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大昔、無くなった母方の祖父が農協の視察でヨーロッパに出かけた。当時の外遊と言えば 一族郎党で見送りに出かける雰囲気。昭和40年代はまだそんな時代なのでした。 その時は家族揃って羽田に見送りにでかけた。かあちゃんは前の日にパーマ屋にでかけ完 璧に準備。 欧州に出かけた村のじさま達は、ほぼ全員がふんどしを愛用。ホテルの窓からたなびくふ んどしを見て、さぞかし彼の地の人々は驚いたことと思う。 当時村には水洗トイレは無く、診療所に和式の水洗トイレがあるだけ。ここまで書けばナニ が起きたかわかると思う。ホテルのトイレは洋式だったのである。まだ「原始的循環生活」 を送っていた村人は、桶に二本橋(にほんばし)というスタイルを愛用している家庭もあっ たのである。 そのけったいな便器の形に戸惑う明治・大正生まれのオンパレード。写真の右下のスタイル
をした方がいたらしい。持っていった膏薬を貼っているのをガイドが発見し、事情が判明。 実演によって全員が手法を習得したという話を思い出した。 |
トイレの住人
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ユニバーサルデザインというやつなのでしょうか? とてもわかり易くてポップな感じでありました。 昭和53年頃、渋谷駅のトイレは変わった形状でありました。 巨大な皿が地面に埋まっているような便器で、真ん中に足を乗せる踏み板みたいなもの があって、フラッシュすると足の廻りを水が流れていくというシロモノ。 田舎者だった自分は、ばあちゃんの家にあった「日本橋式便所」を思い出したのであり ます。昔、人糞を堆肥として農作業に使用していたので、トイレは巨大なお椀のような ものを地面に埋め込み、そこに2枚の板を渡して用を足すというものでありました。 細やかに移動を繰り返さないと「おつり」を受け取るハメになりますが、揺れる板の上 を移動するのは冷や汗ものでありました。 またそれを肥桶に入れて天秤で移動するのもコツが必要で、なかなか重労働であったの を思い出します。(この思い出は昭和40年代半ばの頃の思い出であります。)
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開業してから45年を経過しているニューオータニ。日本で最初の高層ホテルであることや、戦艦大 和の主砲を回転させる技術を活用してレストランが回転するなど、オープン当初は相当な話題だった と思います。 以外とトイレが小さいのには驚きました。 |




