今日何食べた? 押忍!!おっちゃんの部屋

復活させております『おっちゃんの部屋2』も同時進行中・・・まだまだ頑張らねば

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気仙沼大島
【ロープのお話】
延縄(はえなわ)漁に使っていた縄を再利用して、筏の竹を結んだり、牡蠣を吊るすロープを作ったり、いろいろ無駄なく使っていた。少なくても10年は使えるそうである。津波によって漁具の小屋が流されてしまい、全てを新調する必要があった。

支援が受けられるのは新品とあって、手配したのは石油から作られたロープ(写真では束ねて重ねてある、黒いロープ)。今まで使ったことが無く、海水や太陽光に当たってどれだけ劣化するかがわからない。だから一気に筏を復活させず、2012年度は半分の約70基を海に浮かべたのである。
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支援を担当する役人は「なぜ一気に作らないのか」と言うけれど、こんな事情があるのである。それに、もし一気に作ってしまったら、筏が一気に耐用年数を終えてしまう可能性もある。そうしたリスクを避けるため、全部を一気に作らなかったのだ。

写真の延縄(はえなわ)は、瓦礫の処理場に廃棄の為に集められていたものを、汚泥の中から集めたもの。これを使おうとしていた漁師達はどうなったであろうか。移動や作業のため、このロープを担いだり結んだりする度にそんな思いに囚われる。

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とっつんが、ふとこんなことを言った。
「朝、夜が明けてから起きることが信じらんね」
「やることが一杯あるけんと、何がら手ぇつけたらいいかわがんね」

本来であれば牡蠣養殖にとって最も忙しいこの時期。夜明け前に作業を始めるのが普通であった。なかなか好転しない現状に押しつぶされそうになりながらも、必死で踏みとどまっている状態。国が手を差し伸べてくれるのをあきらめ、自らの判断で前へ進みだした彼らの道のりは、あまりにも険しくそして遠い。

そんな絶望的な状況の中で、光となっているのが若者達。何かできないかと被災地に向かう若者達はみんな目が輝いている。

僕は日本をあきらめない。決して、絶対に、

2013.3.13. 休暇中の自宅にて



http://yamayosuisan.wordpress.com/

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小松武さんの決意

小松武さんの家はこんな感じになっている。(メモから)
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②の場所にかつてあった母屋の2階まで津波は押し寄せたというから、12〜13mまで押し寄せたということである。かつて海の高さと同じところに工場(処理場)があったのであるが、ここは80cmも地盤沈下しており、嵩上げをしなければ建築物は建てられない。
県の担当部局に、いつ嵩上げと堤防の工事が完了するのかを確認したところ、
平成28年3月までかかるという。それまで出火ができないのは、何よりも痛い。

①の場所は江戸時代から持っていた土地で、以前は畑として使っていたそうです。牡蠣の仕事が忙しくなり、
畑を止めることになった際、孫が(武さんのこと)家を建てるときの為にと、木を植えたのです。
以前あった母屋もまた、ここを開墾したときに切った木を山中で製材し、その材料を使って家を建てたのです。そしてそのお祖父さんの植えた木は、今回母屋の跡に建てられた牡蠣の処理場に使われました。

気仙大工達は、生えている木に触れながら頭の中にある設計図の中のどこに使うかを切り倒す前に決めていきます。この地に暮らす人々の、自然とのかかわり方と時間軸の長さを知った貴重な体験でした。
①の新居を建てる場所。木を切り出しているところ。使えない木は燃料用のペレットとして業者に引き渡されました。

