入したブラ

ンデー、キュラーソー、焼酎(!)薬草を特別な方法でブレンドしたもので、当時「電気〇〇」

と商品名に電気とつけるのが流行っていた為、電気ウナギみたいなネーミングになったそうで

す。40度ととても強い酒ですが、大昔酒を「薬湯(やくとう)」と呼んで滋養強壮剤のよう

な感覚で飲む習慣があったので、これが大衆にウケたのかもしれません。

世俗から解脱しきれていない坊さんが、

「ではでは薬湯をもそっとよばれようかのぉ」などと言いながら、片手にグラス、片手におね

いさんなんて姿を良く見ますけれどネ・・・(先斗町やススキノで ナイショだけど)

さてさて、明治18年(1885年)にはブレンドした葡萄酒「蜂印」を瓶詰めして発売。

さらにグレードアップさせて「蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)」を発売し

ました。

この「香竄」とは、亡くなった傳兵衛の雅号だったそうです。バカ当たりしたこの蜂印香竄葡

萄酒は、葡萄酒の代名詞として広く伝わり、全国で愛飲されました。当初は薬として飲まれて

いた様ですが、文明開化によって豊かになった庶民の間では、娯楽の一環として葡萄酒を飲む

習慣が定着した様です。この蜂印香竄葡萄酒は紆余曲折の上「赤玉ハチハニーワイン」として

後世に伝わります。ハチはもちろん「蜂」で、飲みやすくする為ハチミツを加えていた事が名

前からもわかります。

この長きに渡って愛飲されてきたハチミツ入りワインのおかげで、日本に本格的なワインの普

及が遅れたと後の研究家は述べています。なぜ本当のワインの味が普及しなかったのかを自分

なりに考えてみました。

まず、日本に入ってきたのは「赤ワイン」であった事と思います。国によって作り方は違いま

すが、白ワインの作り方は・・・・

1.白ぶどうから作る  2.ぶどうの皮と種を除いて仕込む

の2種類があります。一方赤ワインは、

1.丈夫な赤ぶどうから作った   2.長期間保存がきくから作った

という理由がありました。2の理由が最大の理由で、欧州から輸入されるワインは殆どが赤

ワインであったのです。では、何故赤ワインは長持ちをしたかと言いますと、赤ワインを仕込

む際にはぶどうの皮と種の両方共一緒に搾り出します。ぶどうの種には多くのタンニンが含ま

れ、これが腐敗せず長持ちした原因なのです。ただ皆さんもご存知の通り、タンニンには独特

の苦味があります。これが日本人の口にあわなかったで、傳兵衛は砂糖やハチミツで味付けし

たのです。

日本人は欧米人と比較して「苦味」対する味覚が鋭敏なのでは無いでしょうか。「苦味 甘味

塩味 酸味」の4つの味の組み合わせで人間は味を感じます。日本人は古来、野菜を多く摂取

してきました。煮物や漬物等で野菜のアクから出る苦味を様々な処理で克服して食べてきたの

です。その苦味を押さえる技術によって、少しの苦味でも感知できる能力を得たのかも知れま

せん。その証拠に、野菜嫌いの子供の過半数が苦味に対する味覚過敏が見られるという報告も

あります。⇒ かなり無理があるかな〜????




大好評の評判を得て、今度は自分で葡萄酒を作る大きな夢を傳兵衛は持つ様になりました。

傳兵衛夫婦には子供が無く、良い後継ぎを得る事を考えていました。そんな時、山形から上京

して勉強をしながら日本橋で働いていた小林傳蔵(こばやしでんぞう)を見い出しました。

傳蔵と雇い主をかき口説き、みかはやの酒製造工場で働いてもらう事となりました。傳兵衛は

自分の夢を切々と語り、傳蔵に「フランスで葡萄酒作りを勉強してきて欲しい」と依頼します。

傳蔵は承諾し、傳兵衛の養女であった誠子と結婚をします。その3日後(!)、横浜港からフ

ランスへ向けて、出発しました。当時の日本では、フランス産の苗は育たず、欧州の葡萄の

栽培は不可能と思われていました。日本では古くから葡萄の栽培がされており、日本書紀にも

(だったかな〜??)記されているくらいなので、基礎の学問をしっかりやれば絶対にできる

と信じていた様です

※この稿また続く・・・・・

独り言:結婚から3日後に傳蔵はフランスに単身向かいました。自分なら謹んでお断り申す。
    (おいらにゃ、こんなことゼッテー出来ねえ by欲ぼうマックス)

