【Question11】
沖縄人大好きな言葉の一つに「命(ヌチ)どぅ宝」があります。沖縄人の平和に対する理念を現した言葉としてもよく使われます。その由来は、ある人物が読んだ次の琉歌にあるといわれています。では、その人物は誰でしょう? a.薩摩に侵入された尚寧(しょうねい) b.最後の国王となった尚秦(しょうたい) c.沖縄芝居で尚泰を演じた役者 『琉歌』「いくさよも すまち みろく世もやがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」
『解説』 「戦場(いくさば)のような混乱した時代は終わった。やがて、平和なで豊かな時代がやってくるだろう。だから、配下のものよ、嘆いて命をそまつにしてはいけない。なによりも大切なのは命だ」
【解説】
一般的に「命どぅ宝」の由来は、「琉球処分」によって最後の国王になった尚泰が、首里城を出る際、臣下を前に詠んだ歌だといわれています。歌の内容は戦場のような混乱した時代は終わった。やがて平和で豊かな時代がやってくるだろう。命あっての物種(ものだね)、けして命をそまつしてはいけないということです。 |
琉球・沖縄の歴史
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琉球・沖縄の歴史Question & Answer
琉球・沖縄の歴史Question & Answer
【Question10】
1945年3月26日、米軍の慶良間諸島上陸によって沖縄における地上戦の幕が切って落とされました。では、沖縄戦が公式に終了した日はいつでしょうか? 下記のA.B.C.Dの中からお答え下さい。 【A】6月23日 【B】7月02日 【C】8月15日 【D】9月07日
【解説】
A.6月23日は、日本軍の司令官が自決した日 B.7月2日は、米軍が沖縄作戦の終了を宣告した日 C.8月15日は、日本の敗戦日 一時廃止になりかけた6月23日「慰霊の日」が、県条例で従来どおり休日になったことは、県民運動の県民運動の成果として評価すべきですが、この日が軍部中心に制定されていることは意義があるといわねばなりません。現に6月23日以降も、沖縄は依然として戦場であり、日本が降伏した8月15日以後も犠牲者を出し続けていました。この史実を踏まえ、「沖縄戦の終結を6月23日とすれば、こうした非戦闘員の受難は、消えてしまうことになる(太田昌秀「沖縄戦とはなにか」)として、ほとんどの研究者が6月23日終戦説をとっていません。 地域にとって戦争犠牲の異なる沖縄にとって、統一的な戦争終結の日はないといっていいでしょう。しいていえば、沖縄戦は1944年の10・10空襲を布石に1945年3月23日の南西諸島への米軍の激しい空襲から始まり、日本軍の司令官が自決した6がつ23日を経て、米軍の沖縄作戦終了宣告が発せられた7月2日をもって一応の終幕となります。だが、「正式に降伏調印式がおこなわれたのは、9月7日のことであった」ということです。もちろん、県も6月23日を「慰霊の日」としているものであり「沖縄戦終結の日」とはしていません。 |
【Question9】
1958年、夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)に沖縄から初めて我が母校の首里高等学校が参加しました。 福井県代表の敦賀高校に敗れはしたものの、県民に大きな感動を与えてくれました。 ところが選手たちが思い出として待ちかえったあるものが、法律に触れるとして没収されました。 かれらが、待ちかえったあるものとは、なんだったのでしょうか?下表のa,b,cの中からお選び下さい。
(エルガー作曲「愛の挨拶」)Classical Piano Musics」さんからお借りしました。 音楽を止めるには、 停止ボタン をクリックして下さい。
【解説】
1958年、夏の甲子園大会に、沖縄から初めて首里高校が参加しました。福井県代表の敦賀高校に0対3で敗れはしましたが、県民に大きな感動を与えてくれました。 ところが選手たちが思い出にと持ち帰った甲子園の土が、植物防疫法にふれるとして没収され、那覇港で廃棄処分になったのです。異民族支配(米軍支配)を象徴する事件として、全国的な話題になりました。 因みに沖縄が日本(祖国)に復帰したのは1972年5月15日です。
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(Dvorak, Antonin作曲「母の教え給いし歌」)Classical Piano Musics」さんからお借りしました。 音楽を止めるには、 停止ボタン をクリックして下さい。
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http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/3e1cdd16/bc/dcc8/__hr_/dcdc.jpg?BComAGFB2mXgdi_o
Artist Name odaibaWind 曲名:渚橋03 音楽を止めるには、上記ブログチューンズの OFFボタン をクリック 【解説】
泡盛は、造ってから3年以上寝かせたものをクース(古酒)と呼んでいます。 泡盛の大きな特徴は、長く寝かせ、熟成させることで酒の質が向上することです。つまり、より味わい深い、おいしい酒になるわけです。 戦前「康煕(こうき)年間」の古酒があったと伝えられます。 康煕年間とは中国の年号で、西暦の1662〜1722年にあたります。 ということは300年近くを経た古酒があったことになります。 また、首里の旧家にはそれぞれ秘蔵種の古酒があったといわれています。 琉球最後の国王・尚泰(しょうたい)の四男で、趣味人としても名高い尚順(しょうじゅん)は、古酒についての髄質を残しています。 その中で、古酒づくりに欠かせない「しつぎ(仕次ぎ)」という手法を下記図の示すように紹介しています。 これはいくつかの(甕)を用意して、年代順に酒を貯蔵する方法です。 まずは一番に必要なのは良い甕(カメ)を求め、かつ良いアヒャー(親酒)を求めることです。これが古酒の親酒になります。 親酒は汲み出したり、自然に蒸発したりして目減りします。 これに新しい酒を注いだら、もっとも良い親酒でもだいなしになるといいます。そこで、二番手、三番手の酒を用意します。 最も古い親酒を汲み出したら、これに次ぐ古い二番手の酒から補います。 次に、二番手の酒には差に番手からと、順に次ぎ足しを行っていく方法です。 こうすることにより、親酒の古酒としての風味をそこなわないで、数百年にわたり蓄えて置くことが出来るというのです。 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/3e1cdd16/bc/dcc8/__sr_/2498.jpg?BCm43KFBC5Ah70J7 世界の蒸留酒の中で、ウイスキーのスコッチはせいぜい50年が古酒の限度とされます。 というのも、それ以上たつと、酒が樽の中で干上がってしまうか、蒸留酒とはいえないほど雑な味になるといいます。 一方、ブランデーのコニャックには1700年代の古酒があるといいます。 ただ、これらウイスキーやブランデーの古酒は、樽詰めされて貯蔵されたものが、一度ビンに詰められると、そこで熟成は終わりになります。 しかし、泡盛の古酒は「しつぎ」の手法によって、古酒の風味を保ちつつ、熟成をはかることができるのです。 泡盛は、とりわけ(甕)貯蔵によって、香りのあるまろやかな味に育つともいいます。 このように泡盛は、貯蔵の手法によって、たえず香りや味わいをみがいていく可能性をもった酒といえます。 |
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