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中古品と支援してもらった資材で作った、購入した新品の資材について補助金が支払われないという問題は、一応の解決を見た。工場の建設に当たっては、何度も申請を提出したが審査を通ることは無かった。水産庁からは「この規模では無理」とはっきり言われたとのこと。(規模が小さすぎる)
震災復興の支援の仕組みはいくつかあるが、いずれの申請も却下されてしまっている状況にある。そんな中、彼は自己資金での工場建設を決意したのである。
※この後、元世界銀行副総裁の西水さんのアドバイスと、テラ・ルネッサンスの鬼丸さんの繋がりによって、アメリカのNPOを通じて加工場再建の資金援助を得ることができました。
②かつて母屋があったところに漁具を上げた時の写真。ここに工場を建てるため、これだけの漁具をさらに上の畑まで人海戦術で運び上げた。(一番下の写真が運び上げている途中の写真)
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③以前工場のあったところ。堤防は震災前へ”復旧”することで決まった。私有地の嵩上げも自前でやらなければならない。

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ここで重要となってくるのが牡蠣のオーナー制度である。多くの方から賛同を頂いているこの仕組みは、資金の調達というより顔の見える商売がしたいということで始めたもの。しかしこの状況の中では、重要な意味合いを持つことになってきた。
東京にいる僕ができることは、自ら立ち上がろうとしている人達の為に使える補助制度はないか調べること。必要とあれば、政治家にも話を聞いてもらうつもりである。


げねぇど


こうしたケースに使える補助金をご存知の方がありましたら、是非教えて頂きたいと思います。)⇒無事見つかりました


2013.3.20
川尻 健裕

http://yamayosuisan.wordpress.com/

大島の春

寒い冬も終わりに近付いてきました。蕗の薹が顔を出していました。
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たらの芽はまだまだ先のようです。

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海草の口開け(採取の解禁日)が行われました。長崎港の近くの岩場でヒジキを見つけました。

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刈り取ったヒジキは蒸し天日で干して乾燥させます。水に戻すと何倍もの量になるヒジキ。とても美味しいッス。

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テトラポットにはのりが生えていました。

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春はもうすぐです

猫好き集まれッ!

猫の絵描きさんの個展やってます

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呑み友達の高橋行雄画伯の個展が銀座と京橋で開催されています。東京駅近くで仕入れ先の方と商談を済ませた後、ちょっと覗いてまいりました。
「高橋行雄 ドローイング展(3/4〜3/10)」
京橋のひっそりとした一角に、パリの街から切り取ってきたような画廊、ギャルリー・コパンダールがありました。ちょいと中を覗くと、高橋画伯が座っておられました。
 
どうやらお客様とご一緒の様子。そっと中に入って絵を鑑賞させていただきました。今回展示されている作品には、今まで拝見したことが無い猫と女性の構図があり、ちょっと驚いてしまいました。
 
 
画廊の方の計らいで、高橋画伯と話しておられたお客様と同席。お茶をいただきながらお話を聞かせていただきました。そのお客様は金属を使った彫刻家とか。70歳を過ぎておられるのに元気いっぱいの方でした。
 
その方が帰られた後、一人の若者がやってきてじっと絵を鑑賞していました。しばらく眺めた後、「ありがとうございました」と帰ろうとしたので、自分は図々しくもせっかくですから座ってお話をしていきませんか?と言うと、嬉しそうに席につかれました。
 
高橋画伯の絵に対する印象を、いくつかの言葉で彼が表現すると、高橋画伯は絵について、滔々と話をし始めたのです。若き日にスウェーデンで絵を売ったこと、パリの広場で絵を描きながら自分の絵を売ったこと。好きな絵を野放図に描くのではなく、客が求めるものをアンテナを張ってアタマに入れる事。
 
今使っている画材のこと(いま画伯が使っている紙は、イタリア製の版画用)。対象をただ写実するのではなく、心を入れることを力を込めて話されました。色についても感じたよりももっと強く出すと、観る人に伝わるとおっしゃいました。
 
「藤田の線がすごく好きだった」
若い彼にはそれだけでわかったようで、ふんふんと頷いていました。絵心がまったくない自分は、まさかてなもんや三度笠の藤田まことではないよな、と心の中で考えていました。「ふじたつぐはる(藤田嗣治)」のことか、と分かったのは画廊を出る頃のこと。(トホホ)
 
