今日何食べた? 押忍!!おっちゃんの部屋

復活させております『おっちゃんの部屋2』も同時進行中・・・まだまだ頑張らねば

失いしもの

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ひらりん

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事故死の丁度その時間、僕の夢の中に現れた。

妹の顔が目の前に浮かぶことが多かった。

車の運転中のフロントガラスに、電車の車窓に。



6年が経過しようとしているが、最近はそんなことが無くなって来た。

妹がいない生活に慣れてきたからだろうか。

それとも僕が薄情なのだろうか、なんて考える。




自分の中に矛盾と不甲斐なさを抱えたまま

だらりんと生きている僕は、

自己嫌悪に陥ることも無く

絶望することもなく

ただただ

淡々と生きて行くのみ。





無味無臭で透明な生き方をしたいのだ。




※遊園地のメリーゴーランドで、高校2年生頃。

LOVE PSYCHEDELICO

デリコの歌が好きだ。

CDを一枚も持っていないし、ましてやライブにも行った事が無い。

でも街を歩いていたり、ラジオから流れてくるKUMIの声を聞く

と、立ち止まって聞いてしまう。カリカリとした声なのに、ビロード

のような味を感じる。まるで草原で寝転んで音楽を聴いているような

感覚になる。




冴え渡る冬の夜、浮かび上がる星座の中で一番好きなのはオリオン。

冬にならないと見えない星座で、寒さに打ち震えながら見るのが好

きだ。何者にも妥協せず、何者も拒絶しない姿が好きなのだ。

真ん中の三連星が寄る年波のせいで見えにくくなってきた。





東京の晴れた冬の朝、高いところから富士山が見える。

妹は富士山をこよなく愛し、何枚もの写真を残した。晴れた日が続くと

毎朝のように仰ぎ見ることができる。



好きなものに囲まれ、幸せを感じる事ができるという「幸せ」を感じな

がら生きていきたい。

過去

子供の頃から「時間」というものの概念をはっきり理解できなかった。

思い出したその風景と出来事が頭の中にあるという認識はあったが、その時の自分はどこに行って

しまったのだろうか? 言葉に出すと「過去」という概念は理解できるのだけれど、1人になると

どうしても理解できない自分がいた。小学校の高学年になっても、過去の概念を繰り返し考える変

な子供だったと思う。




妹が突然死んだ後、様々なことを考えた。七転八倒の苦しみを感じたこともあった。

その時に深く考えた様々なことが、今こうして生きている自分の人生観に大きな指針を与えてくれ

たと強く感じている。ひとつの所作が人に与える影響や、一言の言葉が自分に勇気をくれることな

ど、のほほんと暮らしていたときには絶対に気が付かなかったことを知ることができた。




死は無ではなく始まりであるということ。

そこにいない寂しさはあるけれど、「過去」という極彩色の概念の中に確かな存在がある。

そして妹の死によって深く掘り下げて考えた様々なことは、確かな成果物として僕の手元にある。

彼女の死によってようやく「過去」という概念が身近に感じられるようになった気がするのだ。







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※クリスマスの風景、昭和39年頃の写真。
 牛乳で乾杯しようとしているところが時代を感じさせる。

さいごのきょく

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先日「選択10月号」の「還りのいのち 還りの医療 自然死への道を求めて」という記事の中で

評論家の米沢 慧さんは「最後に聴く音楽」という文章を書いていた。



ホスピスのサロンである男性が曲選びをしているところに筆者は遭遇する。最後の時に聴きたい曲を

彼は選んでいたそうだが、その彼から『G線上のアリア』『アレグロ ジョコーソ』『カノン』のう

ちどれが良いか?と聞かれ「じっくり、考えて決められたらどうですか」と答えた。


彼の返事は、「わたしにはそんな時間はないみたいですよ」だったそうだ。

結局、筆者はとまどいながらもカノンを薦めた。そしてその取材から時が経ったある日、ハンドベル

のチャリティ・コンサートで「カノン」を聞きながら、この曲を繰り返し聴きながら亡くなったみず

知らずの男性を思い感傷の涙を流すのである。

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サーフィンとボディーボードが大好きだった妹は、40歳を過ぎても愛車ミニクーパー1.3iを駆って

湘南の海へ出かけていた。野太いエグゾーストノートを響かせながら、朝の暗闇をフォグで切り裂い

て疾走していたに違いない。

そんな彼女は車の中で音楽を聴くのが大好きだった。いつも車の中にはたくさんのCDが入っていた

から、おそらくあの時もそうしていたはずである。

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あれから5年目が巡ってくる。

当初は朝から晩まで彼女のことを考えたり、嘆いたり、悲しんだり、後悔したりしていた。

今では朝から晩まで思い続けることは無いけれど、彼女に対する思いはより深遠になった。





街を歩いているとき、道に面した店舗からサザンの曲が聞こえてきたり

シフトダウンするときの「フォン!」という野太いエグゾーストノートが聞こえたときに

ふと妹の顔を思い出すことがある。

失ってしまったものは大きいけれど、失ったことで得た事も多い。



「生」が連続するということは残された我々の心持次第であり、そして前を見て生きていく事は、

去っていった大切な人に唯一できることなのだと信ずる。

見逃しているもの

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とても人気の無いHという先輩がいた。僕の直属の上司であった彼は、苛烈な性格とガサツな性格で

煙たがられていた。若い社員からは蛇蝎のごとく嫌われていたと言って良いかもしれない。

提出する書類を忘れようものなら、容赦なく言葉で叩きのめす。福岡で一緒に仕事していたのだけれ

ど、Hが転勤した先では若い社員が一斉ストライキを起こすぐらい過激であった。しかし彼の凄いと

ころは、それを意に介し無いところ。




妹が死んで1ヶ月経ったある日、いつもの様にススキノに飲み出た。悲しみを癒すことができず、毎

日の様に飲みに出ていた。ああしてあげればよかった、こうすれば良かったという悔悟の苦しみに耐

えかねて、毎日1人で飲み歩いていた。午前3時〜4時まで飲み歩き、酩酊した状態のまま会社に出

かけるという毎日。酒で身も心も焼き尽くさねば、生きて行く自身が無くなっていた時期であった。



あるスナックのカウンターで飲んでいると、午前2時に会社の携帯が鳴った。今頃誰だろうと出ると

Hからの電話だった。

「今どこにいるんだ」

「はあ、飲み屋です」

「おめぇ、毎晩毎晩飲み歩いてるんだろ。聞かなくてもわかる。この馬鹿モンが!」

「・・・・・・」

いきなり顔を張られたような気分だ。


「オイッ! 聞いてんのかッ! しっかりしろバカヤロウ!」

いつもの通り言いたいことだけ言って電話は切れた。




素直に心に沁みこんでいく言葉、叱られているのだけれど心地よい気持ち。44歳にもなったのに

こんな気分になるなんて不甲斐ないと思うより、愛情を乱暴な言葉に変えてくれた嬉しさが先立っ

た。切れた携帯電話をいつまでも見つめ、閉じる際には心をこめてお辞儀をしたのである。




窮地に陥ったときに手を差し伸べてくれる人が、本当の友であると祖父から教えられてきたが、期

せずして自ら体験することになった。妹の死は膨大な量の悲しみを僕にもたらしたが、また多くの

知恵も与えてくれた。これが死を無駄にしないということなのだと勝手に思っている。これを繰り

返すことにより、肉体は滅びても妹の魂は永遠の生を得るのだと信ずる。

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