そぞろ歩いて・・・

数寄屋橋


この交差点で、いつも赤尾敏さんは白髪を振り乱して演説していたっけ。

赤尾さんの辻説法はいつ聞いてもおもしろかったなあ。「共産党のバカヤロ」で始まる説法はユーモア

があって楽しかった。仙人みたいな風貌と、毎回落選するのに立候補する奇人じみた行動だったけれど

枠にはまらない(左翼的だけど右翼じゃない、かといって純粋な民族主義者でもない。一般人のカテゴ

リーに納まりきれない破天荒な人だった)

※彼は天皇すら国民の為にあると主張していた。右翼の定番「尊皇主義」じゃなかったから、右翼の中
 でもアウトローだったな

右翼のデモのアルバイトで、公安に写真撮られた事があったなあ!(オヤジに叱られた)
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ここのガード下はまだまだ健在!「トリスバー」もあった
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業務連絡!!
しゃむちゃん こんなん見つけましたけれど、次回帰国の際はいかがでつか?
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場所は歌舞伎町でつ・・・何なら事前に調査しま       あッ!  

バキ!
ドス!


では、みなさんさようなら・・・・・
イメージ 185.0kg 体脂肪率23% 体重計の乗り方で表示が減る。本当は85.2!!
本日のテーマ「マンネリ」もうネタないっす!ゆっくり考えるッス







8日のお昼は牡蠣フライ定食 キャンペーン価格500円!

安い!サイズはSだけど、これでインスタントコーヒーがついているから、大人気!
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その日の晩は、狛江駅近くの「黒船」

ネギチャーシュー醤油ラーメン 950円

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9日の昼ごはんはもつ煮込み定食 650円

もつが少ないけど、野菜はいっぱい・・・・野菜好きにはうれしい定食です
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9日の晩は「冷したまご麺 大盛り定食 1200円

こりはさすがに辛かったッス!!
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ラーメンについては後ほど詳しくアップ!!!!

思いつくまま

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浅草よもやま話 その1

神谷傳兵衛

東武線浅草橋駅と馬車通りを挟んで反対側に神谷バーはあります。レンガ作りの古びた建物

で大正10年に建てられたそうですからもう90年近くもこの地を睥睨しています。この馬車

通りは吉原に至る道でもあったので、赤線があった時代 粋筋の人が多数行き来していたと思う。

「馬車通り」と名づけられたのは、「馬車の行き来する道」の意では無いらしい。

その昔 浅草寺の僧兵が軍事訓練をする馬場があったという事で、この通りの名がついたそう

です。

この建物は関東大震災によって大きなダメージを受けました。堅牢な作りであった為、倒壊

をまぬがれましたが、浅草を襲った大火からは逃れられず全焼してしまいました。この時の

大火で浅草一帯は焼け野原となり、近くにあった吾妻橋も鉄骨部分を残して焼け落ちてしま

いました。この橋は安永3年(1774年)、はじめて架設され、そのときの名前は「大川橋」と

呼ばれていたそうです。明治20年(1887年)に鉄橋が完成したときは、橋長80間1尺5寸

(約146m)幅員7間4尺(約14m)と当時としては大変立派なものでした。その後、震災の補修を

加えながら長い間使用されましたが、道路を広くするために昭和6年(1931年)に架け替えたの

が現在の「吾妻橋」です。



神谷バーの「神谷」はここの当主であった神谷傳兵衛(かみやでんべえ)から名づけられた

ものです。神谷傳兵衛は安政三年(1856年)三河国松木島村(今の愛知県幡豆郡一色町松木島)

名主の家に生まれました。神谷家は武士でしたが、江戸のはじめに武士の身分を捨てて松木村

に土着し、庄屋として多くの小作人を養っていた様です。幼名を松太郎と言い、何不自由無い

家庭環境でしたが、趣味人であった父親が原因で家は没落してしまいます。その後横浜に出て

フランス人の事業家が経営しているフレッレ商会で下働きを始めました。このフレッレ商会は

輸入した酒をブレンドして出荷していた様で、ここでの仕事が後の事業に繋がっていった様で

す。ある日病気になって衰弱した松太郎は、ワインを飲んだ所、みるみるうちに回復したので

ワインの滋養強壮に強く関心をもちました。その後独立して商売を始めましたが、失敗をして

全財産を失う事もあった様です。この間父親がこの世を去り、家督を相続して神谷傳兵衛と名

乗る様になりました。

樽に酒を詰めて、引き売りで酒を売って資金を溜めた傳兵衛は、24歳の時に浅草に一杯飲み

屋「みかはや」を開店し、神谷バーの前身はこうしてこの世に産声を上げたのです。

※この稿続く・・・・・
イメージ 184.2kg 体脂肪率20%
本日のテーマ「パラダイスリゾート」 のんびりしたいッス!






晩ごはんは「オイスターオイスター」ですた

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恵比寿「でですけ」の真似してもらったのですが、残念無念・でも美味しくいただきますた

とんかつは惣菜を買ってきますた
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健康を考えて、トンカツからナムルまで
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