藤田の線は何気なく描いてあるように見えるけれど、あの線は何度挑戦してもできない。
「スーッと引いてあるのだけれど、どんなにマネしてもできないんだ」
「体の部位は描くのではなく、陰影を作って表現している」
ともおっしゃいました。
 
そこから絵の描き方に入っていきます。姿かたちを写実することができても、全体を印象的にするには、細部を描きこむことが必要。たとえば人物よりも周りの静物や景色、女性の場合は手を描きこむこと。
 
「好きな絵を描いているばかりではダメ。もっと世界に目を広げて、いろいろな体験をしなさい。日本だけに目を向けていてはダメですよ」
 
 
その若者に向けた強いメッセージだったのだ、と気が付いたのは話の途中から。するとこの若者も絵描きなのであろうか。隣に座って目を輝かせながら聞いている彼のことをそっと観察すると、洗いざらしのGパンに渋い色のスゥェーターを羽織っている。左手の薬指には上品なシルバーの指輪が光っている。
さらりとしたちぢれた髪の毛は、亡くなった池田満寿夫のようである。
 
 
終始ニコニコと笑顔であった高橋画伯。でも話の内容は力が漲っていて、若者に対する愛情が感じられて心地よかった。突っ込んだ話をしていないのに、彼を何故絵描きだと見破ったのであろうか。疑問だったその点を問い質すと、画伯は笑いなあがら、若者のこの言葉を挙げたのです。
 
「清潔感ある絵ですね」
 
思い出せば、この言葉の後から高橋画伯の話は熱を帯びてきたのでした。
そして画伯が若者にかけた言葉は
 
「空間を動かすのです。そうすると見る人にバンッと伝わるのです」
 
すごい言葉だと思いました。
 
 
御付き合いさせていただいて、もう5年位になるでしょうか。いつも自分は酔っぱらっていてダメダメおじさんになっていたのですが、こうした高橋画伯の迫力あるお話を聞けて嬉しかったです。ありがとうございました。
 
 
個展は以下の通りです。是非ステキな猫の絵に会いに行ってみて下さい。
 
 
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「−人・猫−高橋行雄ドローイング展」
会期/2013年 3月4日(月)〜3月10日(日)
会場/ギャルリー・コパンダール
11:00〜18:00(最終日17:00まで)
東京都中央区京橋2−7−5 京二小林ビル1F
 
 
 
「ねこを描く 高橋行雄 絵画展」
会期/2013年 3月8日(金)〜3月14日(木)
会場/オンリーニャン(ワン)ショップ ゆめ猫
11:00〜20:00(最終日16:00まで)
東京都中央区銀座5−8−20 銀座コア3F

うれしい知らせ

ヤマヨ水産の小松武さんが、フェイスブックで牡蠣の状況をアップしました。
転載いたします。




「湯通し+雪解け水」の賜物。

今日現在の牡蠣の様子を撮ろうと持ち帰り剥いた牡蠣はなんとも立派でした。(手前味噌!笑)

「復興・オーナー制度」開始からもうすぐ1年。

インターネットをご利用にならない方からのお申し込みは約5割。

その方たちにとって私は「オーナー制度で再起を図る青年牡蠣養殖業者」で情報がストップしています。(苦笑)

遅ればせながら、そのオーナー様への定期報告(今後3ヶ月に1度のペース)の作成中です。

「現在の牡蠣の様子、出荷の目処、工場・自宅再建の進捗状況、放射能の影響、オーナー制度の募集状況、現在の課題」などといった数項目をご報告します。

※今回は報告書をほぼ全ての方へ郵送の予定にしていますが、メールでお受け取りいただける方には次回からメールで送らせていただきたいと思っております。ペーパーレス化へのご協力、何卒よろしくお願いします。

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ヤマヨ水産

フェイスブック 2013.3.5.

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嬉しくて嬉しくてたまらん・・・・

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